三章 アリスが笑う時、硝子が割れる。
瑠羽がいなくなって三日が経った。
教室は相変わらず賑やかで、誰も彼の不在を気にしていなかった。まるで、最初から存在しなかったみたいに。
だけど僕は、まだ彼の声が耳から離れなかった。
「君は、僕を殺せると思う?」
その言葉が、夜ごとに脳裏で反響した。
窓の外で風が鳴る。ふと、鞄の中に手を入れると、昨日までなかったはずのものが入っていた。
——硝子の靴。片方だけ。
割れた縁から、指先に冷たい痛みが走った。血が滲む。だけど、その痛みはどこか懐かしかった。中に、小さな紙片が挟まっていた。
その文字を見た瞬間、胸の奥で何かがざわめいた。怖いのに、行かなきゃいけない気がした。まるで、僕の足がもう誰かに操られているみたいだった。
*
旧校舎の三階は、立入禁止になっている。
埃っぽくて、窓も割れていた。
だけど、夕陽が差し込むと、そこはまるで世界から切り離された異空間のように美しかった。
「来てくれたんだ」
その声に、息が止まる。
振り向くと、瑠羽がいた。
白いシャツに黒いリボン、薄い微笑。
まるで何も変わっていないのに、何かが決定的に違った。
——瞳の奥が、壊れていた。
「ねぇ、真白。僕、ね……“また始めた”んだ」
「……何を」
「“集める”こと」
そう言って、彼は教壇の引き出しを開けた。
中には、瓶がいくつも並んでいた。
中身は、水ではなかった。
赤。淡い桃色。深い黒。
——液体だった。
「これ、なに……?」
「感情だよ。人の“感情”を少しずつ、瓶に詰めてるの」
彼は笑った。
「泣きたい人の涙、怒りで震えた息、そして——君の“優しさ”も欲しい」
「やめろよ……そんなの、もうおかしいよ」
「おかしい? でも、君だって僕を“助けたい”って思ってるでしょ?」
瑠羽の声は静かで、やさしかった。
だからこそ、怖かった。
「助けたいと思うなら、ここにいなきゃよかったんだよ、真白」
「……どういう意味」
「君が僕を助けるたびに、僕は“死ねなくなる”んだ。
だから、君は僕を殺してよ。——優しさで」
その瞬間、瑠羽は僕の手を掴んだ。
硝子の破片を握らせて。
血がにじむ。
「痛い?」
「……痛いよ」
「じゃあ、それを僕に分けて。痛みを、少しだけ」
彼の声は震えていた。
まるで泣いているようだった。
瑠羽が僕の指先を口に含んだ。
血の味が、唇を伝う。
世界が止まった。
心臓が跳ねて、息が詰まった。
「ほら、甘いね。君の優しさ、ちゃんと味がする」
瑠羽の微笑みは、涙に濡れていた。
硝子の靴が落ちて、カランと音を立てた。
割れた。
その瞬間、彼は笑った。
「ねぇ、真白。硝子が割れる音、好き?」
「……なんでそんなこと聞くの」
「だって、“愛の音”だから」
彼が僕の頬を撫でた。冷たく、優しく。
その瞬間、胸の奥で何かが決壊した。
——もしかしたら、僕も、彼と同じ場所まで堕ちていけるかもしれない。
そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎった。
そして、瑠羽の瞳に、自分の涙が映った。
「泣かないでよ。泣くと、君まで壊れちゃう」
彼が微笑んだ。
その笑顔の音で、またひとつ、硝子が割れた。
殺人アリスとお人好しのシンデレラ。 ぬるま湯 @Siori_002
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