らいごう

壱原 一

 

交際して暫し経つ恋人の実家へ招かれて泊まった。


持ち家で、両親は既に亡く、きょうだいや近い親類が無い。


高台を段々に整地した昔の新興住宅地の、最上段の隅に建っている。長らく貸していた家族が子の巣立ちに伴い去った為、この機に戻るつもりであちこち修繕したらしい。


交通の便や諸施設や近所付き合いの加減なぞ、完璧とは言い難くとも好条件を備えている。


長閑のどかなところ好きでしょう。


庭があるよ。


ねこ飼えるし。


ました何気無さをつくろって、ぽつりぽつりと言い募る奥手な慎重さがいじらしい。


要は同棲の居の候補として、見に来るよう促しているのだ。


常から寡黙な人柄だが、近頃どこか上の空で、水を向けても回避的だったので、安堵と、一入ひとしおの嬉しさがある。


だくすると一層抑制的に顔の端々を引き締めて、「白くて広い壁があるから、プロジェクターで映画とか観よう」と早々選び始めている。


訪れた家は野暮ったくも小ざっぱりとしていて、気取りが無く落ち着き易い。


先々まで満ち足りた心地で、2人良い時間を過ごせた。


*


明け方おだやかに目が覚めて、隣で寝ている恋人を起こさないよう寝室を出る。


窓と言う窓のカーテンの隙間から、弱い朝日が差し込んで、あらゆる物の輪郭を曖昧にぼやけさせている。


居間に入り、正面の掃き出し窓へ寄って、音を潜ませカーテンを開けると思わず深く息を吸う。


高台の最上段から、庭を経て、辺りを一望できる。


斜面に連なる家々の屋根、裾野に広がる細やかな街並み、それらを取り囲む山々と、上天に延びる満幅まんぷくの空。


遠く右手の山のから、ゆるりゆるりと明らむ。家々の窓や街並みの看板なぞが、刻々、きらりきらりときらめく。


空は上層の淡い水色から、中層へ向けて黄味を増し、下層のやわい橙へ至る。その澄んだ色の移ろいが、ゆるやかに浮動する白雲へ、あでやかに映える光景は、素直に感に入り胸を打つ。


