第42話 陰キャ、マイクを握る ー 夏の終わりは笑い声と共に ー

 夏休み最終日。

 駅前のカラオケボックスの前で、俺は立ち尽くしていた。


 湿った風が吹き抜け、遠くで蝉がまだ粘って鳴いている。

 手のひらが汗ばんで、スマホを握る手が妙に重い。


「……緊張するな」


 カラオケなんて、何年ぶりだろう。

 というか、“友達と”カラオケに来るのは――人生初かもしれない。

 ……まさか高校生活でそんな台詞を口にする日が来るとはな。


「高一くーん!」


 明るい声に振り向くと、浅葱・不知火・瀬良先輩の三人が一緒に歩いてきた。

 それぞれ私服姿で、夏らしい装いがやけに似合っている。


「おまたせ!」

「いや、今来たところだから」


 お約束みたいな台詞を口にした瞬間、我ながら寒気がした。

 ……これがリア充台詞ってやつか。慣れねぇな。


「じゃあ、入ろっか!」


 浅葱の声に押されるように、俺たちはカラオケボックスへ入った。


 ※ ※ ※


 部屋に入るなり、浅葱がリモコンを奪取した。

 このテンションの高さ、もはや才能だ。


「私、最初に歌っていい?」

「どうぞどうぞ」


 不知火先輩が笑って手を振る。


「じゃあ、行くよー!」


 明るいアイドルソングが流れる。

 リズムに合わせて体を揺らしながら、浅葱は楽しそうに歌っていた。


 その姿は――まさに“太陽”だった。


「上手いな……」


 思わず声が漏れる。


「浅葱ちゃん、歌上手いのよ」

「そうなんですか」

「ええ。昔、合唱部にいたらしいわ」


 なるほど、声の伸びが違うわけだ。

 同じ人間なのに、陰キャには実装されてない能力だな。


 曲が終わると、みんなで拍手。

 浅葱は得意げに笑いながら、肩で息をしていた。


「どうだった?」

「上手かったよ!」


 不知火先輩が笑う。

 まるでステージのMCみたいに仕切ってる。


「じゃあ、次は優花の番ね」

「え、私?」

「当然でしょう」


 瀬良先輩の唇が悪戯っぽく歪む。


「うーん……じゃあ、これにしようかな」


 不知火先輩が選んだのは、爽やかなロックソング。

 バスケで鍛えた肺活量が炸裂していた。


「不知火先輩も上手いな……」

「優花も昔、バンド組んでたのよ」

「マジですか!?」

「ええ。ギター担当だったらしいわ」


 この人たち、どれだけスペック高いんだよ。

 俺との種族差を感じる。


 拍手の後、自然と瀬良先輩に視線が集まった。


「じゃあ、次は由良だね」

「そうね」


 リモコンを手に、瀬良先輩が曲を選ぶ。


「私は……これにしようかしら」


 イントロが流れた瞬間、空気が変わった。

 しっとりとしたバラード――歌声が始まった途端、空気が一気に静まる。


「……っ」


 息を呑む。

 大人っぽくて、艶があって、少し寂しげで。

 歌声が心を撫でていくようだった。


「すごい……」

「由良、やっぱり上手いね」


 拍手の音が、少しだけ現実に引き戻す。


「さすが、瀬良先輩……」

「ふふ、ありがとう」


 そう微笑む姿が、まるでステージの主役みたいだった。

 ……いや実際、主役だよな。俺なんか脇役Aだ。


「じゃあ、次は高一くんの番だね!」


 浅葱の明るい声に、俺の体がフリーズする。


「え、俺……?」

「当たり前でしょう? みんな歌ったんだから」

「で、でも……」

「大丈夫だよ! 下手でも笑わないから!」

「それ逆に傷つくんだけど!」


 自虐で場を和ませようとしたが、内心は心臓バクバク。

 俺の番が来るとは……このゲーム、回避不能イベントだったか。


「じゃあ……何歌おうかな」


 リモコンを手に、曲を探す。

 ポップスは眩しすぎるし、アニソンはガチすぎる。

 結局、少しマイナーなロック曲を選んだ。


