第4話
朝日が昇っても、空気は重く沈んだままだった。
変異してしまったレンの亡骸は、エリナが研究のために回収していき、血痕のついたシャツと手帳だけが最後の場所に置かれていた。一人の男が生きた痕跡があまりにも少ないことに誰もが閉口し、悲し気に俯いていた。すでに街へ行って作業を始めなければいけない時間のはずなのに、その指示を出すはずの副隊長やエドワードさえも口を開こうとしなかった。
一人の兵士が、近くで摘んできた素朴な野の花を配り始めた。それを受け取った兵士一人一人が、レンの私物の上に置いていく。うまく乗らずに零れ落ちてしまった白い花を拾うために近づくと、「触んな」と言って肩を強い力で押しのけられた。俺は何も言い返さず、奥歯を噛み締めながら俯いた。
レンの血が浸み込んだ黒い地面が見えた。
「……あいつのせいだ」
誰かが呟いた。小さな声だったが、静まり返ったこの空間では、はっきりと響いた。
「あいつの、落ち人の魔力をもらったせいで、こんなことになったんだ」
「あいつが殺したようなもんだ」
声が増えていく。一人、また一人と、非難の言葉が重なっていく。「よく平然とこの場にいられたもんだな!」俺は何も言い返さなかった。他でもない自分が、自分自身が、そう思っていたから。俺が、レンを殺したのだ。
「こうなると知っていたんだろう!? やけに協力的だと思ったらそういうことかよ! 信じてた俺たちがバカみたいじゃないか!」
若い兵士が叫んだ。その顔には恐怖と怒りが入り混じっていた。レンと仲が良かった兵士だ。だからこそ、その怒りは深かった。
「だから言っただろう!」
カイルが前に出てきた。俺を差している指が怒りで震えていた。「あいつらと関わるべきじゃなかったんだ! 今すぐ追放すべきだ!」
「カイル、落ち着け」
エドワードが間に入ろうとしたが、カイルは聞く耳を持たなかった。自分よりも大柄なエドワードを押しのけ、俺に詰め寄った。襟首を乱暴に掴まれ、揺さぶられる。
「黙れ! レンは死んだ! こいつのせいで、化け物になって死んだんだ! 家族の元に遺体すら返してやれない!」
「ハルトのせいだと決まったわけじゃないだろう! 怒りで決めつけるのはやめろ!」
エドワードが声を荒げた。普段は温厚な彼が、こんな声を出すのは初めてだった。カイルは一瞬怯んだようだったが、すぐにエドワードを睨みつけた。その目尻には大粒の水滴があった。
カイルはやけに静かに、丁寧に話し始めた。
「これまでの任務で、こういった経験はありましたか?」
「……」
「エドワードさん、答えてください。もしあったのなら、俺はもう何も言いません。こいつに土下座したっていい。だから」
カイルが瞬きをするたびに、ぽろぽろと涙がこぼれていく。エドワードはそれを見て、顔を歪めた。
「……」
「どうして答えてくれないんですか!? あなただって薄々わかってるはずでしょう!? こいつのせいだって! どうして……どうして、こんなやつ庇うんですか……」
「……少なくとも、ハルトがいなかったら、俺たちはこうして生きていないよ。レンが死んで悲しいのはわかる。でも」
「ふざけるな! こいつがいなきゃ、魔王種だってきっと生まれてなかった! 見つけた時にすぐ殺していれば、あの戦いで死ぬ奴も、怪我を負う奴も、一人もいなかったんだ……!」
血走った目がこちらを向く。「どうしてそんな奴が、あいつの形見を持ってんだ! 返せ!」
左頬に衝撃。一拍遅れて殴られたのがわかった。
「ふざけんな……、ふざけんな……!」
顔中を殴られる。でも、痛みは感じなかった。自分の身体がまるで自分のものではないように感じていた。ふわふわとして、現実感がまるでなかった。
泣いているカイルの顔や、止めようとしているエドワードやガルドの様子を、どこか俯瞰して見ているようだった。
