第13話:梓の素顔

「お疲れ様でしたー!」


 パーソナルトレーニングを終え、二人でプロテインを飲む。

 地獄のようなトレーニングの後、この時間が俺にとってのささやかなご褒美になっていた。


「今日の背中トレ、効きましたね…。もう腕が上がりません」


 俺はシェイカーを持つ腕をプルプルさせながら言うと、梓さんは楽しそうに笑った。


「いい感じに追い込めましたからね。明日はきっと、背中に翼が生えてますよ」


「天使のじゃなくて、悪魔の翼じゃないですかね…」


 そんな軽口を叩き合えるくらいには、俺たちの距離は縮まっていた。

 単なるトレーナーと客、という関係性ではない。共に戦う「戦友」のような感覚。


 だからこそ、少しだけ勇気を出してみようと思った。


「あの、梓さん」


「はい?」


「いつもお世話になってるので…もしよかったら、今度、食事でもどうですか?」


 自分でも驚くほど、声が上ずった。

 断られたらどうしよう。気まずくなるんじゃないか。一瞬で、頭の中にネガティブな考えが渦巻く。


 しかし、梓さんは一瞬きょとんとした後、すぐに満面の笑みになった。


「いいですね!ぜひ!トレーニング以外の話も、もっと色々してみたいと思ってたんです」


「ほ、本当ですか!?」


「本当です!わ、楽しみだなあ」


 あっさりと快諾してくれたことに、俺は心の中で特大のガッツポーズをした。

 美咲に振られて以来、女性と二人きりで食事に行くなんて考えたこともなかった。でも、梓さんとなら、楽しい時間が過ごせる気がした。


 そして数日後。

 俺たちは、少しお洒落なカフェバーで向かい合って座っていた。


「うわ、優斗さん、私服だと雰囲気違いますね。爽やか!」


「梓さんこそ。いつもと全然違って、ドキッとしました」


 ジムでのスポーティーなウェアとは違う、落ち着いた色合いのワンピース姿。いつもアップにしている髪を下ろした彼女は、なんだかすごく「大人のお姉さん」に見えて、俺は柄にもなく緊張していた。


 乾杯をして、料理を待つ間、自然と仕事の話になった。


「それにしても、梓さんの知識ってすごいですよね。栄養学とか、解剖学とか」


「好きだから、全然苦にならないんですよ。あ、これ美味しい!」


 運ばれてきたアヒージョを頬張りながら、梓さんは嬉しそうに言う。

 その無邪気な笑顔を見ていると、俺の緊張も少しずつほぐれていった。


「ふと思ったんですけど、梓さんは、なんでトレーナーになろうと思ったんですか?」


 俺がそう尋ねると、彼女は少し遠い目をした。


「実は、私も昔は自分の身体に全然自信がなかったんです。ガリガリで、体力もなくて。何を着ても似合わないし、いつもコンプレックスの塊でした」


 意外な告白に、俺は少し驚いた。

 今の彼女からは、そんな姿は全く想像できない。


「でもある時、トレーニングに出会って。少しずつ身体が変わっていくのが、すごく楽しかったんです。筋肉がつけば、自信もつく。姿勢も良くなるし、考え方も前向きになる。まるで、人生が変わるみたいだった」


 彼女は、本当に楽しそうに語る。


「その経験を、他の誰かにも伝えたいって思ったんです。昔の私みたいに、自分に自信が持てなくて悩んでる人の、手助けがしたいなって。…いつか、自分のジムを持つのが夢なんです」


 熱っぽく将来の夢を語る彼女の横顔は、とても輝いて見えた。

 ただの仕事としてじゃない。本気で、誰かのためにこの仕事をしているんだ。


 その姿に、俺は強い尊敬の念を抱いた。

 そして、それと同時に。胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じていた。


 この気持ちは、何だろう。

 美咲と一緒にいた時のドキドキとは、少し違う。もっと穏やかで、心地いい。

 まだ、この感情に名前をつけることはできなかった。

 でも、目の前で笑っているこの人のことを、もっと知りたい。

 俺はただ、そう強く思っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る