第4話 「別れ」と「出逢い」
「陽香…今日の誕生日パーティーどうだった?…楽しかったか?」
囁くほどの声で陽香に話し掛ける。
誕生日パーティーも終わり、僕は陽香の眠る布団の傍に座っている。
「誕生日が命日だなんて…僕は一生悲しみが止まらないじゃないか…」
今日から始まった毎年の誕生日は陽香の命日だという事実に涙も止まらない。
一生、それも毎年必ずやってくる誕生日…この心を抉るような深い傷はもう消える事はない。
虚しさに孤独感…
そしてこれから先の未来に夢や希望も無くなって、ただ絶望感だけが心の中を支配していく。
ふと陽香の枕元を見ると、鞄と誕生日プレゼントが受け取り主を失って悲しんでいるように感じられた。
その様子を見ていた百香さんが
「陽香の部屋に持っていく?」
潤んだ瞳で問いかけてくれた。
「…うん…」
陽香への誕生日プレゼントと鞄を持って立ち上がった僕を叶空さん、美香さん、叶悟さんも涙を浮かべて見送ってくれた。
階段を上がり、陽香の部屋の前に着いた。僕は返事がないのは頭の中では分かっていたが、もしかしたら
「今のはうっそー!引っ掛かったなぁ!」なんて笑っている陽香がいてくれていることを願いながらドアをノックした…
「…」
返事はない…
「…」
諦めて…
「入るよ…」
部屋のドアを静かに開けて部屋の中に入った。
陽香がまだ居るような香りが残っている…照明をつけて部屋の中を見回した…陽香の姿を捜すように…
陽香の香りに心が化学反応するかようにジーンとなって涙が湧き出してきて止まらない…。
僕はそれを拭いながら机の上を見ると、隅の方に指環のケースが置いてあったのが視界に入った。まだ一度しかつけていない指環…
昨日の誕生日プレゼントの買い物で、陽香が指環を見つめながら嬉しそうにしていた笑顔が思い起こされて
「うっ…うっ…うううう…」
我慢できずに声が出る。
泣きながら机の上に鞄とプレゼントを置いた。
今日の僕からの誕生日プレゼントを開けてくれる人はもういない…
「僕も陽香からの誕生日プレゼントは開けないよ…陽香と一緒に開けたいから…」
誰も居ない部屋の中で陽香に約束するように言った。
止まらない涙を何度も何度も拭いながら…
「陽香…」
部屋にいると心の中が何度もジーンとして悲しみが込み上げてきて居た堪れない…
「陽香…また来るからな…」
そう言い残して照明を切り部屋を出た。
階段を降りてゆっくりと陽香の傍に座った。
「翔ちゃん…こうやっていられるの今だけだから…陽香のすぐ傍にいてやってね…」
美香さんが涙流らに声を掛けてくれた。
「…うん…」
僕は頷きながら返事をした。
(そんな…もう傍にいられなくなるなんて…嫌だ…ずっと…ずっと…傍に居たいんだ…いつまでも…)
僕と叶悟さんと叶空さんは交代しながら線香とろうそくを途切れさせないように見守る。
大した会話もなく交代していく。
パーティーが終わって何時間経ったのだろう。気になってふと時間を見ると、もうすぐ今日が終わろうとしていた。
(もう一緒に誕生日プレゼントを買いに行くことも、一緒に誕生日パーティーをすることも無くなってしまうんだ…いや、毎年やってやる!忘れないために…陽香を忘れない…忘れたくないんだ!)
