消えた存在

 成人式から一夜明けた昼下がり。

 大学の講義を終えた葉は、学食の隅で昼食をとりながらスマホを見ていた。


「……忘れ人」


 昨日検索したタグを、もう一度検索する。

 画面には《知らないはずの顔がアルバムにあった》《親友の名前だけ思い出せない》などの投稿が溢れていた。

 軽いホラーのネタとして扱われているものも多い。けれど、葉は笑えなかった。


「何見てんの?」


 トレイを持って向かいに座った村田が覗き込んできた。

 同じ学部で講義もかぶるため、自然と話すようになり、昼食はよく一緒にとるようになった。


「昨日、成人式でちょっと変なことがあって」

「変なこと?」

「高校の同級生に会ったんだけど、俺以外の誰もその子を覚えてなかった」

「まじで? どういうこと?」


 葉は昨日の出来事を順を追って説明した。村田は食べる手を止めたまま、黙って聞いていた。


「その子、何て名前?」

「天尾結季」

「SNSとか探した?」

「探したけど、出てこない」

「それ、怖い話としては満点だけどさ、単に記憶違いとかじゃ……」

「だったらいいんだけど」


 村田は笑いながらも、探るように葉の目を見た。


「……お前、昨日の夜、寝れたか?」

「まあ、一応」

「変な夢とか見てない?」

「どういう意味だよ」

「いや、なんか“忘れ人”ってタグ、俺も見たけど、“夢の中で会う人”ってやつもあったんだよ。『存在しないはずの人が夢に出てきて、起きたら記憶に残ってる』って。それで夢の中で会った人なのに、だんだん現実でもそいつのことしか考えられなくなるって」

「そんなホラーめいた話、信じろって?」

「信じろとは言ってねぇよ。でも、もしそれがほんとなら……お前、もう踏み込んでるかもな」


 村田の言葉を笑い飛ばすことはできなかった。


 結局その後も進展はなかった。

 自宅に帰ってきた後で、窓の外では雨の音がしていた。

 降水確率はゼロパーセントのはずだったのに。


 ──天尾結季は、確かにこの世界にいた。

 それなのに、誰も覚えていない。


 押し入れの奥から高校の卒業アルバムを取り出した。

 ページをめくりながら、天尾結季の名前と写真を探す。

 どこにも、天尾結季の名前も姿もなかった。


 クラス写真では全員が写れるような位置で、きちんと整列しているが、最前列に人が並んでいないと不自然な余白があった。

 人が写っていたような、そんな感覚になる。


 葉の視線がページを離れたとき、スマホが震えた。悟からの着信だった。


「もしもし、悟? どうした?」

『おう、昨日言ってた天尾さん? 同じ高校で連絡取れそうな人に聞いてみたけど、誰も知らないってさ』

「……そっか。ありがとう」

『お前さ、大丈夫か? なんか幻覚でも見てるんじゃないかって話になってな』 「違う。絶対に、いた」

『まあ、なんかあったら言えよ。また連絡する』


 通話が切れ、静寂が戻る。 

 葉はスマホを置いたまま、ページをもう一度開いた。全部、幻だったのか?


 ──直後、スマホが再び震えた。

 電話のようだが、画面には「非通知」の文字。

 出るべきか迷ったが、指が勝手に動いた。


「……どちら様ですか?」

「月成くん、私です。天尾です」


 ──息が止まる。

 スマホの向こうから聞こえる声は、昨日と同じだった。


「……やっぱり、いたんだな」

「ふふ、存在しちゃだめだった?」

「みんな、お前のことを覚えてないって言うんだ」

「それは間違いじゃないよ。覚えているのは、あなただけだから」

「……? どういう意味だよ、それ」

「いずれわかるよ。近いうちにまた会えると思う」

「ちょっと待て、まだ聞きたいことが――」

「ああ、そうだ。昨日、会えてうれしかった。じゃあね」


 通話が途切れ、再び静寂が訪れた。

 葉はスマホを握りしめたまま動けなかった。

 通話履歴には、確かに「非通知」の文字が残っている。


 幻覚じゃない。夢でもない。天尾結季は、確かにこの世界のどこかにいる。       

 ただ、あの電話の中で結季が言った言葉が頭から離れなかった。


(――俺だけが覚えてる?)


 胸の奥がざわついた。

 けれど答えを急げば、取り返しのつかないことが起こるような、そんな予感があった。

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