第4話 「愛梨沙が友達でよかった」


「いい真穂? その後輩君のことを頭の中で想像して」


 言われた通り、真穂は恵人の姿を思い浮かべる。目を閉じれば、特に苦労することもなく、笑顔を浮かべた恵人が現れた。自分の妄想だというのに、その笑顔を見ただけで、真穂は心が温かくなった気がした。


「……もうその顔で答えじゃん」

「どんな顔してる? 自分じゃ見えない」

「まぁいいや。じゃあ次は、嫌いな女を思い浮かべて」

「嫌いな女の人? 別にいないけど?」

「このいい子ちゃんめ。なら、えっとぉ、ちょっと苦手な女の人とか」


 真穂には愛梨沙の言っている事の意図が分からない。それでも愛梨沙の言うことだ、何か意味があるのだろうと、真穂は賢明に当てはまる人物を脳内で検索してみる。


「……中学のとき同じクラスだった伊藤さん、かな」

「お、いるんじゃん。そいつとなんかあったの?」

「クラスの男子と一緒になって、私の悪口言ってたから」

「はぁ? なにそいつ、性悪女じゃん!」


 愛梨沙の声だけで判断するならば、今の声はなかなかに怒り度が高いと真穂は判定した。目を閉じていても、声だけ聴けばそれくらいわかる。自分のために怒ってくれる友人がいる幸せをかみしめつつ、真穂は脱線した話しを元に戻すことにした。


「愛梨沙、それでどうすればいいの?」

「あっと、そうだった。じゃあその性悪伊藤と、後輩君が仲良くしてるところを想像してみ」


 愛梨沙の指示を聞いた瞬間、真穂は呼吸の仕方を忘れてしまった。


「わかりやすくいこうか。二人が手をつないでたり、抱き合ってたり、そんな感じで」


 淡々と追加される指示はしっかりと聞こえている。

 恵人が女の人と手を繋いでいる姿。

 恵人が女の人と抱き合っている姿。

 言われた通りに想像するべきなのだろう。けれど真穂には、どうしても想像することができない。理由もはっきりと自覚できた。端的に嫌だったのだ。


「ごめん愛梨沙。ちょっと、できない」

「でしょ?」

「でしょ??」


 ちゃんとやらなきゃ、それくらいの小言を言われることを覚悟して謝った真穂には、そうなることを確信していたかのような、愛梨沙の反応の意味が分からない。


「後輩君が別の女と仲良くしてるの嫌だったでしょ?」

「……うん。想像したくなかった」

「それが嫉妬。真穂は後輩君を、他の女に取られたくないわけ」


 愛梨沙の言葉は、何の抵抗もなく真穂の心に落ちてくる。

 嫉妬なんて、醜くて恥ずかしいものという面が強いイメージの感情。そんなものが自分の心にあると、そうはっきりと言われたというのに、真穂はすんなりと受け入れることができた。

 しっかりと道筋立てて答えを教えてもらっているような、教科書通りの安心するわかりやすさだったから。


「つまり真穂は、後輩君に恋してるってこと。ちょっと乱暴だけどね」

「そんなことない。わかりやすかったよ。愛梨沙は学校の先生が向いてると思う」

「急になに?」

「だって教え方が上手かったから。絶対いい先生になれるよ」

「なれるか! 恋愛の授業なんてないから!」


 愛梨沙はすぐに冗談だと思ったようだが、真穂は割と真面目に言っていた。真剣な真穂の瞳を見て、愛梨沙もそれを察したのだろう。気恥ずかしそうにしつつも、褒められてまんざらでもなさそうに頬をかく。


「で? 恋してるって自覚できた?」

「うん。愛梨沙のおかげでね。ありがとう」


 一人で抱え込んでいたときが嘘のように、恋という言葉を、真穂はすんなりと受け入れられていた。それもこれも、愛梨沙が分かりやすく言葉にしてくれたおかげ。常日頃から頼りになると思っている人の言葉は、抵抗なく受け取れるものだ。真穂は改めて、愛梨沙が自分の友人でいてくれたことに感謝した。

 

「じゃあこれで真穂のお悩みは解決ってことで、帰りどっか寄ってく?」


 立ち上がる愛梨沙。その手にはいつの間にかスマホを構えていて、頭の中は真穂の相談から、どこに寄り道するかにシフトしかけているらしい。

 そんな愛梨沙をみて真穂は慌てた。なぜなら真穂には、新たな悩みができてしまっていたから。

 恋していることを自覚したゆえの悩みが。


「待って愛梨沙」

「ん、どしたぁ?」

「これからどうすればいいのかな?」


 素直に心情を吐露した真穂。困っているという感情の宿ったその言葉を聞いた愛梨沙はというと、少し残念なものを見るような視線を向けてきた。

 今まで向けられたことのない目つきに、思わず軽いショックを受ける真穂。

 大好きな友人からの残念な扱いは、真穂が想像していたより衝撃が強かったのだ。


「ごめん。好きな人ができたの、初めてで」


 意図せず声が暗くなる真穂。

 そんな真穂を見て慌てる愛梨沙。そんなつもりじゃなかったと、大げさに身振り手振りをつけて、小さくなっている真穂を慰め始める。


「ごめんって真穂! 協力するから元気だして! ね?」

「……ホント?」

「マジだって、まずね、どうしたらいいのかわからないなら、どうなりたいかを考えてみ」

「恵人と、どうなりたいか?」


 真穂にとって、愛梨沙の言葉は魔法のようだった。言われた通りに、恵人とどうなりたいのかを考えてみる。

 例えば先ほど想像してみたようなこと。

 手を繋いだり、抱き合ったり。

 さっきは、嫌いな女と恵人で想像してみるように言われたが、真穂はそれを、自分と恵人で想像し、すぐにさっきとは違う意味で、想像できなくなった。


「顔がヤバいくらい赤いけど、何を想像したん?」

「恵人と、その、手を繋いだりしてるところ」

「うんうん。それでこそ真穂だね。ホント乙女」


 楽しそうに頷く愛梨沙。笑われた真穂は、少し文句を言おうとしたけれど、嬉しそうな愛梨沙の顔を見ているだけで、そんな気持ちはどこかへ行ってしまったらしかった。


「じゃあ改めて、想像してみてどうだった?」

「なんだろう。幸せな感じだった」

「つまり真穂は、後輩君と手を繋いだり、もっといろんな事をしたいわけだ」

「そう、だね。そうだと思う」

「なら後輩君と付き合うしかないよね」


 そうなのだろうと、真穂は愛梨沙の言葉に納得する。

 手を繋ぐまでなら、もしかするとあるかもしれない。

 けどそれ以上は、先輩後輩という関係を明確に変える必要があるだろう。だから真穂も全面的に同意した。

 ただし問題もある。恋愛経験無しの真穂が、どう恵人との関係を進めるのか、という問題が。


「どうすれば恵人と付き合えるのかな」

「おいおい真穂」


 真穂の口からこぼれた本音。拾ってもらうつもりもなかったそれを、目ざとい友人はしっかりと聞いていてくれたらしい。

 真穂と目が合うと、愛梨沙は白い歯を見せて得意げに笑った。


「頼りになる友達がここにいるじゃん?」

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