第6話 魔導暴走体、襲来

春の陽光が、村を優しく照らしていた。

あの操縦テストの成功から、三日が経った。

連日、地下工房で作業を続けていた。

操縦桿の感度調整、魔導流体筋肉の応答速度、バランス制御の精密化。

やるべきことは尽きない。

だが今日は、ガランが強制的に休息を命じた。

「三日三晩、ほとんど寝てないだろう。倒れる前に休め」

反論しようとした。

だが、鏡に映る自分の顔を見て諦めた。

目の下には隈。頬はこけている。

(このままじゃ、本当に倒れる)

だから今日は、久しぶりに外で過ごすことにした。

村の中央広場。

いつもと変わらぬ、平和。

子供たちが魔法ごっこをして遊んでいる。

「ファイアボール!」

少年が叫ぶ。手のひらから小さな炎の球。

「シールド!」

少女が両手を前に。淡い光の障壁。

炎の球が当たって消える。

「やった! 防いだ!」

笑い声。

平和な、何気ない日常。

古い樫の木の下のベンチ。

リオンと並んで座る。

木漏れ日が二人の上に落ちる。

風がそよぐたび、光の斑点が揺れる。

温かな空気が、頬を撫でた。

「最近、すげぇ楽しそうだな」

リオンが横目で私を見た。

その表情は穏やかで、嫉妬の色はない。

ただ純粋に、友人の幸せを喜んでいる。

(ずるい。こんな顔されたら――)

「うん」

素直に頷く。

「もうすぐ完成する。本当に、ちゃんと動くようになる」

「完成したら、見せてくれよ」

「もちろん。リオンには真っ先に見せる。約束」

「楽しみにしてるぜ」

二人で笑い合う。

風が吹く。桜の花びらが舞う。

春の終わりを告げる、柔らかな風。

エリスが診療所から出てくる。手を振る。

「お昼ご飯、食べた?」

「まだです」

「じゃあ、一緒に食べましょう。今日はリンゴのパイを焼いたの。セリア、あなた好きでしょう?」

「やった!」

リオンが飛び上がる。

立ち上がろうとした。

――だが。

その時。

最初は、遠くからの地鳴りだった。

かすかな振動が地面を伝わってくる。

子供たちが遊びを止める。きょろきょろと辺りを見回す。

「地震?」

足元を見た。

小石が、小刻みに跳ねている。

(これは……地震じゃない)

