第22話 疑心
朝のパンが、いつもより長く噛みしめる音を立てた。粉の香りが鼻に残るのに、舌の上ではすぐ姿を消す。焼きたての湯気は白くてやさしいのに、胸の中の空気だけが棘みたいだ。駅前の黒板には、子ども記者団の丸い字で「おはよう」の上に、ちょっとだけ大きな「おはよう」が重ねて書かれている。二度目の「おはよう」は、誰かが迷いながら足したみたいに、少し斜めだ。
「今日は、挨拶を濃いめでいこう」
結城トワは、自分の声を出してみる。声はまだ寝ぼけているけれど、黒板の白は醒めていた。紙のチェックリストに目を落とし、端のほうでペン先を軽く跳ねさせる。お願い先の並びはいつも通り。パン屋、保育所、駅、清掃員さんたち、独り暮らしの家。いつも通りの順番。順番には理由がある。パンの湯気が上がれば、保育所の目覚ましが鳴りやすい。駅の声が整えば、列が静かになる。静かな列は、掃除の音を邪魔しない。掃除の音は、独りの部屋まで届くことがある。そういう見えない道を、今日も作り直す。
『ミカです。朝の様子、読み上げるよ。広場の片隅で見慣れない箱が開いた。裏市場の匂いが少し。駅の階段で、明るすぎるステッカーが配られている。楽に朝を取り戻す方法、だって。保育所前の横断歩道、塗り直されたばかりの白が乾いていない。パン屋の釜、温度が上がりにくい。冷蔵庫は元気。黒板のチョーク、短いのが混ざっている』
端末に浮かぶミカの声は、風が紙をめくる音みたいに淡々としていた。嘘はない。けれど、いつものように、核心は飲み込んだまま。
「裏市場の匂い、こっちまで来てる?」
『風下に立てば、わかる。新品のビニールみたいな匂い』
「ステッカーは?」
『貼ると、誰でも段取り名人になれるって。貼った瞬間、列の割り込みが増える』
やわらかい棘が、胸の奥でひとつ跳ねた。段取りは、貼るもんじゃない。混ざるもんだ。
灰原アキが、肩にメッセンジャーバッグを掛けて広場に走ってくる。薄い色のパーカーの袖をまくり、端末を顎で示した。
「今日は、お願いを速めに回る。裏の連中、派手めに動くつもりだ」
「わかった。僕はパン屋からいく。ミカ、保育所と駅の注意箇所、赤で教えて」
『赤は苦手だから、代わりに丸で。横断歩道に丸。階段の手すりに丸。楽ちんステッカーにも丸』
「丸だらけだね」
『丸はやさしいから』
やさしさが多い朝ほど、足元をすくわれる。だから、靴ひもはきちんと結ぶ。トワは深く息を吸って、浅く吐いた。呼吸を整え、歩幅をいつもの幅に合わせる。歩幅には癖がある。癖は背骨みたいに支えてくれる。支えがあると、やわらかい棘も丸くなる。
◇
パン屋の前で、白い湯気が今日は細かった。老夫婦が釜の前で首をかしげている。釜の中に、知らない計器が一つ増えていた。針は小刻みに震えて、じっとしていない。
「おはようございます。お願いに来ました。湯気をいつもの高さにしてほしいんです。時報みたいに。片付けは僕らでやります」
「湯気なら出したいんだけどねえ、釜が今日は気難しくて」
「気難しい日は、人間みたいに機嫌をとってあげるといいですよ」
アキが釜の縁を軽く撫で、扉の隙間に折りたたみ紙を差し込んだ。熱の逃げ道を変える。やりすぎると怒られる、ちょうどいいいたずらだ。針の震えが少し落ち着く。白い湯気が、さっきより高く、まっすぐ上がった。
「いい子だねえ」
老主人が、釜に向かって声をかける。釜に性格があるなら、今日は拗ねていたのだと思う。拗ねた釜には、名前で呼ぶのが効く。あとで黒板の端に、釜の名前を書く欄を作ろう。そういう、誰にも見えない努力の跡が、あとで効いてくる。
