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愛愁
第1話
ここは事件現場である。閑静な住宅街の路地に惨たらしく死体が放置されている。外傷あり故に他殺ではあるが、この街では昨今殺人事件が多発していた。
遺体を取り囲む様にしている警察の面々が空気感を生成している。ただ重苦しい空気が流れる中、一人、健気にも明るく振る舞う女性がいた。
「さて、柵さん?この一連の殺傷事件における共通点とは何かね?」
女性は隣に佇む自身の上司に声をかけた。彼女のことを空気が読めないと形容する事も不可能ではないが、敢えて明るく振る舞っていると言った方が彼女の名誉のためにもなる。
「それは俺が聞いたことだろう、鹿爪。分からないなら、分からないと言え」
柵という刑事は鹿爪の軽口を容易に聞き流した。目線を合わせてやる事もしない。
少なくとも現場調査に来た以上、五感で認識するのは事件に関係のある事にのみ集中されていた。
「冗談じゃないですか、冗談。ほんと、柵刑事の方が私よりよっぽど鹿爪らしいじゃないですか」
「それもまた冗談だろう。俺は冗談を聞くためにお前に話を振ったわけじゃない」
「ですから分かっていますよ、質問の意図も答えもわかっています。一連の事件の被害者十三人は共通して犯罪者であるということですね。今回もそうでしょうか....」
犯罪者というと広義になってしまうが、ここでの被害者は全員『逮捕前』の犯罪者だった。また、それが事件の真犯人だった——警察が未だ認知していなかったというケースも少なくはない。簡単にいうなら『奇妙な殺人事件』なのだ。
「被害者の身元を特定してみると何かしらの時間にたどり着くんだ。この前は強盗、この前は詐欺、その前は、恐喝だったか?」
「業務妨害ですよ」
「詳細はとにかく、この一連の連続殺人は良くない。人を殺してるから良くないというのは当然、そして警察のメンツというくだらない自尊心が理由ではない。何かわかるか?」
「....連続してるってとこですか?」
「個人が力を持っているところだ」
警察は一連の事件の犯人を個人であると断定した。それは至極単純な理由であり、狙われる被害者の特徴以外にも殺傷方法や事件発生の時刻、その他の事項が同じであるということからである。
「一時期私人逮捕なんてものが流行っただろう?自分を正義だと勘違いした一般人が半ば言いがかりの様な形で寄って集って個人を押し潰そうとする。俺が個人的に一番問題視している要素は、集団が保有している権利を個人が所有してしまった時の悲惨さだよ。そこには正義も何も無い、ただのエゴだけが存在してしまう」
「....」
鹿爪は柵の言っている単語を理解できても文を理解できていなかった。例えば三権分立のうちの一つを個人が所有していたとしたら、それは恐ろしいことだと理解はできるにしても、人殺しはありふれた事である。誰にでも物理的に他人を殺害できる力を所有しており、それを行使しただけだと解釈していた。漠然と理解はしていても人のエゴを悪いものだとは考えられなかったのだ。
「それにしても、一体どんな猟奇犯なんですかね。遺体にはどれも星型の穴があいている。それが致命傷になって」
「さぁ、人の考えていることなんてわからない。殺人犯の考えることなんて特にわからないに決まっているからな」
「....そうですねえ」
彼女がどんな状況でも極めて明るく振る舞うのは、現実よりも感情を優先する性格が原因である。しかして、たとえ柵になんと言われようと彼女は慮ることをやめようとはしなかった。
そんなことを思いながらの返事は柵にとって上の空に聞こえたらしい。初めて視線を鹿爪の方へと向けた。
「鹿爪、お前が今どんなことを考えているのか俺はわからない。きっとお前のことだから能天気なことを考えているに違いないが....」
「何が言いたいんです?」
ムッとした表情で返す彼女には、やはり根元に明るさがあった。時にそれは能天気と表現され、時に楽観的と謗られる。
「俺たちは警察だ。メンタリストでもカウンセラーでもない。だから、お前にどんな意図があろうと警察である以上は事件解決を考えなければいけない。証拠が足りないなら自分の脚で揃える必要がある、犯人が見つからないなら出来る限りで推測を立てる。そういうことが必要なんだ」
