四季折々

@HanaShiyoh

美しい日本語

大好きな一節がある。


 ここらあたりは山家ゆえ、紅葉のあるのに雪が降る


「箱根霊験躄仇討」の有名な台詞で、真っ赤に染まった紅葉に覆われた山々に、しんしんと雪の降る情景がありありと浮かぶ、美しい日本語である。


似たような言葉に、雪月花がある。こちらは「寄殷協律」の一句で、雪に月に花、時期的には梅の花だろうか、が一度にそろったさも美しい光景を表す言葉である。


このような美しい風景を表す日本語は数多くあり、皆さんもこれまでに読んできた多くの作品でそういった言葉に出会ってきたかと思われる。


せっかくなので、私もここで自分なりの日本の美しい情景を表す言葉を生み出すことはできないかと苦心してみたいと思う。


しかし本当に素晴らしい一文が浮かんだのならば、それは是非とも小説のほうで利用したいため、ほどほどのものにしなければならない。これを書いている今は何も思いついていないが、とりあえず気ままにキーボードを叩いていればふっと何かが舞い降りてくれるのではないかと期待している。


もし清少納言が現代にタイムスリップしてきたとしたら、彼女が枕草子を書いた千年前とは何もかもが違って見えるかもしれないが、それでも人間の本質というものはなんら変わっていないと感じるのではないかと私は思う。


そして、現代ならではの美しさを描いた随筆を書き上げてくれるのではないかと期待している。


つまるところ何が言いたいかというと、自然はただ自然のあるがまま存在しているだけで、そこから何を感じ取るかは人間の持つ感性によるものであり、時代や場所を問わず美しさを表現する日本語は生まれるものだということである。


では、我々は何を美しいと感じるのか。


文脈である。


感性とは文脈を読み取る力であり、背景となる知識や経験によって成り立っている。


美しさの裏側には物語があり、我々はそれを意識するしないに関わらず心のうちで思い起こしているのである。


現代における美しさとは、物語とは何か。


必需品は十分に出回っており、消費がファッション化する現代。娯楽がとてつもないスピードで消費され、まだ同時に生産される時代。


その中で燦然と輝く物語とは、人間の美学に則ったものである。


つまりは人間賛歌。


我々が人間である以上逃れられぬ性質を認め、そのうえでそれらを乗り越え、こうあれかしと謳う物語。


私たちの価値観はまだ発展の途上である。多様性を語りつつも同時に理想の人間像を押し付けあう日々。差別の歴史を改めようとしながらも、また別の差別を生み出す矛盾。男女平等を目指しながら性差による利権は手放さない。階層を無くしたいのか生みたいのかよく分からない主張たち。


これらの行く末については、さまざまなSFで描かれているので参考にするとよい。


話が逸れたので美しさの話題に戻ろう。


 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは


「徒然草」の一節である。これこそがまさに文脈を歌った美しい日本語であると感じる。その後に続く句も素晴らしい。


人間の想像力を刺激し、様々な場面を思い起こさせる文章である。


少々長くなってしまったので御託はこのくらいにして、そろそろ何か書いて終わろうかと思う。明日も早い。


 家に帰ってまず、ポケットの中のゴミを捨てる

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