「……行きます」


 マイクを握る手が震える。

 イントロが流れ、逃げ場がなくなる。


 けれど、歌ってみたら――意外にも、悪くなかった。


「……意外と、楽しいかも」


 歌いながらそう思った。

 三人の笑顔が視界に入って、緊張がほどけていく。

 下手でも、笑われることなんてなかった。


 曲が終わると、拍手が起こる。


「高一くん、上手かったよ!」

「本当?」

「本当だよ!」

「ええ。意外といい声してるわね」


 瀬良先輩の“意外と”が、地味に刺さる。

 けど、不思議と悪い気はしなかった。


 ※ ※ ※


 そこからはもう、完全に祭りだった。

 デュエットしたり、アニメソングで叫んだり、笑いが止まらない。


「楽しいね!」

「うん、楽しい」

「ねぇ、みんなで一曲歌わない?」


 瀬良先輩の提案に、みんなが頷く。

 選ばれたのは、有名なアニメソング。


 四人の声が、狭い部屋に響く。

 音程なんて合ってなくてもいい。

 今この瞬間、楽しいならそれでいい。


「……楽しいな」


 心の底からそう思った。

 “陰キャの俺”が、マイクを握って笑ってる。

 数ヶ月前の俺が見たら、確実に鼻で笑ってるだろうな。


 歌い終えた後、自然と笑いが零れる。


「最高だったね!」

「うん、最高!」

「ええ、とても楽しかったわ」


「……俺も、楽しかったです」


 本当に、心からそう思った。


 ※ ※ ※


 カラオケを出て、夜風が肌を撫でた。

 夕暮れが消え、街の灯りが滲んでいる。


「楽しかったね」

「ええ。いい思い出になったわ」

「明日から二学期だね」


 不知火先輩の言葉に、浅葱が明るく笑う。


「でも、二学期も楽しいことあるよ! 文化祭とか!」

「そうね。それも楽しみだわ」

「高一くんは、何か出し物やるの?」

「え、まだ決まってないですけど……」

「じゃあ、一緒に何かやろうよ!」


 浅葱の無邪気な提案に、思わず笑みが漏れる。

 ああ、本当に――俺、変わったな。


 ※ ※ ※


 駅でそれぞれが別れを告げる。


「じゃあ、また明日ね」

「うん、また明日!」


 浅葱と不知火先輩が改札を抜ける。


「高一くん」


 瀬良先輩が俺を呼び止めた。


「はい?」

「今日は楽しかったわ。ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございました」

「ふふ、素直ね。二学期もよろしくね」

「はい、よろしくお願いします」


 その笑顔を、夕暮れの街灯が柔らかく照らしていた。

 背中が見えなくなるまで、俺は立ち尽くしていた。


「……楽しい夏だったな」


 呟きが、夜風に溶けた。


 ※ ※ ※


 帰りの電車。

 窓の外を流れる街の明かりが、まるで過ぎていく夏みたいで。


 ポケットのスマホが震える。

 グループチャットには、浅葱のメッセージ。


『今日は楽しかったね! また行こうね!』

『うん、また行きたいね』

『ええ。次は冬休みかしら』


 不知火先輩、瀬良先輩も続く。

 俺も短く返した。


『今日はありがとうございました。楽しかったです』


 送信ボタンを押して、スマホをしまう。


「……陰キャの俺が、こんな夏を過ごすなんて」


 苦笑が漏れた。

 でも、その苦笑には、ほんの少しの誇らしさが混じっていた。


 海。花火。カラオケ。

 どれも眩しくて、騒がしくて、最高だった。


「……変わったな、俺」


 電車の窓に映る顔が、少しだけ大人びて見えた。

 明日からまた新しい日々が始まる。


 陰キャの俺の青春ラブコメは――

 まだまだ、続くらしい。

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