仮面の娘

猫小路葵

My Girl : My Daddy

【マイ・ガール】


 俺には娘がいる。

 娘と一緒に暮らしたのは、たったの二年間だった。


 俺は、玩具メーカーに勤める営業マンだった。

 俺にはギャンブル癖があった。

 魔がさしたのだ。そうとしか言いようがない。

 貯えが底をつき、俺は会社の金に手を付けた。

 職場を懲戒解雇され、妻とは離婚し、娘は妻が連れていった。

 可愛い可愛い、俺の娘だった。


 俺の手元に残ったのは、営業で使った大量の試供品――お面やコスプレグッズだけだった。

 俺は心を入れ替え、これからはまじめに生きようと決めた。

 アパートを借りて、仕事も選ばず、なんでもやった。

 娘にとって恥ずかしくない父でありたかった。

 けれど、娘には一切会わせてもらえなかった。


 だから俺は、陰ながら娘を見守ることにした。

 妻は、娘を保育園に預けて働きに出た。

 俺は、アルバイトの合間を縫って、保育園のフェンスの外から娘を見ていた。

 怪しまれてはいけないので、作業員の衣装を着た。その上で箒やちりとりを持っていると、清掃ボランティアに見えた。

 そうして俺は、常に何かしらの「仮面」をかぶって、娘をそばで見守った。


 ある日曜日、アパートの窓から目の前の公園を見ると、娘がひとりで遊んでいた。

 俺のアパートは、娘がいつも行く公園の目の前にあった。もちろん、物件を選ぶときにわざとそうした。

 娘はスコップとバケツを持ち、砂場にぽつんといた。

 まだ小さい娘をひとりにする妻に腹が立った。母親のくせに日曜まで仕事を入れるなんて。

 するとそこに、保育園仲間だろうか、男の子のグループが近づいてきた。

 案の定、彼らは娘をいじめ始めた。父親がいないことをからかい、馬鹿にした。

 娘は聞こえないふりをして、砂場の砂をすくっては、バケツに移す行為を繰り返した。

 娘の小さな唇はぎゅっと閉じられ、懸命に耐えているのがわかる。

 俺は、すぐさま試供品の中からヒーローのお面とコスチュームを取った。


「きみたち! 弱い者いじめはやめるんだ!」


 突如現れた正義の味方に、男の子たちはびっくりしていた。

 そして、慌ててベンチからとんできた母親たちに手を引かれ、公園から逃げていった。


「ルミちゃん、大丈夫かい?」


 俺がやさしくたずねると、娘もまた驚いていた。


「どうしてルミのおなまえしってるの?」

「ヒーローは、なんでも知っているんだよ」


 ――ルミちゃんのこと、いつも見守っているからね。

 俺がそう言い添えると、娘はやっと控えめな笑顔を見せてくれた。


 それからも、俺は娘を見守り続けた。

 小学校の入学式も、運動会も、卒業式も。中学に入ると、部活の試合も。

 俺はその都度「交通整理のおじさん」に扮したり、「他校のコーチ」に扮したりと忙しかった。

 高校生になると、通学の満員電車で痴漢にあわないかと気が気でなかった。

 ホームで娘のうしろをこっそり歩いていたとき、人混みに揉まれ、娘が通学鞄につけていた定期券入れのリールが千切れた。

 俺は、落ちた定期券入れが踏まれないうちに、急いで拾った。

 娘の肩をとんとんと叩き、無言でそれを差し出した。

 振り向いた娘は、目の前の「清掃員」を見て、次に手元の定期券入れを見た。

 お礼を言うかと思いきや、娘はひったくるように定期券入れをつかみ、行ってしまった。

 俺はショックを隠せなかった。

 俺の娘は「ありがとう」の一言も言えない子に育ってしまったのか。妻はどういう躾をしているのか。

 いや、これはきっと、思春期のなせる業だ。あんな態度はいまだけだ。

 俺の娘がそんな非常識な子のはずがない。


 そして、俺の考えは正しかった。

 大学を卒業した娘は、きちんとした会社に入った。礼儀正しく、明るくて、どこに出しても恥ずかしくない女性に成長した。

 やがて娘は好青年と恋愛をして、今日、二人は教会で結婚式を挙げる。

 俺も当然、式の様子を見守った。

 今日の俺は礼服に身を包んだ。若いころのものだが、まだ着られた。

 娘の晴れ舞台だし、木を隠すなら森と言うではないか。多くの参列者で賑わう吉日の式場に、礼服姿の中年男性はうまく馴染んだ。


 ウェディングドレスの娘は、世界で一番きれいだった。

 教会の扉がひらき、オルガンの音が外まで聞こえた。

 娘と腕を組み、バージンロードを歩くのは、妻の兄。娘にとっては伯父だ。

 本当なら、あれは俺の役目だった。

 だからせめて、俺はここから祈る。

 ありがとう、ルミ。俺の娘でいてくれて。そして、これからもよろしく。

 俺はいつでも見守っている。人知れず仮面をつけて。


 幸せになれよ。

 いつまでも可愛い娘。

 俺のルミ。




【マイ・ダディ】


 わたしには父がいた。

 父と一緒に暮らしたのは、たったの二年間だった。


 ねえ、おとうさん。


 おとうさんがわたしをつけ回してたこと、わたしずっと知ってたよ。

 そのことに気づかないなんて、おとうさんて本当に馬鹿なんだね。


 離婚したあと、おかあさんは苦労してわたしを育ててくれた。

 養育費なんてないから、おかあさんとわたし、二人ですごく頑張ったの。

 伯父さんはずいぶん助けてくれたし、それを許してくれた伯母さんにも感謝してる。

 大学は奨学金を借りられたけど、返済はまだ当分続くんだ。

 そういうこと、おとうさんは全然、考えたこともないでしょ?


 べつにいいけどね。関係ないし。

 ただ、ひとつだけ、わたしに感謝してほしいと思ってることはある。


 ずっと「知らないふり」を続けてあげていること。

 少しはありがたいと思ってくれたらいいんだけど。


 まあ、無理か。


 幸せな人だね。

 馬鹿なおとうさん。

 いまはもう他人。



 

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