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 昨日に引き続き、文芸部の部室で昼食を摂ることにした。昨日の昼は会長が来襲し、放課後は久しぶりにブリッジをやったので、続きが読めなかったのだ。

 定位置につき、お弁当を広げようとしたところで今日も扉が開いた。

 会長がお邪魔します、と言って入ってきた。わたしが向ける雪のように冷たい視線を介意せず目の前に座った。

「今日も来ちゃった」

 語尾にハートマークでも付きそうな勢いの話し方が鼻についた。気にしたら負けだと自分に言い聞かせお弁当に箸をつけた。

 会長のお弁当は今日もゴーヤチャンプルーだった。よっぽど気に入っているのだろう。昨日、会長の母お手製だと言っていたから、なにかストーリーがあるのかもしれない。

 しばらく黙々と食べる時間が続いた。沈黙が気まずいなんてことはなく、むしろ少し心地いい。気を使う必要がない、というのは楽だ。それは仲がいい、というわけではなく単に配慮する気がないだけだが。

「本当に玲奈いた!」

 そんな春の陽気のような雰囲気をぶち壊す声と扉の開閉音が響いた。会長以外の客は初めてだ。招かれざる客なのだが。

「あ、芳賀さんじゃん。どうしてここに」

 会長が、芳賀さんと呼ばれた女子生徒から視線をわたしに戻しぽつりと、「昨日話した人」

 昨日の話がなにかすぐに分からなかったから記憶を掘り起こすのに苦労した。三年生になって忘れ物が増えた件の人だ。

「愛菜がここにいるって教えてくれたから。わたしもお弁当を一緒に食べようと思って」

 この部屋の主はわたしだと思う。学校の教室で主もなにもないとは思うが、文芸部の部室で文芸部部長のわたしがそう主張してもあながち間違いではないと思う。それなのに、この人たちはまったく……。

 芳賀さんはわたしたちの横に来ると、肩にかけていた鞄を床に落とした。布製のそれは軽い音を立てて埃を舞い上げながら着地し、へなへなと重力に負けて潰れていった。

 わたしと会長は埃からお弁当をかばうように手で覆い、非難がましい目を向けたが芳賀さんは気にしていない様子だった。

 芳賀さんはわたしを見ながら、「君が玲奈のお気に入り?」

「違います」

 短く否定すると会長がすかさず、「そう。宇田見紗枝さん。論理を組み立ててわたしにはできない見方をする人」

 芳賀さんは「へえ」と短く肯いてわたしを上から下まで観察し始めた。若干居心地が悪い。お弁当を食べる様子まで見られているようでなおさら。

「お弁当食べるんじゃないの」

 会長の言葉で芳賀さんがわたしか視線を外した。このときばかりは会長に少しだけ感謝した。ほんの少し。

 芳賀さんは先ほど放った鞄に手を入れ、なにやらごそごそ鞄の底をさらった。時折チャリンと金属同士がぶつかる音がする。何度も腕を鞄の中で往復させているうちに「あれ」「おかしいな」とぼそぼそ呟き、顔をしかめていく。

 わたしと会長は呆れたような視線を芳賀さんに送った。見つからないものは見つからないだろう。お弁当なんてそれなりの大きさなのだから。

「また忘れたの?」

 会長が慣れた様子で言った。

「どうもそうみたい。困ったなあ」と言う芳賀さんはそれほど困っているようには見えなかった。

「わたしの少し分けようか」

「ゴーヤチャンプルーでしょ? 苦いからやだ」

 わたしはお弁当箱を少し芳賀さんから遠ざけた。無意識の行動で、わたし自身が一番驚いた。昨日会長からわたしのお弁当が美味しそうだと言われ、狙われていると感じたときでさえそこまではしなかったのに。

「頭はいいのに、どうしてそう忘れ物が増えるの?」

「いやあ、最近変なんだよねえ。ちゃんと入れたと思ったんだけど、鞄を開けるとあら不思議。消えてるの。酷いときは家の鍵まで。帰ったら入れない、なんてことも」

「教科書やらノートやらが散乱してて机の上とかも汚いし」

「学校生活に必要なありとあらゆるものが置いてあるからね。引き出しやロッカーに入らないものはどうしても机に置かざるを得なくて。こうしておけば行きと帰りが楽でしょ。持ち運ぶ必要があるのはお弁当、鍵、通学時間で読む文庫本、折り畳み傘だけ。なんて楽な……あれ、もしかして怒られてる?」

