第2話 幽霊に特訓を指示されたんだけど

 夢を見ていた。霧が濃い灰色の空間に僕はぽつんと一人で立っている。


 目の前に三つの泡のようなものが浮かんでいて、僕はその一つに手を伸ばした。触れると泡は弾けて、目の前に映画のフィルムのように景色が展開される。


 濃い靄がかかってはっきりとは分からないけれど、ぼんやりと情報が見えた。


 男が地を這いずりながら、どこかへと必死にもがいている。


 まるで届かない物に手を伸ばしているような。そんな感じだ。


 しばらくして男は動かなくなる。顔らしきところから何か光るものが落ちた。


 

「お主、何を見ているでござるか?」


 どこからか男の声がして、僕は一気に夢から引き戻されていく。


 目を開けると侍の顔が眼前に迫っていた。

 まつげが長く、糸目で、目鼻立ちが整った色白の顔は女ウケが良さそうな優男だった。


「うわあああああ!?」


 僕は驚いて飛び起きる。幽霊はまだそこにいた。夢だったらよかったけど、現実だ。


「珍妙な声でござるな。突然気絶して何が起きたかと思ったぞ」

「あ、はい、すいません」


 侍は眉を片方下げて困り顔を作る。僕は申し訳なくて謝る。気絶してるときに何もしなかったんだこの人。案外話せる人なのかな。


「まあ、気絶したのはお主の器が脆弱であることとがいっぺんに憑りついてしまったからでござろう」

「器が脆弱って...確かに運動はあんまりしてないですけど。それに拙者たち?」


 僕の言葉に侍は頷くと、僕の足元に声をかけた。


「そろそろ出てきたほうが良いと思うでござるよ」

「しゃあねえなあ、また気絶されたら困っちまうよ」

「いいんじゃないの~?自分は薄いしそんな影響ないさ」

「は?」


 声に呼応してもう二人の幽霊が現れる。


 片方は戦国時代の武者のような格好だ。煌びやかな甲冑まとい、鬼の角をあしらった装飾を付けた兜を被り、背には1メートルはある槍を携えている。


 大柄で鎧からでもわかる筋肉に、無精ひげ、目力の強い瞳に精悍な顔つきの40代くらいの男で足元は侍と同じように霧になっていた。


 もう片方は軍人だった。黒に赤い線が入った軍服と見知らぬ国旗を付けた軍帽を被っていて、胸の前には黒光りする銃が抱えられている。


 この三人の中では一番背が小さく僕よりも低い。けれど男の体つきはしっかりしていて小柄ながらに鍛えられているというのが素人目でも分かる。


 丸っこい瞳は気だるげで口元をへの字に曲げている見た目は10代後半くらいの僕と同じくらいな気がする。彼も足元は霧のようになっている。


「え、ええと、どちらさまで?」

「ほう、案外図太いな。儂はサコンというものだ!これからお前の身体をみっちり鍛えさせてもらうからな、よろしく頼むぞ!」

「自分は、えーっとハクって言うんだ。まああんまり出てこないから気にしないでね」

「わ、わかりました...特訓って?」


 二人の霊の自己紹介を受けて僕は面食らいながらも返す。特訓て何のことなのだろう。そんな疑問を払しょくするように侍は話し出す。


「もとは拙者だけがお主に憑りつかせてもらう予定だった。ところがこの二人も行きたいとごね始めて同タイミングでお主の身体に憑りついてしまったんでござる。その結果、器として未熟すぎるお主の身体は死ぬ一歩手前になったというわけでござる」

「ちょっと待て?殺そうとしてるじゃん!」


 あの激しい頭痛と腹痛はこいつらが原因なのか。しかも死ぬ一歩手前って冗談じゃない。


「まあ落ち着いて。せっかくよさげな器を見つけたのだ、拙者たちも失いたくはない。故に拙者たちは力をコントロールし、お主の身体が崩壊せぬようにしたでござる。おかげで身体に不調は無いでござろう?」

「おかげでって...まあ」


 実際身体はさっきの激痛は無くなっているし、それどころか元気が有り余っている気がする。アルバイトを5時間もしてきたのに疲れが一切ないのだ。侍は続けた。


「とはいえ拙者たちも力をコントロールし続けるのは面倒でね。よってお主を器として強度を上げるために、今から特訓をさせようと思っているでござる」

「え、運動嫌なんですけど...」


 僕の嫌そうな声に侍はため息をつく。


「別に拒否するのは構わない。だがその場合お主の身体は一瞬で粉みじんになるだろうけど」

「うわ、やば」

「はは、もし死ぬのが嫌ならば特訓をするしかないでござるな」


 僕の絶望した表情をとても清々しい笑顔で侍は跳ね返す。優男イケメンなのに中身は鬼だこいつ。


 サコンと言った武者は腕を組みながら何かを考えている様子だ。絶対特訓メニューでも考えてるよ。


 ハクって子は興味なさそうに地面に寝そべってぐうたらしている。でも止める気もなさそうだ。


「わかったよ。やるよその特訓とかいうやつ」

「うむうむ、その意気だ」


 侍は満足げに頷いて手を差し出してくる。僕は手を握ろうとするけれど侍の手を掴めずに空を切った。侍は一瞬悲しげな顔をしたが、すぐに元に戻す。


「ああ、名乗るのを忘れていた。拙者はセイワという者。刀にはそれなりの自信があるが、それを教える前に基礎の身体づくりからといこうか」

「えっと、それって今からすか?」

「当然でござろう?差し当たってはマラソンだな。ほれ10キロだ」

「いやいやいや無理無理無理!?」


 こうして僕は謎の幽霊三人に憑りつかれ、自分の身体が粉みじんにならないために鬼の特訓を言われるがままに始めるのだった。

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