第17話 熱海の街へ

 列車がトンネルを抜けると、視界が一気にひらけた。

 冬の陽射しをまとった海が、窓いっぱいに広がる。

 その輝きに、思わず息をのむ。


「もうすぐ、熱海ですね」

「……本当に、来たんだな」


 ホームに降り立つと、潮の香りにほんのり硫黄の匂いが混じっていた。

 商店街のスピーカーからは観光案内の音声が流れ、

 人々の笑い声と温泉まんじゅうの甘い香りが重なっていく。


「まずは腹ごしらえしましょう。」

「了解です。ちゃんと“食トレーニング”もしないと。」


 二人は駅ビルの三階、《伊豆太郎》へ向かった。

 ガラス越しに海が見え、店内は観光客でにぎわっている。


「ここ、自魚(じざかな)寿司が有名なんですよ。」

「じゃあ私は海鮮丼にします。」


 ほどなくして運ばれてきた膳は、

 艶のあるマグロ、透き通る白身、ぷりっとした海老。

 湯気を立てる味噌汁の香りが広がる。


「……これ、映えますね。」

「食べるのも心理訓練ですよ。」

「“満たす訓練”ですね。」


 笑いながら箸を進める。

 噛むたびに潮の香りと魚の甘みが広がり、

 心までゆっくりとほどけていくようだった。


 昼食を終えたあと、二人はバスに乗り込み、

 海沿いの道を走って来宮神社へと向かった。

 窓の外には、冬の光にきらめく砂浜と白いパラソル。

 人影もまばらなサンビーチを、潮風がゆっくりと流れていく。


 そのとき、真由が外を指さした。

「見てください、あれ。」


 お宮の松の前で、和装姿の男女が歩いていた。

 男性は紺の羽織に袴、女性は金糸の入った朱色の着物。

 観光貸衣装らしく、ふたりはスタッフに声をかけられながら、

 スマホで笑顔を撮り合っている。


「あれ……前撮りじゃなくて、観光用の貸衣装ですね。」

「はい。“お宮の松まち歩きプラン”っていうんです。

 昔の恋人たちが別れた場所を、今は“恋愛成就スポット”として歩くんですよ。」


「別れの場所が、恋愛の舞台になるんですか。」

「ええ。人は、“終わり”を“始まり”に塗り替えられる生きものです。」


 真司は窓の外を見つめた。

 カップルの笑顔が、冬の光に反射してきらめいた。


「あれも、ひとつの“恋愛実習”みたいですね。」

「そうですね。

 本物じゃなくても、

 “誰かの隣にいる”という感覚そのものが心を動かすんです。」


「……俺たちも似たようなもんですね。」

「そうです。だけど、

 “練習”と“本気”の境界線って、けっこう曖昧ですよ。」


 真由がそう言って笑った。

 バスが坂を上り、海が遠ざかっていく。


 お宮の松が視界から消えたあとも、

 あの金糸の着物の輝きだけが、真司の心に残っていた。


(つづく)


📘次回(第18話)

「来宮神社 ― 千年の願い」

樹齢二千年の大楠を前に、二人の願いと沈黙が重なる――。

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