第2話 鉄の狼、眠る
警鐘が鳴った。
図書館の静寂を引き裂く、鋭い音。
私は本を閉じ、外へ飛び出した。
石畳の広場。
人が走る。叫ぶ。
全員、鉱山の方を見ていた。
「どうしたの!?」
「落盤だ!」
心臓が、止まる。
リオン――
思考より早く体が動いた。
私は走っていた。
◆
鉱山の入口。
人だかり。
埃の匂い。
煙のような空気。
「リオンは!?」
村長が振り返った。白髪、眼鏡の奥の目が暗い。
「……中だ」
目の前の闇が膨らむ。
私は拳を握った。
怖い。でも行くしかない。
救助隊が動いていた。
魔法師たちが岩を砕き、浮かせ、動かす。
だが進まない。
岩が多すぎる。
誰かの声が震えていた。
「二次崩落の危険がある!」
(そんなの、関係ない)
私は走り出した。
誰かが止める声。
もう遅い。
闇の中に飛び込む。
◆
坑道は冷たかった。
水の滴る音。
魔導灯の光が点滅している。
影が脈打つように動く。
足が滑る。
岩に手をつく。
掌に血が滲む。
それでも進む。
「リオン!」
声が跳ね返る。
返事はない。
もう一度叫ぶ。
喉が痛い。
息が荒い。
それでも止まらない。
奥で光が揺れた。
地鳴り――
耳をつんざく音。
世界が崩れる。
床が抜ける。
視界、回転。
――落下。
◆
痛み。
それが最初の感覚だった。
全身が軋む。
息ができる。
生きている。
魔導灯はまだ光っていた。
青白い光。
周囲が照らされる。
見たことのない空間だった。
壁は滑らか。
床は石ではなく、何かの構造体。
人工物。
そして――
光の中に、影があった。
巨大な人型。
金属の装甲――継ぎ目、見えない。
狼の耳――アンテナか、センサーか。
胸部の結晶、拳大。
脈動周期、約1.2秒。
駆動方式、不明。
魔法陣、見当たらない。
(これは……魔法じゃない)
指先が触れる。
冷たい。でも――
かすかな振動。0.8Hz。
心拍に近い。
(生きてる?)
機械。
それは眠っていた。
何百年も、誰にも見つからずに。
私は前に進んだ。
足が震える。
でも、止まれなかった。
触れた。
冷たい金属。
指先に、かすかな鼓動。
まるで生きているようだった。
胸の結晶が、わずかに明滅した。
心臓が跳ねた。
「セリア……」
背後から声。
振り向くと、リオン・ブレイが倒れていた――汗と土で顔を汚しながら、それでも笑おうとしている。
「リオン!」
駆け寄る。
腕に擦り傷、息はある。
生きている。
息が、漏れた。
「お前、何で来たんだよ……」
「……心配だったから」
「馬鹿だな」
「うん」
二人で笑った。
でもその笑いは、少し震えていた。
リオンが周囲を見回す。
「ここ、どこだ?」
「遺跡……たぶん、古代の」
彼の視線が、鉄の狼を捉えた。
その瞬間、息を呑む音がした。
「うわ、なんだよこれ……」
「魔導機装。古代の兵器」
「動くのか?」
「分からない。でも……生きてる気がする」
私の言葉に、リオンは笑った。
「また変なこと言ってる」
「うん。でも、見て。心臓みたいに光ってる」
青白い光が、二人の顔を照らしていた。
静かな空間。
遠くで水が滴る音だけがする。
まるで、時が止まったようだった。
◆
救助隊の声がした。
「誰かいるか!」
リオンと一緒に叫ぶ。
ロープが降りてきた。
地上の光が遠くに見える。
私は振り返った。
鉄の狼は、まだ膝をついたまま、眠っていた。
だがその胸は、確かに光っていた。
(待っててね。必ず、また来る)
◆
地上に戻ると、村人たちが駆け寄ってきた。
息が白く散る。足元に埃。
「無事か!」
「怪我は!」
声が重なる。
村長、エリス――顔が並ぶ。
「大丈夫。かすり傷だけ」
そう答えると、エリスが抱きしめてきた。
白いローブが土で汚れる。
「心配したのよ……」
「ごめんなさい、先生」
リオンは笑っていた。
「俺は丈夫ですから」
村長が頷く。
だが周囲の空気が変わった。
「……下に何があった?」
誰かの声が震える。
村人たちの目が、同じ方向を見ていた。
私は短く息を吐く。
「古い遺跡がありました。――人の形をした、大きな機械です」
ざわめき。
「機械……」
「呪われたものかもしれん……」
老人が震えながら呟く。
不安が広がる。
音のない波のように。
村長は低い声で言った。
「当分、立入は禁止だ。二次災害を防ぐ」
私は頷いた。
「……分かりました」
それ以上、言えなかった。
けれど、胸の奥ではもう決まっていた。
――絶対に、また行く。
――あれは遺物じゃない。
――理屈で動くものだ。
振り返ると、鉱山の上に月があった。
光が灰のように薄く落ちていた。
地下には、鉄の狼が眠っている。
