第4話
あれからスライムに襲われるたびに痛みで覚醒し、逆に食らいついてはまた気絶するというサイクルを何度も繰り返した。意識が曖昧であまり覚えていないが、最低でも二晩はここで過ごしていただろう。体を起こして空を見上げると日もだいぶ高くなっていた。また寝てしまうと次起きた時には夜になってしまうだろうから移動するなら今しかない。疲れ切っている体に鞭打って立ち上がる。
スライムは劇薬だったが、同時に水分量の多い食べ物でもあったので体は最低限回復していた。未だに口や喉は痛いが、それも最初に比べれば大したこともなく、じきに治るだろうという予感があった。
返す返すも最初のスライムで【悪食】というスキルが手に入ってよかった。これは消化管が強化され食中毒や炎症などを起こしづらくする効果があるようで、スライムを食べた副作用で死にかけた俺を救ってくれた。消化管が全般的に強化されるらしいので、ストレスで腹痛に悩まされる現代人にとっては垂涎ものだろう。
というか、体全てがゲル状の物質で構成されていて臓器なんてないスライムから、消化管を強化するスキルが手に入るなんてどういうことなんだろうか。種族によって効果が変わるのか、あるいは、スライムは全身で消化吸収を行うから全身が消化管という扱いなのか。後者だとすると、スライムにとっては全身が強化される最強スキルということになる。まあ、スライムがいくら強化されたとしてもたかが知れているだろうから、普通は問題ないのだろうが。
などと色々考えながら、岩の下や木の上を確認して非常食としてスライムを三匹捕獲した。自分を捕食しに来た時と違って、スライムの動きはひどく緩慢だった。目がないのに夜行性なのだろうか。いや、目がないからこそ夜行性なのか。某ゲームのようなくりくりとした可愛い瞳がないのは、きっと光のない闇夜に適応した結果なのだろう。
拾った棒にスライムをまとわりつかせて、葉の間から見えた大樹の方へと歩き出した。あの樹は他の大木の数倍の大きさがあるので遠くにいても簡単に見つかるのだ。山歩きに慣れてない人間は見つけやすさという観点から拠点を選ぶのもいいのかもしれない。地図のように自分の位置を把握できないとしても、自分が見知ったエリアからそう離れていないとわかるだけで安心感がまるで違う。
我が家に変えるような心持ちで軽快に足を進める。
「この辺は歩きやすくて助かるな」
そういえばこの辺一帯に下草や落ち葉が少ないのは、ここがスライムのテリトリーだからなのだろう。二、三日倒れていたにも関わらず、スライム以外に襲われなかったということはそういうことだ。ゴブリンすら現れない地域に踏み込んでそこで倒れるとは、我ながら馬鹿なことをした。
ため息をついて髪を掻こうとするも、髪が手に一瞬触れただけで強烈な痛みを感じて手を下ろした。
気絶している間に何度も皮膚を溶かされたせいで、皮膚がひどい日焼けをした時のように真っ赤になっている。風や日差しが当たるたびに叫びたくなるほどの痛みが手足の先から全身を駆けめぐる。二日前だったら実際に叫んでいただろうが、今では集中すれば無視できるようになっていた。無視できると言っても当然痛いのだが、スライムを初めて食べた時のような死を錯覚する痛みと比べればこの程度どうということはなかった。
たまに降ってくる落ち葉をやや大げさに避けながら歩いていると、徐々に下草や落ち葉の量が増え始めた。スライムエリアから抜け出したようだ。ちょうどあった倒木の上にでも座って、ほっと一息つこうとした瞬間
ギギッ、ギギッ!