「なんだか正義のヒーローみたいなことをいっていますね。柄じゃないですよ?」
「お前が誰かを悪だと判断したのなら、そいつを徹底的に調べろ。個人には個人の事情があるにしても、お前が情をかけることで有耶無耶になってしまう名誉や恨みだってあるんだ。俺たちは悪いやつらを捕まえる職種柄、正義のヒーローとも言われるかもしれない。だが、いつだってどちらかのサイドが正しいとは限らない」
柵の言葉は的確に鹿爪の痛いところを突いていた。長所と短所は表裏一体であり、『痛いところ』というのは彼女のいいところでもあり弱さにも直結する要素である。複雑な事柄を嫌い情け深い彼女にとっては、自身のポリシーが邪魔をして上司の発言を素直に飲み込むことができなかった。
⬛︎⬛︎
「犯人は鋭利な刃物を持っている。器用に被害者の胴体部位に星型の風穴をあける以上はそう考えてもいいだろう」
最後の事件が発生してから一週間が経過したある日、二人は警察署内で推理を進行させていた。
「被害者は全員犯罪者。犯罪の態度は問われず、軽犯罪から重大犯罪までの犯人が殺害されている。犯行時刻は日が落ちてから。したがって、日中は仕事に就いている」
「サラリーマンとか公務員。つまり社会人ってことですかね?」
「学生も視野に入れておけ」
「学生!?」
少年犯罪が存在しない世界ではない。あどけなく、未だ社会理解の完成していない少年少女も手を汚してしまう世の中なのだ。
だが、鹿爪はどうしても腑に落ちない。自身が学生の時、犯罪に手を出そうと考えたことがないからだった。人は他人のことを考える時、往往にして『自分ならどうするか、どうだったか』を考えがちである。
「学生が殺人なんて、考えにくいですけどね....。万引きとかなら考えやすいですけど殺人ですよ?」
「人間の人格形成における一番大事な時期は幼少期から思春期の終わり頃までだ。女のお前にはわからんかもしれないが、中高生の男はくだらないことを考えがちでな。可能性がゼロとは言い切れない」
「そんなもんですかね....」
「そういうふうにできてしまっているんだ。嚥下するしかないだろう」
鹿爪は柵のことが嫌いではない。自分にいろんなことを教えてくれるいい先輩である。だが、彼の現実主義の様な考え方はあまり好きとは言えなかった。大袈裟に言えば、世界平和を唱える彼女とは正反対な性格をしている。
単に現実主義と言ってしまえばそれまでだが、それは諦めの姿勢に近しい。彼女はそんな柵が『らしくない』と考えており、そこも好きにはなれない要因に繋がっていた。
「囮捜査も出来ませんからね。私達が何か犯罪を起こさないといけませんから。防犯カメラが機能していれば良かったんですが、基本的には防犯カメラの存在しない路地で犯行が行われる。仮にあったとしても事件発生時刻の記録だけすっかり抜けています」
「電波に強い犯人か、それとも協力者がいるか....。はたまた犯人が強運なだけだ」
「まるで魔法使いでも相手にしている様ですね。手がかりは一向に掴めません。現場に犯人のものと思われる証拠品も、髪の毛一本すら残っていませんし、これは難しいですよ」
警察側が把握している情報は色々あるが、犯人特定に繋がる情報は一つもなかった。犯人は極めて聡明で手際がよく、目撃者の一人もいない。周辺で不審者情報の聞き込みも実施されたものの、それらしい人物はいなかった。
「幸い、犯行はこの街にだけ止まっている。とすれば、地元勤務のサラリーマンか学生になる。少なくともこの街に籍のある誰かということになるな」
「張り込みにも限界はありますよ?小さな街とは言え、人口はそれなりにいますし土地も広いですから。それに、今回の事件に回せるだけの人手はありません」
警察署内は閑散としていた。過日に発生した警察上部の汚職事件において、この街も漏れなくその始末に追われていた。この警察署の上層部がその事件に関与しているかは鹿爪には判断のしようがなかったものの、人手が足りないという事実だけは確実だった。
「....」
「って、もう九時じゃないですか!私、日中激務に追われてお昼ご飯も食べてないですよ....。ということで、帰らせていただきます。さいなら」
「鹿爪」