湯気が合図になる。通りの向こうで、保育所の目覚ましが鳴り始めた。二つ、三つ、四つ——いけない、数字はやめろ、と自分で自分にブレーキをかける。目覚ましは、たくさん鳴った。鳴り方には順番がある。最初は小さく、次にちょっと大きく、最後はまた小さく。音は波になる。波があると、人は乗りやすい。
『駅の階段で、押し合いの気配。手すりが滑りやすい。ステッカーがついてる』
「行く」
アキが駆け出し、トワも続く。駅の上り口で、派手な色の服を着た男が、手のひらサイズの丸い紙を配っていた。受け取った人が、そのまま胸に貼る。目立つ。貼った人は、妙に胸を張って列に割り込む。割り込んだ本人は、段取り名人の顔をしている。階段の手すりには、同じ紙が何枚も重なって、つるつるになっていた。
「すみません、その紙、はがしてもらえますか」
「貼れって言われたんだよ。これがあれば、朝はすぐ戻るって。ほら、効率がうんと上がるって」
「うんと上がるやつは、たいてい後で下に落ちやすいです」
トワが笑いながら言うと、男は苦笑して紙をはがした。はがした手の指先が粘ついて、顔が少ししかめっ面になる。
「ほら、指にくっつく。こういうのは、段取りには向きません」
「じゃあ、何に向いてる?」
「風船の重り」
アキが言って、紙を小さく丸め、駅の柱の隅にまとめた。後で、清掃員さんが持っていきやすい場所だ。仕事の邪魔を仕事の未来に渡さないように、置き場所にも段取りがいる。
そのとき、階段の上で、短い悲鳴がした。子どもの声。踏み外す音。トワの肌が冷たくなる。アキが飛ぶ。手すりを掴んで体をひねり、転びかけた男の子の背中を抱きとめる。その勢いで、自分の肘を角に打ちつけた。鈍い音。アキが息を飲む。男の子は泣き顔をぐしゃぐしゃにして、それでも「ありがとう」を言った。アキは笑って、男の子の頭をぽんと叩く。
「段差は、こわいときに小さく見える。こわいから、見えない。だから、いっしょに段差を見よう」
トワは、紙の端に小さな丸を描いた。「階段の角、危険」。それから、男の子の手のひらに、小さな鈴を握らせる。
「こわいときは、これを鳴らして。音は、人を呼ぶ。呼ばれた人は、たいてい偉い顔をしてるけど、心はやわらかいから」
男の子は泣き笑いで頷き、鈴を鳴らした。小さな音が、胸に入り、背中に抜ける。音は道になる。道ができると、足が行き先を思い出す。
『いまの事故、手すりの紙が原因。貼ったのは、見慣れない制服の人。駅の人じゃない』
「内部に?」
『駅の仕事を真似した、別の仕事の人。胸の札、名前は借り物』
内部に、スパイ。言葉の棘が、胸の奥の棘と重なる。重なると、棘は太くなる。太くなった棘は、息をつかえさせる。トワは、呼吸を四つに分けることを忘れそうになって、慌てて思い出す。吸う、ためる、吐く、やすむ。やすむが、いちばん大切だ。
「ミカ、こっそり広げられそうな注意を教えて。正面からぶつかると、向こうは喜ぶ」
『了解。目立たない看板に、目立たない言葉。段差の手前で一息。手すりは手の中で丸く持つ。列の背中は前を押さない。楽な紙は風船の重りに』
「風船、何個いける?」
『重りは、いくつあっても、空には浮かない』
「浮かないの?」
『浮かない。でも、笑える』
笑いが必要だ。笑いは、喉の狭いところをひらく。ひらいた喉から、声が出る。声が出ると、段取りが人の形になる。
◇
昼前、保育所の前の横断歩道の白に、靴の跡が重なっていた。まだ乾いていない。塗り直したばかりだというのに、誰かがわざと足を滑らせたみたいな線も混じる。園長先生が困った顔で立っていた。頬に、粉みたいな白いものがついている。
「今日は、室内の遠足にしようと思っていたんですけど、子どもたち、外の風を欲しがって」
