公爵家の四兄弟


「まあ、なんて素敵なドレスでしょう! このような華麗な着こなしもできるなんて、あなたって素晴らしいわ!」


 しばらくは不機嫌だったマルルだが、城内に入って女学校の学友にドレスを大いに褒められると、すっかりいつもの調子を取り戻した。

 称賛の声に鼻高々で、配られたグラスも早々に口をつける始末。少し離れたところから、フレッチェに勝ち誇った笑みまで向けてきた。


 打っても響かぬ義妹には、もはやため息しか出ない。フレッチェは配られたグラスを慎み深く手にしたまま、周囲に目を配った。

 いずれも名家の令嬢揃いだ。歓談に興じながらも、視線は空の壇上をちらちらと窺っている。公爵家の令息の登場が待ちきれない様子だ。

 香り高い葡萄酒と、娘たちの纏う香水が入り混じり、会場の空気は甘く揺らいでいた。


 やがて、ホールの奥に設えられた扉が、音もなく開いた。楽師たちの手が止まり、ざわめきも静まる。

 主催のロゼクォット公爵夫妻とともに姿を見せたのは、四人の息子たちだ。揃いの金の刺繍をあしらった正装に身を包んだ一家は、まるで絵画の中から抜け出したような風格を放つ。

 開宴の挨拶と乾杯の合図を公爵直々に取り仕切ると、優雅な調べが奏でられ、夜会はいよいよ幕を開けた。



 ※※※



 男爵家では決して口にできない贅を尽くしたご馳走に、フレッチェが静かに舌鼓を打っていると、隣に顔見知りの女性がやってきた。

 丸眼鏡が特徴的な、女学校一の才女―― バークレイ伯爵令嬢エラだ。


「ごきげんよう、フレッチェ。お会いするのは、あなたが学院を退いて以来だから……三年ぶりね」

「エラ様……! 在学中は、たいへんお世話になりました。お手紙も出せず、不義理をいたしまして申し訳ございません」

「お噂はかねがね」


 眼鏡越しの視線が、マルルのほうへ向く。

 エラも、母親同士が交流があるために、昔から彼女に振り回されてきた経験があった。フレッチェが在学中は、マルルのわがままに辟易すると、ひそかに目配せしあって、心を慰めたものだ。


「つつがなくお過ごしかしら……とは尋ねられないけれど、桃花蜜の名にふさわしい高潔さは変わっていなくて、安心したわ」

「もったいないお言葉です。今宵は、こうしてエラ様に再びお会いするために、導かれてきたのかもしれません」

「わたくしも、そう思うわ」


 エラは扇を口元に添えて、フレッチェの耳のそばに寄る。


「申し上げにくいけれど、このような玉石混交の中から、次期公爵夫人が生まれるだなんて、そんなおとぎ話を信じられる? どんなに惹かれあっても、お相手が公爵家のご子息様では、愛妾が関の山でしょう」

「お恥ずかしながら、我が妹は本気で信じているようです」


 マルルの視線は一心に、四兄弟へ向けられている。歓談の輪が乱れようと、これっぽっちも気にしていない。

 特に熱い視線を注ぐのは、積極的に交流して回る金髪の青年だ。それこそおとぎ話に描かれるような、整って美しい顔立ちをしている。甘やかな笑みに、目が肥えた令嬢たちの心も蕩けた。


「あちらはご嫡男のロウェル様。今年で二十五歳になるけれど、恋人は旅鞄ひとつ――と公言なさるお方で、浮いた噂ひとつないそうよ。旅先で築いた人脈をもとに海運会社を興して、今では若き実業家としても名を馳せているわ」


 ついでだから、とエラは四兄弟について順に教えてくれた。

 兄弟の中で最も体格のいい、赤銅色の髪をした青年に視線が向かう。


「次男レンジュ様は、王弟殿下率いる騎士団に所属していらっしゃって、騎士伯の爵位もお持ちよ。あちらの銀髪で少々鋭い眼差しをしたお方が、三男のラウル様。これといった功績はお持ちではなくて……学院が同卒だった兄の話では、変わり者だったとか」

