今とこれからも

四国ユキ

第一話 カンニング事件

 1


 机を挟み対面に座っている中道さんが手札のトランプをじっと睨んで考え込んでいる。穴が開くほど見つめることで最適解が頭に浮かんでくるとでも思っているのだろうか。そうであればそんなに便利なこともない。

 一緒にプレイしている希望と左東さんはじれったそうに中道さんが出すカードを今か今かと待ち構えている。

 放課後の文芸部の部室で、わたしたち四人はトランプゲームの一種であるブリッジ、正式名称コントラクトブリッジ、で遊んでいる。プレイ人数は四人。東西南北に位置するように座り、北と南、西と東がペアを組んで戦う二対二のゲームだ。わたしの位置を南として、北が先ほどからずっと悩んでいる中道さんで、今回のペアである。西には左東さん、東に希望が位置している。通常のトランプゲームは一対多にたいして、ブリッジは二対二であること、ペアといってもその手札は覗けないこと、ルールが厳格に決まっていて、いわゆるローカルルールがないところが気に入っている。当然、駆け引きがあるところ、運の要素が極力排除されているところも好きだ。

「いいじゃん、さっさと出しちゃいなよ。まだまだ始まったばっかりだよ」

 希望が痺れを切らしてぽつりと呟くと、中道さんはゆっくりとハートの5を出した。それをきっかけにゲームは流れるように進み始めた。一度場の流れが生じれば、中道さんは先ほどまでうんうん唸りながら悩んでいたのが嘘みたいにプレイをしていく。まるで、最初にありとあらゆるパターンを想定していて、あとは想定通りカードを切っているかのような……

「お、とりあえず一回目はわたしたちの勝ちだね」

 そうでもないようだ。

 希望が勝利宣言をした途端、中道さんは文芸部の部室の天井を仰いだ。部室といっても、化学実験室なのだが。

 ブリッジは外国の映画や小説ではよく出てくるが、UNOや大富豪ほど市民権は得ていないと思う。それどころか知名度すら怪しいと思っている。だからこうしてブリッジに必要な四人が集まるのは奇跡に近いのではないだろうか。一緒に遊んでくれる三人には感謝しかない。

 ただ、この集まりの発案者はわたしではない。元文芸部部員、希望の発案だ。希望は文芸部の初顔合わせで、「室津希望です。アガサ・クリスティを崇拝しています」と自己紹介した。大好き、ではなく崇拝という言葉に初めはぎょっとしたが、これを読め、あれを読め、それくらいは押さえておけ等々、厄介な押しつけは一回もされたことがなく、付き合う上で気易い人であることはすぐに判明した。

 そんな清く正しいアガサ・クリスティのオタクである希望がどうしても遊びたがったのが、今やっているブリッジだ。曰く、アガサ・クリスティの著作に「ひらいたトランプ」というものがあるらしい。ブリッジの点数表が事件解決の鍵になっているのだが、ブリッジをやったことがないどころか聞いたことすらなく、上手く作品世界に入り込めなかったようだ。それが悔しくて希望がブリッジを遊びたがり、希望は自分の友人を二人連れてきた。「さあ、やるぞ」の一言でわたしが自然と人数にカウントされていることが判明し、驚いた。こうして文芸部の部室でたまにブリッジ回が繰り広げられるようになったわけだ。

「じゃあ、次のゲーム行こうか」

 希望がそう言うと、各々机の上に十円玉を置いた。

 ブリッジのゲーム性にわたしは熱を上げている。が、夢中になっているもう一つの理由がこれだ。賭け、である。とはいえ、お金はトラブルの元であることは四人が重々承知しているから、どちらかのペアが百円以上儲けた時点でその日のブリッジは終了としている。それに、毎日ブリッジで賭け事をしているわけではない。せいぜい二週間に一回程度のことだ。これくらいの頻度と賭け金ならば揉め事は起こらないだろう。

