三章 アリスが笑う時、硝子が割れる。

瑠羽がいなくなって三日が経った。

教室は相変わらず賑やかで、誰も彼の不在を気にしていなかった。まるで、最初から存在しなかったみたいに。

だけど僕は、まだ彼の声が耳から離れなかった。

「君は、僕を殺せると思う?」

その言葉が、夜ごとに脳裏で反響した。

窓の外で風が鳴る。ふと、鞄の中に手を入れると、昨日までなかったはずのものが入っていた。

——硝子の靴。片方だけ。

割れた縁から、指先に冷たい痛みが走った。血が滲む。だけど、その痛みはどこか懐かしかった。中に、小さな紙片が挟まっていた。

放課後、旧校舎の三階へ・・・・・・・・・・・

その文字を見た瞬間、胸の奥で何かがざわめいた。怖いのに、行かなきゃいけない気がした。まるで、僕の足がもう誰かに操られているみたいだった。



 旧校舎の三階は、立入禁止になっている。

 埃っぽくて、窓も割れていた。

 だけど、夕陽が差し込むと、そこはまるで世界から切り離された異空間のように美しかった。


「来てくれたんだ」

 その声に、息が止まる。

 振り向くと、瑠羽がいた。

 白いシャツに黒いリボン、薄い微笑。

 まるで何も変わっていないのに、何かが決定的に違った。


 ——瞳の奥が、壊れていた。


「ねぇ、真白。僕、ね……“また始めた”んだ」

「……何を」

「“集める”こと」

 そう言って、彼は教壇の引き出しを開けた。

 中には、瓶がいくつも並んでいた。

 中身は、水ではなかった。

 赤。淡い桃色。深い黒。

 ——液体だった。


「これ、なに……?」

「感情だよ。人の“感情”を少しずつ、瓶に詰めてるの」

 彼は笑った。

「泣きたい人の涙、怒りで震えた息、そして——君の“優しさ”も欲しい」


「やめろよ……そんなの、もうおかしいよ」

「おかしい? でも、君だって僕を“助けたい”って思ってるでしょ?」

 瑠羽の声は静かで、やさしかった。

 だからこそ、怖かった。


「助けたいと思うなら、ここにいなきゃよかったんだよ、真白」

「……どういう意味」

「君が僕を助けるたびに、僕は“死ねなくなる”んだ。

 だから、君は僕を殺してよ。——優しさで」


 その瞬間、瑠羽は僕の手を掴んだ。

 硝子の破片を握らせて。

 血がにじむ。


「痛い?」

「……痛いよ」

「じゃあ、それを僕に分けて。痛みを、少しだけ」

 彼の声は震えていた。

 まるで泣いているようだった。


 瑠羽が僕の指先を口に含んだ。

 血の味が、唇を伝う。

 世界が止まった。

 心臓が跳ねて、息が詰まった。


「ほら、甘いね。君の優しさ、ちゃんと味がする」


 瑠羽の微笑みは、涙に濡れていた。

 硝子の靴が落ちて、カランと音を立てた。

 割れた。

 その瞬間、彼は笑った。


「ねぇ、真白。硝子が割れる音、好き?」

「……なんでそんなこと聞くの」

「だって、“愛の音”だから」


 彼が僕の頬を撫でた。冷たく、優しく。

 その瞬間、胸の奥で何かが決壊した。


 ——もしかしたら、僕も、彼と同じ場所まで堕ちていけるかもしれない。


 そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎった。

 そして、瑠羽の瞳に、自分の涙が映った。


「泣かないでよ。泣くと、君まで壊れちゃう」

 彼が微笑んだ。

 その笑顔の音で、またひとつ、硝子が割れた。

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殺人アリスとお人好しのシンデレラ。 ぬるま湯 @Siori_002

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