僕は自分自身に言い聞かせた。
(毎年、陽香への誕生日プレゼントは買うから…僕へのプレゼントなんていらない…もし、くれるなら…プレゼントは…陽香が戻ってきてくれる事だよ…それだけでいい…それだけ…)
僕は神様にお願いするように心の中で叫んだ…
(僕の願いは一つだけ…それは陽香が…戻ってきてくれることだけなんだ…それだけでいい…他は何もいらない…だから…神様…)
願っているうちに日付は変わっていった。
◇
2007年4月11日水曜日、何もなければ学校に行く日である。何もなければ…陽香と一緒に学校へ…
朝日が眩しい。日の出だ…一緒に朝を迎えることができた。
(朝だよ陽香…起きよう…)
朝日に反射した光るものが頬を伝う。
起きてくれない彼女を見つめて辛くなる。
(もう陽香を見ることだけしかできないなんて…)
悲しい一日が始まった。
間もなくして全員がリビングにやって来る。
陽香の家族は皆リビングで寝ていた。
近所だが僕の家族もこの家に泊まっていた。
一生さんも起きてきた。
そして両家の祖父母も起きてきた。
静かな朝食の後、皆が動き出す。
葬儀社の方との打ち合わせに食事の買い物、僕の家族と一生さんは近所にある自宅へ。
祖父母も一旦自宅へ帰り、色々と大変そうだ。
僕だけは皆から陽香の傍にいるように言われて座っている。
美香さんと叶悟さんは葬儀社の方がやって来て日程の話や棺のサイズ確認など…いよいよ始まる現実を誤魔化せない日がやってきたのを僕は感じ取っていた。
十二日が友引らしく、なんか大変そうだ。
僕はチラチラと皆の忙しそうにしているのを見ていた時に美香さんが葬儀社の方と話しながら僕の方を見ていた。何か辛そうな表情で。
僕は、たぶん陽香を見ているものだと思っていた。
すると、葬儀社の方との話しに叶悟さん、叶空さん、百香さんまで集まって何やら真剣に話をしながら皆が僕の方を見てくる。その姿が僕の中にちょっとした引っかかりを感じたが葬儀の話だろうと思って陽香の顔を見つめた。
あっという間に昼食の時間。
陽香の枕元の食事も合わせて変わっていく…
やがて夕方になり、妹の彩香がやってきて
「兄ちゃん、友達が来てるよ」
「どこに?」
「家に来たけど陽香ちゃん家に連れてきたの…今、外にいるわよ」
僕は彩香に代わってもらって外に出た。
そこにはバンドメンバー全員が揃っていた。
「朝霧くん…」
由美が皆を代表して話しかけてくれたが、由美は溢れる涙で言葉が出ない。
そして皆も涙を流して泣いていた。
「…ごめん…傍にいたのに…陽香を守れなくて…」
「朝霧くん…謝らないで…」
奈々が泣きながら言ってくれた。
「たまたま…現場の傍にいたクラスメイトが教えてくれたの…陽香は朝霧くんを助けたんだって…それで…」
咲季も泣きながらその時の事を話してくれた。
僕はその時の話しを聞いて、我慢していたものが急に溢れ出してきた。
僕はもう皆に頷くことしかできなくなった。
「朝霧…」
考平が名前を呼んで途切れた。
考平も同じように泣いていた。
僕はここでしっかりしないと、と思い。
「ちょっと待っててくれ…」
家の中に入り美香さんに
「バンドメンバーが来てくれてるんだけど…陽香に会わせてもいい?」
涙を堪えながら言った。
「ええ…いいわよ」
美香さんも涙を堪えて言ってくれた。
そして美香さんの周りにいた叶悟さん、叶空さん、百香さんも涙を流しながら頷いてくれた。
僕は頷きバンドメンバーを招き入れた。
メンバーの前には眠る陽香が…
メンバー全員がその姿に泣き崩れていった。
「…陽香…」
「水森さん…」
「陽香…」
「はるちゃん…」
メンバー全員が陽香の名前を呼ぶ…
その姿に陽香の家族全員が涙を流していた。
翔太郎も我慢の限界にいた…
「ありがとう…みんな…陽香も喜んでいるよ…」
その言葉とともに堪えきれなくなった涙が溢れ出た。
誰よりも多く流れる涙…
その姿をメンバー全員が見つめて、奈々がそっと翔太郎の背中に手を当てた。
