第6話 魔導暴走体、襲来
春の陽光が、村を優しく照らしていた。
あの操縦テストの成功から、三日が経った。
連日、地下工房で作業を続けていた。
操縦桿の感度調整、魔導流体筋肉の応答速度、バランス制御の精密化。
やるべきことは尽きない。
だが今日は、ガランが強制的に休息を命じた。
「三日三晩、ほとんど寝てないだろう。倒れる前に休め」
反論しようとした。
だが、鏡に映る自分の顔を見て諦めた。
目の下には隈。頬はこけている。
(このままじゃ、本当に倒れる)
だから今日は、久しぶりに外で過ごすことにした。
◆
村の中央広場。
いつもと変わらぬ、平和。
子供たちが魔法ごっこをして遊んでいる。
「ファイアボール!」
少年が叫ぶ。手のひらから小さな炎の球。
「シールド!」
少女が両手を前に。淡い光の障壁。
炎の球が当たって消える。
「やった! 防いだ!」
笑い声。
平和な、何気ない日常。
古い樫の木の下のベンチ。
リオンと並んで座る。
木漏れ日が二人の上に落ちる。
風がそよぐたび、光の斑点が揺れる。
温かな空気が、頬を撫でた。
「最近、すげぇ楽しそうだな」
リオンが横目で私を見た。
その表情は穏やかで、嫉妬の色はない。
ただ純粋に、友人の幸せを喜んでいる。
(ずるい。こんな顔されたら――)
「うん」
素直に頷く。
「もうすぐ完成する。本当に、ちゃんと動くようになる」
「完成したら、見せてくれよ」
「もちろん。リオンには真っ先に見せる。約束」
「楽しみにしてるぜ」
二人で笑い合う。
風が吹く。桜の花びらが舞う。
春の終わりを告げる、柔らかな風。
エリスが診療所から出てくる。手を振る。
「お昼ご飯、食べた?」
「まだです」
「じゃあ、一緒に食べましょう。今日はリンゴのパイを焼いたの。セリア、あなた好きでしょう?」
「やった!」
リオンが飛び上がる。
立ち上がろうとした。
――だが。
その時。
◆
最初は、遠くからの地鳴りだった。
かすかな振動が地面を伝わってくる。
子供たちが遊びを止める。きょろきょろと辺りを見回す。
「地震?」
足元を見た。
小石が、小刻みに跳ねている。
(これは……地震じゃない)
心臓が早鐘を打ち始める。
地鳴りは遠ざかるどころか、明らかに近づいてくる。
そして――別の音が混じり始めた。
金属の、異様な駆動音。
何千もの歯車が同時に軋むような、不協和音。
「何……?」
立ち上がる。
音の方向を見る。村の入口。森の向こう。
リオンも、エリスも、広場にいた村人たち全員が、同じ方向を見つめた。
地鳴りが強くなる。
駆動音が大きくなる。
木々が揺れる。
鳥たちが一斉に飛び立ち、空へと逃げていく。
そして――
森の木立が倒れた。
まるで巨人が薙ぎ払ったかのように、何本もの木が根元から折れ、地面に倒れ込む。
土煙が上がる。
呼吸が止まる。
その向こうから――
それは、現れた。
◆
「――な、何だ、あれは……!」
村人の一人が、恐怖に震える声で叫んだ。
巨大な影。
全高12m。
ブラス・ウルフより3m近く大きい。
四本の脚で大地を踏みしめ、ゆっくりと、だが確実に村へと近づいてくる。
一歩ごとに地面が揺れる。
その足跡には深い窪みが残る。
四足獣型の機械。
全身は黒ずんだ金属で覆われている。
長い年月による腐食と風化の痕。
だが、それでもなお機能しているという事実が、かえって不気味さを増している。
装甲の随所から、無数のドリルと刃が突き出ている。
背部には四つの巨大な回転ノコギリ。
それぞれが人の背丈ほどもあり、ゆっくりと回転しながら金属音を発している。
全身に、鳥肌が立った。
頭部――いや、それを頭部と呼ぶべきかは定かでないが――前面には赤く光る単眼があった。
機械的な眼。
感情のない、冷たい光。
そして、その単眼が――村を、捉えた。
機械が咆哮した。
金属板が共振するような、耳を劈く音。
空気が震える。地面が振動する。