「どうして……! どうして……!」
「やめて、ハルトのせいじゃない……!」
声がした。振り返ると、ミリアが涙を流しながら立っていた。「絶対に、違う……!」
「子どもは黙ってろ!」
「見てください、私は何ともありません!」
ミリアは両腕を広げて見せたが、カイルはミリアの方を見向きもしなかった。じっとこちらを睨みつけていた。
「時間の問題だ。お前も、他の奴らも。魔力を受け取ったやつは、みんな」
「いい加減にしろ!」
ガルドが割って入った。「ミリアがそんな風になるわけないだろうが!」
「いつも楽観的だな、お前は! レンがこんなことになったのに、そう思えるお前が羨ましいよ!」
ガルドの拳がカイルの顔に叩き込まれた。カイルがよろめき、尻もちをつく。すぐに起き上がり、ガルドに飛びかかろうとする。
「やめなさい!」
エリナの声が響いた。凛とした声に、全員の動きが止まった。
「皆さん、落ち着いてください。感情的になっても、レンは戻りません」
エリナは静かに、しかし断固とした態度で続けた。
「原因は、まだ特定できていません。ハルトさんの魔力供給が原因かもしれないし、そうでないかもしれない。今はまだ、何も断定できない段階です」
「だが」
「断定できないと言っています」
エリナの鋭い視線がカイルを射抜いた。その視線に、カイルは言葉を呑んだ。
沈黙が落ちた。重く、苦しい沈黙だった。誰もが、俺を見ていた。多種多様な視線が、槍のように俺を抉っていた。
「調べ終わったのか」
エドワードが尋ねると、エリナはゆっくり頷いた。
「……なら、レンを埋葬しよう」
エドワードが小さな声で言った。その言葉に反論する者はいなかった。
埋葬は、キャンプの外れにある丘の上で行われた。
穴を掘り、遺体を横たえ、土をかける。単純な作業なのに、腕が震えて仕方がなかった。昨日まで笑っていた仲間を、自分の手で土に埋めている。その事実を頭では理解できても、心では受け入れられなかった。
埋葬が終わった後、兵士たちは三々五々に去っていった。最後まで残っていたのは、俺とミリア、エドワード、ガルドだけだった。
「……俺たちも、行こう」
エドワードが言った。「ハルト、お前も」
「もう少し、ここにいます」
俺は墓石を見つめたまま答えた。
「……そうか。じゃあ、先に戻ってる」
エドワードとガルドが去っていく。ミリアだけが、残っていた。
「ミリアも、二人と一緒に戻って」
「いやです」
彼女は首を横に振った。「今のハルトを、一人にできません」
その言葉に、胸が締め付けられた。俺は何も言えず膝を抱えたまま、ただ墓石を見つめていた。
「ハルト」
彼女の小さい手が、俺の手をそっと覆った。風で冷えてしまった指先は冷たかったけれど、なぜだか温かいような気もした。
「ハルトのせいじゃない」
「……」
「私もハルトから魔力をもらってたけど、何ともないもの。だから、ハルトのせいじゃない」
「でも、レンは」
「私にはわからないけど、けど、それでも」
潤んだ瞳が、真っ直ぐに俺を見つめていた。
「ハルトのせいじゃない。レンもそう思ってる。それだけは、わかるよ」
「……」
「だから、自分を責めないで。お願い」
その声は震えていた。今にも泣き出しそうな声だった。
「みんなを助けただけなのに……あんな責められて、ハルトも何も言い返さなくて、みんなおかしいよ。レンがいたら絶対、ぜったい怒ってたよ」
ミリアが俺の手を強く握りしめた。その温もりが、冷え切った心に染み込んでいく。
「ありがとう」
小さな手を握り返す。
「怒ってくれて、一緒にいてくれて……ありがとう」
頬の上を熱い涙が伝っていった。
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