「一番辛いのは翔くんよね…」
奈々の言葉に頷き溢れ出る涙を拭う翔太郎。
皆は言葉を失っていた。
順番に陽香に手を合わせていく。
皆陽香と話したいこともいっぱいあったろう。
メンバー全員との会話もなく、ただ時間だけが過ぎていく。
メンバーの由美が
「さあ、そろそろ…」
メンバーに声をかけていた。
全員は手を合わせてその場から外へ出ていった。
僕は外まで付いて行き、メンバーに
「ありがとう…」
とお辞儀をしながら言っていた…
「翔くん…しっかりね…」
奈々は、寝不足で、もう何回も泣いたであろうその疲れ切っている姿を気にしながら泣きそうな声で囁いた。
翔太郎はその声に頷いて奈々の顔を見た。
泣きながらも笑顔を見せて奈々も頷いてくれた。
メンバーも皆、僕のことを気にしてくれているようだった。
「今度、授業のノート写させてくれよ」
メンバーに言うと皆が頷き、笑顔を見せてくれた。そして軽く手を上げて「またねー」とでもいう挨拶を交わして皆を見送った。
◇
家の中に戻ると
「明日は友引だから、お葬式は明後日、四月十三日に決まったわよ」
美香さんから予定を言われた。
僕はもう一日一緒にいられる日ができてちょっと嬉しかった。
「陽香…もう少しだけ一緒にいられるよ…」
泣き疲れた顔を笑顔にして陽香に向いて話しかけた。
段々と日が暮れていく…
そんな時に叶悟さんがデジタルカメラを持ってきた。
「翔太郎くん…陽香との最後の日をこれから撮っていこうと思うんだ…陽香がいた事の…最後まで…」
目を潤ませながら翔太郎に言った。
「…うん…お願いします…」
翔太郎も目を潤ませて返事をする。
電子音が何回も鳴り出す。
陽香との最後までを記憶と記録に残すため…
◇
四月十二日木曜日、陽香との短い一日が始まった。
朝食も終えて暫くすると葬儀社の方や花屋さんがやってきた。
集まった家族親戚全員がスーツや黒の服を着ていた。家にいる陽香の家族もスーツ黒の服を着ている。
よく見ると父さんも叶悟さんもネクタイはしておらず、母さんや美香さんも黒の服だがなんとなく雰囲気が違うような気がした。
でも、僕はその姿に陽香と一緒にいられるのが短くなったと感じた。
「翔くん…今日ね…陽香を着替えさせようと思うの…」
美香さんが最後に近づいていることを遠回し言っているように聞こえた。
「…うん…」
もう頷いて返事をする以外には何もない。
そして陽香の着替えが始まり、その間僕は見守るしか無かった…なかったが…着替えさせている服に僕はこれまでで一番多くの涙が溢れ出てくるのが分かった。
「…美香さん…この服…」
着替えを手伝っている美香は翔太郎の方に振り返り
「そうよ…陽香がやり残した一番大切な…夢よ」
涙を拭いながら答えた。
着替え終わった陽香。
煌びやかさはないがシンプルなウエディングドレスを着た陽香…
ウエディングベールを被せた顔はベール越しだが嬉しそうに見える。
その姿にここに居る全員が泣いていた…
「翔ちゃん…ごめんね…黙ってて…」
「…いいよ…陽香の…夢だから…」
僕はもう見ることはなかったであろう婚約者のウエディングドレス姿が見れたことに、堪らない嬉しさと堪らない悲しみが同居する、何とも言えない複雑な気持ちがあって、笑顔であったが涙が溢れ出している姿に誰も言葉が出なかった。
「翔くん…お願い…」
美香さんが涙が止まらないまま両手を上げて僕に服を差し出した。
陽香の家族、僕の家族、そしてここにいる皆が頷きながら僕を見ていた。
「…いいの?…」
「…陽香の…一番大切な…夢を…叶えてあげて…」
美香さんが泣きながら言葉を詰まらし、僕にお願いをしてきた。
「頼む…」
叶悟さんが涙を溢れさせながら一言…
皆からのお願いに僕は黙って頷いた。
「…陽香の部屋で着替えて…」
美香さんが声を振り絞って囁いた。
僕は頷いて服を受け取って陽香の部屋に入っていった。
入った部屋の中で涙を拭い着替えながら
