春曙三世抄 第三部未来世「安倍晴明は電脳都市平安京の夢を見るか」

めぐみ

第1話 Why did she write?

 やまいから稲荷山に至るまでの三十六の峰が、ぬばたまの夜の中から輪郭を顕わにし始める。磨った墨が硯の墨池に落ちる時に一瞬見せる、水には混じらないという頑なな意志のような稜線がまだ朝日を隠している。

 山々は平安の都を眺めながら微睡んで横たわったまま。暁、東雲と時を経るに連れて、次はここにいるぞとばかりに空がじわじわと眠りから目を醒ます。乾坤が分かたれていく。陰と陽に、天と地に世界が分かれて、また新しい一日が始まる。何度でも。望んでも望まなくても。世界は、毎日生まれていく。あの方がいらっしゃってもいらっしゃらなくても。

 黒からこきいろへ、濃色からはなだ、浅葱、藍白と、天が夜の帷を一枚ずつ引き上げていく。白んだ空に夜と朝のあわいの色に染め上げられた雲が棚引いている。瑞雲。薄紫色の雲が暗示する人が誰なのかを、今では誰でも知っている。

 配信ライブはいつだって春のあけぼのがオープニングだ。バンク使い回しなんてしない。昇る朝日の色が毎日ちがうように、オープニングのあけぼのはその度ごとに新しく生成ジェネレイトする。どれだけ配信を重ねても、あの方と過ごした日々を、そして別れてからの日々を思い起こせば、一度だって同じあけぼのにはならない。だからあたしの配信は配信開始前からたくさんの視聴者テイカーが待機している。あの人たちの目当ては、ほとんどその回の配信のあけぼのだと言ってもいい。

 あたしがいつか見たあけぼのを、日々生まれる世界のはじまりを、配信者ギバーとしてのあたしの世界のはじまりだったあの方を観るために、自分もあの方を観たと思うために、たくさんの人があたしの配信に集まってくる。

 空の色に調整チユーニングを入れながら、毎回思い出すのはたった一度の朝ぼらけだ。あの方が内裏を出ざるを得なくなって職の御曹司にいらっしゃった頃、母屋に鬼が出るということになって、女房も随身も大騒ぎしながら夜通しあの方をお守りして、ようやく有明の月が霧り渡る庭に上って、それから次第に夜が明けていく。鬼も忘れて和歌を詠み始める殿上人や上達部の騒ぐのをひさしからあの方も一緒に笑いながら眺めていた。

 その後で、あたしが仲間内でハブになって屋敷に引きこもっていた頃、メッセージが届いた。

「あなたと見た日の朝ぼらけがいつも思い出されるの。どうしてそんなふうに私を置いていくの。このまま私を忘れていくの。私はあの日の朝ぼらけもあなたとの時間もずっと忘れられないのに」

 しき御曹司みぞうしを出る日の夜明け、もうここには戻れないと覚悟をしながら里に向かう車の簾を上げて、あの日の朝ぼらけを思い出して少しだけ泣いた。あの方からのメッセージを見ても、すぐ戻る気にはなれずに宇津保物語の「朝ぼらけほのかに見ればあかぬかな中なる少女をとめしばし留めなむ」という歌を引いて、「もう少しだけここに留まらせてください」とお返事したけれど、「今日中に戻ってこないのなら大嫌いになるから」と言われては、それ以上そこにいる理由はなかった。

 どうしていつもそんなふうにお一人で背負ってしまわれるの。私を呼び戻したことでグチグチ不満をいう輩だっているだろうに。どうしてご自分の我儘でご自分だけの責任みたいな顔をなさるんですか。お悩みの種があたしのことなら、あたしだってその半分を背負っていたいです。あなたがその後背負ったものを、背負わざるを得なかったものを、あたしにも背負わせてほしいです。

 あたしはあたしのできること全てを、あたしの身も心も命も捧げる覚悟であの方の元に戻った。そして、あの方の見たものを見て、あの方があたしたちを連れて行こうとしていた先を見つめて、あの方の見たかったものを他の人に一生をかけて見せることにした。

