第六話 ロシアンルーレット不発事件
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梅雨が明け一気に暑くなった。部室という名の教室はクーラーが完備されていて、夏でも快適に過ごせる。わたし一人だけなのにガンガンに効かせるのは弁明めいたことをしたくなってしまうが、一方で学費の元を取ろうとする自分がいる。
涼しい部屋でまったり読書におしゃれな飲み物でもあれば言うことはない。
至福の時間を奪うように扉が開き、「涼しい!」と歓声を上げながら会長が入ってきた。
「さっさと閉めてください。冷気がもったいないので」
「開けっ放しにして学校中を冷やそうよ。そうそう、温暖化対策にもなるでしょ。暑くなっているなら冷やせばいい」
こんなやりとりに三文の価値もない。
「それで、今日はどんなご用件ですか。まあ解決する気も聞く気もないですけど」
「サボるのと涼みに来た」
「生徒会室にだってクーラーはありますよね。涼めて仕事も進んで一石二鳥。さ、帰ってください」
「それじゃあサボれないでしょ。それに今回もちょっとした謎を持ってきたから」
会長はそう言ってしっかり扉を閉め、「暑い暑い」とぼやきながらわたしの正面に座った。
暑いと言うわりには会長の顔は涼しげで、汗一つ流していない。灼熱の炎天下でもこの人は平気でいつもと変わらずにいられるのだろう。そしてこの美は崩れない。なにがあっても。
「それで、謎とやらはなんですか」
わざわざ水を差し向ける必要はないと後悔したがしかたない。紆余曲折の果てにどうせ考える羽目になるのだ。
「この間修学旅行が中止になったじゃん。わたしたち三年としてはもうがっかり」
剣さんの件だ。剣さん事件はこの学校に浅くない傷跡を残した。教師陣は警察やメディアへの対応でてんてこ舞い、生徒はあることないこと噂をしたり、剣さんのファンは揃って呆然とし、とわたしの周りは慌ただしかった。その一環で緊急事態ということもあり、修学旅行は中止となった。関係のない三年生からすればとんだとばっちりだ。
「それで代わりにと、仲のいいグループでお泊まり会をした。遠出をしたわけでも高級旅館でもなく、メンバーの家に泊まっただけだけどね」
「殺人事件でも起きそうな設定ですけど、そんなことはないですよね」
「当たり前でしょ。薬に殺人、ちょっと盛り込みすぎ」
話が逸れそうになったから「それで?」と先を促した。
「面子は五人。生徒会副会長の芳賀さん。覚えてる?」
芳賀姉妹の関係性を思い浮かべながら首肯した。あの二人はいまでもああなのだろうか。まあ、たった数ヶ月で劇的に変わっているとも思えないが。
「それにわたしと青空。青空は中止のお陰で一緒に泊まれるって喜んでたね。で、残りは宇田見さんが知らない人だからAさん、Bさんとしておこうか。名前に意味はないし」
まるで星新一みたいだ。エヌ氏だとかエム氏だとか。名が体を表すわけではないだろうし、ここでは不問としよう。
「修学旅行に限らず、仲良し女子がお泊まりで話すことと言えば?」
「さあ、進路の話とかですか。みんな三年生なわけですし」
会長の目が少しぼやけたようになり、「宇田見さんって楽しい時間に水を差すタイプ? 恋バナに決まってるでしょ?」
「知らず知らずのうちに茶々を入れているかもしれませんね。恋バナで盛り上がりましたと、それで?」
「Aさんが普通に話すんじゃ面白くないから恋バナをする人はロシアンルーレットで決めようと言い出した。その方法がこれ」
そう言って会長が取り出したのは駄菓子だ。パッケージを見るに、五つ入りの球体のソフトキャンディーでブドウ味らしい。ただそのうち一つがものすごい酸っぱくレモン一〇〇個分などと嘘か本当か分からない謳い文句が書かれている。
「つまり酸っぱいのを食べた人が恋バナをしろ、というこですね」
