第7話~第8話 幸福な未来はいりません


 「……こちらへお進みください」


 不満や嫌悪感が隠された、それどころか一切の愛想の類もない声色で侍女が言う。ゲイリー様とその周りを囲む貴族たちは、相変わらずその棘を何ともないような顔で受け流していた。いつも屋敷に呼ばれているよりかは周りの貴族たちの数が大分少ないけれど、その分陰湿な空気は濃厚なようで俺は今日も今日とて重苦しい空気に息が詰まるのを感じる。さもそんなことなんてないように笑顔をつくり愛想を振りまくのは疲れるが、それも今日までだと思うと頑張れる気がした。

 侍女に連れられて通されたのは応接室と会議室の中間のような部屋。室内の装飾自体は高級感に溢れているが、部屋に置かれているものと言えば机と椅子ばかりだった。コの字形に置かれた机と、その口の合いている方向に少し間をあけて置かれた簡易の議長席のような机は、いかにも会議や話し合いに使われていそうな雰囲気を醸し出している。形状だけ見ると学級会なんかと大差はない簡素な雰囲気な辺り、きっとこの部屋は公の会議の際に使われるものではないのだろう。そのせいか、部屋全体の高級感がどうにも今一調和していなかった。


 表向き、今日のゲイリー様の用件は今までの王妃、つまりシンデレラへの謝罪と、同じく黒持ちの俺の今後の処遇の相談、後は幾つかの細々とした政治的な要望がある、ということになっている。一応周りの貴族たちは昔からの慣習で政治面に関与している家が殆どので、理由付けとしてそうおかしくはないだろう。勿論、陛下や上層部がすんなりと信用してくれるかどうかは別だが。

 また、謝罪をしたいというこちら側の要請で、今回はシンデレラの彼もこの場にくるらしい。危険なのはきっと百も承知だろうが、陛下たちの側としても国に巣くう悪習を一気に叩けるチャンスをみすみす逃せなかったのだろう。今この部屋にはまだ護衛の兵士たちと侍女たち、そして俺たち貴族側しかいない。陛下が訪れるのを待つ貴族たちは少しばかりそわそわとしていて気持ちが悪かった。


「……すみません、少し席を外しても良いですか」


 まだ陛下が来るのに時間もかかりそうだし、何より話し合いの内容については俺がいようといまいと関係ない。貴族たちの前でずっと猫をかぶり続けるのも面倒だし、手洗いと称して少しくらい外の空気を吸いたかった。これから起こるであろうことを予想して早くも痛み出した胃から気を反らしたかったのもある。何度も言うが俺は打たれ弱いんだ。

 ゲイリー様はこの先のことに気が向いているのだろう。どうでも良さそうに俺に許可を出すと他の貴族たちと小声で何か囁き始めた。そのにやついた顔はやはり気分のいいものではないと思いながら侍女に手洗いへの案内を頼む。またしても侍女は無表情で案内を始めた。


 そう言えば、今日あの場にアルヴィン様は来るのだろうか。宰相として恐らくは立ち会うのだろうとは理解しつつも、どうしてもそれを受け入れられない自分もいた。猫をかぶる俺を、ゲイリー様や貴族たちに媚びを売る俺を、せめてあの人にだけは見られたくないという意地がまだ俺には残っていたらしい。それを自覚すると途端に足取りが重くなった気がした。ぐるぐると胸中で渦巻く不安や戸惑いを吐き出すように大きく息をついて、気分を変えるために視線をあげる。

 色鮮やかな中庭を見るといつもならそれだけで多少なり穏やかな気持ちになれるが、今日は曇りがちで今にも雨が降りそうな暗い空だった。おまけに風も強く、気温もそう高くはない。体を冷やさないようにと用意された服は全体的に生地が厚く、またローブやドレスの中間のような形状のため裾は長く足に纏わりついた。そのあしらい方になれていない俺には非常に動きづらいのだが、それ以外に不都合はなくむしろ好都合なのでこれ以上文句は言わないでおこう。