(陽香…こんなことになるのなら婚約じゃなくて…すぐにでも…夢を叶えてあげたかったよ…)
僕は後悔の気持ちが大きくなっていくのが自分でも分かっていた。
着替え終わり
「よし、いくぞ!」
黒のタキシードを姿見で確認して、涙を堪えて部屋を出ていった。
階段を降りていく…
皆が涙を流しつつも笑顔で迎えてくれた。
そのまま陽香の前で立ち止まって陽香のウエディングドレス姿を見る…
眠っている陽香が笑顔になった気がした…
叶悟さんが涙を流しながらシャッターを切る。
部屋にはデジタルカメラの電子音が何回も小さく鳴り響いていた。
「翔くん…お願いがあるんだ…」
叶悟さんが涙を拭いながら話しかけてくれて、美香さんと香菜さんに頷き合図をした。
「翔くん…ごめんね…こんな日に…」
美香さんが箱と大きい封筒を陽香の枕元に置いた。
続いて香菜が小さな箱を枕元に置く…
「翔太郎抜きで決めちゃってごめんね…」
母さんも涙を流しながら囁いた。
「…姿があるうちにどうしても…」
美香さんが涙流らに呟いた。
僕は何のことだか分からずにいると
「只今から…結婚式を始めます…」
仲人だった一生さんが娘を抱いて涙声で始まりを告げた。
僕は告げられた言葉に驚いた。
「…みんな…」
堪えていたはずの涙がいつの間にか頬を伝っていった。
みんなは涙を流しながらも笑顔で忍手での拍手をする。
叶空さんがMDラジカセの再生ボタンを押す。小さい音量で歌声のないフュージョンの曲が流れる。
穂香ちゃんを彩香に任せて一生さんが司会を始めた。
「兄さん、お願いします」
一生は叶悟に向いて頷く。
叶悟はそれを見て頷き
「…この度は急に決まったことにもかかわらず…すいません…翔太郎くん…ごめんなさい…」
叶悟は翔太郎に向き一礼した…続けて
「どうしても…陽香の…ゆ…め…夢を…叶えてあげたくて…このような形ですが…執り行なうことと致しました…ありがとうございます…」
涙ぐみながら一礼し、なんとか言えた叶悟。
「それでは…姿ある限りの限定で続けます…」
一生さんが涙を堪えて司会を続ける。
「新郎…朝霧翔太郎…あなたは水森陽香を妻と…することを誓いますか?」
「…はい…」
辛さを堪えて返事だけした…
一生さんはたまらず涙を流しながら…
「…し…新婦…水森…陽香…あなたは…朝霧…しょ…翔太郎を夫…とすることを…ち、誓いますか?…沈黙をもって返事とします…」
一生の言葉に全員が一斉に涙を流し泣き始めてしまった…
少しの間が空き、
「続けましては…」
一生が香菜に視線を向けると陽香の枕元の小さな箱を手に取り箱からケースを出して翔太郎の前に見せてケースを開けた…
その中から現れたのは二つのリング…
それを見た翔太郎は泪が溢れ出した。
「こっちのリングを…陽香ちゃんの左手の薬指に通してあげて…」
「母さん…」
母は静かに頷いた…
僕も頷くと、泪を拭いながらリングを手に取りしゃがみ、温かさのない血色がなくなった左手をそっと浮かして薬指にリングを通した…翔太郎の泪がリングに零した…
そして母が開いたままのケースを翔太郎の前に差し出すと…静かにリングを手に取り自分で左手薬指に通した…通したリングを俯いて見ていると、泪はまたもリングに零す…
そして、自然とベールに手をかけて頭の上にずらした…眠ったままの…優しい顔…
「翔太郎くん…これ…」
今度は美香さんが大きい封筒から紙を出して僕に見せてくれた。
婚姻届と書いてある紙だった…
よく見ると『妻になる人』には、間違いなく陽香の字で書かれてあった…
なぜこのようなものに書いていたのか訊きたかった。
「なぜ?…」
美香は冷静にしつつ
「これはね…陽香に…どうしても…試し書きしてみたいからって頼まれて…区役所からもらってきたのよ…」
「…」
僕は何も言えなかった。
「これ…書いたの…九日…月曜なの…」
その言葉に全員が驚き、声も出ない。
美香は続けて
「提出日…見て…」
