第7話 村人の反応
夕日が村を照らしている。
赤銅色の光が、破壊された建物の残骸に斜めに差し込み、長い影を地面に落としていた。土煙の名残がまだ空気に漂い、金属の焼けた匂いと、木材の粉塵が混じり合っている。
深く息を吸った。肺に冷たい空気が流れ込む。全身の筋肉が、ようやく緊張を解き始める。
戦いは終わった。
魔導暴走体は停止した。
村は――守られた。
コクピットから降りた足が、まだ震えている。地面が妙に柔らかく感じられた。土の質感が、足裏にじわりと伝わる。
抱きしめられたリオンの体温が、まだ背中に残っている。温かさと安堵が、じんわりと染み込んでいく。
「セリア」
村長の声が聞こえた。
ゆっくりと顔を上げる。
村長がこちらへ歩いてきている。老いた足取りだが、その歩みには確かな力があった。眼鏡の奥の瞳が、夕日を反射して赤く光る。
村人たちも集まってきた。
広場に、人々の輪ができる。子供たち、大人たち、老人たち。皆が黙って私を見つめている。
静寂。
風が吹く。
誰も、何も言わない。
心臓が、早鐘を打ち始めた。
怖い。
何を言われるだろう。怒られるだろうか。責められるだろうか。危険なものを作ったと――
「セリア」
村長が、もう一度名を呼んだ。
彼は立ち止まった。私の前に。
そして――
深く、頭を下げた。
「……よくやってくれた」
目が、見開かれる。
「お前が……」
村長の声が震える。眼鏡を外した。その目には涙が光っていた。
「お前が、村を救った」
その言葉が引き金になったように、村人たちが動き出した。
「ありがとう、セリア!」
若い男が叫んだ。
「助かった……本当に……!」
母親が子を抱きしめながら声を震わせる。
「あの機械、すごかったな!」
「魔法が効かなかったのに!」
「あれが噂の、遺跡の機械か……!」
歓声の中に、ふと混じる言葉が耳に残った。
「魔法が効かなかったのに」というその一言。
称賛なのに、どこか胸がざらつく。
魔法が効かない――つまり、私の作ったものは“魔法の外側”だ。
認められながら、同時に境界線を引かれている気がした。
その感覚が、少しだけ痛かった。
村人の一人が前に出てきた。中年の男性。普段は無口で、私に対して無関心だった人物だ。
「セリア」
彼の目が、真っ直ぐ私を見つめる。
「俺は……お前の機械に反対だった」
息を呑む。
「魔法じゃないもので戦うなんて、神への冒涜だと思っていた」
彼の拳が握られる。
「だが……」
彼は頭を下げた。
「間違っていた。お前のおかげで、俺の家族は生きている」
「ありがとう」
目に、涙が滲んだ。
次々と人々が感謝の言葉を口にする。
子供たちが駆け寄ってきた。
「セリア!」
少年が輝く目で見上げてくる。
「あれに乗ってたの!?」
「うん」
「かっこいい!」
少女が飛び跳ねる。
「セリアお姉ちゃん、すごい!」
「私も乗りたい!」
「ぼくも!」
子供たちの無邪気な笑顔。
その笑顔を見て、胸が熱くなった。
守れた。
守れたんだ。
この笑顔を。大切な人たちを。
「セリア」
リオンが横に来た。
彼はいつもの不敵な笑みを浮かべていたが、その目は少しだけ潤んでいた。
「お前……すげぇよ」
首を傾げる。
「さっきも言ったでしょ?」
「いや、そうじゃなくて」
リオンは空を見上げた。赤く染まる空。夕焼けの光が、彼の横顔を照らす。
「俺、ずっと見てた。お前が戦ってるの」
黙って聞いている。
「怖かった」
リオンの声が、わずかに震える。
「あんな化け物と戦って、お前が死ぬんじゃないかって」
彼は拳を握る。
「でも……すごかった」
リオンが私を見た。
「お前は……俺の自慢の幼馴染だ」
頬が熱くなる。
照れくささと、嬉しさと、何とも言えない感情が胸の中で渦巻く。
「……ありがとう、リオン」
