卒業まで、あと一日

未人(みと)

第1話

「お前、まだ帰らねぇの?」


 放課後の校舎。

 夕陽が傾いて、屋上のフェンスが影を伸ばしていた。

 制服の袖を撫でる風が、少しだけ冷たい。


「別にいいだろ。明日で終わりなんだし」


 背後の声に、振り向かなくても誰かわかる。

 拓海だ。中学から、ずっと隣にいた。

 笑う時も、怒る時も、何かを壊す時も。

 気づけばいつも、同じ景色を見ていた。


「そういやさ、お前、結局どこ行くんだっけ?」

「東京。音響の専門。……お前は?」

「地元の大学。親が、心配しててさ」

「らしいな。お前、家族思いだもんな」


 それ以上、何も言わなかった。

 校庭から吹く風に、沈黙が攫われていく。

 けれど、気まずくはなかった。

 言葉がなくても、呼吸が合う。

 それがいつもの二人の形だった。


「言えばよかったのに。東京行くって」

「なんか、言えなかった。言ったら、本当に終わっちまう気がして」


 その声に、少しだけ笑いが混じっていた。

 けれど、夕焼けの中ではどちらの笑みも滲んで、

 どこか切なかった。


「なあ、覚えてる? 中三の文化祭。ギター壊した時」

「お前がぶっ叩いたやつな。俺のせいにすんな」

「でも、あの時、お前が一晩で直してくれたろ。あれ、今でも感謝してる」

「……やめろよ、そういうの。照れるだろ」


 拓海が笑う。

 俺も笑う。

 だけど、胸の奥にひゅっと風が通り抜けたように痛む。


「お前がいなかったら、俺、ここまで来れなかったかもな」

「俺もだよ。お前がいたから、退屈しなかった」


 ほんの一瞬、目が合った。

 その視線を外したのは、どちらが先だったか。

 夕焼けが夜の色に溶けていく。

 世界が静かに、終わりを受け入れていくようだった。


「じゃあさ、約束しようぜ。十年後、またここで」

「十年後か……おっさんになってるかもな」

「それでも、俺はお前に会いたい」


 握手なんて、柄じゃない。

 だから拳を突き出す。

 拓海も笑って、拳をぶつけてきた。

 その瞬間、金属が触れたような乾いた音がして、

 胸の奥で何かが確かに鳴った気がした。


「じゃあな、相棒」

「またな、相棒」


 屋上の扉が閉まる音。

 残された空気がゆっくりと静まり、

 風の匂いだけが残る。


 ふと、ポケットの中のピックが指先に触れた。

 あの日の音が、微かに鳴った気がした。


 風がフェンスを揺らして、金属の音が小さく響く。


 俺は一人、空を見上げた。

 でも、心は不思議と――

 あったかかった。

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卒業まで、あと一日 未人(みと) @mitoneko13

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