あの時、私は――。

黒乃礎々

2025

 青春という不確定的なモノは、その性質のおかげかよく作品化される。映画、小説、アニメ、ドラマ、ゲーム等々……。一定の恋愛要素、ミステリー要素、SF要素、狂気的要素などを盛り込める。青春という箱で見たときに、中で動く人物は制服を着ている。制服という中でも、セーラー服と学ランというものは固定化されたロールモデル。言葉で言い換えれば創作におけるキャンバスである。何でも書ける。何でも描ける。何かが欠ける。

 青年らを題材にする際に、倫理的配慮をすることは一種作家らに要求されるものであるが、しかし倫理ばかり気にしていると面白いものもできない。グロテスク、エロ描写などは自分の倫理の線を越えて初めて得られる作品の核であり、万人受けしなくともそれはどこかしらの層が引っ付く。これが創作をすることで評価されずとも、読んでくれる人のいる温かさ。内容はどうであれ、このだだっ広い海に作品を放り込み、その作品の中身が濃ければ濃いほど魚はやってくるのだ。地球温暖化によって海もだんだん温かくなってきた。不漁の心配をするよりも、まずは作品を放り込むことが大事なのかもしれない。


 かくいう私はその作品を放り込む、ということをしなかった。

 1万字の作品を書き終えたあと、何も書けなかった。

 何度も何度もWordで文書を打ち、最近でいえばAIと論議を交わしても、結局最初の数行で倒れる。バックスペース、バックスペース、バックスペース……。小説や新書、評論など読むことはしていた。このアイデア凄いなぁ、この言葉のチョイス凄い、この言い回し、この構図、このセリフ。プロのすべてが凄いのは当たり前だ。凄くなければ出版不況の現状で本を出すことを許可されない。では、プロではない人は凄くないのか。まったくそうではない。文学フリマでいくつか買いあさったが、どれも素晴らしいものばかりだった。ネット上もそうであろうに違いない。もちろんプロのものであれば読みごたえがあるし、そうでなくても芯というものが感じられる。小説家になりたいとか、本を出したいとかいろいろ思惑はあろうけれど、結局動機があっても手が動かなければ意味がないので、作品を放り込み続けられるその体力ないし小説的思考に耐えうる脳を使用した上で物を書くことは凄い。

 私は次第に自分がいったいなぜ物を書こうとしても書けない現状に陥ったのか、冷静に分析しようというフェーズに入る。

 最初は技術的部分だと考えた。

 プロット、人物関係図、背景、物語としての奥深さ。

 しかし、それらを一定レベル用意したとしても文章は現れなかった。面白いプロットを自分で考えても、それは自己の中で完結(結末を思いついたわけではない。その物語のおもしろさが何かを具現化できないまま沈んでいく感覚)した。この部分は自分のはっきりしない思いというか、勝手に走り出したくなる思いから完璧というものができていないので、改善すべき課題である。


 創作にすっと身が入らない。自分は創作というフィールドにおいて自分の指針を見失ったのだと思う。

 この創作にすっと身が入る入らない云々の議論はまったく幼稚である。小説家や今多くの物を書いて評価が得られていない人からしてみれば「なに職人気取りしているんだ」というような感想を抱かれるかもしれない。まさにそうだと思う。自分は創作が何か、創作というものが何であり、何が求められているのか。そもそも創作とは自由であるんだから、貴方のような自己中心的人物は御用ではない。


 私は観測的主義者になったのだ、と私の中の私は言う。


 青春も、エイリアンも、殺人も、社会の動きも、そのすべてを包括する日本国というものさえ観察していたい。

 そこに私の責任は所在しない。

 無責任であり、自己中心。

 あくまで創作における私の自己評価である。

 

「観測的主義者に陥った悪魔め!」


 絶世の美女がそう叫んでくれるであろうか。

 あるいはたくましい筋肉をこれでもかと見せつけるような勇者であろうか。

 いや、おおよそ同族であろう。


 一生観察をしているつもりはないが、まだその沼から出られない。

 出たくないのだ。


 ずっと妄想で生きていく。

 でも、最近はその妄想に社会性が帯びてきた。

 今、社会が何であるか。

 言わなければいけないことは何か。

 過去から累々と受け継がれてきた文学、いやそれは少し言いすぎだ。

 文字を使った表現というこの権利を行使しないわけにいかないだろう。

 そろそろ立ち上がらねばいけないときだと感じつつも、現実の社会情勢を、世論の流れを見て、また出版界隈を見て、ネット文学を見て、じっと思うわけであります。


 富が欲しいのか、名声が欲しいのか。


 AIが私の前に現れ、他者がどんどんその沼におぼれていくのを共に行くのはちょっと引ける。がゆえに、私は少しこれまで怠惰だった私の身を奮い起こし、抵抗せんとするのであります。

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