 中道さんがシャッフルした後カードを配っていると、部室の扉がガラガラと音を立てて開いた。

 闖入者は「失礼しまあす」と間延びした声で入ってきた。

 わたしの対面に座る中道さんは部室の扉に背を向けた形で座っているためか、一拍遅れて振り返ってから顔を上げた。

 黒くて艶のある髪を腰のあたりまで伸ばした女生徒だ。顔の真ん中で髪を分けていてそこから白い額が覗いている。目は大きく、ややつり目がちだが、キツい印象よりかは自信満々な表情に見えた。きっと小さい頃から人前に立ってリーダーシップを発揮し確実に成果を上げ、明るい道を悩むことなく突き進んできた、そんな人に見えた。

 おそらく苦手なタイプだ、とまだ一言も話していないにも関わらず、そう感じた。

 わたし以外の三人は訪問者の顔を見て顔をしかめ、気まずそうに顔を伏せた。

 トランプで遊んでいるだけならまだしも、机上にお金があるとなれば、賭け事をしていると見破られることは必至だ。

 三人が同時に机に視線をやり、闖入者は必然的に視線を追い、伏せられたトランプとお金に目をやった。

「ふむ、なるほど」なにに納得したのか分からないが小さく呟き頷いた。「さあ続けて。用事があったけど、それが終わってからでもいいから」

 三人は困ったように目線を合わせ、まるで会話するかのように首を縦横に振っている。

 わたしは配られたカードを手に持ち、内容をじっくりと確認した。その間、三人はやはり目線だけで会話をし、しぶしぶながらカードを手にした。

「じゃあこれで最後だな」

 希望がぐるっとわたしたちを見回してから、そう宣言した。

 わたしは首を傾げた。最後って……。さっきゲームが始まったばかりだ。最後どころか序盤も序盤、これからどんどん盛り上がっていくはずだ。物語でいうなら起承転結の「起」の部分でしかない。

 わたしが不満を口に出そうとしたところで、希望が先んじて制した。

「これで最後。いいよね?」

 一音一音を区切るように希望は強く断言し、中道さんと左東さんも激しく首を縦に振っている。

 この急な変わり身の原因はどう考えても、先ほどからこちらをじっと見つめている闖入者だろう。見られていてはやりづらいことこのうえない。こういうときはスマホでもいじっていればいいものを。

「とういかだれ、あの人?」

 わたしが顎で示すと三人は目を見開いた後、呆れたような表情を浮かべた。

「紗枝、うそでしょ? 知らないなんて言わないよね?」

 正直に「知らない」とだけ短く答えると、希望が大きくため息をついて、ひっそりと教えてくれた。

「王野玲奈、生徒会長だよ」

 今度はわたしがなるほど、と内心で頷いた。トランプでギャンブルに興じているところに、全校生徒の模範とも言うべき生徒会長様が突然現れたものだから動揺したというわけか。放課後の文芸部の部室にこれまで人が訪ねてきたことがなかったから油断していた。教師よりかは幾分与しやすいが、どうしたものか。

 ブリッジは大した会話も盛り上がりもなく、さらっと終わってしまった。わたし以外の三人がさっさと切り上げて、この場を今すぐに立ち去りたがっているのが手に取るように分かった。まるで見えてはいけないものが見えてしまったか、聞こえてはいけないものが聞こえてしまったかのように。

 三人は口々に別れの挨拶を口にし、生徒会長に小さく頭を下げ、そそくさと帰宅した。

 わたしは机の上に残されたボロボロのトランプをまとめてこれまたボロボロの箱に納めた。それから十円玉を重ね、どうしたものかと睨めつけた。

「もう終わっちゃったの? 邪魔しちゃったみたいで悪いね」

 わたしの目の前にちっとも悪いと思っていなさそうな生徒会長がいつの間にか立っていた。

「はい」これは暗に生徒会長がわたしたちの楽しみを阻害した、という意味で頷いた。「用事があるんでしたよね。なんでしょうか」

「そうそう、用事ね。これなんだけど」

 そう言って会長は机の上に紙を一枚、ひらりと置いた。ちらりと見やると、上部に太文字で部費申請依頼、と書かれていた。

「これは文芸部部長の安芸さんが四月に申請した部費なんだけど」ここで会長が言い淀んだ。「彼女、退部しているよね。さらに二年生の四万さんと一年生の室津さんも退部してて、宇田見さん一人でしょ。そうすると、申し訳ないんだけど部費が減っちゃうの。それで、そのことに同意してほしくて」