胸の結晶はまだ光っていた。
生きている。
(待っててね)
◆
夜。
体は重いのに、眠れなかった。
灯を消しても、あの姿が頭から離れない。
真鍮の装甲、関節の構造、青白い心臓。
目を閉じても、脳裏に残る。
机の上にノート。
鉛筆を取る。
線を引く。
頭部、双耳状アンテナ、胸の結晶、脚の関節。
紙が擦れる音が部屋を満たす。
「どうやって動いてるんだろう」
呟きが空気に溶けた。
魔法だけではない。
どこかに物理の論理がある。
それが分かれば、きっと動く。
線を重ねながら、眠気が消えていく。
興奮ではない。
呼吸が速い。
胸の奥が熱い。
(必ず、調べる)
◆
三日後の夜。
村が眠る頃、私は鉱山へ向かった。
月明かりが石畳を照らす。
立入禁止の札。
風で揺れる。
無視して中へ。
坑道は冷えていた。
魔導灯を灯す。
光が壁をなぞる。
崩落現場。
簡易の柵を越え、ロープを結ぶ。
結び目を二度確かめる。
体を預ける。
掌が痛い。
それでも降りる。
地面に着く。
静寂。
光を向けると、そこにいた。
鉄の狼。
真鍮の装甲は月光を受けて微かに反射していた。
胸の結晶は、まだ呼吸をしているように明滅している。
私は歩いた。
金属に手を置く。
冷たい。
けれど、ただの死ではない。
わずかな温度がある。
関節を覗き込む。
円筒状の駆動装置。
油圧ではない。内部に魔法陣。
「……魔導流体?」
低く呟く。
魔力の流れを圧力に変換している。
魔法と機構が、並列に働く。
装甲の内側にも魔法陣の痕跡。
痕跡は幾何学的で、回路のように精密だ。
理論が層をなしている。
ノートを開く。
線を引く。
構造を記録。
魔法陣の配置。
関節の角度。
脚部のトルク構成。
時間を忘れる。
音は呼吸と鉛筆の摩擦だけ。
◆
数日後。
夜ごと通った。
パネルを外し、内部を覗く。
魔導流体筋肉。細い繊維が束になっていた。
魔力を流すと収縮する。
だが、出力は不足している。
補助に油圧が組まれている。
魔法と物理、双系統駆動。
「完璧な設計だ」
声が漏れる。
冷却と潤滑も一体化している。
理屈がここにある。
ノートに数字を記す。
寸法、比率、配置。
わずかな誤差も逃さない。
紙面が埋まる。
胸部の結晶――魔導炉。
光は弱い。
出力残量、ほぼゼロ。
私は手を置いた。
魔力を流す。
結晶が淡く光る。
だがすぐに戻る。
「足りない」
吐息。
自分の魔力では届かない。
必要出力は数千。
桁が違う。
鉛筆を回す。
机がわりの石の上に、式を描いた。
供給線の太さ、抵抗、損失率。
理屈を追う。
夜が明けるまで。
◆
朝。
リオンに会った。
「セリア、顔色悪いぞ」
「大丈夫」
「嘘つけ」
指で目の下を指された。
影がある。
「まさか、遺跡に?」
声が低い。
私は頷いた。
「怒られるぞ」
「分かってる」
リオンは短く息を吐いた。
「お前、止めても聞かないだろ」
「うん」
「……じゃあ、気をつけろ」
彼は笑った。
その笑いは、少し疲れていた。
◆
六日目の夜。
また地下。
装甲を調べていると、背後から声。
「何をしている」
振り向く。
光の中に、鍛冶師の男。
ガラン・ホークウッド。
銀髪、火傷の腕。
鍛えた体。
言葉が出なかった。
「村長に知らせるべきか」
冷たい声。
私は首を振った。
「違うんです、これは――」
必死に説明する。
「古代の技術なんです。魔法と機械の融合。理屈で動いている」
沈黙。
ガランの瞳がわずかに揺れた。
「……また夢を見る子供か」
背を向ける。
「この世界は、理屈を許さない」
「待ってください!」
言葉がこぼれた。
「私は、誰でも使える道具を作りたいんです。魔力がなくても、理解で動かせる世界を」
ガランは立ち止まった。
長い沈黙。
「……好きにしろ」
声は低く、乾いていた。
「だが、見つかっても俺は知らん」
足音が遠ざかる。
残された空気が、熱を失っていく。
私はその場に立ち尽くした。
怖さはあった。
けれど、止まる理由にはならなかった。
手の中の鉛筆が震えている。
それでも、次の線を引いた。
鉄の狼の胸部構造。
回路の結節点。
次の夜に、また確かめるために。
窓の外で、月が輝いている。
その光の下で、私は決意した。
この機械を、必ず動かす。
理屈で。
祈りではなく、論理で。
それが――私の戦い方。
魔法が神のものなら。
機械は、人間の希望だ。
鉛筆の音だけが、静寂を満たしていた。
地下では今も、鉄の狼が眠っている。
だが、もうすぐ目覚める。
私の手で。
理屈の力で。
――その日は、近い。
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