「外に出よう。白の上を避けて、端っこを歩く練習をしよう。端っこは、端っこに誇りがある」
「誇り?」
「ほこり。誇り。どっちも大事」
園長先生が吹き出し、すぐに肩の力が抜けた。子どもたちに、端っこの歩き方を教える。線の外側に、ちょっとだけ足を出す。出して、引っ込める。体の中の重さが移動するのを、足裏で確かめる。そういうのは、教科書に書いていない。けれど、街では役に立つ。
横断歩道を渡ると、向こう側に清掃員のおじさんたちがいた。夜勤明けの顔は、いつもより白いけれど、目だけは元気だ。箒の先で、影の段差を探っている。
「さっき、駅の階段でやられました。紙がぬるぬるで」
「ぬるぬるは、乾くまで動かさないのが一番です」
「動かないのは、仕事じゃない」
「止まるのも、仕事です。止まると、見えます」
おじさんは箒を逆さに持って、地面を軽く叩いた。乾いていない場所の音は、わずかに鈍い。叩いたところに小さなチョークで丸を付ける。丸は優しい。優しい丸は、人の足裏に気づかせる。足裏がわかれば、転ばない。それだけで、今日の事故は少し減る。
『裏市場の連中、昼寝のふり。夜に動く。ステッカーを箱で運ぶ予定。運び役のひとり、見覚えある顔。街で働いてるはずの人』
「内部にいるんだ」
『うん』
ミカは嘘をつかない。だけど、名前は言わない。言えないのか、言わないのか。どっちでもいい。どっちでも、やることは同じだ。内部の人が混ざっているなら、こちらもいっそう混ざればいい。混ざり方の密度で負けると、街は簡単に崩れる。
トワは紙の端に、太い線で書いた。「お願いは、近くの人から」。遠くの誰かより、いま隣にいる人のお願いのほうが、早く効く。アキが保育所の手すりを拭き、園児たちと一緒に段差の歌を歌う。歌は簡単で、短くて、口に残る。「上がる前に、深呼吸。下りる前にも、深呼吸」。子どもが笑う。笑いは空へ上がる。上がった笑いが、駅前の鳩の群れをばらけさせる。鳩は空気の流れを教えてくれる。今日は北寄り。裏市場の箱は、どの路地を通るだろう。
◇
午後、広場の隅で、子ども記者団が黒板を囲んでいた。見出しを考える顔は、いつだって真剣で、おでこがすこし汗ばむ。ミカが回線を開け、街面に小さなコーナーを作ってくれている。監督官は、腕を組んだまま、きちんと見ている。きちんと見ながら、時々チョークを拾う。拾って、そっと子どもの手に戻す。その指先に少し白がつく。
「今日の題は?」
「疑心、ってむずかしい漢字!」
「じゃあ、ひらがなでいい。ひらがながいちばん強いときがある」
トワが黒板の上に「ぎしん」と書くと、子どもたちが一斉に「かわいい」と言った。かわいいは、正しい。かわいいものほど、誰かが守りたくなる。守りたくなる気持ちは、段取りを長持ちさせる。
「見出し案、出してみよう」
「ぬるぬる紙にご用心」
「楽なやつは、あとがつらい」
「手すりは手の中で丸く持つ」
「さっきの歌、のせようよ」
「のせよう」
見出しに、短い歌が混ざる。文字の列が、声の列になる。声の列は、列を整える。文字を声にすると、段取りは外に出る。外に出た段取りは、誰かの手に渡る。渡った手の温度で、また少し変わる。変わるから、長く続く。
『裏市場の箱、駅裏の倉庫に集まりつつある。夜に一気に配るつもり。混ざっているのは、街で働く人の格好。名前は借り物』
「行くの?」
「行くよ。でも、正面からは行かない」
アキが笑い、バッグの口を軽くたたく。「今日は、お願いの力を信じる」。アキの笑顔は、口元でちょっとだけ力が抜ける。さっき打った肘は、まだ痛いはずだ。袖口から出た腕の色が薄くなっている。痛みは、動くと温かくなる。冷やすより、流すほうがいいときもある。流すには、歌がいい。歌うと、体の中に道ができる。