という耳障りな鳴き声が遠くの方から聞こえてきた。あれからまだ三日しか経っていないというのに懐かしさすら感じながら、息を殺してその姿を探す。
見つけた。
茶緑色の背中と薄汚れた腰布。ゴブリンだ。その辺で拾ったであろう棒を何度も振り下ろしている。狩りの途中だろうか。後ろ姿なので実際に何をしているかまではわからない。何にしろ、こちらに気づいていないのであれば好都合だ。不意打ちで態勢を崩したら、顔にこのスライムたちをくっ付けて窒息死するまで抑え込めばいい。
息を潜めながら近くに落ちていた二十センチ程度の石を片手で持ち上げる。重いわけでもないのに石を持った手は震えていた。
大丈夫、イメージトレーニングは完璧だ。いける。勝てる。
深呼吸してから、ごくりとつばを飲み込む。腰を落として極力音を立てないように近づいていく。ただどんなにゆっくりと歩いても落ち葉を踏みしめる音は消せなかった。かさ、かさ、という音が響くたびに心音が大きくなっていく。
ゴブリンまで残り十メートル、五メートルとなり、さすがに気づかれるだろうと覚悟したが、案外気づかれずあと数歩の距離まで近づくことができた。泥汚れのついた背中には何本も骨が浮き出ており、それがネグレクトされている子供のようにも見えなくもなかった。覚悟を決めて石を強く握った。
ゴブリンは先ほどから変わらず一心不乱に棒を何かに叩きつけているようだ。何を甚振っているのかは見えないが、そんなことを気にする余裕はない。
そして、ゴブリンが棒を振りかぶった瞬間、俺は背後に素早く駆け寄ると膝裏を思いきり蹴り飛ばした。
棒ごと上体が後ろに倒れてくる。体をひねって避けて、ゴブリンが未だ握りしめている棒を右足で踏みつける。だがまだ足りない。左足で奴の手ごと踏みつけ、スライムのついた棒を顔に押し当てた。
それからしばらくゴブリンはもがいていたが、スライムに顔を覆われ完全に呼吸ができなくなると割と早く動かなくなった。手を踏みつけたまま、顔を溶かされていくゴブリンを見る。思っていたよりもあっさりと倒せてしまい、本当に勝ったのか半信半疑だったが、スライムたちの食事が進むにつれ見ていられなくなり目を離した。
「そういえばこのゴブリンは何を叩いていたんだ……?」
恐る恐るゴブリンの足元を見ると、長細い巻貝のようなものをつけた乳白色のスライムがいた。巻貝のすぐ下には黒い粒が二つ、いや三つ浮かんでおり、どこか顔のようにも見えなくもない。
「な、なんだこいつ……」
呆気にとられてしばらく眺めているとスライム本来の丸形から徐々に長細い形になっていき、底面から四本の短い触手がにょろっと飛び出してきた。その触手で歩こうとでもしているのか、体を持ち上げようとしているが一ミリたりとて上がっていない。スライムもその触手の強度か力が足りていないことがわかったのか、今度はその触手を陸に上がった亀のように動かし始めた。
な、なんだこれは……。俺は何を見せられているんだ……?
にょろっ、にょろっと白いスライムがこちらへ近づいてくる。その悍ましい姿に自然と鳥肌が立ち俺は思わず後ずさった。先ほど巻貝だと思ったものはもしかすると角なのかもしれない。角の下にある黒い粒がもはや目と鼻にしか見えなかった。スライムが他の生物を模倣しようとしているのか、生物をスライム化させるモンスターがいるのか、そのどちらかはわからないが明らかに生命を侮辱していた。
思わず吐き気を感じるが、ぐっと奥歯を噛みしめて我慢する。石を強く握りしめる。
こいつは絶対に生かしてはいけないやつだ。
その直感に従い、石を角目掛けて振り下ろす。核を壊さなければスライムは死なないだろうが、それよりも先に武器になるであろう部位を破壊した方がいいと思ったのだ。想定よりも硬かったが、3度目で壊すことができた。
角を破壊した直後、触手はばたばたと動いていたが次第に動かなくなり、スライム本体も力を失ったように地面に広がった。まるで水たまりのようだ。これは何かの前動作なのだろうかと警戒するも、全く動きがなかったためゆっくり手を近づけた。小指の先を水たまりにちょんとつけ、スキルを発動する。
脳裏にこのスライムが持っていたであろうスキル【跳躍Lv.2/刺突Lv.2/熱魔法Lv.3/消化促進Lv.3】が浮かんできた。
「もう死んでたのか。てか、跳躍と刺突って明らかにスライムのスキルじゃないな。てことは他のモンスターをスライムに変えることのできるモンスターがいるってことか? 勘弁してくれ……」
自分がこんな姿になるところを想像してしまい、思わずぶるっと身震いする。こんな恐ろしいことができるモンスターがまだ近くにいるのではと不安になり、辺りを見渡すも周囲には何の気配もない。だがうなじに何者かの視線を感じたような気がして冷汗が噴き出してくる。
スライムとゴブリンのスキルを手早く回収し、この危険地帯にはもう近づかないようにしようと固く心に誓って立ち上がる。
そして、遠くにそびえる大樹の元へ走り出した。
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