第34話
遠くからサイレンの音が聞こえてくる。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
蒼井ちゃんを担いだ俺は、階段を降りて地上を目指す。
「逃げろ!!」
「火事だ!!」
「燃えてるぞ!!!」
集合住宅の住人が次々にドアから出てきて階段に殺到する。
「押さないで!!」
「まだ火の手は遠いぞ!!ゆっくり降りろ!」
「少しは落ち着いたらどうなんだ!!」
ほとんどの住人がパニックになっている中で、何人か冷静な大人もいて、そういう人たちが、指示を出してスムーズに避難が進む。
「よし…!」
俺はなんとか蒼井ちゃんを地上まで担いで、建物から離れることに成功した。
「ふぅ…」
蒼井ちゃんを地面に下ろす。
「うーん…」
蒼井ちゃんが小さな呻き声をあげた。
呼吸はちゃんとしている。
服で体を覆ったおかげで火傷もしていないようだ。
おそらく煙を吸って一時的に意識を失ってしまったのだろう。
こうして酸素のある場所で少し休めば、すぐに目を覚ますはずだ。
「まじかよ…どんどん広がっていくぞ…!!」
「消防車はまだ来ないのか!?」
「おい誰か救急車呼んだか!?」
「くそっ…どこから燃えたんだ!?」
駐車場に集まった集合住宅の住人たちが、燃える建物を見て頭を抱えている。
周囲からどんどん野次馬が集まってきて、辺りは騒がしくなっていく。
集合住宅からは、無数の死神がどんどん空へと群れをなして飛び去っていく。
これで大方の人間は救えたはずだ。
もしかしたらまだ中に残されている人がいて、その人の死の運命は変えられなかったかもしれないが、俺にできることはやった。
ここから先は、プロに任せた方がいいだろう。
「せん…ぱい…?」
「蒼井ちゃん…!!」
寝かせていた蒼井ちゃんが目を覚ます。
「ここは…?」
「駐車場だよ。建物の中から運び出したんだ。もう大丈夫だよ」
「…私たち、助かったんですか…?」
蒼井ちゃんがぼんやりと建物を見上げる。
炎はどんどん広がり、黒い煙が空に立ち上っていた。
「ああ、なんとかね」
「先輩に…また助けられちゃいましたね…」
「…蒼井ちゃん、ここに住んでるの?」
「はい。そうです。私ここに、お母さんと弟と住んでいるんです」
「その2人はどこに…?」
「大丈夫です。お母さんはパートで…弟は今頃部活動に行っているはずですから…」
「…そうか」
俺はほっと胸を撫で下ろした。
「なんで…どうしてこんなことに…」
蒼井ちゃんが燃える建物を見上げながら、悲壮な表情で言った。
「気づいたら隣の部屋が燃えてて…煙が部屋の中に入り込んできて…息が苦しくなって…外に出たら先輩がいて……私、何が何だか…」
「俺も急にこんなことになって、驚いてるよ」
「先輩はどうしてここに…?」
「え、ええとそれは…」
俺は誤魔化すように笑いながら言った。
「と、友達に会いにきたんだ…そしたら窓か
ら煙が上がってるのが見えたから…その階に上がったら蒼井ちゃんがいて…」
「そうだったんですね…すごい偶然」
「ほ、本当にそうだよな。とんでもない偶然だ。ははははは」
「でも、そのおかげでまた先輩に助けられちゃいました…私、先輩がいなかったら間違いなく死んでました」
「…今回は、やばかったね」
「先輩、ありがとうございました」
「…うん」
「先輩の命も危なかったのに、私のことを運んでくれて……先輩はやっぱり優しいです」
「…いやあ、そんなことないよ」
「家は燃えちゃったけど……お母さんきっと悲しむけど……でも大丈夫です。だって全員無事なんですから。私が死んだ方が、多分お母さん悲しんだと思います。だから……本当に先輩には感謝してて…」
「ああ。十分伝わってるよ」
サイレンの音が間近まで迫っていた。
「下がってくださーい!!」
「危ないですよ!!建物に近づかないで…!!」
「避難してくださーい!!」
現場へ消防士さんたちが駆けつけてきて、消化活動が始まった。
駐車場にいた住人たちは、全員消化活動の邪魔になるため追い出される。
俺たちは遠くに離れて、建物の炎が消えていくのを見守った。
「おい君。君」
俺と蒼井ちゃんがぼんやりと消化活動を見守っていると、中年の男が話しかけてきた。
「君だろう、私のドアベルを押して、火事だと知らせてくれたのは」
「え…?」
「5階で火事だと知らせてくれたのは君だろう?」
「ああ、はい。そうです」
「いやあ、助かったよ!!」
男は俺の方をポンポンと叩いて、軽く頭を下げた。
「君がいなかったら私や同じ階にいた人間は危なかったかもしれない。君のおかげで多くの人が命拾いをしたよ」
「いや…俺はできることをしただけで…」
「君は勇気があるんだな。他の階の住人に知らせろという君の指示は的確だった。大したものだ」
「いやあ、それほどでも…」
「謙遜をするな。お嬢さんも、こんなにかっこいい彼氏がいてラッキーだな。こいつは男の中の男だ」
「ひゃっ…え、えっと……はい」
何を勘違いしたのか、男が蒼井ちゃんを見てそんなことを言う。
蒼井ちゃんが真っ赤になりながら頷いた。
俺が勘違いを訂正する前に、男は言ってしまった。
「えへへ。私たち、カップルに間違われちゃいましたね」
「…悪いな。ちょっと距離が近すぎたか。もう少し離れようか?」
「いいえ」
蒼井ちゃんが俺に身を寄せてきて言った。
「このままで大丈夫です」
「…そうか」
程なくして消化活動は終わり、煙の上がった建物から、負傷者がタンカーで担ぎ出されてきた。
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