第4話

 その朝レイリアを起こしたのは、聞き慣れた鶏の鳴き声ではなかった。


「ひゃわぁっ!? なになになになになに!?」


 耳馴染みのない、太く澄んだ金属音が幾度も響き渡っている。


 なに? どうして? ここどこ?


 ベッドの上で飛び起きて辺りを見回したレイリアは、ようやくそこが故郷の自分の部屋ではないことに気が付いた。


「そっか、ここ、跳ね馬亭の宿だ。それでわたしは、今日からここの冒険者……」


 そっかあ。


 レイリアは毛布を手繰り寄せながら、にまにまと笑みを浮かべた。


 昨日はリッケルトに連れられ、跳ね馬亭のマスターであるアイリーンたちを紹介され、歓迎の夕食をたらふく振舞ってもらって眠りについた。


 そこまで思い返せばわかる。この音は鐘突き塔から響く夜明けを告げる鐘の音だ。夕食のシチューを食べながら説明されていたはずだ。


 すっかり忘れていた自分が照れ臭かったが、レイリアの中に満ち溢れていた喜びとやる気が、それをかき消した。


「よしっ」


 両手で頬を張って気合を入れなおし、寝間着を着替える。


 今日から冒険者としての暮らしが始まる。もう静かな村で思い描くだけの日々は終わりだ。いつの日にかと夢見ていた冒険の毎日が、目の前に広がっているんだ。


 いてもたってもいられず、レイリアは寝床を飛び出して身支度を整え、その勢いのまま部屋を飛び出した。


「あっ、おはよう、レイリアちゃん」


「オデット! おはようございますっ」


 廊下に飛び出してすぐ、亜麻色の髪の少女の姿を見つけ、レイリアは表情をぱっと明るくする。


 オデットは、この宿の一人娘だ。アイリーンと共に跳ね馬亭を切り盛りしており、掃除や洗濯は主に彼女が仕切っているのだとか。事実いまも、寝具や衣類の入った籠を抱えている。


 まだ昨夜の夕食のときに少し話しただけだが、明るく気さくな振る舞いで、レイリアはすぐに彼女のことが好きになっていた。なにより歳の近い少女がいるというだけで、ここで暮らすことへの不安がぐっと減った。


「今日から頑張ってね、レイリアちゃん。困ったことがなんでも言って。私にできることなら力になるから!」


「えへへ、ありがとオデット! もうわたし、冒険者になれるんだーって思ったらわくわくしちゃって! 昨日なんかどきどきでしばらく寝られなかったくらい!」


「そうなの!? だ、大丈夫? 寝不足になってない?」


「全然平気だよ! いっぱい美味しいごはんも食べさせてもらって、すっごく元気だから!」


 食堂へ向かいながら力こぶを作ってみせる。本当に心の底から、レイリアにはいままでで一番力が漲っている自信があった。


「ふふ、そっか。ずっと夢だったんだよね、冒険者になるの」


「うん! いつか絶対冒険者になるんだーって決めてたから、いますっごく嬉しい! これからどんどん活躍しちゃうんだから、オデットも期待しててねっ!」


 跳ね馬亭の窮状については、ざっくりとだが昨日説明を受けている。


 であればこそ、ほかでもない自分がこのクランを盛り上げ、自分を温かく迎え入れてくれたアイリーンやオデットを助けるんだと、レイリアは意気込んでいる。


 それこそ、困っている人を助ける冒険者の仕事に他ならない。


「……楽しみだな。リッケルトさんが酒場でレイリアちゃんの冒険譚を歌って、それをみんなが聞きに来るの。レイリアちゃんが有名になったら、私もお手伝いしたんだよって自慢しちゃおうかな」


 そう答えるオデットの目がわずかに細く、眩しそうにしているのを、レイリアは見逃さなかった。


「オデットは、冒険者にならないの?」


「へっ?」


 レイリアはぱっと一歩退いて、しげしげとオデットの姿を眺める。


 上背はレイリアよりも少し高いし、体格にも恵まれている。宿での力仕事の成果だろうか、レイリアの目にオデットは、故郷の兄弟に並べても見劣りしない体力の持ち主に見えた。