思わず耳を塞いだ。
「魔導暴走体だ!」
ガランの声が響いた。
彼はどこからか駆けつけ、広場の中央で叫んでいる。
「みんな、避難しろ! 教会へ逃げろ!」
その言葉で、村人たちは我に返った。
悲鳴。
走る足音。
子供の泣き声。
母親が子を抱え、老人が杖をつきながら走る。
若い男たちが老人を支え、必死に逃げる。
「落ち着いて! 押さないで!」
エリスが叫びながら、子供たちを誘導する。
「順番に! 教会に入って!」
だが、パニックは止まらない。
人々は押し合い、転び、泣き叫ぶ。
その場に立ち尽くしていた。
目の前の光景が、現実のものとは思えなかった。
魔導暴走体。
古代文明が作り出し、制御を失った機械兵器。
それが、本当に目の前にいる。
◆
魔導暴走体は、村の入口にあった木造の門を破壊した。
四本の脚が一斉に地面を蹴る。
巨体が信じられない速度で突進する。
門が粉々に砕ける。
木片が飛び散る。
土煙が上がる。
木の焼ける匂い。
いや、違う。
金属が何かを削る、焦げた匂い。
魔導暴走体が、村の中に侵入した。
「みんな、下がって!」
エリスが前に出た。
彼女は両手を前に突き出し、全身の魔力を集中させる。
治療魔法師である彼女だが、攻撃魔法も使える。
「雷撃よ、敵を貫け――ライトニングボルト!」
詠唱と共に、青白い雷が放たれた。
光。
轟音。
煙。
だが、巨体は止まらない。
雷撃を受けても、速度を落とさない。
まるで蚊に刺された程度の反応もなく、そのまま村の奥へと進んでくる。
エリスの顔が、蒼白になった。
「効いてない……!?」
その時、村の魔法師たちが集まってきた。
神父オズワルドを含む、五人の魔法師。
彼らは村で最も魔力の高い者たちだ。
「一斉に攻撃する!」
オズワルドが指示を出す。
五人が一斉に詠唱を始める。
「炎よ、敵を焼き尽くせ――ファイアボール!」
「氷よ、敵を凍らせよ――アイスランス!」
「風よ、敵を切り裂け――エアカッター!」
五つの魔法が、同時に魔導暴走体へと放たれる。
炎。
氷。
風。
だが――
何も、変わらなかった。
魔導暴走体の装甲には、傷一つつかない。
炎は弾かれ、氷は砕け、風は流れる。
オズワルドの顔から、血の気が引いた。
「馬鹿な……我々の魔法が、効かないだと……?」
ガランが叫んだ。
「対魔法装甲だ! 霊素を反発する特殊合金で覆われている!」
「魔法は効かない! 物理的に破壊するしかない!」
その言葉に、魔法師たちが凍りついた。
この世界では、魔法こそが最強の力だ。
どんな敵も、魔法で倒せる。
それが、常識だった。
だが、目の前の敵は――
魔法が、通じない。
魔力至上主義の世界において、それは絶望を意味する。
◆
魔導暴走体は、容赦なく村を破壊し始めた。
背部の回転ノコギリが民家に接触する。
高周波の金属音が空気を引き裂く。
木材が瞬時に切断される。
屋根が崩れ落ちる。
家の中から悲鳴が上がる。
ドリルが地面を掘り返し、井戸を破壊する。
水が噴き出す。
地面が泥沼と化す。
足元が、ぬかるむ。
四本の脚が家屋を踏み潰す。
壁が砕ける。
梁が折れる。
人々の生活が瞬時に破壊されていく。
「やめろ!」
「俺たちの家を!」
村人たちが叫ぶが、何もできない。
魔法は効かない。
武器も通じない。
ただ、逃げるしかない。
子供たちが泣き叫ぶ。
母親たちが必死に子を抱きしめる。
老人たちが震えながら祈る。
その光景を見ていた。
震える手。
早鐘を打つ心臓。
浅くなる呼吸。
怖い。
恐ろしい。
(あんな巨大な機械に、私たちは何もできないのか――)
違う。
脳裏に、あの姿が浮かんだ。
真鍮色の装甲。
青白く光る胸部結晶。
9mを超える巨体。
ブラス・ウルフ。
地下工房に、ある。
操縦システムも完成した。
動かせる。
魔法ではなく、純粋な物理力で動く機構。
油圧システム、機械式関節、実体剣――
対魔法装甲?