忙しなく荷物をカバンに詰め込み、必要そうな書類はファイルに整理している鹿爪に声をかける。向かい合わせのデスクの上には物品が散乱しており、どれが柵のものでどれが鹿爪のものなのか分からないほどだった。彼女はもう帰る気があったらしいが、それに気づきつつも柵は引き留めた。
「飯、行くか。奢ってやる」
「なんの冗談ですか....」
現実主義で合理的。柵の性格である。
彼は上司に奢ることはあっても部下に奢ることはなかった。それは彼曰く「合理的では無いから。お金を出すメリットがない」とのことであり、鹿爪は内心尊敬されるメリットがあるのでは?とも考えたがそれはあまり現実的ではないらしい。柵は頑なにそうしなかった。
「....いいでしょう。奢られてやりましょう.....」
「そこまで警戒しなくてもいいだろう。詐欺をしようと言うのではない」
「本当ですか?柵さん、なんか怪しいですよ?」
「それ以上軽口を言うなら一人で飯を食えばいい。自腹でな」
場面は駅前の牛丼屋に転換する。
⬛︎⬛︎
「『ご飯奢る』で牛丼ですか?大学生じゃないんですよ私たち」
「....」
鹿爪は怪しみつつも期待をしていた節があったらしい。駅前の牛丼屋の前で柵が足を止めた時まさかとは思ったが、そのまさかは当たった。
いつも通りの軽口ならここからしばらく続くが、流石に立場をわきまえて一言だけ文句を垂れて終わりにした。
「鹿爪。どうして俺がお前を飯に誘ったのかわかるか」
何の意図もなく柵がご飯を奢るだろうとは思っていなかった。だからと言って、それ意図が何なのかはわからないままだった。いずれ話してくれるだろうとたかを括っていたが、質問をされるのは不測だったらしい。
「え、えっとですね....。それは、あれですよ。可愛い後輩を労いたかったんですよね?連日の事件続きで疲れている可愛い後輩のことを」
「そうだ。連日の事件について言っておきたいことがある」
「....さいですか」
冗談を受け流されるのは慣れているが、自分を『可愛い』と形容したボケをスルーされるのは少し恥ずかしいものもあった。
恥ずかしさを有耶無耶にするためにも、ここは柵の真面目さにかこつけようという算段である。しかし、未だに鹿爪は意図を理解できずにいた。
「例の事件。解決策があるとしたら何だと思う?」
鹿爪は真面目に考える。解決策とは犯人特定と同義である。したがって、犯人特定にはどういう工夫をすればいいのか、という一種思考問題のようなものだった。
だが、それが容易に浮べば事件は未だ捜査をしている状況になかっただろう。
防犯カメラを多く設置すると言う手段も考えたが、いくら数を多くしても漏れなく事件発生時のデータが消去されている現状を鑑みれば正しい手法とは言えない。だとすれば張り込みや聞き込みといった人海戦術にも近しい手に出るしかないが、片方は実施不可能であり片方は実施済みだ。
何かないだろうか。
「刑務所の中から犯罪者を一人連れてきて身体カメラを仕込ませ街を徘徊させます。そしたら犯人の方から出てきてくれるだろうと思うので、身元特定が可能です!」
「そんな物騒なことできるかよ」
「んと....。それじゃあ夜中街を駆け巡って、遺体が発見された時点で周囲の人を拘束し、身元を全員調査します!」
「現実的ではないな」
「えぇと、だったら逮捕許可の出ている人物をあえて泳がせて、それで相手の出方を伺うとか....」
「被害者は全員犯罪者だが、逮捕状の発行の前に殺害されている。それかマークすらしていない人間だ。それも現実的ではないな」
鹿爪の案はどれも不可能ではないものの人手や時間など、いずれかの要素を度外視してしまっている。それは最早『運任せ』とも言える作戦ではあるが、実際問題犯人を理論立てて特定することは極めて困難なのが事実だった。
足取りは掴めず証拠も残らない、まるで存在しないような人物を追っている状況である。殺している人物が存在しているのか疑ってしまうレベルなのだ。
「じゃあどうすればいいんですか!?私色々考えましたけど、犯人を確実に捕まえる手立てなんて思いつきません!」
「囮捜査のようなものだ。俺らが悪いことをして相手を釣れば良い」
彼の合理主義は突き詰めると自己犠牲にあたる。実際彼の方法によって解決した時間はいくつもあったが、今回の場合は話が別である。
