約束

昨日、波打ち際で見た光景は、まだわたしの胸の奥に焼きついている。

目を閉じていても過ぎる、メーアのこと。未だに夢かどうか疑うほど心地良かったあのひとときが、わたしの心をそっと満たしている。

今日もまた、メーアに会える。それだけで、今日という一日が特別なものへと変化した。


彼女も同じように思ってくれているのだろうか?それを確かめる手段はないけれど、それでもいい。

ああ、早く夕暮れ時になりますように。


◇ ◇ ◇


わたしは約束通り、あの場所に向かった。

空は茜色に染まり始めていて、その光に照らされた海はきらきらと輝いて見える。

そして、メーアもそこにいた。尾鰭を揺らししながら、わたしを待っていた。

わたしのことを想って、待っていてくれたのだと思うと嬉しくてたまらない気持ちになる。


「お待たせ、メーア」

「来たね、エレネ」


メーアがわたしに向かって笑う。それだけでわたしの心はしあわせの四文字で埋め尽くされる。

そっと、彼女の隣に座る。波が足元に触れるたび、鼓動が早まる。


「またあなたに会えて嬉しい」

「私も会いたかった」

「ほんとうに?」

「もちろん」


からだがぴとりとくっつく。とくになにもせず、ただくっついているだけなのに、わたしの体の奥がざわつく。

彼女の尾鰭から目を離すことが出来ない、海水に濡れて、夕焼けに照らされたその尾鰭は、わたしを惹きつけてやまない。

思わず、わたしは指先で尾鰭をそっと撫でる。


「……あたたかい」


メーアの声は小さく、でもはっきりと耳に届いた。その途端、心の中で何かが跳ねた。

尾鰭を撫でていたわたしの手が、メーアの指にするりとからめとられる。


「こうやって触れるの、初めてだね」


ずっと海の中にいるからだろうか。人魚であるメーアの肌は冷たく、人間のわたしの手のぬくもりとはまるで違う。


「きみの手はあたたかいね」

「そう? メーアの手は冷たいけど……でも柔らかい」


互いの手の感触を確かめ合うたび、わたしの胸は高鳴る。視界の端にちらりと見えるメーアの瞳は、穏やかで……静かに、わたしを見つめている。


「ねえ、エレネ」

「なあに?」

「きみと話すたび、ずっとそばにいたいという気持ちが強くなるんだ」


そう言ったメーアの声の奥に、強さを感じた。綺麗なメーア。あなたにそんなこと言われて、断る理由なんてない。


「だから、私と」

「メーア」


わたしは強く手を握り返して、顔を近づける。わずかに開かれる黒曜石の瞳に気づかぬふりをして、彼女の形のいい唇にくちづけた。


「わたしも、ずっと一緒にいたい」


メーアはまあるく見開いていた目を、嬉しそうに細めて尾鰭を揺らす。まさか、まさかこんな夢のようなことがあるだなんて思わなかった。

メーアも、わたしと同じ気持ちだったなんて!


「うれしい、うれしいよ、エレネ。だいすき」

「うん、メーア……わたしも」


人魚である彼女と、人間であるわたし。

わたしがどんなに時を重ねても、彼女は変わらずに、わたしを好きでいてくれるのだろうか。

考えるだけで、胸が締め付けられるようだ。


波打ち際に座り、手を握り合ったまま、二人でじっと時間を過ごす。

潮風の香り、波の音、空の色の移ろい。

わたしたち以外誰もいないこの砂浜で、恋仲になった、という実感が刻まれていく。


「ねえ、エレネ」

「どうしたの?」

「もし、きみが年を重ねて、私が変わらないままだったら……」


そこで言葉は途切れ、メーアは視線を落とす。

メーアの考えてるとおりだと思う。たぶんわたしたちに残された時間には、大きく差がある。

でも、わたしは気づかないふりをする。メーアを不安にさせるようなことは、できる限り取り除いてあげたいから。

わたしは彼女の手を握り返す。


「大丈夫、ずっとそばにいるよ」


人魚と人間。似ているようで全然違う、ふたつの種族。きっとなにかあったとき、守られるのはわたしの方だと思う。でも、それでも、メーアがわたしを大事にしてくれるように、わたしもまた、彼女を大事にしたいと強く思う。


日が傾き、別れの時間が迫る。


「また明日ね、大好きよメーア」

「うん、また明日。私も大好きだよ」


波打ち際に残る足跡と尾鰭の跡を見つめ、わたしはそっと誓う。

時間の差や世界の違いを受け入れながら、互いに恋人として心を重ねていこうと。

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磯の香りに恋をする くるぽな @cpchu

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