 吹き付ける風によって大きくしなる枝を眺めながら歩いていれば、不意にその向こう側に見慣れた色が見えた気がした。そんな馬鹿な。……ああでも、雑談の一つとしてあの人から聞いたことがあったはずだ。自分の管轄外である使用人たちの仕事につい口を出してしまう癖があるのだと。使用人にしか気が付けない細々とした情報は、自分たちと違う目線でこの国のことを教えてくれるのだと話した彼は、少しばかり気恥ずかしそうだった。けれど、そうやって少しずつ愛する国と国民を良い方向へ導くことが嬉しいのだと、誇らしそうに笑ってもいた。その話を証明するかのように、中庭の反対側の通路で話している彼は使用人らしき風貌の男性となにやら話し込んでいるようだ。

 彼を見つめるうちにどうやら俺は足を止めていたらしい。それに気が付いた侍女は、怪訝そうな顔をして俺の視線の先に目を向けた。その表情が少しばかり和らぐのを見て、何故だか俺まで穏やかな気持ちになる。


「……俺、よく宰相様に助けていただいて、」


 不意に語り出した俺に目の前の彼女は怪訝そうな顔をするけれど、先程よりかはまだ固くない表情で俺を見つめてくれた。

 外套の内ポケットにしまってあった手紙を取り出して俺はそれをそっと差し出す。


「恩返しにもならないかもしれませんけど、これを宰相さまに届けていただけませんか」


 勿論中身は見ていただいても構いませんから、と続ける。彼女は少しの間戸惑っていたようだが、渋々と受け取ってくれた。その際にいつになるかはわかりませんがと申し訳無さそうに言ってくれた辺り、彼女は責任感の強い人なのだろう。けれど、彼女の予想に反してきっと大して時間はかからないだろうから、俺は先程とは打って変わって安堵の溜息をついて手紙を渡した。

 仲良くとは言い難いが、少しばかり警戒を解いてくれた侍女に、あの部屋は空気が重くて居辛いのだと零せばささやかな休憩を挟みながら遠回りな道を進んでくれた。特に会話は無かったけれど、久々に受けるアルヴィン様以外からの思いやりは心に沁みて何だか切なくなった。


 そうして結構な時間をかけて戻ってみると、予想よりもスムーズに事は進んでいたらしい。話題は既に税制や身分制度に関する政治面のものになっていた。まあ話を聞いていなくても、ここでゲイリー様たちがするシンデレラや俺の話なんてほとんどが口から出任せを言っているだけだから問題はないだろう。

 そっと部屋に入ってきた俺と侍女に気が付く者は少なかった。けれど、俺たちより先に部屋に到着していたらしいアルヴィン様と不意に目が合う。一瞬体が硬直したけれど、それを誤魔化して軽く会釈をしてから、俺は後ろめたさを隠すようにそそくさと端の方の椅子に腰掛けてその視線から逃げた。ふと、今度はこちらを見つめるシンデレラと目が合う。しばらく見つめ合っていると、彼は困ったとも悲しいとも取れる表情を浮かべた。そんな顔で俺を見る彼が、一体今どんな気持ちなのか俺には想像することしかできない。俺のせいで幸せが壊されそうだと不安なのか、それともこんな貴族集団の中にいる俺を哀れんでいるのか。

 本心はどうにしろ揺れる瞳で俺を見ていることに変わりはない。そんな瞳の彼を安心させるように、俺はできる限りの柔らかな笑みを返す。そうすれば彼は今度は混乱したように目を見張っていた。まあこの立場で俺が彼を安心させられるとは思っていなかったけれど、不必要な混乱を招いてしまったようで少しばかり申し訳なくなった。どうにもうまくいかないなと自嘲する。


 その後はひたすら俺には関係のない政治的な話が続く。内政の方で時折意見のぶつかり合いが起こったが、ゲイリー様も今はそれが本題ではないのを承知しているのだろう。そういった話題は適当にお茶を濁して決着を次の機会へと先延ばしにしていた。元からこちらとしては今日は別の目的があるわけで、それ故に不自然な早さで進んでいく話に陛下たちも納得のいっていない顔をしてはいる。それでも、こちらにとってはただの建前での会話だと薄々感づいているだろうに、彼らの受け答えはきちんとしたものだという辺り貴族たちとの格の違いのようなものが窺えた。