「それって、体裁はどうなるんですか?警察が悪いことをするっていうのは良くないですよね....。って、そもそも悪いことをするのは良くないんですけど」
「体裁なんてものより事件解決が先だ。自分の身を案じていては解決できない事件もある」
鹿爪は決して勘のいいタイプではなかった。だが、この時柵が『悪いことをしてはいけない』という話題に触れてこなかったのにはそれ相応の理由があることを直感的に理解した。勘の悪いと言うのは必ずしも常時というわけではない。
踏み込む勇気はなかった。だから、話を曖昧にしたかった。
「....柵さんってすごく現実的と言うか、たまに自分自身に向かって話しているような気がするんですよね。今だって私に話してるようで実際は柵さん自身に話しているような感覚でした」
「お前にしては珍しく裏のある口調だな。俺の過去にでも興味があるのか」
「話してくれるんですか?」
柵は極端だった。間違いをすればそれを是正し、今後同じ失敗の無いように振る舞う。それを人間は学習と呼称する。彼も人間である以上は学習をすることが多いが、何かしらの大きな間違いによる学習はその人の人格に大きな影響を与える。座右の銘と言えばいいのか、念頭に置かれる価値観として記憶されるのだ。
「....二十年くらい前の話だ。実績を積み重ねた俺は立派な地位を警察内部で確立した。昇格してから初めて担当した事件は些細なものだった」
「万引きとか強盗ってことですか?」
「児童虐待だよ。当時小学生の女の子がネグレクトや肉体的な暴力の被害に遭っているという通報があってな。思えば、彼女は俺が担当するずうっと前に壊れてしまっていたんだと思う。明らかな虐待であっても本人は親を庇っているようで、それは事件にはならなかったんだ」
柵はその家庭を詰めようとしていた。だが事件にならない以上、記録はされどもそこからの進展はない。彼個人の思惑とは裏腹に周囲の環境は事件に消極的だった。
反発をしなかったわけではない。しかし、彼は少女一人を救うことよりも自分の地位を優先してしまったのだった。
「それ自体は悪いとは思いませんよ。保身に走るというのは悪く言われがちですけど、人としておかしいことだとは思いません。私でも迷いますから。それを負い目に感じてるんですか?」
「自殺したんだよ。あの時俺が見捨てた少女は、そこから数年後に14歳の若さで死んでしまった」
鹿爪の言う通り、人は日常において様々な選択を迫られている。何かを得ると言うことは何かを捨てることと同義であり、彼にとって自分の地位を得ることは彼女を見捨てることと同じだった。どれだけ善い選択をしたと思っていてもその性質上、人間は後からいくらでも後悔をしてしまう。
鹿爪は箸を止めた。自分の軽率な発言に後悔をしていた節もあったかもしれないが、今この場で上司に対する適切な言葉とはなんだろうかと考えていたからだ。
慰めの言葉は彼に安らぎを与えるかもしれないが、自尊心を傷つけてしまうかもしれない。同調して憐れむのであれば彼の後悔を加速させてしまうかもしれない。
色々な思考が彼女の脳内を巡ったが、キザに振る舞わないことが自分にとって善い判断だと結論付けた。
「彼女の自殺は悪いこととは言えないと思います。生きていれば良いこともありますけど、それを享受できないくらいに悪いことだってあるはずです。人のよって生きていくことの価値は変わりますから、彼女が生きることをやめるというのが彼女の不幸に直結すると言うのは、その少女に対して申し訳ないと私は思いますね」
「....」
「慰めてるわけではないですし、ちょっと厳しめのことをいって『らしい人間』を気取るつもりもないです。柵さんのことですから『生きていくことを楽しいと思わせられなかったこと』に対して罪悪感を持つかもしれません。でも、私たち警察官も人なんです。正義のヒーローでもなければ世間の恨みを一身に背負う魔王というわけでもない。人である以上は、一人の人生を救うことが困難なわけですから」