二人は微笑み合った。
夕日の中で、二人の影が重なる。
子供の頃からの友人。幼馴染。いつも一緒だった、大切な存在。
その絆が、今日また一つ深くなった気がした。
◆
夕方の空気が、少しずつ冷たくなってきた。
診療所へ向かった。エリスに傷の手当てをしてもらうためだ。
実際には大した怪我はないが、エリスが心配するだろう。
診療所のドアを開ける。
木の擦れる音。内部から薬草の匂いが漂ってくる。ラベンダー、セージ、ミントの香り。柔らかな光が室内を満たしている。
「セリア!」
エリスが駆け寄ってきた。
白衣が翻る。金色の髪が揺れる。
「怪我は!? どこか痛い!?」
彼女の手が私の体に触れる。腕、肩、頭。確認するように。
温かい手。治療魔法師の手。
「大丈夫です」
笑顔で答えた。
「ちょっと揺れましたけど、怪我はありません」
エリスは深く息を吐いた。
胸に手を当てる。心臓が落ち着くのを待つように。
「良かった……本当に良かった……」
彼女は私を椅子に座らせた。
念のため、と言って体を調べる。魔法で内臓の状態を確認し、骨に異常がないか触診する。
プロの動き。確実で、丁寧で、優しい。
「問題ないわ」
エリスはようやく笑顔を見せた。
「本当に、無事だったのね」
彼女は椅子に座り、私と向かい合った。
しばらく沈黙。
「ねえ、セリア」
エリスが口を開いた。
「あなたの機械……すごかったわ」
顔を上げる。
「私たちの魔法じゃ、あの魔導暴走体を倒せなかった」
エリスの声が静かになる。
「魔法が、効かなかった」
彼女の拳が、わずかに震える。
「村で一番魔力の高いオズワルド神父でさえ、傷一つつけられなかった」
悔しさが滲む。
「私たちは……無力だった」
「でも……」
エリスは私を見つめた。緑の瞳が、真っ直ぐ私を捉える。
「あなたは違った」
「あなたの機械は、魔法が効かない敵を倒した」
「魔力が少ない女の子が、誰よりも強かった」
エリスは微笑んだ。
「あなたの機械にも……祈りに似た何かを感じたわ」
「祈り……?」
首を傾げる。
「ええ」
エリスは窓の外を見た。夕焼けに染まる村。
「魔法は、魔力と意志の結晶」
彼女の声が優しくなる。
「私たちは魔力を込めるとき、必ず『願い』を込める」
「治癒魔法なら『治りますように』と。攻撃魔法なら『守りたい』と」
彼女は私を見た。
「あなたの機械にも、同じものを感じた」
「誰かを救いたいという、祈り」
「誰かを守りたいという、願い」
目が潤む。
「あなたは魔力が少ないかもしれない」
エリスは私の手を取った。
「でも、その心は誰よりも強い」
「魔法も機械も、本質は同じなのかもしれないわね」
彼女は優しく微笑んだ。
「人の願いを、形にするための手段」
言葉が出なかった。
胸が熱い。涙が溢れそうになる。
「ありがとうございます……」
二人は静かに微笑み合った。
診療所の窓から、夕日が差し込む。赤い光が二人を包み、温かな空気が室内を満たす。
◆
夜。
村の酒場。
石造りの建物。入口のドアは厚い木でできていて、開けるときしむ音が響く。
中に入ると、酒と料理の匂いが鼻をつく。麦酒、焼いた肉、パンの香り。
村人たちが集まっている。
今日の戦いの話で持ちきりだ。
「あの機械、すごかったな」
「ああ、魔法が効かない敵を倒すなんて」
「セリアの奴、やるじゃねぇか」
笑い声。乾杯の音。
だが――
隅のテーブルで、二人の男が小声で話していた。
「だが……」
一人が呟いた。
「あんな危険なもの……」
もう一人が頷く。
「セリアは村を救った。それは事実だ」
彼の声が低くなる。
「でも、あの機械が暴走したら……」
二人は顔を見合わせる。
「魔導暴走体と同じになるんじゃないか」
「あんな強力な機械を、たった一人の少女が操っている」
