第4話
コンテストの最終審査は、都心の高層ビルの一室で行われていた。
窓の外には夜景が広がり、無数の光が瞬いている。
会議室の中央には、大きなテーブル。
その周りには、五人の審査員が座っていた。
ハルトはその中で一番若く、唯一の高校生だった。
他の審査員たちは、有名な作曲家やプロデューサーばかりだ。
彼らは資料をめくりながら、淡々と議論を進めている。
「次は、エントリーナンバー三十七番ですね」
進行役のプロデューサーが言った。
スピーカーから、音楽が流れ始める。
壮大なオーケストラ。綺麗に整った進行。
ゲームの主題歌として、申し分ない完成度だった。
「いいですね。構成もしっかりしている」
「盛り上がりも計算されていて、使いやすそうです」
審査員たちが頷く。
ハルトもペンを取り、評価シートに丸をつけた。
確かに、いい曲だと思った。
次の曲が流れる。
エレクトロニカ調の、疾走感のあるナンバーだ。
リズムが複雑で、サウンドデザインも凝っている。
「技術的には素晴らしいですね」
「若い世代に受けそうです」
またしても、高評価。
ハルトは無表情のままシートに記入していく。
教科書通りの音楽。
優等生的な構成。
マーケティングを意識した、完璧な仕上がり。
なるほど、素晴らしいね。
たいへんよくがんばりました。
ハルトは小さくため息をついた。
隣に座る審査員が、それに気づいて苦笑する。
「疲れた?まだ半分も終わってないよ」
「……いえ、大丈夫です」
時計を見る。
すでに三時間が経過していた。
残りのエントリーは、あと二十曲ほど。
次の曲が流れる。
ピアノから始まる、しっとりとしたバラードだ。
「綺麗ですね」
「ボーカルのメロディラインが秀逸です」
ハルトも頷いた。
確かに綺麗だ。
でも、それだけだった。
心に刺さらない。
何を聴いても、何も感じない。
かつて、音楽を聴いて震えていた自分は、どこへ消えてしまったのだろう。
あの頃の自分なら、こんな素晴らしい曲の数々を聴いて、もっと感動していたはずなのに。
「次、エントリーナンバー六十四番です」
進行役の声に、ハルトは顔を上げた。
スピーカーから、音が流れ始める。
最初は、静寂。
数秒の沈黙の後、不協和音のようなピアノが鳴った。
――え?
ハルトの背筋が凍る。
次に、殴りつけたようなギターの音。
悲鳴のようなバイオリン。
激しいドラムが、心臓を直接叩くように響く。
その音は、まるで怒りそのものだった。
悲しみ、憎しみ、嫉妬――。
すべての負の感情が、音に乗せられている。
構成は破綻している。
コード進行も理論的ではない。
ミックスも荒削りで、バランスも悪い。
でも――。
ハルトは感情で、それを喜んでいた。
息を呑んだ。
手に持っていたペンが机に落ち、カチャリという音が会議室に響く。
音楽が、鳴り続ける。
その旋律は、どこか懐かしい。
昔、どこかで聴いたような――。
違う。
これは、自分が作った曲に似ている。
いや、自分が真似した旋律に、似ている。
かつて、ミユキが弾いていたピアノの旋律。
あの不器用な指が、鍵盤を叩いていた音。
しかしこれは、あの時よりもずっと、美しい。
「……これは」
隣の審査員が眉をひそめた。
「ちょっと、趣旨に合わないんじゃないですか?」
「ゲームの主題歌としては、攻撃的すぎますね」
「技術的にも、荒削りです」
他の審査員たちが、次々と否定的な意見を述べる。
ハルトは黙っていた。
評価シートを見る。
ペンを持ち上げる。
何かを書きかけて、やめた。
曲が終わった。
会議室に、静寂が戻る。
「タイトルは……『澱音』、ですね」
進行役がそう言った。
よどおと。
澱んだ音。
底に沈んだ、汚れた感情。
ハルトの脳裏に、その言葉が焼きついた。