夕方、駅前で「段取り歌」の小さな練習会が始まった。黒板に歌詞を貼り、誰でも来ていいやつ。照れた大人が遠巻きに立ち、子どもが先に声を出す。清掃員さんが箒でリズムをとる。パン屋の湯気が、歌に合わせて少し高くなる。独り暮らしのおばあさんが、ジャムのふたを開けて、パンの端っこに塗り始める。甘い匂いが広場に流れる。
「歌は、たのしい」
誰かが言い、みんながうなずく。うなずくと、喉の狭いところがひらく。ひらいた喉から、声が出る。声が出ると、疑いは少し遠くへ行く。遠くへ行っても、消えはしない。でも、近くにいる人の顔のほうが大きく見える。大きく見えているうちは、まだ大丈夫だ。
◇
夜、裏市場の倉庫に灯りがついた。派手な紙を箱に詰め、リヤカーに積もうとしている。ミカが小さな声で場所を知らせてくれる。正面からは行かない。駅前の広場で、歌と湯気と合図を重ねる。裏で箱が動くなら、表で人を引き止める。引き止めると言っても、捕まえるんじゃない。楽しいほうへ引き寄せる。楽と楽しいは、似ているけど、別物だ。
『配り役のひとり、こちらに向かっている。駅の制服を着ているけど、駅の人じゃない』
広場の端に、背筋のまっすぐな青年が現れた。帽子を浅くかぶり、顔に影を作っている。胸の札は、明らかに新しい。歩き方が、駅の人と違う。列の流れに合わせて歩けていない。流れに乗れない人は、仕事の流れにも乗れない。流れに乗れないまま、箱を押してくる。
「ステッカーいかがですか。貼るだけで、朝が戻ります」
その言葉に、黒板の前で歌っていた子が、ぴたりと止まった。トワは、歌のリズムを崩さないように、合図のベルを鳴らす。三つの音。音に合わせて、パン屋の湯気が上がる。保育所の目覚ましが鳴る。清掃員さんが箒を擦る。独り暮らしのおばあさんが瓶のふたを閉める。高校生が自転車を回す。新聞の窓に灯りがつく。音は、紙より先に届く。
「貼るだけだって」
アキが、その青年の前に立った。袖口から出た肘に白い包帯。青年の目が、そこに一瞬落ちる。痛みは、目を引く。痛みは、嘘を嫌う。
「うちの街は、貼るより混ざる派」
「混ざる、ですか」
「歌って、湯気を上げて、合図をして、ジャムを塗って、掃除して、笑う。貼るより面倒。でも、朝が来たときの顔が違う」
「効率が悪い」
「顔がいい」
青年は、笑うのか怒るのか、あいまいな顔をした。箱の中の紙を一枚取り出し、指で端をさわる。指にすぐ、べたっとした感触が残る。彼はその指先を見つめて、わずかに眉をひそめた。ひそめた眉は、迷っている。
『名前、借り物。けれど、その指先は本物の迷い』
ミカがそっと言う。ミカは嘘をつかない。核心を言わないことはある。でも、こういう小さな核心は、言ってくれる。
「もし、貼らないとどうなる?」
青年が問う。アキは間を置かない。
「貼らなくても、朝は来る。来させる。面倒だけど」
青年は、胸の札を外した。外した札は、思っていたより軽そうだった。軽いものほど、重そうに見えるときがある。彼は、帽子も取った。帽子の下の髪は、汗で額に貼りついている。額の汗は、嘘を流す。
「わかった。貼らない」
彼は箱を押し、裏の道へ戻っていった。戻った背中は、駅の人の背中とは違う。でも、街の人の背中に、少し似ていた。
『箱、半分。配られた紙、少し。広場で紙を受け取った人の数、歌に消された』
「消された、って言い方は、ちょっとこわいよ」
『じゃあ、歌に溶けた』
「それだ」