「そうだよ、オデットも一緒にやろうよ! 二人でパーティを組んで、跳ね馬亭の看板冒険者って売り出すの!」


「ええぇぇっ!? む、無理だよそんなの! 私はだって、トレーニングもしてないし、戦う方法とか全然わかんないし」


「大丈夫! やったことないなら、いまから始めればいいんだもん! それにそれに、動かなきゃ夢だって叶わないしさ!」


 動かなければ始まらない。それだけは自信を持って言える。


 いまでも記憶に焼き付いているいつかの日。


 ありきたりな村の危機を救った冒険者たちに出会ったその日から、レイリアの憧れは始まった。彼らの強さに、気高さに憧れた。


 彼らのようになりたい。困っている人の力になれる人間になりたい。そんな憧れを胸に抱いて、手助けが必要な人のところにすぐに駆け付ける『心優しい牧場の娘』として暮らしている間、自分が特別な存在になれたような気がしていた。


 けれど村の中で憧れを抱えているだけのレイリアは、特別でもなんでもない、どこにでもいる田舎の村娘だった。


 そのことに気が付いた日から、ただ憧れることをやめた。


 冒険者になることを心に決めた。


 村の自警団に飛び込み、無我夢中で剣を振るった。父や兄の反対を押し切り、牧場仕事の合間を縫って、寝る間も惜しんで技を磨いた。


 やがて気が付くと、ほとんど実戦経験者もいない村の自警団の中で、剣でレイリアに敵う者はいなくなっていた。兄も、村で一番強かった父でさえ。


 そうしてレイリアは、十五歳の成人の祝いに貰ったダガーを抱え、故郷を飛び出して来たのだ。


「そう……だよね。でも、ううん。私はほら、宿のお仕事とかしないとお母さんが大変だからさ」


 少しだけ寂しそうに、オデットは笑って首を振った。


「そっかあ。じゃあわたしがその分も頑張って、人を雇えるくらい跳ね馬亭を繁盛させちゃうんだから! そしたら……」


「ふふっ、期待してるね。じゃあ、私はお洗濯があるから」


「あっ、ごめんね引き留めて! またね!」


 一緒に冒険者できたら、きっと楽しいのにな。


 でもまずは、自分のことだ。気持ちを切り替え、酒場への扉を開ける。


 先に来ていた人影に、レイリアは表情を輝かせて駆け寄っていく。


 今日これから、わたしの物語が始まるんだ!


「おはよう、リック!」





 食堂でアイリーンさんお手製のサンドイッチを頬張り、手帳に書き連ねた今日の予定を確認していると、賑やかな足音が近づいて来た。


「おはよう、リック!」


「おはようレイリア。朝から元気だなあ」


 昨日この跳ね馬亭の一員に加わったばかりの元気少女レイリアは、にっこにこの笑顔で足取りも軽く俺の座るテーブルに近づいてくる。


「だって今日からわたしも冒険者だもん! 元気いっぱいに決まってるよ!」


「いいね。冒険者は元気が一番だからね。でもまあとりあえずは座って、アイリーンさんのサンドイッチをお食べなさい」


「はーい。えへへ、おいしそう」


 いただきまーす、とそそくさ席に着いて大きめのサンドイッチを頬張りだすレイリア。昨日もそうだったけれど、この子は本当に美味しそうに食べる。


 アイリーンさんもなんだかいつも以上に気合を入れて準備していたが、この表情を見せられてしまっては致し方ないかもしれない。


 カウンターの向こうにいるアイリーンさんもにっこにこだ。


「これ、すっごく美味しいです! ありがとう、アイリーンさん!」


「どういたしまして。今日はきっと忙しくなるから、しっかり食べてね」


「はーいっ! それでそれで、今日はなにするのリック?」


 訊ねてくるレイリアの目には、隠し切れない期待が満ち満ちていた。


「そうだね。冒険者にもいろいろとスタイルはあるけど、レイリアは体力に自信があるタイプだよね? 村で剣を習ってたとも言ってたし」


「うんっ! これでも村の中じゃ一番強かったんだから!」


 自信満々のレイリアだが、その自負にも少なからず根拠があるのだろう。相手がド素人だったとはいえ、昨日泥棒を相手にしたレイリアの立ち居振る舞いは堂々としたものだった。


 だが実際のところ、どれほどの相手に通用するものか、それを確認しなければ。


「今日はレイリアの実力がどれほどのものなのか、それを見せてもらえるかな」


「……っ! うんっ、任せてっ! どんな相手だって絶対負けないからっ!」


 元気よく答え、レイリアはサンドイッチを思い切り頬張った。

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