「……では、最後に陛下」


 今まではそれなりに真面目な表情を繕っていたゲイリー様が口元に笑みを浮かべながら切り出す。陛下たちはそれに動じることなく、むしろやっと来たかという風に先を促した。


「本当に、この婚姻を取り消すおつもりはないのですね?」

「くどい、何度も言わせるな。王妃はハルキただ一人だ」


 その言葉に一瞬の沈黙が広がる。ゲイリー様は陛下の言葉に肩を竦めるとわざとらしく溜息をついた。


「そうですか……。ならばしかたありませんな」


 ゲイリー様の言葉に俺は少しばかり腰を浮かせる。まだだ。まだスタートの合図は発せられていない。隠れて鞘に手を添え、合図と共にそれを抜き去る用意をして。シンデレラは俺の真正面にいる。たどり着けるだろうか。

 いや、やらなきゃいけないんだ。誰でもない、俺自身の望みのために。


「邪魔者には、ここで消えていただきましょう!」


 踏み込みは深く。後ろで椅子の倒れる気配。振り上げた剣が鈍く光を反射する。そうして、もう一歩彼の元へと踏み込んで。


 鮮やかな赤色が、じわりと俺を染めていく。



幸福な未来はいりません


(醜いこの姿のままで)

(最後の花びらが落ちてもいい)






 どさり、と人の倒れる音。


「その者を捕えよ!」


 陛下の鋭い声が飛ぶ。凍りついていた空気が、俄かに動き出す。


「あ……そんな、なんで」


 じわりと広がっていく血だまり。染まっていく彼の手のひら。


「シンデレラ……」


 真っ青なその頬を撫でる。カタカタと震えているのが酷く痛ましい。にこり、と。出来るだけの笑顔で笑いかける。それが歪なのはわかっていても、綺麗な笑みなんて今は浮かべられそうにもなかった。


「お怪我は……、ありませんか?」


 拘束された兵士と貴族たち、俺に向けて怒鳴るゲイリー様の声。俺に押し倒されるように床に伏すシンデレラの服が、俺の血で染まっていく。

 他の兵士たちに指示を出し終えてから慌ててこちらを振り向いたアルヴィン様の視線から逃れるように、俺はそっと目を伏せた。

そのまま、すっと体が冷えていく。音の波が遠ざかっていく。

 誰かが、俺の手を握った気がした。





「……彼が味方という保証は無いのでしょう?」

「けれど、あの貴族たちがこんな事するのかしら…」


 人の、話し声。聞き覚えのある声ではない。それでも、聞きなれた声だ。俺への懐疑心と敵対心に溢れた、冷たい声。今日のはすこし、いつもより優しい気がしたけど。


「おや、お目覚めになりましたか」


 頭上から、また別の声が降る。そちらを見上げれば、温和そうな顔をした老人がこちらに微笑みかけていた。答えようと口を開くより前に身体全体が重いことに気が付く。それを認識してから、徐々にゆっくりだった思考回路が元に戻っていった。ただ、どうにも頭もぼんやりしていつも通りとはいきそうにない。

 酷く気だるい身体を起こすことは無理そうだと考えて、視線だけで声をかけてきた老人に先を促した。けれど老人はその先を話すより先に、部屋の侍女たちに水をこちらに持ってこさせるように言いつける。水差しとコップの乗ったワゴンをこちらに運んできた侍女は、ばつの悪そうな顔で一度だけ俺の顔を伺ってからそそくさとまた壁際の方へ下がっていった。恐らく先程の囁き声は彼女たちのものなのだろうと見当をつける。別に、俺が疑われる立場なのは確かだから彼女たちの対応は間違ってはいないと思うけど。


 横になっている俺の前に立っていることと白衣を着ていることから推察するに、恐らくは医師だと思われる老人は、その後ろに控えている同じく白衣を着た青年にまた二、三指示を出していた。その青年は一声かけてから俺の背中とベッドの間に静かに腕を入れると、別の腕で頭を支えるようにして俺の体を起き上がらせる。俺を抱き込むような形で自分に凭れかけさせて前傾姿勢で安定させると、俺の背後でなにやらごそごそと物を動かす気配がした。ゆっくりと背中を倒されるが、整えられたクッションが座り込んだ上体を安定させてくれた。それを見て微調整をした後青年は水差しに入れられた水を移して俺へと差し出した。

 このくらいなら言ってくれたら自分でやったのにと思うが、しかし冷静になると自力で起き上がってふらつかない自信はなかった。青年からコップを受け取り、水を飲みこんで初めて自分の喉が渇いていた事に気が付いた俺は、すぐにコップの中の水を飲み干してしまった。