僕は美香さんが指差すところを見ると…
『平成19年4月10日』
と記入されていた…
「陽香はね…本当は…すぐにでもしたかったのよ…だって…女性は十六歳からできるでしょ?…」
四月十日…陽香…十六歳の誕生日…
美香は泣きながら話し続ける
「…でも…男性は十八歳でしょ?…だから…翔太郎くんの誕生日がくるまでこれを書いて持ってるって…その時がきたらこれは捨てて新しいの書くんだって…」
美香はその時の様子を思い出し、涙流らに話してくれた…
そこまで僕の事を想ってくれていたことに心が泣いている…
「美香さん…」
僕は美香さんに頷きながら婚姻届を貰い受けてリビングのメモ用紙と一緒に置かれているペンを手に取り『夫になる人』欄にペンを走らせた。
書き終えると一生さんが裏の証人欄を埋めていく。
一生さんと有香さんの名前が書かれて婚姻届はすべて書き終えた。
その様子を叶悟さんがシャッターを切っていく。
そして、陽香の周りに皆が集まりセルフタイマーで全員が収まる。僕は婚姻届を手に持って写っていた。
「これで結婚式は終了させていただきます」
一生さんが終わりを告げた。
時間も昼に近かったので食事の用意が始まる。
美香さんが陽香の枕元の箱を開けて皆に見せる。
「ウエディングケーキよ」
それは陽香が好きだった苺のショートケーキだった。
陽香の枕元に一つ置いて手を合わせ、残りを小皿に載せていく。
食事が始まった。
陽香と一緒にいられるのもあと少しだと思うと辛くなる。
食事中に皆がチラチラと僕を見ている。
僕はなぜ皆が僕を見ているのか不思議に思ってると
「指環…似合ってるわよ…」
美香さんが陽香と僕を見て言ってくれた。
食事をしているところからはちょうど陽香の左側が見える位置なので、光り輝くものが目に入る。
「…ありがとう…」
僕は美香さんに少し笑顔になっていた。
「そうそう…今からは翔太郎くんが喪主よ…」
突然言われた美香さんの言葉に意味が分からなかった。
「も…しゅ?…」
「そうよ…」
美香さんが頷くと、叶悟さんが
「そうだよ…翔太郎くんは陽香と結婚したんだ…最初で最後の…夫と妻の儀式…だ…」
目に涙を湛えてそう告げた。
喪主とは故人との関係が最も深い人が務めるらしい。婚約者であり、先程形式上結婚した僕が喪主になった。
昼食後、葬儀社の方が準備を進める。
眠っている陽香の位置が変わる…
花輪や門にお通夜の貼り紙がリアルに現実を訴え掛ける。
棺に入るのは明日の朝に決まり、これからのお通夜と明日の葬儀、告別式の流れの説明が全員に伝えられ、喪主の挨拶を僕がすることになった。
「挨拶って…何を言えばいいの?」
僕は何も分からず母に訊いた。
「そうね…姉さんに相談してくるわ…」
言い残して美香さんのところへ向かっていった。
「最初で最後か…」
寂しそうに呟く翔太郎。
暫くして母さんが紙を持って戻ってきた。
「翔太郎…これに書いたから、練習してなさい…」
そう言われて僕は陽香の元に行き顔を見つめる…
「…陽香の夫として…ずっと…」
僕は泣き出しそうになったが、堪えて
(しっかりしないと…はる…いや、妻と…)
僕はこの現実を漸く受け入れて練習をし始めた。
ワイドショーが始まる頃
「翔太郎、着替えなさい…」
母さんがスーツを持ってきた。
タキシードからスーツに着替えるとお通夜の時間と流れの再確認があり、皆慌ただしく動き出した。
お通夜は高校のクラスメイトや中学時代のクラスメイト、中学高校の教師も参列するので学校の時間に合わせて夕方に始まる。
『故 水森陽香 儀 喪主 朝霧翔太郎』
間もなく始まるお通夜に参列者が集まり出す。近所の方、クラスメイトに教師…
線香の香りに包まれて読経が始まった。
次々と焼香していく…
だが参列者達はその姿を見て皆が驚いていた。
そう…ウエディングドレス姿の陽香を見て…
皆に左側を見せて眠る彼女…夕陽が見える、まだ明るい光に反射して、左手薬指から光り輝くものを知らせた。そして…枕元には婚姻届が…