結局のところ、柵の行動は観察地点によって善悪の判断が変動するものだった。しかしてどちらかと断定することは不可能であり、同時に絶対的な肯定をすることもできやしない。いくら自分の行動を正しいと思っていても悪い要素はついてくる。悪いと後悔しても、自分の今がなかったと考えればそうとも言い切れない。答えのない問いなどと言えば簡単だが、額面通りの難易度ではない。
明るく、誰に対しても優しさを振り撒く部下のセリフを聞いてもそれを素直に受け止めきれていなかった。一個人の意見だと切り捨て一歩引いて捉えてしまうこともまた、彼の合理的な性格故であり悪いこととも言えない。だがそれは、彼女の言葉が一切響いていないと言うことではないのだ。
「随分生意気な部下を持ってしまったようだ」
「あ!すいません!そんなつもりはなくてですね....。その、なんというか....」
確立したルールのもと善悪は定められる。ただ、彼にとって唯一救いと言えたのは他者からの優しさを得られたことだった。優しさに良し悪しはない。受け取る側が少しでも暖かさを感じればそれでいいと彼は思っていた。
人の感情にも表裏はあるが、優しさにさえも悪意が潜むのであれば、彼こそ生きていて良いものだとは思えていなかっただろう。
「わかっているさ」
⬛︎⬛︎
改札前まで移動して、柵は鹿爪を見送る。彼女は隣町に住んでおり、柵は仕事の都合上警察署の近くに住所がある。
鹿爪が改札に通ろうとする時、彼は少しだけ彼女を引き留めた。
「自分の正義を貫ける人間になれ。一回だけでも良いから、そういう人間になってくれれば俺は嬉しい」
「はぁ、わかりました」
「罪滅ぼしと言う言葉があるが、悪いことをした分いいことをしても罪自体が消えるわけではない。いつかきっと、自分の罪と向き合う日が来るまでの気休めなんだ。お前は正義のヒーローであれ。自分を曲げてしまうなよ」
「....」
改札へ向かう人ばかり、その雑踏の中で彼は言った。やはり鹿爪にはそれが自分に対して言われている言葉だけの意味を持つとは思えなかった。
ただ、彼女はそんな感覚を持ちながらも上司が真剣な表情をしている反面、失笑してしまった。
「む、何がおかしい?」
「いや、大したことじゃないですよ。柵さんとは長い付き合いですけど、初めて意気投合した気がするなぁと思って。ほんとそれだけです!」
悪びれる様子もなく彼女笑顔のままそう言った。
彼女の笑顔を見るたび柵は思わされることがある。自分は警察になり、人の悪いところに触れてきた日々の中で笑えたことがあっただろうか。自分のような陰鬱な人間を鹿爪はどう思っているのだろうか。社会構成の中で必要最低限の人間ではないにしろ、有益なことができているだろうか。
彼女は今の世界に必要な人間だ。彼女のような明るい人間が本当に他人を救うのだろう。自分が現役でいる以上は彼女の礎となり、自分が得てきた教訓を叩き込んでやろう。彼女とは正反対な人間の世界の見え方を知った上で彼女を一人前にしたい。そう思っていた。
「というか、そんなこと言われなくてもわかってますよ。私のこと随分長い期間見ているんですから柵さんだって理解してますよね?」
「....そうだな」
鹿爪の背中を見送って、柵は帰路についた。
今日の彼はらしくなかった。威厳を持って後輩に接するのが常なのに、今日は柄にも無く優しく接した。弱みを見せることなく毅然と振る舞っていたのに、今日は過去を他人に吐露した。実際鹿爪が感じていたように、柵が今日彼女に言った教訓の多くは自戒も兼ねての発言だったと言える。
日常とは違った一日も、見慣れた路地に出れば感覚は戻ってくる。感覚が戻ってきたからこそ今日という日がいつもとは違うと観察できたのだろうが、とにかく彼は家に続く道へと出てきた。明日からまた激務が待っている。
「柵蓮司さんですか?」
一日の区切りをいつまでとするかは人それぞれだ。人と会っていた場合、その人と別れるまでか、家に着くまでか、日を跨ぐまでか、自分が睡眠を取るまでか、様々である。柵にとってそれをどこで分類するかは彼自身にしか分からないことだろうが、その少女との邂逅は彼に『いつもと違う一日』が終わっていないことを告げた。
柵はどこからともなく現れた少女の容姿を観察する。身長は150センチ台、年齢はまだ高校生くらいだろうか。そして何より気になることがあった。
「お嬢ちゃん、その衣装は何かな。役者か何かをやっているのかい?」
「私は正義のヒーローです」
