朝起きたら全身タイツの世界

まとら魔術

ACT.プロローグ

――目覚めた瞬間、肌をなぞる感触がいつもと違った。

温かいのに、すべすべで、伸びやかで。まるで自分の体がひとつの布に包まれているみたいだった。


「……え?」


掛け布団をめくると、白いタイツが腕から手のひら、指先までぴたりと張りついている。首元にも縫い目がなく、まるで“最初から着ていた”ような一体感。顔だけが露出している。


部屋のドアが開く。

「おはよう、あやか。寝坊だよ」

母が入ってきた。彼女も同じ――薄桃色のタイツが首元まで張りつき、頬だけが出ている。いつものエプロンをその上に重ね、何事もない顔で朝食の支度を促す。


続いて、リビングから姉と妹の声。

「制服タイツ乾いてる?」「黒の方が脚細く見えるよ」

どちらも当然のようにタイツに包まれた姿で、新聞を読み、パンを焼いている。


――おかしい。けど、誰も驚いていない。


鏡の前に立つ。

白く光沢を帯びたタイツが、鎖骨からつま先まで滑らかに覆う。胸の膨らみも、腰の曲線も、息をするたびに生地が微かに伸び縮みする。

「これ……脱げない?」

指をひっかけても、どこにも縫い目がない。皮膚と同化しているかのようだった。


「なにしてるの、早く行かないと遅刻するわよ」

姉が言う。彼女のタイツは紺色で、学校指定のブレザーの下にぴたり。

妹も当然のように全身タイツのままランドセルを背負っている。


玄関には父の姿。スーツの下は黒のタイツ。靴下ではなく、タイツの上にそのまま革靴を履く。

家族全員が全身タイツ――それが当たり前の世界。


あやかは震える唇で訊く。

「ねえ……いつからこうなの?」

父が不思議そうに眉を上げた。

「何を言ってるんだ。生まれた時からだろう?」


その言葉が、世界の“常識”を突き刺す。

窓の外、通学路には同じようにタイツに包まれた人々。自転車をこぐ女子高生、買い物をする主婦、信号を渡るサラリーマン。

色も素材もさまざまだが、顔だけがぽつんと浮かんで見える。


――私は昨日まで、こんな世界じゃなかった。

それだけは確かだった。


玄関を出る。秋の朝の風が、布越しに体を撫でる。冷たくも、くすぐったくもない。ただ心臓だけが、裸のまま震えていた。

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