女子達は陽香の傍にいる翔太郎の左手薬指にも同じく光り輝くものを見つけて泣き出した。
男子達は何も分からなかったが、女子から伝わり泣き出した…参列者の皆が二人を見て泣き出したのだった…
皆が泣き止まずにいるが焼香も読経もすべてが終わり線香の香りと煙が漂う中、喪主の挨拶が始まった。
翔太郎は立ち上がり
「本日はご多忙の中、妻、陽香の通夜にお越しいただき、誠にありがとうございます。故人に代わり、心より御礼申し上げます。本日は故人が生前から希望しておりました形にて執り行わせていただきました。せめて…本日だけは…朝霧陽香としていさせてください…お願い…します…生前は皆様からの格別のご厚情を賜り、大変感謝しておりました。明日の葬儀、告別式は午前十時よりこちらにてにて執り行います。本日は誠にありがとうございました」
涙を伝わしながら挨拶をする翔太郎に皆、悲しみが止まらない…
通夜振る舞いが始まるとバンドメンバーが集まってきて
「朝霧くん…」
幼稚園からの友達である由美が一言名前を呼ぶ…
続けて
「陽香の夢…叶えてくれたのね…」
言葉もなく頷く翔太郎
「ありがとうね…」
咲希が涙流らにお礼を言った…メンバー全員が陽香の夢を知っていたようだった。
「急に陽香から結婚を迫られたでしょ?…あの前の日に皆で集まっていた時、陽香に相談されたの…」
咲希は前の日の事を話し始めた
「そ、相談って?…」
翔太郎はビックリして訊き返した。
◇
咲希は婚約を言い出した前の日の事を話し始めた。
婚約話を言い出す前日…
「みんな!合格できてよかったぁ!」
陽香が胸を撫で下ろして言った。
「そうそう!これで高校も一緒だもんね!」
奈々の元気な声
「それに…朝霧くんと火野くんも…合格したし…ねっ!陽香!」
由美が意味ありげに陽香に言った。
奈々と由美と咲希は嬉しそうにしていたが陽香に
「高校生になったら大変よ!大丈夫?」
ニヤけて奈々が話しかける
「えっ?…何が?…」
陽香は何のことだか全くわからないようで首を傾げながら奈々に訊き返した
「決まってるじゃん!朝霧くんのことよ!バンドもやってて成績も良くて、中学でモテモテだったし…高校生になったら大変よ!他の中学からも来るでしょ?」
奈々は陽香に翔太郎のモテモテぶりを諭した。
陽香はハッとして
「取られる…」
「そうよ、安心していると女子から告白大会が始まるかもよ…あのルックスに成績も良くて、バンドしていて…陽香が安心してるなら私がもらっちゃうわよー」
奈々はニヤけて冗談のつもりで話していた。
「いやぁー!」
陽香が大声で拒絶した。
「そ、そうよ…こうなったら…けっ、結婚するしかないわね…」
陽香の本気な目に皆は落ち着かせようと由美が
「まっ、待って…結婚できる年齢よ!私達十五歳でしょ?」
「えっ?」焦っていた陽香は理解できなかった
「陽香、よーく聞いてよ…女性は十六歳、男性は十八歳よ」
「ええっ!男女共十六歳じゃないの?」
「そうよ…」
由美の説明に納得がいかない様子の陽香
「じゃあ、どうしたらいいの?」
再び焦り出す陽香
「みんな!何かいい方法ない?…」
泣き出しそうになった陽香に皆も考え出す。
考え込むこと十数分…
無言のまま、皆あまり知りもしない結婚の事に悩み出す。
(結婚以外って何があるのよ…朝霧くんが彼氏って言ったらいいんじゃないの?…あっ!それじゃあ駄目かなぁ…)由美も考えがまとまらない。
「あっ!…お母さんの妹が結婚する前に…それも高校に入学して間もない頃に婚約したって言ってたの思い出したの!」
陽香が言い出した。
「まっ、待って…婚約って…」
奈々が驚いて声に出す。
「よーし!翔太郎に結婚してくださいって言わせてやるー!…うふふ…」
陽香の超イケイケの雰囲気に皆、たじろいでいた。
「は、陽香…凄っ…」
「こ、怖っ…」
「言わせてやるって…」
咲希、由美、奈々は陽香の積極的な攻めの姿勢に執念深さを感じられずには居られなかった。