「気分が悪くはないですかな」


 俺がコップを青年に返すと老人が俺に問いかけてきた。俺は素直に身体のだるさと頭がぼんやりとしていることを告げる。その時に気が付いたのだが、少し舌が回りにくく喋りにくくもあった。老人は一言断って俺の首や額に手をあてる。久々に感じる人の体温に少しだけ言い知れぬ感情が込み上げてきた。それを堪えるように掛け布団の上で強く手を握り手のひらに爪を立てる。


「やはり少々熱が出ているようです……ご自身の状態はどこまでわかりますかな?」


 俺から手を離しながら老人は俺に問いかける。ゆっくりで構いませんよと笑って、そのまま老人は鞄の中の薬や包帯を取り出しはじめた。今の俺の、状態、状況。あれから何が起こって、どれくらいの時間が経ったのかもよくわからないけれど、とにかく俺はわかる範囲のことをぽつぽつと話し始めた。


「シンデレラの彼、に、兵士が剣を振りかぶって……」


 あの日、あの場所で。陛下が彼を妃とする意志を曲げないのなら、仕方がないと。貴族たちはシンデレラを殺してしまえばいいと考えた。そしてその後釜に俺が収まればいいと。どうしたらそういう思考になるのかはわからなかったけれど、下手に口を出して作戦を複雑にされても困る。俺が黙っていれば貴族たちは勝手に親族だという城の兵士を買収して計画を進めていた。

 買収したのは、剣を振りおろした彼ただ一人。何故私兵を城に連れていく事もせず、また、わざわざ王の目の前で事を起こそうとしたのかも、何故それに反対する者が誰もいなかったのかも、俺にはわからない。


「俺は、彼と剣の間に割り込みました」


 剣先と彼の間に滑り込んで、下敷きにするようにして突き飛ばした。本当は俺も彼も無傷で終わらせられればいいと思っていたのだけど。軟禁生活で運動不足だった身体には荷が勝ちすぎたらしい。


「脇腹が酷く痛んで、……彼が泣きそうに俺を見ていたことまでは、覚えてます」


 じわりと滲んでいく血が俺から彼へと広がっていって、俺の体を受け止めようと回した腕に俺の血がこびりついていく。それを嫌がるというよりは、血そのものにおびえるように彼は顔を真っ青にしていた。当たり前だ。彼だって俺と同じで、平和が当たり前だった世界からやってきたのだから。

 命を狙われることも剣先を向けられることも、目の前で人が血を流すことも彼にとっては非日常だ。そのストレスで倒れていないといいのだけど。俺の目的は、シンデレラを殺すことじゃない。情報の得やすさから、さも貴族たちの味方であるように媚を売っていたけれど、俺は彼に恨みも妬みも抱いてはいない。むしろ、彼には生きて居てもらわなければ困るんだ。


「その後からは……記憶がないです」


 老人は俺の言葉に頷くと、その後の簡単な経緯や傷の状態についてゆっくと説明を始めた。でも、正直そんなのどうでもよかった。侍女たちが噂話をするくらいだ。流石に緘口令くらいは敷かれているだろうから知っているのは少数の人間だけだとしても、その少数の人間全てが俺の事を全面的に信用しているとは思えない。

 貴族たちの計画は杜撰なものだったけれど、いや、杜撰だったからこそその後ろに何か彼らを操る存在がいるのではないかと勘繰るのもおかしくない。そして、俺はその存在の手先なのではないかと疑われるのも、また不自然ではない。

 そんな事実は一切ないし、言ってしまえばただの考えすぎだ。それでも、俺がシンデレラを助けることまで含めて作戦なのではないかと考えるのは別段はおかしくないだろう。そもそも俺はゲイリー様と同類の人間だと城の人たちには思われていたようだし、貴族たちの計画が不自然なほどに穴だらけなのは事実だから。だけど、それでもいいんだ。そうなって、俺が捕まえられようと、国外追放されようと。ここで、全部終わってしまってもいい。

 俺は、俺のしたいことをした。俺は、俺の望みを叶えたかっただけだから。



足でも声でも好きなだけ持っていけばいい


(貴方の愛する国を、大切なものを、)

(俺は、守れましたか)




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