心臓が早鐘を打ち始める。

地鳴りは遠ざかるどころか、明らかに近づいてくる。

そして――別の音が混じり始めた。

金属の、異様な駆動音。

何千もの歯車が同時に軋むような、不協和音。

「何……?」

立ち上がる。

音の方向を見る。村の入口。森の向こう。

リオンも、エリスも、広場にいた村人たち全員が、同じ方向を見つめた。

地鳴りが強くなる。

駆動音が大きくなる。

木々が揺れる。

鳥たちが一斉に飛び立ち、空へと逃げていく。

そして――

森の木立が倒れた。

まるで巨人が薙ぎ払ったかのように、何本もの木が根元から折れ、地面に倒れ込む。

土煙が上がる。

呼吸が止まる。

その向こうから――

それは、現れた。

「――な、何だ、あれは……!」

村人の一人が、恐怖に震える声で叫んだ。

巨大な影。

全高12m。

ブラス・ウルフより3m近く大きい。

四本の脚で大地を踏みしめ、ゆっくりと、だが確実に村へと近づいてくる。

一歩ごとに地面が揺れる。

その足跡には深い窪みが残る。

四足獣型の機械。

全身は黒ずんだ金属で覆われている。

長い年月による腐食と風化の痕。

だが、それでもなお機能しているという事実が、かえって不気味さを増している。

装甲の随所から、無数のドリルと刃が突き出ている。

背部には四つの巨大な回転ノコギリ。

それぞれが人の背丈ほどもあり、ゆっくりと回転しながら金属音を発している。

全身に、鳥肌が立った。

頭部――いや、それを頭部と呼ぶべきかは定かでないが――前面には赤く光る単眼があった。

機械的な眼。

感情のない、冷たい光。

そして、その単眼が――村を、捉えた。

機械が咆哮した。

金属板が共振するような、耳を劈く音。

空気が震える。地面が振動する。

思わず耳を塞いだ。

「魔導暴走体だ!」

ガランの声が響いた。

彼はどこからか駆けつけ、広場の中央で叫んでいる。

「みんな、避難しろ! 教会へ逃げろ!」

その言葉で、村人たちは我に返った。

悲鳴。

走る足音。

子供の泣き声。

母親が子を抱え、老人が杖をつきながら走る。

若い男たちが老人を支え、必死に逃げる。

「落ち着いて! 押さないで!」

エリスが叫びながら、子供たちを誘導する。

「順番に! 教会に入って!」

だが、パニックは止まらない。

人々は押し合い、転び、泣き叫ぶ。

その場に立ち尽くしていた。

目の前の光景が、現実のものとは思えなかった。

魔導暴走体。

古代文明が作り出し、制御を失った機械兵器。

それが、本当に目の前にいる。

魔導暴走体は、村の入口にあった木造の門を破壊した。

四本の脚が一斉に地面を蹴る。

巨体が信じられない速度で突進する。

門が粉々に砕ける。

木片が飛び散る。

土煙が上がる。

木の焼ける匂い。

いや、違う。

金属が何かを削る、焦げた匂い。

魔導暴走体が、村の中に侵入した。

「みんな、下がって!」

エリスが前に出た。

彼女は両手を前に突き出し、全身の魔力を集中させる。

治療魔法師である彼女だが、攻撃魔法も使える。

「雷撃よ、敵を貫け――ライトニングボルト!」

詠唱と共に、青白い雷が放たれた。

光。

轟音。

煙。

だが、巨体は止まらない。

雷撃を受けても、速度を落とさない。

まるで蚊に刺された程度の反応もなく、そのまま村の奥へと進んでくる。

エリスの顔が、蒼白になった。

「効いてない……!?」

その時、村の魔法師たちが集まってきた。

神父オズワルドを含む、五人の魔法師。

彼らは村で最も魔力の高い者たちだ。

「一斉に攻撃する!」

オズワルドが指示を出す。

五人が一斉に詠唱を始める。

「炎よ、敵を焼き尽くせ――ファイアボール!」

「氷よ、敵を凍らせよ――アイスランス!」

「風よ、敵を切り裂け――エアカッター!」

五つの魔法が、同時に魔導暴走体へと放たれる。

炎。

氷。

風。

だが――

何も、変わらなかった。

魔導暴走体の装甲には、傷一つつかない。

炎は弾かれ、氷は砕け、風は流れる。

オズワルドの顔から、血の気が引いた。

「馬鹿な……我々の魔法が、効かないだと……?」

ガランが叫んだ。

「対魔法装甲だ! 霊素を反発する特殊合金で覆われている!」

「魔法は効かない! 物理的に破壊するしかない!」

その言葉に、魔法師たちが凍りついた。

この世界では、魔法こそが最強の力だ。

どんな敵も、魔法で倒せる。

それが、常識だった。

だが、目の前の敵は――

魔法が、通じない。

魔力至上主義の世界において、それは絶望を意味する。

魔導暴走体は、容赦なく村を破壊し始めた。

背部の回転ノコギリが民家に接触する。

高周波の金属音が空気を引き裂く。

木材が瞬時に切断される。

屋根が崩れ落ちる。

家の中から悲鳴が上がる。

ドリルが地面を掘り返し、井戸を破壊する。

水が噴き出す。

地面が泥沼と化す。

足元が、ぬかるむ。

四本の脚が家屋を踏み潰す。

壁が砕ける。

梁が折れる。

人々の生活が瞬時に破壊されていく。

「やめろ!」

「俺たちの家を!」

村人たちが叫ぶが、何もできない。

魔法は効かない。

武器も通じない。

ただ、逃げるしかない。

子供たちが泣き叫ぶ。

母親たちが必死に子を抱きしめる。

老人たちが震えながら祈る。

その光景を見ていた。

震える手。

早鐘を打つ心臓。

浅くなる呼吸。

怖い。

恐ろしい。

(あんな巨大な機械に、私たちは何もできないのか――)

違う。

脳裏に、あの姿が浮かんだ。

真鍮色の装甲。

青白く光る胸部結晶。

9mを超える巨体。

ブラス・ウルフ。

地下工房に、ある。

操縦システムも完成した。

動かせる。

魔法ではなく、純粋な物理力で動く機構。

油圧システム、機械式関節、実体剣――

対魔法装甲?