 先ほどまで一緒にブリッジをしていた室津希望は、すでに文芸部を退部している。正式に入部して次の日の出来事だった。正式入部の日は部員全員で顔合わせを行った。その場で希望はあろうことか、二年生の文芸部員、四万先輩と大げんかをしたのだ。喧嘩の内容は実に下らないものだった。希望が崇拝するアガサ・クリスティと四万先輩が敬愛するエドガー・アラン・ポーのどちらが優れた作家か、を言い争った。希望曰く、アガサ・クリスティは現代ミステリの全ての源流である、四万先輩曰く、エドガー・アラン・ポーは世界初のミステリの生みの親であるから、この人がいなければアガサ・クリスティだってきっと誕生しなかったはずだ。本当はもっと長ったらしく理論的に説明していたような気がするが、興味がなくほとんど覚えていない。そんな喧々諤々な言い争い後、二人揃って「こんなそりが合わない人とはやっていけない」と言って退部してしまった。ちなみに三年生で部長だった安芸先輩は受験に集中すると言って、先述の件とは関係なしに退部した。本を読むだけの部活が受験の足を引っ張るとは到底思えないのだが。

「部費が減るってことは、一人頭が決まっていたってことですか」

「そういうこと。一人五千円出るから本来は二万円だったはずなんだけど。それで、了承はしてもらえる?」

「いいですよ」部費があるなんて知らなかったわたしは一も二もなく頷いた。部長だった安芸先輩は悪い人ではなかったが、ちゃんと引き継ぎをしてくれなかったようだ。現部長のわたしがしっかり聞いとけよ、と言われればそれまでだが。

「というか部費って減るんですね。どういうプロセスか知りませんけど、すでに決まってるものだと」

「そりゃあね。部費の申請書を作るときだけ部員が膨大に膨れ上がる部活が出てきて問題になったらしくて」

 悪いというかしょうもないことを考える人間の知恵っていうのはよく回るものだと感心する。

 会長が差し出した部費の修正案にサインをして手続きは完了となった。言われるがままに進めたからだまされていないとは断言できないが、それはそれでいい。どうせ部費で本を買っても自分のものなるわけではないのだろうから。

 わたしはブリッジをやっていた机に戻り、読みかけの本を手に取り開いた。華氏451度。焚書をテーマにしたディストピア小説で、文芸部としては読まずにはいられない、と思い買ったものだ。

 目の前に人影を感じ、顔を上げると会長がまだいた。大きくて黒い目がじっとわたしを見据えている。獲物を前にした肉食獣の印象を受け、少し怖気を覚えた。

「まだ、なにかありますか?」

「さっきやっていたのはブリッジ?」

 意外だった。広く普及しているとはいいがたいゲームなのに。肯定すると、

「ふうん。社交性が必要なゲームにも関わらず、会話が少なかったよね。それでもあっさりと宇田見さんペアが勝った。どうして?」

「さあ。運がよかった、としか」

「わたしにはそうは思えない」そう言いながら右手人差し指で鼻の天辺を掻いた。「ゲーム中の宇田見さんの動作をよく見ていたの。するとペアじゃない二人の手札をじっと見てたよね。最初は覗き見ているのかと思ったけど、そんな感じではなかった。だいたい、そんなことすればすぐにバレるでしょ。じゃあ何を見ているのかというと、カードしかない。なんのためか。それはカードを見分けるためでしょ? トランプ、古くてボロボロだったよね。宇田見さんは、一枚一枚のカードの裏面を覚えて、相手が何を出すか分かる。いわゆるマークドっていうやつ。だからさっきはあっさり勝てた。違う?」

「長々と説明していましたけど、つまり、わたしがイカサマをしていた、と言いたいんですか?」

 会長は自信満々に首肯した。まるで小説の中の名探偵が推理を披露したみたいに。

「どこから指摘すればいいのか……」わたしはしばらく考え込んだ。あまり長いとまるで犯人、つまり実際にイカサマをしたのを誤魔化しているように受け取られかねない。なるべく簡潔にそれでいてナイフのような鋭い一撃を。が、思い浮かばない。