「もし、何かの間違いで制御を失ったら……」
沈黙。
「教会は、どう思ってるんだろう」
不安が隠せないつぶやき。
「オズワルド神父は何も言ってない」
「だが……機械を使った戦いを、神が許すだろうか」
二人はグラスを傾ける。
麦酒の泡が唇に触れる。苦い味。
彼らの不安は、彼らだけのものではなかった。
村の中には、まだ私の機械を完全には信じていない者もいる。
恐怖と不安。それは簡単には消えない。
私は酒場の隅で、その会話を聞いていた。
聞こえてしまった。
胸が、重くなる。
そうだ。当然だ。
あれだけの力を持つ機械。制御を失えば、魔導暴走体と同じ脅威になる。
彼らの不安は、正しい。
「セリア」
リオンが横に来た。
彼も、会話を聞いていたようだ。
「気にすんな」
彼は麦酒を一口飲んだ。
「お前は村を救った。それが全てだ」
「でも……」
「不安な奴は、いつだっている」
リオンは肩をすくめた。
「お前がどんなに頑張っても、疑う奴は疑う」
彼は私を見た。
「だから、証明し続けるしかねぇんだよ」
「証明……」
「ああ。お前が正しいって。お前の機械が、みんなを守るものだって」
リオンは笑った。
「俺は信じてるぜ」
その言葉に、少しだけ救われた。
◆
翌日。
昼下がり。
村長の家に、数人の村人が集まっていた。
村の有力者たち。年長者たち。
私も呼ばれた。
「セリア」
村人の一人が口を開いた。
「君の機械について、話し合いたい」
村長は眼鏡を光らせながら頷いた。
「言いたいことは分かっている」
彼の声は静かだった。
「あの機械は危険だと、そう言いたいのだろう」
「はい、セリアには感謝しています。村を救ってくれた。ですが……」
彼は言葉を選ぶ。
「あれほどの力を持つ機械を、少女一人に任せていいのでしょうか」
「もし暴走したら……」
息を呑んだ。
やはり、そう言われる。
「村長」
声を絞り出した。
「私は……」
どう言えばいい? どう説明すれば、信じてもらえる?
「私は、ブラス・ウルフを暴走させません」
拳を握る。
「制御系統には、何重もの安全装置を組み込んでいます」
「魔導炉の暴走を防ぐリミッター。緊急時の強制停止機構。操縦者の意識が途絶えた時の自動シャットダウン」
技術的な説明を続ける。
「それに、ブラス・ウルフは私専用に調整されています」
「私以外の人間が乗っても、起動すらできません」
村人たちは黙って聞いている。
「でも……」
一人が口を開いた。
「それでも、絶対はないでしょう」
「機械は壊れる。安全装置も、完璧ではない」
正論だった。
反論できない。
確かに、絶対はない。どんなに対策しても、予想外のことは起こる。
「その通りです」
正直に答えた。
「絶対の安全は、保証できません」
「でも」
顔を上げる。
「魔法だって同じですよね」
村人たちが、顔を見合わせる。
「魔法だって、暴走する可能性があります」
「術者の意識が乱れれば、制御を失う」
「魔力が暴走すれば、周囲を破壊する」
「でも、だからといって魔法を禁止しますか?」
沈黙。
「違いますよね」
続けた。
「魔法は正しく使えば、人を救う力になる」
「私の機械も、同じです」
「正しく使えば、守る力になる」
村長が口を開いた。
「セリア」
彼は私を見つめる。
「お前は、その力を正しく使うと誓えるか」
「誓います」
即答した。
「私は、この力を人を傷つけるためには使いません」
「守るためだけに使います」
村長は長い沈黙の後、口を開いた。
「私は」
彼はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「セリアを信じる」
「彼女は優しい子だ。誰かを傷つけるために、あの機械を作ったのではない」
