第三話 発生
王子は、訪れた街に宝を贈った。出迎えの礼だという。
王国の宝。孫の代まで遊んで暮らせるほどの価値があるらしい。
俺は、孫など持ったことがないし、持つ予定もないが、
それでも、その価値の重さは、ポケットの中でずっしりと感じられた。
そう、今、俺のポケットには、その宝の一つの指輪が入っている、。
街は、大騒ぎだった。誰かが盗んだ。誰が盗んだ。どうして盗んだ。
人々は、口々に叫び、走り回り、怒り、祈っていた。
俺は、黙っていた。黙ってポケットに手を入れていた。
なぜ、こうなったのか。
それは、昨日のエネルの提案から始まった。
「今日の夜、王子は宿に泊まる。宴会がある。側近と地主たちと、夜通しだ。宝は、その場で渡される。つまり、朝までそこにある」
エネルは、そう言った。まるで天気の話でもするような口調だった。
俺は、黙って聞いていた。おそらくその情報は、彼の父親から得たものだろう。
エネルの父親は、この街で名の知れた大地主であり、
今回の行幸の取り決めにも深く関わっている。
つまり、王子の動きも宝の所在も、彼には筒抜けなのだ。
「俺は、宿にいる街の人間とはほぼ全員と知り合いだ。俺が宝を一目見たいと頼む。お前は隙を見て、それを盗め」
俺はそれを聞いて、少しだけ笑った。そんなにうまくいくものなのか。
だが、エネルの顔には自信があった。彼の自信は、根拠のないものではない。
そして俺にとっても、それは絶対のものだった。
彼が言うなら、そうなのだ。
エネルの言葉には魔力がある。人を動かす力がある。
そして、俺は動いた。
その夜、俺は宿に忍び込んだ。
忍び込むなんて言葉は、どこか子供じみていているが、
実際には、命を賭けた行為だった。
エネルと行動を共にすれば、怪しまれる。彼は表から入り、俺は裏から入った。
俺は、物陰に身を潜め、エネルの動きを待った。
彼は、いつものように軽やかに皆に挨拶をした。
笑顔を浮かべ、冗談を交え、まるでこの場の主役であるかのように振る舞っていた。誰も、彼を疑わなかった。彼は、そういう男だ。疑われない男だ。
そして、彼は宝を受け取った大地主に話しかけた。「宝を見てみたい」と。
それだけだった。だが、その言葉には妙な力があった。
命令でもなく、懇願でもなく、ただの好奇心のように聞こえた。
大地主は、すっかり酒が回っていた。
顔は赤く、判断力はどこか遠くへ旅立っていた。
エネルが宝を見せてほしいと頼むと、彼は快く頷いた。
彼は側近の男に声をかけ、その男はエネルを奥へと案内した。
俺は、その後をつけた。影のように。音を立てず、気配を消して。
命がかかっている。そう思えば、心臓が跳ねるはずだった。
だが、跳ねなかった。
その側近の男を見た瞬間、俺は拍子抜けした。
緊張感が、霧のように消えた。男は、少し酒が入っていた。
足取りはふらつき、目は虚ろで、警戒心など微塵も感じられなかった。
50cmほど横にハエが飛んでいても、気づかないだろう。
いや、気づいても何も思わないだろう。彼は、ただそこにいるだけの存在だった。
エネルが男と話している隙に、俺は動いた。指輪を取った。
街が動くほどの、孫の代まで遊んで暮らせるほどの価値があるものを。
俺は、それを、軽々と、まるでリンゴでも盗むかのように、手にした。
簡単だった。あまりにも、簡単だった。
が、もちろん、それで終わるはずがなかった。
朝になり、皆の酔いが冷めると騒ぎは起こった。
「王子からの贈り物が盗まれた!!」
誰かが叫んだ。街は、瞬く間に狂気に包まれた。
人々は、飲まず食わずで探し回った。
まるで、指輪がなければ世界が終わるかのように。
俺は、盗む瞬間よりも、その時の方が遥かに緊張していた。
心臓が、喉の奥で跳ねていた。もし見つかれば、殺される。間違いなく。
しかし彼は、いつも通りの顔をしていた。
騒ぎなど、どこか遠くの出来事のように。
「騒ぎが終わったら知らせにくる。それまで、ここで身を潜めておけ」
そう言って、エネルは俺をある場所に案内した。
人通りの少ない、静かな場所だった。
俺は、少しだけ安心した。安心し、そして疲れがどっと押し寄せた。
身体が重くなり、目が閉じた。
そして、数時間後。何やら騒がしいなと思い、目を覚ました。
目を開けると俺は、手を縛られていた。囲まれていた。
知らない顔、怒った顔、冷たい顔。
俺は、何も言えなかった。
言葉が、喉の奥で腐っていた。
視界の端にはエネルの姿があった。
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