「イカサマはしていません。裏面を表面と結びつけるように覚えるなんて、不可能でしょう。できる人はいるかもしれませんが、わたしにはむりです。それと動機もありません。確かにお金を賭けていますが、机の上に出ている硬貨は十円。またわたしたちのルールで百円以上儲けたらそこで終了としています。それだけのためにそんな労力をかけますか? かけませんよね。さらにさらに、会長が見ていたのは一ゲームだけですよね。もっと膨大な数を見てイカサマの結論に至ったならまだしも、はっきり言えば早計です。なにか反論はありますか?」

 わたしが反論するにつれて会長の眉間に皺が増えていった。ここまでいろいろ言われるとは思っていなかったのだろう。

「うーん、でも、イカサマしてそうな動きだと思ったんだけどなあ。本当はしてるんでしょ」

 諦めの悪い人だ。それに初対面でイカサマをしていると決めつけられるのは心外だ。今後交流がないだろうからといって、前後の見境がないのではないだろうか。

「……で、その根拠は?」

「えっと、勘?」

「会長は迷う探偵で、迷探偵ですね。道案内でも地図見ながら迷う人ですか? それと、初対面の人にそういう決めつけはよくないと思います。もっと人の気持ちを考えられるようになったほうがよいかと」

「そんなに言う? わたし、一応先輩なんだけど」

 言葉とは裏腹に会長はどこか楽しそうに笑った。笑える言葉は一つもなかったはずなのに、変な人だと思う。傷つけられて喜ぶ人となるとちょっと手に負えない。

「まあいいや。イカサマしているならそのうち看破できるでしょう」

 そのうちって、これからもここに通うつもりなのだろうか。冗談じゃない。

「宇田見さんはなかなかいいキャラをしてるよね。生徒会長にも物怖じしないし、ずばっとものをいうのも素敵だと思う」

 それはどうでもいい人だからだ。言葉の通じない物体に対して親切にしたりしないのと同じだ。

「ちょっと力を貸してほしいんだけど、いいかな」

「え、嫌です」

「まあまあそう言わずに。イカサマをするくらい知恵が回って――あ、まだ疑ってるから――堂々としているそんな人に頼みたいなあって」

 わたしはわざとらしく本をたたんだ。すこし大きな音が部室に響く。本を傷めそうで好きではないが致し方ない。

「だから、嫌です。それとイカサマもしていません」

 大きな音を立てて椅子から立ち上がると、会長が不敵な笑みを浮かべた。これはなにがなんでもわたしを服従させようとする意思の表れだろうか。だとしたらその自信はどこから来るのか。

「さっきの人たちにイカサマの件を告げたらどうなるかな。疑われてブリッジができなくなるんじゃない? それでもいい?」

 下手に出て頼んでもだめなら脅しときたか。手段としては三下だ。

「たぶん信じないですよ。わたしが毎回勝ってるなら疑われるかもしれませんが、そうじゃないんですから」

 会長は少し考えてから口を開いた。どうやら作戦を変更したようだ。「じゃあイカサマはこの際脇に置こう。でも賭け事をしていたのはまぎれもない事実でしょ。そこはどうかな」

「そうですね。小さい額ですけど」

「額は問題じゃない。賭け事、という事実はいただけない」会長の目が光った、気がした。勝機を見いだした目に見える。あるいはわたしの中で雲行きが怪しくなったのを感じたか。「宇田見さんはまあ、気にしないでしょ、わたしや教師に知られても。図太そうだし。でも、あの三人は違うよね。小心者だね。わたしに見とがめられただけで縮こまってたし」

 そう来てしまったか。わたしはゆっくりと椅子に座り直した。唯一の弱点を突かれてしまった。このままブリッジ仲間を失うにはまだ惜しい。この熱意が四人で続く間は。どう考えてもわたしの負けを認めざるを得ない。王手、いやチェックメイトと言うべきか。

「……で、なにを手伝えばいいのですか」

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