 だから、あたしはいつもあの朝ぼらけを思い浮かべなから配信ライブ生成ジェネレイトする。決して同じになることはないと分かっていても、あの日の朝ぼらけをもう誰にも見せないと思っていても、ずっと心の中にはあの霧の中の月と白々と明けてゆく空がある。ただ、あの方がいらっしゃらないだけ。それでも、あの方と見たのとはちがうあけぼのを、ずっと配信し続ける。毎回ちがうそのあけぼのをあの方が見たというような顔をして。

 どんな素晴らしい楽器の演奏をすれば、どんな強い天つ風が吹けば、あの天女のような方をこの地に引き留めておけたのだろう。「中なる少女」にできたのだろう。天に還る少女に縋るように手を伸ばす。その先に紫がかって細くたなびく雲がある。それが、あたしの配信ライブの始まり。あたしの人生ライブの全ての始まり。

 視聴者テイカーの中には配信者ギバーに自分の思い通りに振る舞うことや、自分の観たい仮想現実VRを配信することを求める人がわりと多い。配信者はギバーなんだから自分の欲しいものを与えてよってタイプの視聴者テイカー。でも、そういう視聴者テイカーは意外に自分を満足させてくれる配信者ギバーへの投げ銭を惜しまない。テイカーがギバーにギブし始める。こうなってくると、配信ライブ配信者ギバー視聴者テイカーに分けてる運営のやり方も意味ないなって思わなくもない。配信者ギバー視聴者テイカーも与えるし奪うし与え返すし奪い返す。五感全部を配信ライブするって、いつだってそういうことと隣り合わせだ。

 あたしの視聴者はどちらかというと、あたしになりたい人が多い。たくさんの人が、カラーグラスを掛けるみたいに自分の日常があたしの感覚に置き換えられていくのを実感したくて、あたしの配信に集まってくる。

 新しく特別なことをしなくても、特別な自分にならなくても、自分の世界の色が変わっていくのを体験したい人たち。世界の色があたしの見ている色に変わったら、特別な方のそばにいたあたしみたいに、自分にも特別なところがあるんじゃないかと思いたい人が、あたしの配信を観にやってくる。それであたしはトップランカー配信者ギバーとトップランカー発信源インフルエンサーの両方で呼ばれてる。

 だからあたしは、あたしみたいになりたいって思うように、あたしの日常の配信をする。そしてちょっとだけ、ほんのちょっとずつだけあたしの特別な方をすべり込ませる。宝箱をちょっと開けて、そこに宝物が確かにあるのをちらっと見たらすぐ蓋を閉める。そしてまたちょっとだけ蓋を開けて覗き込む。ちょっとだけ、が少しずつ長くなっていって、あの方とあたしの過ごした時間で、夢のように輝く日々で配信を終わらせる。

 視聴者テイカーたちは、あたしだけが知っているあの方の特別なお顔を自分も知っている気になって、誰もがあの方を特別な輝く方だったと思うようになる。あたしの宝箱からこぼれた宝物をこっそり拾って帰ったようで、その実あたしの宝箱に新しい宝物を積み上げさせられている。

「あけぼのの人も、つとめての人も、夕暮れの人も、夜の人も、みんなあたしの配信ライブに来てくれてありがとーー! 今日も一時間だけみんなの時間をあたしにちょうだーい。今日もきっと楽しい時間にするから! それじゃあ、今日は昔のカレピッピの話でもしちゃおうかなー。誰がいいかなー。聞きたい人をコメント欄に書き込んでねー。あはっ、ホントに全員のこと言えるかは分かんないだけどぉ」

 つまる所、あたしもギバーの顔をしたテイカーなのだ。視聴者テイカーの記憶の中に宝箱を作らせて、その中身をちょっと拝借させてもらう。あふれるほどの宝物をあの方の柩に供えるために。

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