「投稿者名は……匿名ですね。本名は伏せられています」
「まあ、趣旨には合わないでしょう。次に行きましょうか」
審査員たちが、次の曲に進もうとする。
「……待ってください」
ハルトが口を開いた。
「この曲、もう一度聴いてもいいですか?」
進行役が驚いた顔をする。
「もう一度?いや、でも……時間も押してるし」
「お願いします」
ハルトは頭を下げた。
「……わかりました」
もう一度、『澱音』が流れる。
不協和音。
殴りつけるような音。
悲鳴のようなバイオリン。
その音は、まるで生きているようだった。
感情が、音に宿っている。
ハルトの手が、震えた。
世界が裏返る。
血の味がする。
これだ。これが、音楽だ。
理論も、技術も、完成度もどうでもいい。
ただ、感情だけが殴り書きのように乗せられた音楽。
かつて、自分が求めていたもの。
忘れていた、あの震え。
曲が終わった。
余韻が、まだ耳の奥に残っている。
「……ハルトくん、どう思う?」
進行役が尋ねる。
ハルトは目を開けた。
評価シートを見る。
最高点をつけたい。
そう思った。
でも、それは許されない。
ここは、ハルトの心に刺さる音楽を選ぶという趣旨じゃない。
ゲームの主題歌として、ふさわしい曲を選ぶ場所だ。
そして、この曲は――。
「……趣旨には、合わないと思います」
ハルトは、そう言った。
声が、震えている。
「この曲は、素晴らしいです。でも、ゲームの主題歌としては、攻撃的すぎる」
「……そうですね。残念ですが、落選ということで」
進行役が資料に印をつける。
ハルトは評価シートに、丸をつけた。
落選の欄に。
ペンを置く。
手が、まだ震えている。
次の曲が流れ始めた。
でも、ハルトの耳には何も入ってこなかった。
頭の中で、まだあの澱んだ音が鳴り続けている。
その旋律が、どうしても離れない。
――誰の曲だったんだろう。
投稿者は匿名。
本名も伏せられている。
ハルトは資料を見返す。
そこには、ただ『澱音』という文字だけが残っていた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ミユキは、自分の部屋でパソコンの画面を見つめていた。
コンテストの結果発表のページだ。
画面には、受賞作品の一覧が表示されている。
グランプリ、準グランプリ、優秀賞――。
どこにも、自分の曲の名前はなかった。
「……やっぱりね」
ミユキは、小さく呟いた。
落ちると思っていた。
あんな曲、コンテストの趣旨とは全く違う。
ゲームの主題歌として、攻撃的すぎる。
まぁ、別に受かるつもりもなかった。
あの曲は、ミユキの本心だ。
怒り、嫉妬、憎しみ――。
すべての感情を、音に乗せた。
評価されなくてもいい。
賞賛されなくてもいい。
あれが、今の自分の音楽なのだから。
ミユキはパソコンを閉じた。
窓の外を見る。
「……次、書こう」
ミユキは立ち上がった。
もう一度、音楽と向き合うために。
今度は、もっと正直に。
もっと、自分らしく。
DAWソフトを立ち上げる。
キーボードに、指を乗せた。
旋律が、静かに流れ始める。
それは、まだ荒削りで、不完全だった。
でも、それは確かに自分の音だった。
ミユキは微笑んだ。
音楽が、また楽しくなってきた。
それはあの頃とは違う形でだ。歪で、でも、確かに楽しい。
今のミユキには、それだけで十分だった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
数日後。
音楽室。
ハルトは、MIDIキーボードに向かっていた。
モニターには、DAWソフトが立ち上がっている。
彼は、ある旋律を再現しようとしていた。
あの日、審査会で聴いた曲。
『澱音』。