少女はふざけている様子もなく言う。どんな様子かといえば、どこか興奮しているようにテンションが高い。
「君、歳はいくつかな?今の時間は青少年保護法によって未成年者の深夜徘徊を補導できる時間なんだ。その上奇妙な服装に身を包んでいる。ゴスロリとか言うのか知らないけど、不審者としても分類できるんだ。しかも運悪く、俺は警察官。君を補導できるわけ....」
ここで違和感に気がつく。少女は柵に道を尋ねてきたわけでも、落とし物を拾ってくれたというわけでもない。少女は目の前に佇む男が『柵蓮司』であることを認知している上で話しかけてきた。ならば自分が警察官であることを知らないはずがない上、もしかしたら知人の可能性もある。
「えっと、知り合いかな?知り合いの知人とか、そんなもんでもいいんだが」
「いいえ。初対面です」
「....そうか。どういう用事かな?君を補導することは決まっているが、声をかけてきた以上用件があるはずだろう。聞いておくよ」
「柵さん。貴方は悪い人ですね?」
「それはどういう意味かな?補導しないでくださいっていうなら、家まで着いて行ってあげるよ。生憎子供の相手をしている暇はこっちにはないんでね」
今、彼の警察署内では例の事件に手一杯だった。その上汚職事件発覚によりいつも以上に忙しない状況である。彼女が困っているというのなら見捨てたりはしないが、単なる深夜徘徊ともなれば家に送り返してやろうという計算だった。
「この街の警察は、職務怠慢により市民からの信用を裏切ってしまいました。貴方警察官ですよね。貴方も職務怠慢があったんですよね」
柵は疲れていた。彼女の子供のような振る舞いに対してではなく、事件に対する激務が日課になっていることによる蓄積である。目の前の少女が何を目的として柵に声をかけたのか分からないが、長く構っていられる暇はなかった。
「何の根拠があって俺を糾弾しようとしてるのか分からないが、あんまりしつこいと補導しちまうぞ。それが嫌なら早く帰りな」
「貴方は職務怠慢により、中学生の少女を見殺しにしました。間違い無いですね?」
「....」
「....」
「 」
「間違いないみたいですね」
虫の知らせという言葉がある。悪いことが起こりそうな気がするという単なる気掛かりの一種だが、まさに今、彼はそれを体験していた。今日一日のバグが発生したかのような彼の言動は、全てこの時の為のフリにすぎなかったのかもしれない。
彼の体を一筋の光が貫通する。人間の何処に急所が存在し、どこを貫通されれば死んでしまうのか、医者でも知識があるわけでも無い柵には分からなかったが、拳程度の星形の風穴が胴体に空いて仕舞えば少なからず絶命に至ることは直感的に理解できた。
視界が斜めって、視線が低くなる。胴体に熱を感じ、末端から血の気が引いていくような感覚に陥る。
「正義✴︎執行!です」
少女は高らかに宣言した。
どんなに良いことをしても罪は消えない。その罪自体を精算する時が来る、というのは柵自身の発言である。自分がまさか次のターゲットにされるとは思わなかった。
自分の罪に対する罰が下されただけである。人を殺しても立場を変えればそれ悪では無い様に、彼女は罪人を処刑しただけだ。ただ、後悔がないといえば嘘になる。後輩は未だ未熟であり、そして何より、彼のあの時の行動は結局自分の墓穴を掘っただけの結果になってしまった。
鹿爪は知る由も無かった。ただ偶然、彼と少女のやり取りが終わるであろう頃に柵のことを思ったいた。彼女のカバンの中には整理整頓されていない机が故に紛れてしまった柵のものであるペンが入っていた。
「明日返さないと....」
柵は後悔と未練の渦中で、いつもとは違う一日の幕を下ろした。鹿爪はやはり、知る由も無かった。
⬛︎⬛︎
ここは事件現場である。閑静な住宅街の路地に惨たらしく死体が放置されている。外傷あり故に他殺ではあるが、この街では昨今殺人事件が多発していた。
遺体を取り囲む様にしている警察の面々が空気感を生成している。
「どうして....」
ただ重苦しい空気だけが流れていた。
re:present 愛愁 @HiiragiMayoi
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