英語の話せるニートがMI6に就職してしまう!
森の ゆう
ニートがMI6?
「おめでとうございます、採用です」――まさか、この一言で人生がひっくり返るとは思っていなかった。
俺の名前は高橋ヒロシ。二十八歳、三年目の自宅警備員。
毎日昼過ぎに起きて、カップ焼きそばをすすりながら英語ニュースを聞き流すのが日課。
「英語くらいできないと、グローバル時代についていけないしな」なんて言い訳しながら、就職活動からは逃げていた。
そんな俺がたまたま見つけた求人――
> 「英語堪能な方募集。国際的業務。未経験者歓迎。」
“国際的”の響きに惹かれ、会社名も確認せず応募。履歴書の特技欄には「Netflixを字幕なしで見られます」と書いた。
翌日、まさかの一次面接通過メール。
オンライン面接の相手は金髪の女性だった。
「Can you keep a secret?」
――秘密? 家族に“ニート”って言ってないくらいには守れる。
「Of course!」と答えたのが、運命の分かれ道だった。
数週間後、封筒が届く。中には航空券と雇用契約書。そして送り主の名前には――“MI6 London Office”。
……いやいや、イギリスの諜報機関って、あのMI6? ボンドとかの?
ミツル・イチロー・シックス株式会社とかじゃないのか?
半信半疑のまま飛行機に乗り、到着したロンドン・ヒースロー空港でスーツ姿の紳士が待っていた。
「Mr. Takahashi? This way, please.」
本物だった。黒塗りの車、本物のID、そして謎の地下施設。
迎えた白髪の上司は言った。
「君が新しい通信解析担当か。匿名性と社会的接点の薄さが理想的だ」
――要するに、ニートがピッタリだったということか。
研修では盗聴音声を聞き分ける訓練を受けた。
“tea”と“team”を間違えると世界が終わるらしい。
隣の席のイケメンエージェントは昼休みに「昨日プーチンの護衛を尾行した」とか言っていた。
……なんなんだここ。
数日後、上司エムが呼んだ。
「タカハシ、初任務だ」
机に置かれたのは黒いUSBメモリ。
「これを、指定のカフェで“青いスカーフの女”に渡せ。受け渡し後はすぐ立ち去れ」
「え、ぼくが現場に!?」
「君なら怪しまれない。どこからどう見ても一般人だ」
褒め言葉なのか、屈辱なのか、判断に困る。
ロンドン市街。午後二時前。
俺は震える手でUSBをポケットに忍ばせ、カフェの隅に座っていた。
イヤホンの中でエムの声が低く響く。
「落ち着け。ドアのベルは聞くな。足音を数えろ。ターゲットは青いスカーフだ」
その瞬間、ドアが開き、青いスカーフを巻いた女性が入ってきた。
淡い空色。視線は静かで、無駄がない。――間違いない。
俺は自然を装い、立ち上がる。
「すみません、砂糖を取っていただけますか?」
女性が微笑み、スプーンを差し出す。
その一瞬、俺はポケットのUSBを手の中で滑らせ、彼女のバッグの横ポケットへ静かに落とした。
わずかに目が合い、彼女の唇が動く。
「Thank you.」
それだけ。
受け渡し、完了。
俺は紅茶をすすり、立ち上がった。――その瞬間、ドアが勢いよく開く。黒スーツの男が四人、店に入ってきた。
(うわ、まじで来た!)
イヤホンからエムの声。
「非常口から出ろ。ただし押すな、引け。Pullだ」
了解。Pull。覚えた。
俺は財布を取り出し、レジへ向かう。
「お会計お願いします」
「現金ですかカードですか?」
「雨の日スタンプ二倍です」
(こんな時にスタンプ!?)
黒スーツが近づく。俺はカップをわざと倒した。
紅茶がテーブルに広がり、客が悲鳴を上げる。
その混乱に紛れ、俺は非常口へ――引く!
開いた!
(Pull正解!)
裏通りへ飛び出す。雨。石畳。鳩が飛ぶ。
黒スーツが追ってくる。俺は全力で走った。
「左に曲がれ。青いバンが見えるはずだ。運転手に“Rain at two”と伝えろ」
エムの指示。俺は叫ぶように言った。
「Rain at two!」
運転席の男がうなずいた。「Get in!」
ドアが閉まる。同時に後ろで黒スーツが角を曲がった。間一髪。
「USBは?」
「彼女に渡しました!」
運転手は満足そうにうなずく。
「Good job, mate.」
……俺、ほんとにスパイやってるのか?
帰還後、エムは紅茶をかき混ぜながら言った。
「君の“偶然性”は見事だ」
「偶然というか……ただ運が良かっただけです」
「運こそ才能だ」
――いや、それは違うと思うけどな。
その後も任務は続いた。
パブの客同士の会話から暗号を拾ったり、歌詞の中に隠された地名を聞き分けたり。
俺の“無駄にいい耳”が、意外と役に立つことを知った。
ニート時代に覚えた英語の発音は、今や情報戦の武器になっていた。
ある日、エムが再び呼んだ。
「君には共同任務だ。CIAとの連携になる」
現れたのはキャップを深く被った女性エージェント。
「ジェーン。あなたが“Sleepy”?」
「はい、寝不足気味です」
「いいわね。私は足が速い。“Ear and Foot”。組もう」
任務は港でのデータ受け渡し阻止。
夜の倉庫街。霧と潮の匂いが混じる中、ジェーンが無線で囁く。
「Sleepy、聞こえる?」
「バッチリ。ターゲットは左のクレーン。青いスカーフの女がまた出てる」
「前回の彼女?」
「多分、味方だ。USBを届けてくれたスパイ」
ジェーンが影のように動く。
次の瞬間、金属音と短い悲鳴。
「確保完了。USBも」
「Good job」
ジェーンは笑った。「偶然を味方につける天才ね、あなた」
任務完了後、パブで乾杯。
「で、あなたなんでスパイやってるの?」
「ぼく、英語が話せるニートだったんです」
「過去形?」
「たぶん」
「いいじゃない。ラベルが剥がれたのよ」
グラスの泡が消える音が、なぜか心地よかった。
翌朝、エムの部屋。紅茶の香り。
「タカハシ、正式配属だ。“言語・偶然活用係”。」
「そんな係あるんですか?」
「今できた」
エムは微笑んだ。
「君の仕事は、音の隙間を拾い、人の間に落ちた偶然をつなぐことだ」
俺は笑った。
「じゃあ、Pullの張り紙は“Both”にしておきます」
「いい判断だ」
窓の外、ロンドンの雲間から光が差す。
俺はスマホにメモした。
“Make your luck their plan.”
日本語で書き添える。
“偶然を、誰かの必然に。”
カフェのドアを開ける。今日は雨じゃない。
けれど俺はまたスコーンを買って、スプーンを一度だけ鳴らした。
音は短く確かに響き、どこかで誰かがそれを聞いた気がした。
――俺はもう、英語の話せるニートじゃない。
俺は、偶然を拾って渡す仕事の人だ。
コードネームは“Sleepy”。眠そうに見えるのは仕様だ。
でも、今はもう、ちゃんと目を開けている。
英語の話せるニートがMI6に就職してしまう! 森の ゆう @yamato5392
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