第9話 敗北の哲学

 王族会議が終了した翌日、クロウは自室の窓辺に立っていました。机の上には、リアとアルフレッドが勝利を収めたことを示す、簡潔な報告書が一通。


 彼の秘書は、恐る恐る口を開いた。


「殿下、リア令嬢のあの行動は、完全に私たちの予測を超えていました。まさか、王妃様の前で『品位の再定義』を訴えるとは……」


 クロウは、静かに、完璧な無表情で窓の外を見ていました。その瞳には、敗北の悔しさよりも、何か深遠なものを見つめているような光があった。


「予測を超えた? いや、違う」


 クロウは、秘書の言葉を静かに否定した。


「私の計画は、完璧だった。法的にも、権力の配置においても、一分の隙もなかった。だが、私が唯一、欠落させていた変数があった」


「欠落した変数、ですか?」


「リアの奔放さではない。リアの奔放さは、私の計画を面白くするための、ただのスパイスだ。私が欠落させていたのは、『愛の真の価値』という、最も非効率的で、最も予測不能な要素だ」


 クロウは振り返り、その表情は完璧に整っていましたが、声には微かな、初めて聞く「諦観」が混じっていた。


「私は、リアに最高級の『完璧な環境』と『計画された幸福』を提示した。しかし、アルフレッドは、リアに『自分の衝動を、誰にも管理されないまま肯定される自由』を与えた」


 彼は机の上にあった、リアの髪の色に合わせた深紅のルビーのペンダントを手に取った。


「私にとって、リアは『完璧な妻』という名の、最も価値のある『コレクション』だった。だが、アルフレッドにとって、リアは『共に新しい時代を築く、替えのきかない機能』であり、何よりも『愛する人』だった」


 そして、彼はペンダントをそっと机に戻した。


「私は、彼女を愛さなかったのではない。私の愛は、あまりにも『支配的』で『形式的』すぎた。私の完璧な支配欲は、彼女の『自由』という名の真の愛に、完敗した」


 クロウは、この「愛の価値」という非合理的な論理によって敗北したことを、完璧な事実として受け入れた。彼にとって、敗北とは「非効率な論理」であり、それを認めることは「論理の敗北」を認めることだった。





 クロウは、自分が敗北した原因を「愛という非効率な論理の欠如」と定義付けた後、完璧なけじめをつけることを決めた。


「私の熱意は、リアの愛を乱し、王家の改革を妨げた。この事実は、私の人生における最大の汚点だ。……秘書よ、王室に告げよ」


 自らの進退を静かに口にする。


「わが公爵家は、第三王子アルフレッド殿下が推進する商業刷新計画に対し、多大な損害を与えた責任を取り、今後五年間の公爵家領地の全収益を、改革への補填として王室に寄付する」


「な、五年間の収益を!? 殿下!」


「そして、私は公爵家のすべての職務から身を引き、東方の商業大国へ渡る。そこで、アルフレッド殿下が言う『非形式的な実務』と、リアが言う『真の愛の価値』を、私自身の目で、完璧に学んでくる」


 クロウは、敗北の原因そのものを学び直すという、完璧主義者らしい、極端なけじめを選んだ。彼の熱意は、もはやリアへの執着ではなく、「自分が敗北した新しい常識」への飽くなき探求心へと昇華したのだった。


 最後に、彼は秘書に一つの書簡を渡すよう命じた。


 宛先は、リア・ヴェール――。

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