「変わり者、ですか?」

「勉学に熱心で、あまり社交の場に出る方ではなかったそうよ。そうそう、勉学と言えば――」


 エラはフレッチェの肩を軽く叩き、視線を導いた。

 柔らかに波打つ金髪の少年が、まだあどけなさを残した笑顔で、挨拶を交わしている。少し緊張しているのか、時折り夫妻や兄たちの様子を窺う姿が初々しい。


「末のフィンリー様。成人はまだだけれど、飛び級でアカデミーにご入学されて、医学を学んでいらっしゃるそうよ。ふふ、笑顔が可愛らしい方ね」

「ご立派なご子息が揃っていらっしゃるのですね」


 男爵家ごときはますます出る幕でないと――、フレッチェは当初の目的通り、交流と夜会の雰囲気を楽しむことにした。

 門前で注目を浴びたこともあり、多数の令嬢が自ら挨拶に来てくれる場面もあった。そんな折――。


 長男ロウェルのもとへ、人波を押し退ける勢いで猛進していたマルルに、背後から近づく者があった。


「なんと素晴らしいお召し物だ」


 玲瓏な声に、周囲がかすかにどよめいた。コルセットでこれでもかと締め上げて主張させたマルルの胸も、大きく高鳴る。

 猫なで声で振り返ると、三男ラウルが足元に跪いていた。銀髪がさらりと頬にこぼれる。


「失礼、もう少し近くで拝見しても?」


 マルルが答えるより早く、彼の指先はドレスに縫い付けられた真珠のような飾りに伸びていた。

 青みがかった灰色の瞳で、つぶさに腰の辺りを眺められ、さすがのマルルもしおらしく黙り込む。

 ラウルは虹色に輝く装飾に恐る恐る触れて、滑らかな感触を噛み締めるように嘆息した。


「こんなに美しいものを、僕は見たことがない。ドレスに込められた想いが伝わってくるようだ。どちらで仕立てられたのですか?」


 フレッチェは悔しくて飛び出したくなるのを、ぐっとこらえて二人の様子を見守る。


「お褒めいただき、光栄ですわ。亡き父から、成人の祝いに贈られたもので、職人の名は存じ上げませんの。申し訳ございません」

「成人の祝いに……なお素晴らしい。お父上は、輝かしい巣立ち羽化を願い、このドレスを贈られたのでしょう。そうでなければ、装飾にこれをあしらう理由がない」


 彼の指先は、七色の光沢をうっとりとなぞる。


「天然の虹色蝶の繭だ」

「え? 繭……?」


 マルルの顔がひきつる。

 青年は構わず、淡々と――しかし高揚を宿した眼差しで続けた。


「七色に輝くはねを持つ蝶です。ご存じないでしょう。無理もありません、稀少ですから。繭ともなると、なお珍しい。この繭からは陽光を受けると七色に変わる繊維が紡げるが、繊細な技術が求められる非常に貴重な素材です。それを贅沢に繭ごとあしらうとは……」

「いやぁ! 虫のだなんて……気持ち悪い! 取って!」

「抜け殻ではありません、繭です」

「同じよ!」


 虫が嫌いなマルルは、途端に取り乱した。紅潮していた頬が、一瞬のうちに青ざめる。

 それは彼も同じだった。瞳からは熱が消え、冷ややかな影を落とす。


「この輝きの価値がわからぬとは。このドレスは、あなたにふさわしくないようだ」


 辛辣な一言に、周囲がどよめいた。

 マルルは再び真っ赤になり、言葉を失う。


「こら、ラウル! 失礼が過ぎるぞ」


 次男レンジュが間に入り、無骨な手で銀髪の頭を押し下げた。


「ご令嬢、弟が申し訳ないことをいたしました……ほら、お前も一緒に頭を下げるんだ!」

「……貴重な品を拝見できただけでも、興味もない夜会に顔を出した甲斐がありました。では、これにて失敬」

「ラウル!」


 彼はもうマルルに興味はないらしく、兄弟たちに後を任せて、テラスのほうへと去ってしまった。

 遠巻きに様子を眺めていたフレッチェは、胸の奥に、ほんの少しだけ涼やかな風が吹き抜けるのを感じた。

 彼の言葉が耳から離れない。

『このドレスは、あなたにふさわしくない』

 奪われた真紅のドレスを、取り戻してもらったような――そんな心地がした。もちろん、彼にそんな気がないのは毛頭承知だ。

 それでも、フレッチェの心を掬い上げるには十分だった。


 いつしか、フレッチェの足は自然とテラスへ向かっていた。


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