第三章 報復舌闘

3-1 記録の継承者

 目を開けた瞬間、白い光が視界を満たしていた。


 私は、見慣れた部室の机に突っ伏していた。

 壁のポスター、窓際の光、時計の針の位置――

 どれも、記憶と寸分違わない。


 けれど、胸の奥が冷たくざわついている。

 取り返しのつかない何かを失ったような感覚。


「……玲奈?」


 透子の声が聞こえた。

 顔を上げようとした瞬間、頭の奥におろし金を押しつけられるような痛みが走る。

 脳に、違う記憶を無理やり上書きされているみたいだった。


「っ……あ、痛っ……!」


 額を押さえた私のほほを、ひとすじの涙がつたう。

 理由はわからない。


 透子があわてて駆け寄る。


「玲奈、どうしたの? 大丈夫?」


「……わかんない。ただ……止まらなくて……」


 私は涙をぬぐおうとしたけど、次の瞬間、全身の力が抜け、崩れ落ちそうになった。


「玲奈!」


 透子がその身体を抱きとめる。

 透子の手のひんやりした感触が、かろうじて世界を現実につなぎ止めていた。


「保健室に行こう。すぐに。」


 私は透子に肩を支えられながら、ゆっくりと部室を出る。

 その腕に寄りかかりながら、自分の涙が透子の袖を濡らしていくのを、ただぼんやりと見ていた。


 廊下は、いつも通りのざわめきが届かなかった。

 笑い声、足音、部活に向かう生徒たち。その気配は希薄で、遠くで鳴る鐘の音だけが響く。不気味なほど静かだ。


 私は、透子の背にしがみつく。


「ねえ、透子……」


「なに?」


「……私たち、前にも……こうして、歩いたことある気がする」


 透子は一瞬、足を止めた。

 けれどすぐにほほ笑み、優しく私の背をさすった。


「気のせいだよ。すこし疲れてるだけ」


 私は納得しようと小さくうなずいた。

 でも、その言葉がどこか空虚に響いた。


 目の奥で、白い光がちらつく。

 そのたびに、消えていった誰かの笑顔が断片的に浮かんでは、霧のように消えていった。


“玲奈は……いま、幸せか?”


 誰の声かもわからないまま、そんな言葉だけが頭の奥に残っていた。


 私は透子の肩におでこを押しつけ、静かに息を吐いた。


 何かが、もう二度と戻らない。

 それだけは、たしかに感じていた。

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