北の地『極海熊国(きょくかいゆうこく)』の開国
奈良まさや
第1話
◆◆◆第1章 六本木の夜は、血の匂い
2058年、六本木。
深夜0時を回った交差点に、規制線が張られていた。
「また熊の犯行か……」
野次馬のつぶやきが、俺の耳に刺さる。
俺は――麻布署刑事、熊五郎。
身長2メートル10センチ。体重180キロ。
この国で初めて「警察官」になった熊族だ。
10年前、日本政府は「熊との共存政策」を始めた。
教育、就職、そして法執行。
俺たち熊にも、人間と同じ権利が与えられた。
熊は人間と同等の知性を持ち、理性を併せ持った。
最初は反発もあった。
でも、少しずつ社会は変わってきた。
……そう信じていた。
「熊五郎さん、こちらです」
声をかけてきたのは、相棒の雛森アヤ。
人間の女性刑事。25歳。麻布署で俺と組んで3年になる。
現場はタワーマンションの最上階。
部屋の中は、高級家具で埋め尽くされていた。
そして――床に倒れた遺体。
40代の男性。IT企業の社長だという。
背中には、鋭い爪痕が3本。
深々と肉を裂いて、致命傷になっている。
「……熊の爪だな」
雛森が小声で言った。
俺は黙って現場を見渡す。
争った形跡はない。
被害者は背後から一撃でやられている。
鑑識が言う。
「爪痕の幅は8センチ。深さ12センチ。
力の入れ方から見て、体重150キロ以上の熊族と推定されます」
空気が重くなる。
雛森が俺を見た。
その視線には、心配が滲んでいた。
「……熊五郎さん、これで3件目です」
俺は息を呑んだ。
3件目。
1件目は2週間前。六本木ヒルズで投資家が殺された。
2件目は1週間前。西麻布のクラブオーナー。
全て、同じ熊の爪痕。
全て、深夜の犯行。
そして全て――俺の管轄内だ。
「防犯カメラの映像、出ました」
鑑識がタブレットを差し出す。
画面には、夜のエントランスに映る巨大なシルエット。
フードを被った熊族。
体格、歩き方――
雛森が息を呑む。
「これ……」
言葉が続かない。
俺にも分かった。
このシルエットは、俺に似ている。
体格、肩幅、腕の長さ。
AI照合システムが警告音を鳴らす。
一致率:92.7%
「待て。俺はこんなこと――」
「分かってます」
雛森が強い口調で言った。
「熊五郎さんがこんなことするはずない。
でも……この映像が出たら、上は動きます」
俺は拳を握りしめた。
10年かけて築いてきた「共存」。
それが、この3件で崩れようとしている。
警察組織にも熊は10%はいる。
ネットはもう炎上している。
『やっぱり熊は危険』
『共存なんて無理だった』
『警察に熊を入れるからこうなる』
その時、俺のスマホが震えた。
着信:相沢研一郎
その名前を見て、胸が締め付けられた。
相沢研一郎。
俺が子供の頃、熊の教育施設で世話になった研究者だ。
人間と熊の「共存」を心から信じていた人。
俺を、最初に「対等な存在」として扱ってくれた人間だった。
「もしもし、相沢さん――」
『五郎くん……聞いてくれ……』
声が震えている。
『私は……何かを見つけてしまった……』
「何をですか?」
『“熊排除計画”だ……政府内部の……極秘プロジェクト……』
背筋が凍る。
『今の連続殺人は……その計画の一部なんだ……
五郎くん、君は……君は利用されている……』
「待ってください、どういう――」
その時、電話口から物音。
ガラスの割れる音。
悲鳴。
『――五郎くん、逃げ――』
通話が切れた。
「相沢さん!?」
何度かけ直しても、繋がらない。
雛森が駆け寄る。
「どうしたんですか?」
「相沢さんが……危ない」
俺は現場を飛び出した。
相沢さんの自宅は、ここから車で25分。
警察の訓練された熊なら10分で着く。
(間に合ってくれ……)
だが、着いた時にはもう遅かった。
熊五郎は第一発見者となった。
マンションの前に、パトカーと救急車。
野次馬が集まってきている。
鑑識が階段を駆け上がってきた。
部屋のドアは開いていた。
中には――
相沢研一郎の遺体。
背中に、深い爪痕が3本。
俺の足が止まる。
雛森が後から追いついて、息を呑んだ。
「……熊五郎さん……」
鑑識が淡々と言う。
「死亡推定時刻は、10分前。
爪痕の特徴は、過去3件と完全一致。
そして――」
鑑識が俺を見た。
「あなたの携帯から、被害者に最後の着信が入っています」
頭が真っ白になる。
「待て……俺は今、ずっと現場にいて――」
「GPSログも確認しますが……状況証拠としては最悪です」
雛森が俺の腕を掴んだ。
「熊五郎さん、これは罠です。
誰かがあなたを――」
その時、マンションの外から怒号が聞こえた。
「熊が人を殺した!」
「共存なんて嘘だ!」
「熊を警察から追い出せ!」
群衆が集まり始めている。
雛森が小声で言った。
「……このままだと、あなたが逮捕されます」
俺は相沢さんの遺体を見つめた。
血まみれの床。
冷たくなった手。
その手には、小さなUSBメモリが握られていた。
鑑識が気づく前に、俺はそれを掴み取った。
「熊五郎さん――」
「雛森、俺は逃げる」
「え?」
「このまま捕まったら、真実は闇に葬られる。
相沢さんが言ってた”熊排除計画”……それを暴く」
雛森は迷った様子だったが、やがて小さく頷いた。
「……分かりました。でも、一人じゃ無理です。
私も協力します」
「お前まで巻き込めない」
「もう巻き込まれてます」
雛森は真剣な目で言った。
「熊五郎さん、あなたは無実だ。
それを証明するのが、刑事の仕事でしょう?」
俺は小さく笑った。
「……ありがとう」
その時、階段から足音。
「裏口から逃げて!」
雛森が叫ぶ。
俺は窓から非常階段へ飛び出した。
背後で、警官たちの声。
「待て! 熊五郎!」
俺は夜の闇に消えた。
手の中には、相沢さんが命懸けで残したUSBメモリ。
この中に、全ての真実がある。
――俺は、この国の闇と戦うことを決めた。
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