第7章 眠りの丘
風の音が、やわらいでいった。
地面の傾斜がゆるやかになり、
灰色の大地の先に、丘がひとつだけ浮かんでいた。
そこには、草のようなものが生えていた。
灰の色をしているのに、風が吹くたび、
わずかに青みを帯びて揺れる。
「ここが……眠りの丘?」
リラの声は風に吸い込まれた。
ルカは静かにうなずいた。
「この丘の下には、街の記憶が眠ってる。
欠片を集めきれなかった人たちの記憶が」
丘の上には、古い石碑のようなものが立っていた。
そこには何の文字も刻まれていない。
けれど、その表面に手を置くと、
かすかな鼓動のようなものが感じられた。
リラの胸の奥で、青い欠片が光を強めた。
光が彼女の指先を伝い、
石碑の中へと吸い込まれていく。
——その瞬間、世界がひらけた。
光と風のあいだで、リラは立っていた。
灰色の空は消え、
目の前に、懐かしい光景が広がっていた。
春の午後のようなやわらかな陽ざし。
どこまでも続く青い空。
窓辺の花。
そして、ベッドのそばに座る少女の姿。
少女は、泣いていた。
リラは思わず、名前を呼んだ。
——でも声は届かない。
少女が顔を上げる。
涙で濡れたその瞳が、まっすぐこちらを見つめた。
リラは息をのんだ。
それは、自分自身だった。
あの日、眠る前の自分。
小さな病室。
青いカーテン。
窓の外に見えた、たったひとすじの海の光。
リラは、そのときの声を思い出した。
——「もう少し眠ろうね」
母の手の温もり。
静かな呼吸。
世界が遠ざかっていくとき、
彼女は確かに「また目を開ける」と心の中で呟いていた。
それが、灰の街への扉になったのだ。
リラはゆっくりと目を閉じた。
胸の中で、欠片が砕けて光に変わっていく。
青はもう冷たくない。
やわらかく、あたたかな色になっていた。
その光が、丘の上に降り注ぐ。
風が青く揺れ、
灰色の草が、いっせいに花のように染まっていった。
ルカがその光の中で立っていた。
彼の手の透明な欠片もまた、
ゆっくりと色を帯びていく。
——それは、金色だった。
「やっと、笑えた」
ルカの声は穏やかだった。
微笑む彼の姿が、光の中に溶けていく。
リラはその光景を見つめながら、
静かに涙を流した。
風が止む。
世界のすべてが、ひとつの色に溶ける。
それは青でも灰でもない。
“生きている”という、ただその色だった。
——そして、リラは目を開けた。
まぶしい光の中、
誰かが呼んでいる声が聞こえた。
「……リラ、聞こえる?」
ゆっくりとまばたきをすると、
天井の白が滲んでいった。
消毒の匂い。
窓の外には、本物の空があった。
リラは涙を流しながら、
その青を見つめていた。
生きている。
その事実が、胸の奥で確かに脈打っていた。
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