「でも…陽香…って、朝霧くんと付き合っていたっけ?」
奈々が尋ねたが陽香の耳に入らない。
「聞く耳持たずね…」
由美が陽香の様子をみて呆れて奈々に同情した。
「陽香ってこんなにも猪突猛進型だった?」
咲希が二人に訊いた。
「いや…明朗快活だとは思っていたけど…」
「もうちょっと落ち着いて考える娘だと思ってたけど…」
奈々も由美もこんな陽香を見たのは初めてだった。
もちろん咲希も。
「帰ったらお母さんと姉さんに話して、明日にも決行よ!」
陽香の決断の速さに三人は驚いていた。
「あ、あしたぁ?」
「はっ、早っ!」
「ええっ!」
咲希、由美、奈々は驚いていてそれ以上言葉が出てこない。
「あっ!翔太郎のお母さんにも言っとかなくちゃ!」
「…」
三人は陽香を見て唖然としていた。
「私達…一緒に…一緒にならないといけないの…何があっても…たとえ死んでも、生まれ変わっても…」
なぜそこまで拘っているのか三人には分からなかった。
◇
翔太郎は結婚を告白した日の前日にそんな事があったのかと知って驚いていた。
「…死んでも…生まれ変わっても…」
そこまで拘っていた言葉に
(生まれ変わってきてくれ…)
翔太郎は心の中で願っていた。
「皆、ありがとう…」
「いえ…あの時は大したこと言えなかったけど…」
翔太郎も言葉に咲希は悲しみを堪えて返事をした。
暫くして皆も帰り今日が終わっていく…
明日、陽香は居なくなってしまう…
陽香という姿が無くなってしまう…
いつも楽しく過ごした日々が進行形から過去形に変わる…
自分では分かっていても、受け入れたくない。
現在の姿を無くしてほしくない気持ちが全てを否定する。
眠ったままの姿を見つめて…
「せめて…生まれ変わっていて欲しい…できたら僕の傍で…」
ほんの少しの望みを願うように妻にお願いする。
「今度は絶対に結婚したい…もしも生まれ変わった陽香が現れてくれたら…」
叶わない願いなのに、どうしても願ってしまう。
翔太郎は今の…この現在形も否定する…
しかしそれは仮定法にすぎないんだと…
そう思うと辛くなる。
想い、悩みながら二人での…一緒に過ごす最後の夜がただ…過ぎていく…
◇
四月十三日金曜日
葬儀告別式の日。
朝日が、嫌でも朝を知らせてくる。
妻と最後の日が訪れた。
妻と…皆で取る最後の食事…
もう一緒に過ごせないんだと皆が現実を受け入れざるを得ない朝…
静かに流れるものが皆の頬を伝っていく…
枕元には皆と同じ食事が置いてある。
朝食後、皆が陽香の周りに集まってきた。
「陽香…」
皆名前ぐらいしか呼びかけることができない…
一人ずつ順番に手を合わせていく。
そしてそれぞれが静かに着替えだした。
葬儀告別式の準備を始め出す。
翔太郎も着替えて準備を終えて妻の元へ。
(嫌だ…今日が最後だなんて…)
心の中で叫ぶ。
「陽香ぁ…うっ…うっ…うううう…」
翔太郎の悲しみに皆声が出ない…
やがて葬儀社の方がやってきて棺が運び込まれてきた。
そしてウエディングドレス姿は棺の中に収まった。
「嫌だ…陽香…」
棺の中で眠る姿が別れを告げるように二人に壁を作った。
「なんで…なんでだよ…こんなに…行かないでくれ…」
皆は現実が二人を引き裂くようにされているのを見ていられなかった…
「翔太郎くん…」
美香は翔太郎の名前を呼ぶと続けて
「陽香の指環を外して…これを代わりに結んであげて…」
もう流れ出てきて止まらないものを拭いながら美香は翔太郎にリングの代わりに赤い色の紐を渡してきた。
「指環は入れられないの…」
その意味をなんとなく理解して
「…うん…」
翔太郎は美香から受け取って、涙を拭いながらリングを外して、代わりに赤い糸を左手薬指に結んだ。
「二人は…運命の赤い糸で結ばれていたのよ…」
美香はそう言うと泣き崩れてしまった。
そこに有香が病院から駆けつけた。
「陽香ちゃん…」