関係ない。

ブラス・ウルフの剣は、魔法じゃない。

純粋な金属の刃だ。

エーテルカッターは魔力を纏うが、芯は物理的な実体剣。

切断するのは、刃そのものの鋭さと、機体の出力による物理的な力。

魔法が効かない相手にこそ――

(でも)

心の奥で、別の声が囁く。

(本当に勝てるの?)

(あんな巨大な相手に)

(私みたいな、魔力も才能もない子供が)

手が震える。

(怖い)

(死にたくない)

(痛いのは嫌だ)

みんななら、どうするだろう。

エリス先生は、迷わず前に出る。

リオンは、誰かを守るために動く。

私だけが、理屈を探して足を止めている。

それが、悔しかった。

その時――

高周波の金属音が響いた。

また一軒、家が崩れた。

誰かの、悲鳴。

――そして。

小さな影が、瓦礫の下から這い出てきた。

子供だ。

五歳くらいの、小さな女の子。

泥にまみれ、泣きながら走っている。

魔導暴走体の、真正面に。

「あっ……」

声が出ない。

魔導暴走体の巨大な脚が、振り上げられる。

女の子は、それに気づいていない。

ただ、泣きながら走っている。

母親を探して。

脚が、振り下ろされる。

――叩き潰される。

「やめろぉぉぉぉぉっ!!」

誰かが叫んだ。

それは、私の声だった。

気づいたら、走っていた。

全力で。

魔導暴走体に向かって。

「セリア!?」

リオンの声が背後で響く。

だが、止まらない。

女の子に向かって。

脚が、振り下ろされる。

間に合わない――!

体が、勝手に動いた。

女の子を抱きかかえ、横に飛ぶ。

脚が地面に激突。鈍い衝撃音。

衝撃で体が跳ねる。

土煙が舞う。

小石が頬を打つ。

痛い。

だが――

女の子は、無事だ。

腕の中で、泣いている。

生きている。

「……よかった」

息が荒い。

心臓が、胸を突き破りそうなほど激しく打っている。

女の子を地面に下ろす。

「走って。お母さんのところに」

女の子は泣きながら走っていった。

立ち上がる。

目の前に――

魔導暴走体が、いた。

赤い単眼が、私を見下ろしている。

冷たく、機械的な視線。

(ああ……終わった)

そう思った。

次の瞬間、この巨大な脚が私を――

――でも。

その時。

視界の端に、村が映った。

崩れた家。

泣き叫ぶ人々。

逃げ惑う子供たち。

ガランの工房も、壊されるだろう。

リオンの家も。

エリスの診療所も。

全部、破壊される。

そして――

ブラス・ウルフも。

あの、地下に眠る鉄の狼も。

三十年の夢が。

ガランの技術が。

私の希望が。

全部、壊される。

――嫌だ。

絶対に、嫌だ。

何かが、切れた。

理性が、吹き飛んだ。

恐怖が、怒りに変わった。

「ふざけるな……!」

声が、喉の奥から絞り出される。

「ふざけるなよ……!」

拳を握りしめる。

爪が、掌に食い込む。

「私の村を……!」

「私の大切な人たちを……!」

「勝手に壊すんじゃねぇぇぇぇっ!!」

叫んでいた。

理屈も何もない。

ただ、怒りだけが体を支配していた。

(壊してやる)

(あいつを、叩き潰してやる)

(理屈も計算もクソ喰らえだ)

(ぶっ壊す)

走り出していた。

魔導暴走体に背を向けて。

鉱山へ。

地下工房へ。

ブラス・ウルフのもとへ。

「セリア!?」

リオンの声が響く。

エリスが叫ぶ。

「危ない! 戻って!」

だが、もう聞いていなかった。

背後で、魔導暴走体の破壊音が響く。

金属が軋む音。

木材が砕ける音。

人々の悲鳴。

(待ってろ……!)

(今、行く!)

(ぶっ潰してやる!)

全力で駆けた。

心臓が胸の中で暴れている。

肺が悲鳴を上げる。

足が震える。

だが、止まらない。

止まれない。

このままでは――

村が、滅ぶ。

大切な人たちが、死ぬ。

リオンが。

エリスが。

ガランが。

みんなが――

「絶対に……!」

鉱山の入口に到着。

ロープを掴み、地下空洞へと降りる。

手のひらが痛い。

擦れて皮が剥ける。

血が滲む。

だが、構わない。

着地。

地下工房に、ブラス・ウルフが佇んでいた。

青白く光る胸部結晶。

真鍮色の装甲。

9mを超える巨体。

「……行くよ」

胸部装甲を開いた。

コクピットへ乗り込む。

狭い空間。

金属の壁に囲まれた、孤独な戦場。

座席に座る。

操縦桿を握る。

(怖い)

(本当は、怖い)

(死にたくない)

でも――

(それでも)

魔導炉の接続端子に手を当てた。

魔力を注入。

「ブラス・ウルフ――起動!」

魔導炉が低く唸った。

胸部の結晶が、強く輝く。

青白い光が全身に走る。

機体の隅々まで魔力が行き渡る。

魔導流体筋肉が蠢く。

油圧シリンダーが圧力を得る。

関節が、わずかに軋む。

センサーが、目覚める。

視界に、外部の景色が投影される。

地下工房の天井、壁、床。

全てが、頭部センサーを通じて見えている。

周囲の状況。

機体の状態。

魔力残量。

全ての情報が、意識に流れ込む。

――起動、完了。

ブラス・ウルフの双眸が、青く輝いた。

操縦桿をゆっくりと前に倒す。

右足が前に出る。

次に左足。

ブラス・ウルフが、歩き始めた。

地下空洞から、坑道を通り、地上へ。

重い足音が石壁に反響する。

一歩。

また一歩。

着実に、前進する。

そして――

ブラス・ウルフは、地上に姿を現した。

「――な、何だ!?」

村人の一人が叫んだ。

鉱山の方から、巨大な人型が現れる。

全高9m超。

真鍮色の装甲。

双耳状のアンテナ。

青白く光る胸部結晶。

「あれは……!」

「遺跡の、機械……!」

「セリアが……動かしたのか……!?」

村人たちが、驚愕と共に見つめる。

リオンは、拳を握りしめた。

「行けよ、セリア……!」

エリスは、祈るように両手を組んだ。

「どうか、無事で……」

ガランは、目を細めて呟いた。

「……やりやがった」

そして、もう一言。

「頼んだぞ、セリア」

コクピットの中で魔導暴走体を見つめていた。

視界に映る、黒い巨体。

四本の脚。

無数のドリルと刃。

赤い単眼。

そして、圧倒的な質量。

「……大きい」

冷静に分析する。

全高12m。

ブラス・ウルフより3m近く高い。

重量も、おそらく1.5倍以上。

リーチも長い。

パワーもある。

スペック上は、完全に不利だ。

(勝てない)

(理屈で考えれば、勝てるわけがない)

手が震える。

(逃げたい)

(誰か、助けて)

でも――

視界の端に、村が映る。

崩れた家。

泣き叫ぶ人々。

(逃げたら、みんな死ぬ)

(私が逃げたら、終わりだ)

操縦桿を握り直した。

震えを、抑える。

呼吸を、整える。

(怖い)

(でも――)

前世の記憶が蘇る。

高専のロボット研究会。

競技用ロボットの設計。

対戦の戦術。

「相手が大きいなら、機動力で勝つ」

「相手が重いなら、バランスを崩す」

「相手が強いなら――弱点を突く」

理屈で考える。

理屈で動く。

それが――私の戦い方。

魔導暴走体へと向かって歩を進めた。

重い足音が規則的に響く。

一歩。

また一歩。

距離が縮まる。

魔導暴走体も、ブラス・ウルフに気づいた。

赤い単眼が、こちらを向く。

そして――

金属の咆哮が響いた。

魔導暴走体が、突進してきた。

四本の脚が地面を蹴る。

猛烈な速度で接近してくる。

思っていたよりも速い。

巨体からは想像できない機動力だ。

息が詰まる。

「速い……!」

反射的に操縦桿を右に倒した。

ブラス・ウルフが横に跳ぶ。

魔導暴走体が、ブラス・ウルフが立っていた場所を通過する。

地面が抉れる。

巨大な足跡が残る。

土煙が上がる。

風圧が、コクピットを揺らした。

「避けた……!」

だが、安堵している暇はない。

魔導暴走体が急停止し、方向転換する。

再び、こちらを向く。

今度は――

ドリルが回転を始めた。

無数のドリルが高速回転し、金属音を響かせながら接近してくる。

空気を削る音が耳を劈く。

心臓が跳ね上がる。

「まずい……!」

後退しようとした。

操縦桿を引く。

ブラス・ウルフが後ろに下がる。

だが――

魔導暴走体の方が速い。

ドリルが、ブラス・ウルフの左肩に接触した。

装甲が削られる。金属が悲鳴を上げる。

火花。

金属音。

衝撃。

装甲が削られる。

焦げた金属の匂いがコクピット内に流れ込む。

酸っぱい、吐き気を催す匂い。

衝撃がコクピットに伝わる。

座席で揺さぶられる。

頭が横に振られる。

視界が揺れる。

「っ……!」

痛みはない。

だが、衝撃で頭が揺れる。

歯を食いしばり、操縦桿を強く引いた。

ブラス・ウルフが大きく後方へ跳躍する。

距離を取る。

左肩の装甲を確認する。

視界の端に投影される機体状態表示。

《左肩装甲――損傷30%》

「装甲が……削られた……」

だが、致命傷ではない。

内部の駆動系には影響ない。

まだ、戦える。

「落ち着け……」

自分に言い聞かせた。

「相手の攻撃パターンを読む。分析する。弱点を見つける」

視界に映る魔導暴走体を、冷静に観察する。

四本の脚。

関節部分は、やや細い。

装甲が薄くなっている。

背部の回転ノコギリ。

重量がある。

機体のバランスを後方に偏らせている。

頭部の単眼。

センサーだ。

視覚情報を得ている。

あれを破壊すれば――

「狙いは決まった」

決断した。

右腕を上げる。

コクピット内の武装展開レバーを引く。

右腕から、刃が展開される。

エーテルカッター。

刃が展開される鋭い音。

青白い魔力の刃が、ブレードを覆う。

刃の長さは約3m。

魔力で形成された切断フィールドが、物理的な刃を延長している。

光が、視界を照らした。

これなら、リーチの差を補える。

「行く……!」

操縦桿を前に倒した。

ブラス・ウルフが、走った。

大地を蹴る。

加速する。

魔導暴走体も突進してくる。

正面衝突のコース。

だが、計画がある。

距離が詰まる。

10m。

5m。

衝突まで、あと3m――

「今!」

操縦桿を鋭く左に倒した。

ブラス・ウルフが急激に左へ。

土を蹴り、体を捻り、魔導暴走体の突進を紙一重で回避する。

そして――

すれ違いざまに――

右腕を横薙ぎに振る。

刃が空気を切る鋭い音。

青白い刃が、魔導暴走体の右前脚の関節部を切り裂いた。

金属音。

断裂音。

魔導暴走体の右前脚が、膝から下が切断される。

切断された部分が地面に落ちる。

バランスを崩した魔導暴走体が前のめりに倒れる。

三本脚では巨体を支えきれない。

巨体が地面を打つ重い音。

巨体が地面に激突。

土煙が舞い上がる。

「やった……!」

叫んだ。

だが――

「まだだ……」

魔導暴走体は、まだ動いていた。

残った三本の脚で体を起こし、背部の回転ノコギリをこちらに向ける。

そして――

回転ノコギリが、射出された。

「え!?」

予想外の攻撃。

巨大な円盤が、空中を飛んでくる。

回転しながら。

高速で。

空気を切り裂く高音が迫る。

回避不能――!

咄嗟に、左腕を前に突き出した。

「エーテルシールド展開!」

左腕の装甲から、青白い魔力の障壁が広がる。

回転ノコギリが、シールドに激突した。

金属が削られ続ける音。

衝撃。

火花。

金属が削られる音。

シールドが持ちこたえる。

だが、魔力消費が激しい。

計器盤の魔力残量が、見る見る減っていく。

《魔力残量:92%》

《魔力残量:85%》

《魔力残量:77%》

「もたない……!」

回転ノコギリが弾かれ、地面に落ちる。

衝撃音。

シールドが消える。

《魔力残量:60%》

「まずい……このペースだと……」

だが、考えている暇はなかった。

魔導暴走体が再び突進してくる。

三本脚でも、速度は落ちていない。

「しつこい……!」

操縦桿を倒す。

回避。

魔導暴走体が通過する。

だが、今度は尾部のドリルが伸びてきた。

鞭のように、しなやかに。

ドリルが、ブラス・ウルフの右足に巻きつく。

「っ!?」

引っ張られる。

バランスが崩れる。

転倒――!

重い衝撃音。

ブラス・ウルフが地面に倒れた。

衝撃。

視界が揺れる。

頭を打つ。

「くっ……!」

起き上がろうとする。

だが、ドリルが邪魔をする。

魔導暴走体が、倒れたブラス・ウルフに迫る。

残りの前脚を振り上げる。

叩き潰すつもりだ。

「まずい……!」

操縦桿を必死に操作する。

右腕のエーテルカッターを振り上げ、ドリルを切断した。

刃が展開される鋭い音。

拘束が解ける。

横に転がる。

ブラス・ウルフが地面を転がる。

魔導暴走体の脚が、さっきまでいた場所に叩きつけられる。

重い衝撃音。

地面が砕ける。

もし避けられなかったら――

背筋に冷たいものが走る。

「セリア……!」

リオンの声が、遠くから聞こえた。

村人たちが、息を呑んで見つめている。

ブラス・ウルフは倒れている。

魔導暴走体は、まだ元気だ。

絶望的な状況。

でも――

(まだ)

(まだ、終わってない)

操縦桿を握り直す。

ブラス・ウルフが立ち上がる。

泥にまみれた装甲。

削られた左肩。

だが、まだ動く。

《魔力残量:60%》

《駆動系:正常》

《武装:使用可能》

冷静に状況を確認する。

「まだ、戦える」

魔導暴走体を見つめた。

三本脚。

切断された右前脚。

回転ノコギリを一つ失っている。

こちらも傷ついたが、向こうも無傷ではない。

「弱点は……関節部。そして、頭部の単眼」

分析は済んでいる。

あとは、実行するだけ。

(でも――)

(本当に、勝てるの?)

(もう一回転んだら、終わりだ)

(死ぬかもしれない)

手が震える。

(怖い)

(逃げたい)

その時――

視界の端に、村人たちの姿が映った。

みんな、こちらを見ている。

祈るように。

リオンも。

エリスも。

ガランも。

みんな、私を信じている。

(……ああ、もう)

(やるしかないじゃん)

深呼吸。

吸う。

吐く。

震えが、止まった。

「もう一度……!」

操縦桿を前に倒す。

ブラス・ウルフが、再び走る。

魔導暴走体も迎え撃つ。

二つの巨体が、激突する。

エーテルカッターを振るう。

刃が展開される鋭い音。

魔導暴走体がドリルで迎撃する。

金属が削られる音。

火花が散る。

金属が軋む。

力比べ。

だが、向こうの方が重い。

押し負ける――!

「くっ……!」

だが、諦めない。

ペダルを踏み込む。

ブラス・ウルフの脚部が、最大出力を発揮する。

駆動系が唸りを上げる。

油圧システムが唸りを上げる。

魔導流体筋肉が収縮する。

「押し返す……!」

力を込める。

ブラス・ウルフが、一歩前に出た。

魔導暴走体が、わずかに後退する。

「いける……!」

さらに力を込める。

だが、その瞬間――

魔導暴走体の尾部ドリルが、横から襲ってきた。

「しまった……!」

回避不能。

金属が削られる音。

ドリルが、ブラス・ウルフの右脇腹に突き刺さる。

装甲が削られる。

内部の配線が露出する。

電気火花が散る。

火花が散る。

警告音が鳴り響く。

《警告:右腕駆動系――損傷40%》

「っ……!」

痛みはない。

だが、右腕の動きが鈍くなる。

エーテルカッターが消える。

《武装:使用不能》

「まずい……!」

だが、まだある。

左腕がある。

脚がある。

「武器がなくても……!」

左腕を振り上げる。

拳を握りしめる。

そして――

魔導暴走体の頭部に向かって、全力で殴りつけた。

重い衝撃音。

ブラス・ウルフの鉄拳が、赤い単眼を砕いた。

破砕音。

ガラスが割れる音。

火花。

煙。

魔導暴走体が、動きを止めた。

視覚を失ったのだ。

「今だ……!」

チャンスは、今しかない。

ブラス・ウルフが、魔導暴走体の懐に入り込む。

そして――

両腕で、魔導暴走体の左前脚を掴んだ。

「うああああああ!」

叫びながら、全身の力を込める。

ゴゴ駆動系が唸りを上げる。

油圧システムが限界まで圧を上げる。

魔導流体筋肉が極限まで収縮する。

魔導炉が唸りを上げる。

全ての出力を、この一瞬に注ぎ込む。

そして――

金属が断裂する音。

左前脚が、根元から引き千切れた。

金属が断裂する音。

配線が切れる音。

魔導暴走体が、二本脚になった。

バランスを保てない。

巨体が、崩れ落ちる。

大地を揺らす衝撃音。

地面に激突。

大地が揺れる。

コクピットの中で、荒い呼吸を繰り返していた。

肺が焼けるように痛い。

心臓が爆発しそうなほど速く打っている。

手が震えて、操縦桿を握り続けるのがやっと。

視界に映る、倒れた魔導暴走体。

もう、動かない。

二本脚を失い、視覚を失い、横たわっている。

まだ微かに駆動音が聞こえるが、戦闘能力はない。

「終わった……」

力が抜ける。

操縦桿から手が離れる。

《魔力残量:25%》

ギリギリだった。

全身が震える。

汗が止まらない。

吐き気がする。

(気持ち悪い)

(吐きそう)

でも――

「勝った……」

小さく笑った。

「私、勝ったんだ……」

涙が、溢れてきた。

止められなかった。

恐怖と、安堵と、疲労が、一気に押し寄せてきた。

「よかった……」

呟いた。

「本当に……よかった……」

ブラス・ウルフが、ゆっくりと立ち上がる。

泥にまみれた装甲。

削られた左肩。

損傷した右腕。

満身創痍。

だが、立っている。

村人たちの前に、立っている。

魔導暴走体は、地面に倒れている。

沈黙が、広場を包んだ。

鼓動の音だけが、世界のすべてだった。

誰も、何も言わない。

ただ、見つめている。

そして――

誰かが、叫んだ。

「勝った……!」

「セリアが、勝ったぞ!」

歓声が上がった。

村人たちが、喜びに沸き立つ。

子供たちが飛び跳ね、大人たちが抱き合い、老人たちが涙を流す。

リオンが、拳を突き上げた。

「やったぜ、セリア……!」

エリスが、両手で口を覆いながら泣いていた。

「よかった……本当によかった……」

ガランは、静かに笑っていた。

「やりやがった……本当に、やりやがった……」

コクピットの中で、その光景を見ていた。

視界に映る、村人たちの笑顔。

守れた。

村を。

大切な人たちを。

涙が、溢れてきた。

止められなかった。

嬉しさと、安堵と、疲労が、一気に押し寄せてきた。

「よかった……」

呟いた。

「本当に……よかった……」

ブラス・ウルフが、静かに膝をついた。

魔力が、尽きた。

システムが、緊急停止する。

視界が、暗くなる。

だが、それでいい。

戦いは、終わったのだから。

意識が、遠のいていく。

最後に聞こえたのは――

村人たちの、歓声だった。

――そして。

暗闇の中で、私は思った。

(怖かった)

(本当に、怖かった)

(理屈も計算も、全部吹き飛んだ)

(ただ、怒りと恐怖だけで動いてた)

(でも)

(それでも、勝てた――)

意識が、途切れる。

物語は、ここから始まる。

魔法と機械が出会う物語。

理屈で夢を追う少女の物語。

そして――

鉄の狼が、世界に名を刻む物語。

その第一歩が、今、踏み出された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る