トワは笑い、胸の棘が少し溶けたのを感じた。歌の余韻の中で、アキがゆっくり肩を回す。打った肘はまだ痛い。でも、動くたびに、痛みは少しだけかたちを変える。かたちが変わる痛みは、持てる。
「内部にいたのは事実。今日、事故が増えたのも、事実。疑う気持ちは、しばらく街に残る。残るけど——」
「段取りは続く」
トワは言い、黒板の端に「続ける理由」と書いた。書いてから、ペン先を止める。言葉は、磨かないと滑る。滑る言葉は、人の手から落ちる。
「失わないために続ける。失ったときに、取り返すために続ける。取り返す方法を、誰かが忘れないように続ける。続ける声は、歌のほうがいい。歌は分けられる」
アキが頷き、ベルを鳴らす。合図の音は、広場の端まで届き、壁に当たって戻ってくる。戻ってきた音は、さっきよりやわらかい。
『今日の“いつも通り”の記録、まとめるね』
「最後に聞かせて」
『湯気が、機嫌を直した。駅の手すりの紙が、風船の重りになった。転びかけた子が、鈴を鳴らした。横断歩道の端っこが、誇りを持った。清掃員の箒が、乾いていない白を見つけた。段取り歌に、大人が小さく合いの手を入れた。裏の箱から、帽子が落ちた。疑う気持ちが、歌に混ざった。続ける理由が、黒板に書かれた』
「数字は?」
『言わない。今日は、顔で数える』
「顔で?」
『笑った口の数。ちょっとだけ笑った口の数。唇が動かなかったけど目が笑った数。ため息のあとに小さく頷いた数。——どれも、白い丸にできる』
白い丸。黒板に重ねた「おはよう」の文字の周りに、誰かが描いた丸が増えている。一つ増えるたびに、周りの空気が柔らかくなる。柔らかくなった空気は、人の肩を軽くする。
片付けの時間。パン屋のまな板を拭き、保育所の前で挨拶をし、駅の階段の隅に残った紙をまとめる。清掃員さんが笑いながら受け取る。独り暮らしのおばあさんが、空になった瓶を洗って窓に並べる。高校生が自転車のチェーンを点検する。新聞の窓の灯りがゆっくり落ちる。
「数えよう」
いつものように、二人で並ぶ。ハイタッチはしない。頷きの距離で立つ。
「湯気が時報になった」
「歌が段取りになった」
「疑う気持ちが、声の裏に置かれた」
「貼る紙が、風船の重りになった」
「鈴が、怖さの穴をふさいだ」
「端っこに、誇りが見つかった」
「痛みが、嘘を嫌った」
「箱から、帽子が落ちた」
「続ける理由が、黒板にのった」
「今日も、間に合った」
声に出して数えると、胸の棘がさらに丸くなる。丸はやさしい。やさしい丸は、明日の鍵になる。
『広場の匂い、昨日より少しだけパン寄り』
ミカが、おどけた声で言う。おどけた声は、珍しい。珍しいものは、目が覚める。覚めた目で、空を見上げる。雲は厚くない。星は隠れているけれど、空は高い。
「明日も、同じ時間に」
「また会うために」
帰り道、アキが空を見上げ、笑う。小さく、でも確かに。袖口の包帯が、街灯に透けて見える。痛みは、残っている。でも、歩く。段差の手前で一息。角を曲がる前に、目だけ先に曲がる。靴の裏で、地面のざらざらを確かめる。紙の端に、最後の一行を書き足す。
「疑うことは、やめない。信じることも、やめない」
どちらも、段取りだ。どちらも、街の「いつも通り」に必要だ。棘は、すぐ丸にはならない。ならないけれど、混ざると丸に近づく。丸が増えると、白が濃くなる。白が濃くなると、夜でも見える。見えるうちは、まだ大丈夫だ。明日も、歌って、湯気を上げて、合図をして、ジャムを塗って、掃除して、笑う。楽ではないけど、楽しいほうへ。少しだけ、お腹が空いた。パンの端っこが、今日いちばんのごちそうに思えた。
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