ウエディングドレス姿で左手薬指に赤い糸が結ばれている陽香…そしてその傍には婚姻届が…
それを見て有香も泣かずにはいられなかった。
「有香…今日は水森陽香ではなくて朝霧陽香として見送ってあげて…」
涙流らに声を震わせながら有香に言った。
「…分かったわ…姉さん…」
有香も陽香の夢を、現実では叶わなかった夢をこの場で実現させてあげたことを分かっていた。
全員が揃い、準備も整い葬儀告別式が始まる…
線香の香りの強さと読経で別れの始まりを知らせていった。
僕は今は見えない陽香の顔を棺越しで見ていた。
棺の壁でもう見ることができないのに…じっと見つめていた…
(もう姿が…まだずっと見ていたかったんだ…まだ…)
心の中で言うしかできなかった。
焼香が始まる。
皆から一番にするように言われて焼香をする…棺の中の妻を見つけて辛くなる…
(陽香…もっと一緒にいたかったよ…)
涙流らに語りかけていた…
その後次々と焼香が終わり、いよいよ花入れの儀になった。
陽香の顔の周りにいくつか置き、最後に手元に花を置いて陽香の顔をしっかりと見ていた…一生忘れないようにするかのように…
皆が花入れを終えて、静かに別れの時がやって来た…
釘打ちの儀…もう顔しか見れなくなった…
「陽香!陽香!陽香あああ!…」
翔太郎の叫びがこの場に響いて悲しみを煽る。
顔の部分が閉じられ棺が移動し始めた。
悲しみは止まらず移動する家の周りの景色が寂しく見えた。
そして黒い色の長い車は高校の門の前で一旦停止した。
そこには学校の先生方や生徒が立って陽香を見送っていた。
「…本当なんだ…」
僕は現実なんだと諦めて思わず声が漏れた。
姿を見られる最期の場所に着いて顔の部分が再び開けられた。
今まで笑顔に見えた顔が…
この時だけは悲しんでいるように見えた。
「陽香…」
僕は呼びかけたが何も返事はなく、陽香の顔は見えなくなった。最期の顔は心の中に刻まれた…
箱がガタガタと静かな部屋に響く。
ガチャンと扉の閉まる音で陽香が別れを告げたように感じた。
その後外に出て上を向いた…
別れを知らせる煙…
それを眺めながら…皆に呼ばれるまでずっと…
変わり果てた姿に衝撃を受けて言葉はない。
小さな箱に収まり、その姿に涙も枯れたようで出てこない。
家に着くと、遺骨と位牌は陽香が眠っていた場所に置かれた。
法要が行われ食事も終わり、僕は遺骨と位牌に手を合わせて家に帰っていった。
自宅で部屋に入ると虚しさだけが心の中を埋め尽くして、ここ何日かの眠気と疲れでいつの間にか眠っていった。
◇
四月十四日土曜日
目が覚めるとお昼になっていた。
階段を降りると
「翔太郎、有香の家に行くわよ」
「ん?なんで?」
「今日有香が退院したのよ、早くご飯食べて行くわよ」
母親の香菜は少しソワソワしていた。
食事を終えて準備も整い、父さん以外の三人で有香の家に向かった。
有香さんの家も近所なので歩いていける。
家に着いて中に入ると美香さんの家族も叶悟さん以外が来ていた。
こうやって赤ちゃんを見るのは有香さんの子供の穂香ちゃん以来だ。
皆に挨拶を済ませて赤ちゃんとご対面…
全てが小さく可愛い女の子だ。
僕は昨日までの事を忘れるように新しい生命の誕生を喜んでいた。そして赤ちゃんと目が合った時、何か心の中がドキッとした。
「ん?なんだ?…」
香菜がその声に反応した。
「どうしたの?」
「い、いや…赤ちゃんと目があってドキッとしたんだ…変だよね」
その翔太郎の言葉に有香さんが涙を流しだした。
美香も香菜も皆が慌てていた。
「どうしたの?有香…」
美香さんが声を掛けた。
「姉さん…この娘が産まれる時に陽香ちゃんの声が聞こえたって言ってたでしょ?」
「ええ…それがどうしたの?」
美香は落ち着いて訊いた。
「…実は…」
ハルカとハルカ 泉水しゅう @izumisyuu7
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