 その後も会長の小言が続いた。わたしは黙ってそのやりとりを見ているしかなかった。

 お弁当を食べ終わって本を読みたかったが、騒々しくてそれどころではない。昨日に続いて厄日だ。いや昨日以上に悪い。

「結局、お昼はどうするんですか」

 話が進まず見かねたわたしがそう訪ねると芳賀さんは、「そろそろ妹が来る頃だと思うから大丈夫」

 すっかり忘れていたが、そんなことを会長が言っていた。しっかり者の妹がいるとか。すると今度は姉妹が小競り合いをすることになるわけか。静かで然るべき場所が、ここ最近は賑やかなことで。

「話は変わりますけど、会長は一人っ子ですか」

 しばし沈黙があったから聞いてみた。今まで振り回されてばかりで考えたことがなかったが、会長のことをなにも知らないのだ。食の好みくらいしか分からない。味の強いものに目がないようだ。

 会長と芳賀さんが束の間顔を見合わせ、芳賀さんが「いるよ」と言い、会長は、「愚妹が一人、ね」

 ぐまい、の響きが聞き慣れず即座に脳内で変換ができなかった。愚昧ではなく、愚かな妹と書いて愚妹。本来は自分の妹の謙称だが、今日び、妹が一人、でいいだろう。と、すると本当に愚かな妹なのかもしれない。

 どうして愚妹なのか聞こうとしたところで本日三人目の闖入者だ。

「また忘れてんじゃん。馬鹿姉。教室行ったらいないし、どうしてなんちゃら部くんだりまでこなきゃいけないの」

 予想通り、芳賀さんの妹だ。顔はちょっと似ているが、背が小さくどことなく幼さを感じる。おそらくわたしと同じ一年生だ。会長からしたらわたしにも同じことを思ったりするのだろうか。

 芳賀さんが嬉しそうに立ち上がり、「ありがとう、ありがとう。毎回悪いね。亜季はしっかりしてて頼もしいよ」

 芳賀さんが妹の頭を撫でると、妹はぴしゃりとその手をはねのけた。芳賀妹はむっとした顔つきで、「やめてっていつも言ってるじゃん。忘れ物しないで。子供扱いしないでって」

 不穏な空気が漂ったが会長も芳賀さんも意に介さず、芳賀さんは受け取ったお弁当を広げ始めた。会長は「いつものこと」とわたしに囁いた。

「亜季も一緒に食べるでしょ?」

「……食べる。今から戻ってもみんな食べ終わっちゃってるだろうし」

 芳賀妹は残った席である芳賀さんの向かいに座った。ブリッジでしか四人で机を囲ったことがなかったから、お弁当を広げると狭いと、初めて感じた。会長もそうだったのか、わたしたちはそれぞれのお弁当箱を後ろの席に避難させた。

 芳賀姉妹のお弁当箱は大きかった。両の掌からはみ出しそうだ。中身は野菜が少なく茶色が多い。

 わたしの精査に気がついたのか芳賀さんは照れくさそうに、「高二の弟がいてね。食べ盛りでさ。別個にお弁当なんて作れないからこうなっちゃうの」

 さぞかし賑やかで大変な日々だろう。お弁当を用意する人の苦労には頭が上がらない。わたしは作っていないから苦労が分からないが。

「次は体育で着替えと移動あるから早く食べちゃってよ」

 会長はいつものように頬杖をつきながら言った。

 芳賀さんは頷き、食べるスピードが明らかに早くなった。結構ボリュームがあるのに次々と胃袋に納められていく。芳賀さんだって食べ盛りなわけだ。

 芳賀さんが食べ終わるや否や、会長と二人で「じゃあ」と言ってお弁当箱だけを持ってそそくさと出ていった。

 初対面の芳賀妹と二人で取り残されてしまった。あまり社交的ではないわたしとしては好ましくない状況だ。それは向こうも同じようで、こちらを見ずスマホの割れた画面を見ている。

 幸い、芳賀妹はまだお弁当を半分くらいしか食べていない。

「わたしも戻るね。ごゆっくり。戸締まりとかはしなくていいから」

 わたしは相手の反応を伺うことなく立ち上がり、素早く部室を後にした。大きな音を立てながら扉を閉め、わざと足音を響かせながら歩いた。部室から少し離れ、そっと部室に戻った。

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