星降る夜に、世界の終わりに

よつゆ

第1話 

「すいませーん、寝坊しました」

教室のざわめきが一瞬だけ止まる。


「おい、黒江。これで何回目だ。もうお前の名前消えるぞ。」

「あー、それは困りますね」と軽く返して空いている席に腰を下ろす。


黒板にはよくわからない数式と端のほうに 《隕石落下まで あと10日》

クラスの半分はすでにいない。

宇宙への避難船に乗った者もいれば、他県の避難区に移った者もいる。

残っているのは、行くあてもなかった奴らと、

「まだ大丈夫」と笑って言えるくらいには鈍感な奴らだけ。


私はそのどちらでもないと思っていた。

けれど、こうして空席だらけの教室にいると、

なんとなく“残った側”に含まれている気がして、少しだけ胸がざらつく。


そういえば、うちの学校は坂が多いせいで原付免許が特別に許可されている。

私のバイクを「無駄な趣味だ」って笑ったやつは、もう地球にいない。

空を見上げるたび、あいつらが乗ってる避難船の光が、昼間でもうっすら見える気がした。


あのときのことを、思い出しそうになって――

「黒江、この問題がわかるか?」


先生の声が頭の奥に響く。

「……いいえ、わかりません」


くすくすと笑いが広がる。

どうでもよくなって、私は机に突っ伏した。


チョークの音と時計の針の音が、やけに鮮明に響く。

眠いわけでもないのに、目を閉じる。


チョークの音が止むころ、チャイムが鳴った。

昼休みのざわめきが一気に広がる。

弁当のふたが開く音、椅子を引く音、誰かの笑い声。

どれも少し遠くに聞こえる。


私は鞄を肩にかけ、そのまま教室を出た。

屋上は閉鎖されて久しい。

静かな場所といえば、今は校舎裏くらいしかない。


壁にもたれてタバコを取り出す。

風が乾いていて、空は雲ひとつない青。

火をつけると、煙がゆっくりと空にほどけていく。


あと十日で、空から石が降るらしい。

けれど、この時間だけは、世界が終わる気がしなかった。


「……また吸ってる」

声のする方を見ると、凪雲さやがいた。

弁当箱を片手に、日差しを避けるように目を細めている。


「昼メシより優先なんで」

「健康とか、もうどうでもいい感じ?」

「世界終わるのに気にしてもね」


そう言うと、さやはあきれたように笑って、

私の隣に腰を下ろした。


さやが弁当をしばらく食べ何かを決心したように小夜に向き直した。

「ねえ、小夜」

「ん」

「わたしね、明日旅に出ようと思うんだ」


「世界が終わるこの時に?」

「世界が終わるこの時だから、だよ」


そう言って、スマホの画面をこちらに向ける。

草に埋もれた建物。どこかの山奥らしい。

“旧・気象観測所跡”とタイトルにある。

「ここ、行きたいんだ。小さい頃から一度見てみたくて」

「……今さら?」

「……今しかないでしょ。世界が終わるんだよ。私ね、これを初めてネットで見たとき、一度でいいからここを見てみたいと思ったの」


「へぇ。ロマンチストだね」

「笑わないでよ。本気なんだから」


さやは頬をふくらませ、箸の先で弁当のご飯をつついた。

その横顔は、どこか昔のままだった。

無邪気で、でも決めたら絶対に引かない性格。


「で、行ってどうすんの?写真でも撮る?」

「ううん、ただ見たいだけ」

「……物好きだな」

「うん。だから一緒に来て」


思わずため息をついた。


「またそれか。ウチを巻き込む気?」

「どうせ暇でしょ。最近ずっとふて寝してるじゃん」

「観察されてんの、気持ち悪いな」

「気になるんだよ。ほっとけないっていうか」


そう言って、さやは笑った。

その笑い方が、やけにやさしかった。


昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

グラウンドの風が、二人の間を通り抜けた。

空は相変わらず青くて、どこまでも静かだ。


「じゃ、放課後またね」

さやは立ち上がり、弁当箱を抱えて歩き出す。

その背中を見送りながら、私は思う。


――世界の終わりに、旅なんて。

そう思うのに、胸のどこかが少しだけざわついた。


午後の授業。

教室の空気は、昼休みのぬるい余韻をまだ引きずっていた。

先生が教壇に立ち、黒板の前で無言のまま出席簿をめくる。


「……はい、静かにしろ」

その声が、いつもより低く響いた。

教室のざわめきが少しずつ消えていく。


「お前らもニュースで見てると思うが――この地域は、明日から“避難指定区域”になる」


一瞬、空気が止まった。

誰かが小さく息をのむ音がした。

先生は続ける。


「バスが朝に出る。行き先は県の避難センターだ。希望者はそこから宇宙シャトルの抽選にも申し込める。保護者にはもう連絡がいってる」


黒板の隅。午前に見たチョークの文字がまだ残っている。

《隕石落下まで あと10日》

その数字が、現実のカウントダウンに変わった気がした。


「……なお、残る判断をした家庭については、自己責任だ。停電や通信障害も予想される。準備を――」


先生の声が遠くに聞こえる。

隣の席の女子が小声で話していた。

「ウチのお母さん、宇宙に行けるかもって……」

「うちはもう荷造りしてるって」


机の上のプリントを眺めながら、小夜はため息をつく。

宇宙も、避難所も、どっちも遠い。

どっちにも自分の居場所がない気がした。


窓の外には秋の陽射し。

その光が、廊下に長く伸びている。

あと十日。

この世界が静かに終わっていく気配だけが、確かにあった。

「静かにしろ。これで今日の授業は終わりだ。まっすぐ家に帰って避難の準備をしておくように」

先生は黒板にチョークを置き、短くそう告げると、出席簿を抱えて教室を出ていった。


誰もすぐには立ち上がらない。

ざわめきが、じわじわと広がっていく。

机を叩く音、ため息、笑い声。どれも現実感がない。


視線を前に戻すと、さやがクラスメイトと何かを話していた。

昼休みはあんなことを言っていたけど――どうせ明日には避難地区の一員だ。

宇宙船の申請だって、きっともう済ませてる。

そんなふうに思いながら、私は気にも留めずに椅子を引いた。


空っぽのカバンを片手で手繰り寄せて立ち上がる。


「……じゃ、帰るか」

小さくつぶやいて、教室を出る。


昇降口を抜けると、風が頬をかすめた。

空はやけに高く、どこか遠く感じる。


駐輪場には、いつもよりバイクが少ない。

乗り捨てられた自転車が何台か、傾いたまま並んでいた。


私は自分の中型バイクにまたがり、キーを回す。

重低音のエンジンが静かな校舎に響いた。

ほかの生徒たちが一瞬だけ振り返る。

気にせず、スロットルをひねった。


風がスカートの裾をはためかせる。

坂の多い街を抜けながら、ミラー越しに校舎を一瞥した。


――どうせ、明日には全部、避難地区。


アクセルを少し強める。

エンジンの振動が、いつもより気持ち悪く感じた。

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星降る夜に、世界の終わりに よつゆ @Yotuyu231

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