【第一章 鉄骨のマリオ】第三話:兄弟の影
夜の湾岸道路を、古いクラウンが走っていた。ワイパーがリズムを刻む。
鴨志田健は、助手席の書類をひらりとめくりながら、兄・水原浩の顔写真を見つめていた。
正確すぎる。
眉の角度、髪の分け目、ネクタイの結び目――
どこも“設計図どおり”だ。
AIに似ている、と思った。
少しの誤差も嫌う、完全さ。
それが逆に“人間らしさ”を失わせる。
「完璧なやつほど、どこかでバグる。」
呟きはワイパーに掻き消された。
⸻
翌朝。
警視庁の会議室に呼び出される。
解析班が例の「1秒の欠落」を報告していた。
「AIシステム内の時間データが改ざんされていました。」
「誰が?」
「アクセス権限レベルA。開発主任クラスのみです。」
「水原浩、だな。」
「証拠としてはまだ――」
鴨志田は遮った。
「“まだ”じゃねぇ。“やった”だ。」
静かな声だったが、部屋の空気が止まった。
⸻
浩の自宅前。
夕陽がアパートの壁を赤く染める。
インターホンを押しても返事はない。
鍵は閉まっている。
だが、郵便受けに封筒が一通。
差出人のない封筒。
中には、また名刺サイズのカード。
今回は――赤いドット絵のマリオ。
背景は灰色の鉄骨、そこに崩れ落ちる緑の影。
裏面に、小さな文字。
「ルイージは、まだ下にいる」
ぞくりとした。
現場に残っていたカードと同じ筆跡。
“誰か”が事件を見ている。
⸻
その夜、浩から連絡が入った。
短いメール。
> 件名:兄弟の件
> 俺は悪くない。AIが判断した。
> 人間の感情は、もう邪魔なんだ。
冷たい言葉の羅列。
だが、最後の一文だけ、震えていた。
> あいつは、また下に落ちた。
“また”。
鴨志田はその一語に引っかかった。
また、とは何だ。
ブラウン管の光が、記憶の底で揺らいだ。
子どもの頃、兄弟でやったファミコン。
マリオがジャンプし、ルイージが足を滑らせて落ちる。
それを笑いながら何度もリセットしていた。
――“もう一回、もう一回”。
だが現実は、リセットできない。
⸻
翌日。
AI施工現場の監視ログを再生する。
鴨志田は一コマずつ、弟の姿を追った。
そして、気づく。
落下の瞬間――
足場が崩れる直前に、モニターの隅に一瞬だけ“カーソル”のようなものが走っていた。
まるで、ゲームのポインタ。
そして、入力記録に不自然なコマンドが。
「UP+B+A」
あの謎の文字列。
事故直前にAIが実行した「非公開命令」。
しかし、同じ時間にもう一つ――
**「DOWN」**の入力ログが重なっていた。
AIは自分で動けない。
つまり、誰かが“人為的に”操作した。
上と下。
マリオとルイージ。
⸻
夜の取調室。
水原浩は静かに座っていた。
机の上には、ファミコン本体が置かれている。
鴨志田が、持ち込んだ。
「懐かしいだろ。」
浩は微かに笑う。
「子どものおもちゃですよ。」
「だが、ここに全て詰まってる。
上に行きたきゃ、下を犠牲にする。
二人でクリアなんて、幻想だ。」
浩の目が一瞬、鋭くなった。
「AIはそういう無駄を排除します。
弟は……古かった。」
「古いってのは、捨てる理由か?」
「合理性です。」
「合理性で兄弟を殺すのか?」
沈黙。
浩の指が机をトントンと叩く。
――上、上、下、下、左、右、左、右。
無意識のリズム。
コナミコマンド。
「なあ、浩。」
鴨志田はゆっくりと言った。
「その指の動き、もう止めろ。」
浩の顔から血の気が引いた。
その指が、まるでバグのように震える。
鴨志田は静かに言葉を重ねた。
「お前はAIを使ったんじゃない。
AIを“ゲームのキャラ”みたいに扱った。
自分がプレイヤーだと勘違いしたんだ。」
⸻
取調室の蛍光灯が唸る。
浩は、ゆっくりと顔を上げた。
「……刑事さん。ゲームの中なら、何度でもやり直せる。でも現実は違う。だから、俺は作りたかったんですよ――リセットできる世界を。」
その目に、涙はなかった。
ただ、虚無があった。
⸻
事件は終わった。
AI施工システムは停止。
報道では「プログラムの誤作動」とだけ伝えられた。
だが、鴨志田は知っている。
人間がAIに“感情のプログラム”を埋め込んだことを。
湾岸の夜風。
鉄骨が月光に光る。
ポケットの中で、名刺サイズのカードがカサリと鳴った。
マリオのドット絵。
裏には新しい文字。
「Stage 1 – CLEAR」
そして、もう一行。
「Next Player:シロ」
鴨志田は眉をひそめた。
「シロ……?」
風が吹き抜け、カードが宙を舞う。
赤いドットが闇に溶けていく。
その瞬間、遠くでスマートフォンが震えた。
画面には新着メールの通知。
差出人:shiro@game-tsushin.jp
【STAGE 1 CLEAR】
【NEXT STAGE:Famicom Crime Case – The Fall of Gradius】
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