陶然とうぜんと惹かれるまま、網戸のある側の窓を細く開けるや、夜露に洗われた外の匂いが、のびのびと清涼に吹き込む。


山間やまあいを渡る風の唸りか、街を走る車の反響か、大気にほとんど溶け掛けのふやけて薄まった低音が、有るか無きかに混ざっている。


この幽玄の体感を前に、背後は薄明るい家があり、奥で恋人が安らいで、ひっそり寝ていると思うと、俄に神妙な心地がする。


しみじみ気持ちを深める矢先、意識のずっと外、遠く右手の山の端の、日が迫っている向こう辺りで、満幅の虚空の半ばから、何ら前振れなく音がした。


嫋々じょうじょうと、細く長く尾を引いて、1音、鐘の音がわたった。


かおあん


厚く、歪んだ、素朴な造りの、そう大きくない鐘と聞こえる。


淀みなく真っ直ぐに打たれ、表で硬くひらけて鳴る。同時に内へ伝わって、幾重も跳ね返って籠り、厳かに抜けて、放散する。


1点から同心円状に、さざなみが走り行くように、耳に馴染む中庸ちゅうようの音階が、まるで唐突に冴え亘る。


はっと目を向けたの先で、白く燃える燦爛さんらんの光源が、ぽつりと山の端から顔を出し、届く限りを照射する。


光の速さで射られた目が、独りでに潤み、細まって、正に来光らいごうまみえたと理解するのもそこそこに、全く別の光体が、山の腹から湧き起こる。


かおあん


かおあん


山の腹を優に超える大きさで、なだらかな下細りの、幾らか縦に長い楕円体。


斜面と軸を平行に、空を仰ぐ角度で湧き立って、背面まで出切った斜め下に、地平と垂直の円柱が続く。


かすみ掛かって不鮮明な、にぶい薄黄色の其の形は、人の頭と首に見える。


5、6拍ほど間を開けて、悠然と繰り返す鐘と共に、音も、木々やらへの干渉も伴わず、肩と胸、胴から腰と、次々に湧き上がって来る。


かおあん


額ら辺が雲に浸かるほど高く湧き上がった光体は、直立の姿で静止する。


肩肘の力は抜けていて、両腕はたらりと脇へ。まるで寝起きの人の如く、呆然と仰向いた顔部分が、少しして僅かに横へかしぎ、縦に直り、ゆっくり地へ下がる。


かおあん


下がった所で鐘が止む。


山裾に足を埋めて天をき、日を負って、地を見る人の形が、古めかしい黄金の様な、煙る光彩を放ちつつ、静かな朝の只中に、茫漠ぼうばくと佇んでいる。


粛々しゅくしゅくと昇り強さを増す日の光に貫かれて透けて、段々見え難くなってゆく。


ひたと目を釘付けにして、どのくらい時間が経ったのか、吹き込む朝風を受け続けて体の端が冷えている。


余りに超常の光景に、すっかり虚脱する思考が、一先ひとまず窓を閉めようとおもむろに手を上げさせる。


其処へ誘い出された風に、薄温かい腕が吸い付いて、手を取り、指を絡め、握り寄せる。


見れば起き抜けのぬくみをまとう、欠伸あくびを終え立ての恋人が、隣へ着いて窓を向き、早いね、おはよう、良い天気だねと、注ぐ日差しを浴びている。


寝られた?此処、眺めも良いでしょ。


ごらいごう。


「あの辺に、此処ら一帯で長く住んでる家だけが入っているお□があってね。□家で人が亡くなる時、今日みたいに朝天気が良いと、□家の家の人達だけ、綺麗ならいごう・・・・を拝めるの」


それは□教にいて□□が死者を迎えに来る“ご来迎”の意で、今もまだ外に見えているあれを指すだろうか。


けれどそれは□雲に乗って□土から訪れる筈で、すると山から湧くあれは違って、やはりご来光の意だろうか。


そもそもあれが見えているのか。


今日、□家で誰か亡くなるのか。


素朴な疑問を催して、一旦窓外そうがいを確認し、また恋人に目を戻す。


合間に恋人の顔は窓から逸れ、首をひねり、此方へ向いている。


まばゆく照射する日に呑まれて、容易に相貌が分からない。


軽く寝乱れた頭髪と、眼窩と、鼻梁と、口元の影が、今にも日に熔け入りそうに、いたおぼろに息衝いている。


自然に顎を引き、目を細め、「それって」と訊いてみる声が、霧散したかの如く出ないので、些か不本意に身動みじろぐ。


反射的に口元へ手を添えて、軽く咳払いをする為の、本の小さな身動ぎを、ことごとくゆるく封じられ、頑なに留め置かれて、愈々いよいよまじまじ恋人を見る。


上手いこと声を出せないから、咳払いをさせて欲しいのに、何をそう過敏に制するのか。


此処を同棲の居にどうか、一刻も早く聞きたいから?


思い余って力が入り、咄嗟に放せず、黙っているのか。


当惑する数秒の間に、外で雲が流れて、光の加減が変わったのか、朝日の白い光の中に、透けた黄金の色が混じる。


足元へ細く差し込んで、ゆっくり幅を増して昇り、まるで灯台の光線が、此方へ巡り来ているようだ。


透けた黄金の光の中で、澄ました何気無さを繕って、「此処で一緒に暮らそう」と、恐らく恋人が宣う。


細く長く尾を引く風な、耳に馴染む中庸の声は、冴え亘る鐘の音に似ている。


溢れんばかりに注ぎ来る、透けた黄金の光の元は、もう振り向けない窓の外で、事実、此方を見ているかも知れない。


無防備に開けたままの窓は、今や明るい家の中に、止め処ない光の奔流と、朝風と、薄まった低音を、延々流れ込ませている。



終.

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らいごう 壱原 一 @Hajime1HARA

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