記憶を頼りに、音を拾っていく。
不協和音のピアノ。
殴りつけるようなギターの音。
悲鳴のようなバイオリン。
指が、鍵盤を叩く。
音が、流れる。
――違う。
これじゃない。
もう一度、最初から。
指が動く。
音が鳴る。
――違う。
何度やっても、あの感動は再現できない。
あの曲には、何かがあった。
技術でも、理論でもない。
もっと根源的な、何か。
静寂の中で、ハルトは昔のことを思い出していた。
中学二年のとき。
音楽室で、一人でピアノを練習していた自分。
そこに、ミユキが声をかけてきた。
「今日も私が教えてあげる」
あのときのミユキは、自信に満ちていた。
コード進行を教えてくれた。
リズムの取り方を教えてくれた。
そして、最後に言った。
「音楽は、感情を乗せるものなの。綺麗じゃなくてもいい。嘘をつかない音を出すことが大事」
あの言葉が、ハルトの音楽の原点だった。
いつからか忘れていたなぁ。
感情を乗せること。
嘘をつかないこと。
数字を追いかけて、評価を求めて、売れる曲を作ることに夢中になっていた。
そして、音楽がつまらなくなった。
「……ほんとうに、なんで忘れていたんだろう」
ハルトは呟いた。
『澱音』を聴いたとき、心が震えた。
あの感覚は、かつてミユキに音楽を教わったときの感動と、酷似していた。
ミユキの音楽こそが、ハルトの情熱の源泉だった。
彼女の不器用な指が奏でる音が、ハルトの心を動かしていた。
でも、それに気づいたのは、今になってからようやくだ。
ハルトはキーボードから手を離した。
机の上には、数年前のノートがある。
ミユキに教わっていたころの譜面。
そこには、丸文字のメモが残っている。
"感情を一音に込める"
"綺麗じゃなくてもいい、嘘をつかない音を"
ハルトはそのメモを見つめた。
――先輩。
僕は、あなたの音楽が聴きたいんです。
もう一度、心を震わせる音楽が聴きたい。
でも、それを伝えることはできない。
それを残酷だと、きっと彼女は言うだろうから。
そのとき、扉が開いた。
「……あ、入ってたんだ」
ミユキの声。
ハルトは振り返る。
そこには、いつものように無表情なミユキが立っていた。
バッグを肩にかけて、少し疲れた顔をしている。
「今日も早いね」
ミユキがそう言って、椅子を引いた。
「うん。ちょっと作業してました」
ハルトは何気なくそう答えた。
ミユキはパソコンを立ち上げる。
机の上には、あの壊れかけのメトロノームがある。
カチ、カチ、カチ……。
一定のはずのテンポが、わずかに狂っている。
二人は、しばらく黙って作業をしていた。
音楽室には、静寂が満ちている。
キーボードを叩く音。
マウスのクリック音。
ヘッドフォンから漏れる、かすかな音楽。
それだけが、この空間を満たしていた。
それぞれの画面に、それぞれの音楽が映っている。
それぞれの世界で、それぞれの音を奏でている。
でも、その二つの世界は、どこかで繋がっているような気がした。
ハルトは、ちらりとミユキを見た。
彼女の横顔は、いつもと変わらない。
真剣な表情で、キーボードを叩いている。
でも、その表情は以前とは少し違う気がした。
どこか、穏やかで。
どこか、楽しそうで。
――あの曲は、先輩の曲だったらいいのにな。
そんな疑問が、一瞬だけ頭をよぎった。
『澱音』。
あの、心を震わせた音楽。
あの、感情が乗せられた音楽。
もしそれが、彼女が自分の感情をすべてぶつけて作った曲だったとしたら。
でも、それを確かめる術はない。
そして、確かめる必要もないのかもしれない。
大切なのは、その音楽が確かに存在したということ。
そして、その音楽が、ハルトの心を動かしたということ。
それだけで、十分だった。
ハルトは、自分の画面に視線を戻した。