関係ない。
ブラス・ウルフの剣は、魔法じゃない。
純粋な金属の刃だ。
エーテルカッターは魔力を纏うが、芯は物理的な実体剣。
切断するのは、刃そのものの鋭さと、機体の出力による物理的な力。
魔法が効かない相手にこそ――
(でも)
心の奥で、別の声が囁く。
(本当に勝てるの?)
(あんな巨大な相手に)
(私みたいな、魔力も才能もない子供が)
手が震える。
(怖い)
(死にたくない)
(痛いのは嫌だ)
みんななら、どうするだろう。
エリス先生は、迷わず前に出る。
リオンは、誰かを守るために動く。
私だけが、理屈を探して足を止めている。
それが、悔しかった。
その時――
高周波の金属音が響いた。
また一軒、家が崩れた。
誰かの、悲鳴。
――そして。
小さな影が、瓦礫の下から這い出てきた。
子供だ。
五歳くらいの、小さな女の子。
泥にまみれ、泣きながら走っている。
魔導暴走体の、真正面に。
「あっ……」
声が出ない。
魔導暴走体の巨大な脚が、振り上げられる。
女の子は、それに気づいていない。
ただ、泣きながら走っている。
母親を探して。
脚が、振り下ろされる。
――叩き潰される。
「やめろぉぉぉぉぉっ!!」
誰かが叫んだ。
それは、私の声だった。
◆
気づいたら、走っていた。
全力で。
魔導暴走体に向かって。
「セリア!?」
リオンの声が背後で響く。
だが、止まらない。
女の子に向かって。
脚が、振り下ろされる。
間に合わない――!
体が、勝手に動いた。
女の子を抱きかかえ、横に飛ぶ。
脚が地面に激突。鈍い衝撃音。
衝撃で体が跳ねる。
土煙が舞う。
小石が頬を打つ。
痛い。
だが――
女の子は、無事だ。
腕の中で、泣いている。
生きている。
「……よかった」
息が荒い。
心臓が、胸を突き破りそうなほど激しく打っている。
女の子を地面に下ろす。
「走って。お母さんのところに」
女の子は泣きながら走っていった。
立ち上がる。
目の前に――
魔導暴走体が、いた。
赤い単眼が、私を見下ろしている。
冷たく、機械的な視線。
(ああ……終わった)
そう思った。
次の瞬間、この巨大な脚が私を――
――でも。
その時。
視界の端に、村が映った。
崩れた家。
泣き叫ぶ人々。
逃げ惑う子供たち。
ガランの工房も、壊されるだろう。
リオンの家も。
エリスの診療所も。
全部、破壊される。
そして――
ブラス・ウルフも。
あの、地下に眠る鉄の狼も。
三十年の夢が。
ガランの技術が。
私の希望が。
全部、壊される。
――嫌だ。
絶対に、嫌だ。
◆
何かが、切れた。
理性が、吹き飛んだ。
恐怖が、怒りに変わった。
「ふざけるな……!」
声が、喉の奥から絞り出される。
「ふざけるなよ……!」
拳を握りしめる。
爪が、掌に食い込む。
「私の村を……!」
「私の大切な人たちを……!」
「勝手に壊すんじゃねぇぇぇぇっ!!」
叫んでいた。
理屈も何もない。
ただ、怒りだけが体を支配していた。
(壊してやる)
(あいつを、叩き潰してやる)
(理屈も計算もクソ喰らえだ)
(ぶっ壊す)
走り出していた。
魔導暴走体に背を向けて。
鉱山へ。
地下工房へ。
ブラス・ウルフのもとへ。
「セリア!?」
リオンの声が響く。
エリスが叫ぶ。
「危ない! 戻って!」
だが、もう聞いていなかった。
背後で、魔導暴走体の破壊音が響く。
金属が軋む音。
木材が砕ける音。
人々の悲鳴。
(待ってろ……!)
(今、行く!)
(ぶっ潰してやる!)
全力で駆けた。
心臓が胸の中で暴れている。
肺が悲鳴を上げる。
足が震える。
だが、止まらない。
止まれない。
このままでは――
村が、滅ぶ。
大切な人たちが、死ぬ。
リオンが。
エリスが。
ガランが。
みんなが――
「絶対に……!」
鉱山の入口に到着。
ロープを掴み、地下空洞へと降りる。
手のひらが痛い。
擦れて皮が剥ける。
血が滲む。
だが、構わない。
着地。
地下工房に、ブラス・ウルフが佇んでいた。
青白く光る胸部結晶。
真鍮色の装甲。
9mを超える巨体。
「……行くよ」
胸部装甲を開いた。
コクピットへ乗り込む。
狭い空間。
金属の壁に囲まれた、孤独な戦場。
座席に座る。
操縦桿を握る。
(怖い)
(本当は、怖い)
(死にたくない)
でも――
(それでも)
魔導炉の接続端子に手を当てた。
魔力を注入。
「ブラス・ウルフ――起動!」
◆
魔導炉が低く唸った。
胸部の結晶が、強く輝く。
青白い光が全身に走る。
機体の隅々まで魔力が行き渡る。
魔導流体筋肉が蠢く。
油圧シリンダーが圧力を得る。
関節が、わずかに軋む。
センサーが、目覚める。
視界に、外部の景色が投影される。
地下工房の天井、壁、床。
全てが、頭部センサーを通じて見えている。
周囲の状況。
機体の状態。
魔力残量。
全ての情報が、意識に流れ込む。
――起動、完了。
ブラス・ウルフの双眸が、青く輝いた。
操縦桿をゆっくりと前に倒す。
右足が前に出る。
次に左足。
ブラス・ウルフが、歩き始めた。
地下空洞から、坑道を通り、地上へ。
重い足音が石壁に反響する。
一歩。
また一歩。
着実に、前進する。
そして――
ブラス・ウルフは、地上に姿を現した。
◆
「――な、何だ!?」
村人の一人が叫んだ。
鉱山の方から、巨大な人型が現れる。
全高9m超。
真鍮色の装甲。
双耳状のアンテナ。
青白く光る胸部結晶。
「あれは……!」
「遺跡の、機械……!」
「セリアが……動かしたのか……!?」
村人たちが、驚愕と共に見つめる。
リオンは、拳を握りしめた。
「行けよ、セリア……!」
エリスは、祈るように両手を組んだ。
「どうか、無事で……」
ガランは、目を細めて呟いた。
「……やりやがった」
そして、もう一言。
「頼んだぞ、セリア」
◆
コクピットの中で魔導暴走体を見つめていた。
視界に映る、黒い巨体。
四本の脚。
無数のドリルと刃。
赤い単眼。
そして、圧倒的な質量。
「……大きい」
冷静に分析する。
全高12m。
ブラス・ウルフより3m近く高い。
重量も、おそらく1.5倍以上。
リーチも長い。
パワーもある。
スペック上は、完全に不利だ。
(勝てない)
(理屈で考えれば、勝てるわけがない)
手が震える。
(逃げたい)
(誰か、助けて)
でも――
視界の端に、村が映る。
崩れた家。
泣き叫ぶ人々。
(逃げたら、みんな死ぬ)
(私が逃げたら、終わりだ)
操縦桿を握り直した。
震えを、抑える。
呼吸を、整える。
(怖い)
(でも――)
前世の記憶が蘇る。
高専のロボット研究会。
競技用ロボットの設計。
対戦の戦術。
「相手が大きいなら、機動力で勝つ」
「相手が重いなら、バランスを崩す」
「相手が強いなら――弱点を突く」
理屈で考える。
理屈で動く。
それが――私の戦い方。
魔導暴走体へと向かって歩を進めた。
重い足音が規則的に響く。
一歩。
また一歩。
距離が縮まる。
魔導暴走体も、ブラス・ウルフに気づいた。
赤い単眼が、こちらを向く。
そして――
金属の咆哮が響いた。
魔導暴走体が、突進してきた。
四本の脚が地面を蹴る。
猛烈な速度で接近してくる。
思っていたよりも速い。
巨体からは想像できない機動力だ。
息が詰まる。
「速い……!」
反射的に操縦桿を右に倒した。
ブラス・ウルフが横に跳ぶ。
魔導暴走体が、ブラス・ウルフが立っていた場所を通過する。
地面が抉れる。
巨大な足跡が残る。
土煙が上がる。
風圧が、コクピットを揺らした。
「避けた……!」
だが、安堵している暇はない。
魔導暴走体が急停止し、方向転換する。
再び、こちらを向く。
今度は――
ドリルが回転を始めた。
無数のドリルが高速回転し、金属音を響かせながら接近してくる。
空気を削る音が耳を劈く。
心臓が跳ね上がる。
「まずい……!」
後退しようとした。
操縦桿を引く。
ブラス・ウルフが後ろに下がる。
だが――
魔導暴走体の方が速い。
ドリルが、ブラス・ウルフの左肩に接触した。
装甲が削られる。金属が悲鳴を上げる。
火花。
金属音。
衝撃。
装甲が削られる。
焦げた金属の匂いがコクピット内に流れ込む。
酸っぱい、吐き気を催す匂い。
衝撃がコクピットに伝わる。
座席で揺さぶられる。
頭が横に振られる。
視界が揺れる。
「っ……!」
痛みはない。
だが、衝撃で頭が揺れる。
歯を食いしばり、操縦桿を強く引いた。
ブラス・ウルフが大きく後方へ跳躍する。
距離を取る。
左肩の装甲を確認する。
視界の端に投影される機体状態表示。
《左肩装甲――損傷30%》
「装甲が……削られた……」
だが、致命傷ではない。
内部の駆動系には影響ない。
まだ、戦える。
「落ち着け……」
自分に言い聞かせた。
「相手の攻撃パターンを読む。分析する。弱点を見つける」
視界に映る魔導暴走体を、冷静に観察する。
四本の脚。
関節部分は、やや細い。
装甲が薄くなっている。
背部の回転ノコギリ。
重量がある。
機体のバランスを後方に偏らせている。
頭部の単眼。
センサーだ。
視覚情報を得ている。
あれを破壊すれば――
「狙いは決まった」
決断した。
右腕を上げる。
コクピット内の武装展開レバーを引く。
右腕から、刃が展開される。
エーテルカッター。
刃が展開される鋭い音。
青白い魔力の刃が、ブレードを覆う。
刃の長さは約3m。
魔力で形成された切断フィールドが、物理的な刃を延長している。
光が、視界を照らした。
これなら、リーチの差を補える。
「行く……!」
操縦桿を前に倒した。
ブラス・ウルフが、走った。
大地を蹴る。
加速する。
魔導暴走体も突進してくる。
正面衝突のコース。
だが、計画がある。
距離が詰まる。
10m。
5m。
衝突まで、あと3m――
「今!」
操縦桿を鋭く左に倒した。
ブラス・ウルフが急激に左へ。
土を蹴り、体を捻り、魔導暴走体の突進を紙一重で回避する。
そして――
すれ違いざまに――
右腕を横薙ぎに振る。
刃が空気を切る鋭い音。
青白い刃が、魔導暴走体の右前脚の関節部を切り裂いた。
金属音。
断裂音。
魔導暴走体の右前脚が、膝から下が切断される。
切断された部分が地面に落ちる。
バランスを崩した魔導暴走体が前のめりに倒れる。
三本脚では巨体を支えきれない。
巨体が地面を打つ重い音。
巨体が地面に激突。
土煙が舞い上がる。
「やった……!」
叫んだ。
だが――
「まだだ……」
魔導暴走体は、まだ動いていた。
残った三本の脚で体を起こし、背部の回転ノコギリをこちらに向ける。
そして――
回転ノコギリが、射出された。
「え!?」
予想外の攻撃。
巨大な円盤が、空中を飛んでくる。
回転しながら。
高速で。
空気を切り裂く高音が迫る。
回避不能――!
咄嗟に、左腕を前に突き出した。
「エーテルシールド展開!」
左腕の装甲から、青白い魔力の障壁が広がる。
回転ノコギリが、シールドに激突した。
金属が削られ続ける音。
衝撃。
火花。
金属が削られる音。
シールドが持ちこたえる。
だが、魔力消費が激しい。
計器盤の魔力残量が、見る見る減っていく。
《魔力残量:92%》
《魔力残量:85%》
《魔力残量:77%》
「もたない……!」
回転ノコギリが弾かれ、地面に落ちる。
衝撃音。
シールドが消える。
《魔力残量:60%》
「まずい……このペースだと……」
だが、考えている暇はなかった。
魔導暴走体が再び突進してくる。
三本脚でも、速度は落ちていない。
「しつこい……!」
操縦桿を倒す。
回避。
魔導暴走体が通過する。
だが、今度は尾部のドリルが伸びてきた。
鞭のように、しなやかに。
ドリルが、ブラス・ウルフの右足に巻きつく。
「っ!?」
引っ張られる。
バランスが崩れる。
転倒――!
重い衝撃音。
ブラス・ウルフが地面に倒れた。
衝撃。
視界が揺れる。
頭を打つ。
「くっ……!」
起き上がろうとする。
だが、ドリルが邪魔をする。
魔導暴走体が、倒れたブラス・ウルフに迫る。
残りの前脚を振り上げる。
叩き潰すつもりだ。
「まずい……!」
操縦桿を必死に操作する。
右腕のエーテルカッターを振り上げ、ドリルを切断した。
刃が展開される鋭い音。
拘束が解ける。
横に転がる。
ブラス・ウルフが地面を転がる。
魔導暴走体の脚が、さっきまでいた場所に叩きつけられる。
重い衝撃音。
地面が砕ける。
もし避けられなかったら――
背筋に冷たいものが走る。
◆
「セリア……!」
リオンの声が、遠くから聞こえた。
村人たちが、息を呑んで見つめている。
ブラス・ウルフは倒れている。
魔導暴走体は、まだ元気だ。
絶望的な状況。
でも――
(まだ)
(まだ、終わってない)
操縦桿を握り直す。
ブラス・ウルフが立ち上がる。
泥にまみれた装甲。
削られた左肩。
だが、まだ動く。
《魔力残量:60%》
《駆動系:正常》
《武装:使用可能》
冷静に状況を確認する。
「まだ、戦える」
魔導暴走体を見つめた。
三本脚。
切断された右前脚。
回転ノコギリを一つ失っている。
こちらも傷ついたが、向こうも無傷ではない。
「弱点は……関節部。そして、頭部の単眼」
分析は済んでいる。
あとは、実行するだけ。
(でも――)
(本当に、勝てるの?)
(もう一回転んだら、終わりだ)
(死ぬかもしれない)
手が震える。
(怖い)
(逃げたい)
その時――
視界の端に、村人たちの姿が映った。
みんな、こちらを見ている。
祈るように。
リオンも。
エリスも。
ガランも。
みんな、私を信じている。
(……ああ、もう)
(やるしかないじゃん)
深呼吸。
吸う。
吐く。
震えが、止まった。
「もう一度……!」
操縦桿を前に倒す。
ブラス・ウルフが、再び走る。
魔導暴走体も迎え撃つ。
二つの巨体が、激突する。
◆
エーテルカッターを振るう。
刃が展開される鋭い音。
魔導暴走体がドリルで迎撃する。
金属が削られる音。
火花が散る。
金属が軋む。
力比べ。
だが、向こうの方が重い。
押し負ける――!
「くっ……!」
だが、諦めない。
ペダルを踏み込む。
ブラス・ウルフの脚部が、最大出力を発揮する。
駆動系が唸りを上げる。
油圧システムが唸りを上げる。
魔導流体筋肉が収縮する。
「押し返す……!」
力を込める。
ブラス・ウルフが、一歩前に出た。
魔導暴走体が、わずかに後退する。
「いける……!」
さらに力を込める。
だが、その瞬間――
魔導暴走体の尾部ドリルが、横から襲ってきた。
「しまった……!」
回避不能。
金属が削られる音。
ドリルが、ブラス・ウルフの右脇腹に突き刺さる。
装甲が削られる。
内部の配線が露出する。
電気火花が散る。
火花が散る。
警告音が鳴り響く。
《警告:右腕駆動系――損傷40%》
「っ……!」
痛みはない。
だが、右腕の動きが鈍くなる。
エーテルカッターが消える。
《武装:使用不能》
「まずい……!」
だが、まだある。
左腕がある。
脚がある。
「武器がなくても……!」
左腕を振り上げる。
拳を握りしめる。
そして――
魔導暴走体の頭部に向かって、全力で殴りつけた。
重い衝撃音。
ブラス・ウルフの鉄拳が、赤い単眼を砕いた。
破砕音。
ガラスが割れる音。
火花。
煙。
魔導暴走体が、動きを止めた。
視覚を失ったのだ。
「今だ……!」
チャンスは、今しかない。
ブラス・ウルフが、魔導暴走体の懐に入り込む。
そして――
両腕で、魔導暴走体の左前脚を掴んだ。
「うああああああ!」
叫びながら、全身の力を込める。
ゴゴ駆動系が唸りを上げる。
油圧システムが限界まで圧を上げる。
魔導流体筋肉が極限まで収縮する。
魔導炉が唸りを上げる。
全ての出力を、この一瞬に注ぎ込む。
そして――
金属が断裂する音。
左前脚が、根元から引き千切れた。
金属が断裂する音。
配線が切れる音。
魔導暴走体が、二本脚になった。
バランスを保てない。
巨体が、崩れ落ちる。
大地を揺らす衝撃音。
地面に激突。
大地が揺れる。
◆
コクピットの中で、荒い呼吸を繰り返していた。
肺が焼けるように痛い。
心臓が爆発しそうなほど速く打っている。
手が震えて、操縦桿を握り続けるのがやっと。
視界に映る、倒れた魔導暴走体。
もう、動かない。
二本脚を失い、視覚を失い、横たわっている。
まだ微かに駆動音が聞こえるが、戦闘能力はない。
「終わった……」
力が抜ける。
操縦桿から手が離れる。
《魔力残量:25%》
ギリギリだった。
全身が震える。
汗が止まらない。
吐き気がする。
(気持ち悪い)
(吐きそう)
でも――
「勝った……」
小さく笑った。
「私、勝ったんだ……」
涙が、溢れてきた。
止められなかった。
恐怖と、安堵と、疲労が、一気に押し寄せてきた。
「よかった……」
呟いた。
「本当に……よかった……」
◆
ブラス・ウルフが、ゆっくりと立ち上がる。
泥にまみれた装甲。
削られた左肩。
損傷した右腕。
満身創痍。
だが、立っている。
村人たちの前に、立っている。
魔導暴走体は、地面に倒れている。
沈黙が、広場を包んだ。
鼓動の音だけが、世界のすべてだった。
誰も、何も言わない。
ただ、見つめている。
そして――
誰かが、叫んだ。
「勝った……!」
「セリアが、勝ったぞ!」
歓声が上がった。
村人たちが、喜びに沸き立つ。
子供たちが飛び跳ね、大人たちが抱き合い、老人たちが涙を流す。
リオンが、拳を突き上げた。
「やったぜ、セリア……!」
エリスが、両手で口を覆いながら泣いていた。
「よかった……本当によかった……」
ガランは、静かに笑っていた。
「やりやがった……本当に、やりやがった……」
◆
コクピットの中で、その光景を見ていた。
視界に映る、村人たちの笑顔。
守れた。
村を。
大切な人たちを。
涙が、溢れてきた。
止められなかった。
嬉しさと、安堵と、疲労が、一気に押し寄せてきた。
「よかった……」
呟いた。
「本当に……よかった……」
ブラス・ウルフが、静かに膝をついた。
魔力が、尽きた。
システムが、緊急停止する。
視界が、暗くなる。
だが、それでいい。
戦いは、終わったのだから。
意識が、遠のいていく。
最後に聞こえたのは――
村人たちの、歓声だった。
――そして。
暗闇の中で、私は思った。
(怖かった)
(本当に、怖かった)
(理屈も計算も、全部吹き飛んだ)
(ただ、怒りと恐怖だけで動いてた)
(でも)
(それでも、勝てた――)
意識が、途切れる。
物語は、ここから始まる。
魔法と機械が出会う物語。
理屈で夢を追う少女の物語。
そして――
鉄の狼が、世界に名を刻む物語。
その第一歩が、今、踏み出された。
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