「その通り。理解が正確かつ速やかで話すほうとしては助かる」
話は見えてきたが早合点するといけないから続きを促した。
「まずは第一回目と意気込んだはいいものの、だれも酸っぱい外れを引かなかった。ロシアンルーレットが不発に終わったわけ。宇田見さんには不発に終わった事件を解決してほしいの」
だれが嘘つきか暴け、ということだ。どんな結論でも禍根を残しそうだが、情状酌量の余地があるのだろうか。まずは平和な解決策を提示するとしよう。
「外れが入ってなかったんじゃないですか」
「わたしもそう思って後で調べてみたけど、どうもその可能性は限りなく低そう」
会長はスマホを操作して画面をわたしに差し出した。わたしは受け取ることなく画面に視線をやると動画が再生されている。
「製造会社がアップしている製造工程が見つかった」
タイトルは八幡菓子工場見学となっていて、件のソフトキャンディーがまさに作られている。なにかは判別つかないし説明もないが、原料を巨大な攪拌機に手作業で次々とぶち込んでいく。それが機械で丸く成形され、これまた機械が五つ入りのプラスチック容器に四つ並べていく。ここで画面が切り替わりまた攪拌機に原料を入れるシーンに移った。先ほどとは色合いが微妙に違うことからこれが外れを作っているのだろうと推測がついた。同じ手順で成形し、既に四つ並んだ容器に最後の一個として置かれ、袋詰めされたところで動画は終了した。
「機械で自動化されている以上、外れが入っていなかったことはほぼあり得ないってことですか」
「そういうこと。ただ、外れの原料を間違えてしまう場合もありそうだけど」
「じゃあそれですね。無事解決、と」
この話はお終い、とばかりに伸びをしたところに会長の冷たい視線が刺さった。
「もうちょっと考えてくれてもよくない? わたしが納得するような結論を出してよ」
どうもこのわがままにもう少しだけ付き合う必要がありそうだ。
「動画を見ていて気になったことが一つ。機械で作っている関係でしょうが、外れの位置が必ず決まってますよね。動画だと右端」
「両端を避ければ外れを引かない。つまり両端を選んだ人が誤魔化している、そう言いたいわけか」
動画だと右端だったが袋をどちらから開けるかで外れの位置が右か左か変わる。その二つを食べた人が犯人なのは必然で、これで二人に絞れるはずだ。だが、「だれがどの位置を選んで食べたかなんて覚えていませんよね」
「残念ながらその通り。自分が選らんだ位置すら怪しいからね」
「じゃあ次の手を考えましょう」落胆していないと言えば嘘になるが、しようがない。わたしだって自販機で五つ同じ商品が並んでいて適当に押した後にどれ選んだかなんて覚えているわけがない。
「外れに気がつかなかったことがあり得るのかもしれません。実物を食べてもいいですか?」
「どうぞ」
会長がしたり顔で目の前にお菓子を差し出してきた。わたしは無言で受け取り封を開けた。動画の通り五つが一列に並んでいて見た目では当たり外れの区別がつかない。
右端を口に入れるとブドウ味が広がった。なんの変哲もない至って普通なソフトキャンディーだ。嚥下して左端を口に入れ噛む。
「ちょっと酸っぱいですね」
レモン一〇〇個分が明らかな嘘だと分かったのは収穫だろうか。あまり極端な味にするとクレームでも来るのかもしれない。
「ただ、気がつかなかったという仮定は成り立ちそうになさそうですね。でも、甘い振りをして誤魔化すことは簡単そうですね」
酸っぱいは酸っぱいが、思わず顔をしかめるとかむせてしまう、というほどではない。覚悟して挑めばいくらでも外れじゃない振りはできそうだ。
「宇田見さんが言いたいのは、なんらかの理由で罰ゲームをどうしても避けたかったってこと?」
「そうです。そうすると、このゲームの発案者もといわたしの元に厄介事を持ち込むことになった元凶は除外できるでしょう。それはだれですか?」
「Aさんだね。Aさんは年上の大学生と付き合ってて、これにかこつけて惚気たかったんだと思う」
「残りは四人。ここから絞り込むには会長がどれだけみんなのことを知っているかにかかっています」
「わたしが?」
「そうです。誤魔化した人は人に言えない恋をしていると思われます。でもその場で反対すると明らかに怪しい。だから当たりを引いた振りをしよう、そう考えたはずです。では、人に言えない恋をしている人はいますか」
会長は腕を組み眉間に皺を寄せ考え込んで、「芳賀さんは妹大好きで、Bさんは聞いたことないなあ。青空もわたしもいないから……容疑者が消えたね」
「それじゃあ困るんですよ。根も葉もない噂レベルでいいので、なにか知りませんか」
「そう言われてもねえ」会長は本当に困ったように顔をしかめた。「みんな脳内が恋愛に支配されていないしなあ」
「例えば青空さんがゲーセンで知り合ったよからぬ人と、みたいなのとか」
「ゲーセンに対する偏見?」会長は呆れたように笑って、「青空にはいないよ。仮にも双子だからいたら分かるし。ついでに言うとわたしもそういうのとは無縁」
「じゃあBさんが一番怪しいですね。きっと犯人でしょう」
芳賀さんを除外してもいいかは悩みどころだが、どちらが怪しいかだけを考えるとなんの情報もないBさんに傾いてしまう。
「宇田見さんの推測には穴とは言わないけど、納得できないところがあるんだよね」
自分でもこの答えに納得しているわけではないから甘んじて聞くことにする。
「外れをいかにも当たりです、みたいに誤魔化す必要があったのかな? 外れを引いたって相手はいないの一点張りで切り抜けられるはずだし」
確かに、その通りだ。演技で乗り切ろうとするほうが難しいのではないか。苦し紛れに、「それだとその場の雰囲気が壊れるから、外れじゃない振りをしたのかも」
「誤魔化すほうがよっぽど壊すよ。実際、一回やっただけで終わっちゃたし」
外れが入ってなかったことはない。外れを誤魔化す必要はない。相手がいないと言い張るか、過去の話を持ち出すかすればいいわけだ。仮に今まで綺麗な恋愛をしてこなかったとしてもでっち上げればいい。
どうにも情報量が少ない気がしてならない。名前すらAさん、Bさんだ。人となりが分からないと考えようがないのではないか。
当事者の会長は情報を取捨選択してわたしに伝えているはずで、捨てた中に重要なヒントがあるとも限らない。
「委細漏らさず話してくれてますか?」
「必要な情報は全て話しているし、宇田見さんは知っているはずだよ」
その自信はどこから来るのか不思議だが、その牙城を崩す術を持っていない。会長が持ち込んでくる話は手がかりが少ない。カンニング犯を特定したときも、ラブレターを拾ってきたときも、剣さんの件も。
「さしもの宇田見さんもお手上げ?」
会長が少しだけがっかりしたような顔をした。ほんの一瞬の陰りで見間違いかと思えたほどだが、声音からすると見間違いではなさそうだ。
「その場にいたらもうちょっと考えようがあったかもしれませんが」机に置かれた残ったソフトキャンディーを一つ口に放り込んだ。これくらいの甘さがちょうどいい。いつものマックスコーヒーにガムシロップはやりすぎだ。「今日は兜を脱ぎま……」
会長はさっきなんて言った? 会長は全てを話し、わたしは全て知っているはず、と。なるほど、会長は精細に語り行動し、わたしはそれを一切合切見聞きしている。考える材料は全て揃っていて答えも導けたわけだ。会長と出会って今日までがあれば。今までの積み重ねで。ただ一点分からないが、まあ解決するだろう。
「犯人は会長ですね」
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