「守るために作ったのだ」
彼は眼鏡を外し、目を拭った。
「もちろん、用心は必要だ」
「だが、恐怖だけで判断してはならない」
村人たちは顔を見合わせた。
やがて、一人がゆっくりと頷いた。次に別の者が。そして全員が。
「……分かりました。セリアを、信じましょう」
「ありがとうございます」
頭を深く下げた。
会議は終わった。
村人たちは帰っていく。
村長は窓の外を見つめた。
「セリア」
「はい」
「お前の機械は、強い」
彼は私を見た。
「強すぎるほどに」
「だからこそ、気をつけなさい」
「力は、時に人を変える」
村長の言葉が、胸に重く響いた。
◆
夜。
ガランの工房。
工具を片付けていた。
ブラス・ウルフの修理は明日から始める予定だ。左肩の装甲が損傷している。右腕の駆動系も点検が必要だ。エーテルカッターの魔力供給系も調整しなければ。
工房のドアが開いた。
ガランが入ってくる。
「セリア」
「はい」
顔を上げた。
ガランは私の前に立った。
彼は長い間、私を見つめていた。
その目には、複雑な感情が渦巻いている。
「お前には……」
ガランがゆっくりと口を開いた。
「もっと大きな舞台が必要だ」
「大きな舞台……?」
首を傾げる。
「この村は小さい」
ガランは窓の外を見た。
「お前の技術を理解できる者は、ここにはいない」
彼は私を見た。
「王都に行け」
目が見開かれる。
「王都……?」
「ああ」
ガランは頷いた。
「そこには王立魔導学院がある」
「魔法と技術を学ぶ、最高の場所だ」
彼は腕を組む。
「お前の機械は、まだ未完成だ」
「もっと学ぶべきことがある。もっと改良できる」
彼の声に力がこもる。
「この村では限界がある」
「もっと資材が必要だ。もっと知識が必要だ」
「そして何より――」
ガランは私を真っ直ぐ見つめた。
「お前のような技術者が、もっと必要だ」
黙って聞いている。
「魔力至上主義のこの世界で」
ガランの拳が握られる。
「魔力の少ない者は、見下される」
「才能があっても、認められない」
彼の目に、かつての悔しさが滲む。
「だが、お前は証明した」
「魔力が少なくても、技術があれば戦えると」
「理屈があれば、魔法に勝てると」
ガランは私の肩に手を置いた。
「お前は、世界を変えられる」
その言葉が、胸に響いた。
「でも……」
言葉に詰まる。
「リオンも、エリス先生も、ガランさんも、みんなここにいます」
「だからこそだ」
ガランは優しく微笑んだ。
「お前が成長すれば、お前の大切な人たちも守れる」
「もっと強い敵が来るかもしれない」
「その時、今の力では足りないかもしれない」
唇を噛む。
「考えておけ」
ガランは背を向けた。
「すぐに答えを出す必要はない」
彼はドアの前で立ち止まった。
「だが」
振り返らずに言う。
「俺の代わりに、行ってくれ」
「俺ができなかったことを、お前がやってくれ」
ドアが閉まる。
工房に、静寂が戻った。
一人、暗い工房に立っている。
窓の外には月が昇り、銀色の光が地面を照らしている。
王都。
王立魔導学院。
大きな舞台。
胸が高鳴る。
恐怖もある。不安もある。
でも――
わくわくする。
新しい世界。新しい挑戦。新しい可能性。
「王都……か」
小さく呟いた。
月明かりが、横顔を照らしている。
遠くを見つめた。
まだ見ぬ世界へ。まだ知らぬ技術へ。
そして――
私と同じような、魔力の少ない誰かのために。
証明してみせる。
理屈は、誰にでも開かれた扉だと。
技術は、魔法に勝るとも劣らないと。
そして――魔力の有無など、才能の価値を決めるものではないと。
拳を、静かに握りしめた。
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