そこには、新しいプロジェクトが開かれている。
まだ何も音は入っていない。
白紙のキャンバス。
ハルトは、指を鍵盤に乗せた。
音が、流れ始める。
それは、今まで作ったことのない音楽だった。
理論も、戦略も関係ない。
ただ、心のままに。
感情のままに。
嘘をつかない音を。
「……ねぇ、先輩」
ハルトは口を開いた。
「ん?」
ミユキが顔を上げる。
「先輩の音楽、また聴かせてくれませんか?」
ミユキは少し驚いた顔をした。
「……私の?」
「うん。聴きたい」
ミユキは目を伏せた。
「……まだ、完成してないんだけど」
「それでもいいんです」
ハルトは微笑んだ。
「先輩の音が、聴きたいんです」
ミユキは少し考えてから、頷いた。
「……わかった。じゃあ、ちょっと待って」
ミユキはヘッドフォンを外して、スピーカーに切り替える。
音が流れ始めた。
それは、まだ荒削りな曲だった。
完成度は低く、ミックスもバランスが悪い。
でも、そこには確かに感情が乗っていた。
怒り、悲しみ、そして――希望。
ハルトは目を閉じた。
心が、震えた。
久しぶりに感じる、あの感覚。
音楽を聴いて、心が動く感覚。
曲が終わった。
ハルトは目を開けた。
「……どう?」
ミユキが不安そうに尋ねる。
ハルトは心の底からの笑顔を浮かべた。
「すごく、いいです」
「……本当に?」
「本当にです」
ハルトは頷いた。
「先輩の音楽、すごくいい。もっと聴きたい」
ミユキは少し照れたように、顔を背けた。
「……そう。ありがと」
そして、また作業に戻る。
二人は、しばらく黙って作業をしていた。
音楽室には、ただキーボードを叩く音と、マウスのクリック音だけが響いている。
ミユキは、自分の新しい曲を作っていた。
それは、まだ形になっていない。
でも、確かに自分の音だった。
ハルトもまた、新しい曲を作っていた。
それは、今まで作ったことのない音楽だった。
でも、確かに自分が作りたかった音だった。
壊れかけのメトロノームが、小さく刻む。
カチ、カチ、カチ……。
一定のはずのテンポが、わずかに狂っている。
――それから数週間後。
ハルトはマネージャーと会っていた。
いつものカフェで、コーヒーを飲みながら。
「そういえば、あのコンテストの審査、お疲れ様」
マネージャーがそう言った。
「ああ、ありがとうございます」
「何か印象に残った曲とかあった?」
ハルトは少し考えた。
「……一曲だけ、すごく印象に残った曲がありました」
「へぇ、どんな曲?」
「『澱音』っていう曲です。落選させましたけど」
マネージャーは目を丸くした。
「落選させたのに、印象に残ってるの?」
「はい。趣旨には合わなかったんですけど、すごく……心に刺さる曲でした」
ハルトはコーヒーを飲んだ。
「あの曲の作者って、なんて名前だったんですか?有名な人だったんですかね」
マネージャーは首を傾げた。
「さあ……私は審査員じゃないからなぁ」
「……そうでしたね」
街には、たくさんの人が歩いている。
その中には、きっとあの曲を作った人もいるのだろう。
でも、それが誰なのか、知ることはない。
「どうかした?」
マネージャーが尋ねる。
「いえ、何でもないです」
ハルトは微笑んだ。
「ただ、ちょっと楽しくなってきたなって思って」
「そう!それはよかった」
マネージャーも笑った。
「じゃあ、次の曲も期待してるよ」
「はい」
ハルトは頷いた。
次に作る曲は、きっと今までとは違うものになる。
感情を乗せた、嘘のない音楽。売れないかもしれないけど、やってみるのは悪くない。
澱音 駄駄駄目 @da379464
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます