第2話 「夜」

「・・・」

静寂が訪れた書庫、その静寂を破るようにかんなぎの背後から⼀つの⾜⾳が響く。

「・・・随分早いな、時間まであと⼗分もあるぞ。」

振り返ることもせずに神凪は背後に向かって⾔葉を吐く。


「遅いよりはいいでしょ。」

神凪の⾔葉に⾜⾳の主は淡々と答える。

その声質、⼝調からしてどうやら⼥のようだ。

「早すぎるのも考えもんだろ。」

⾜⾳の主の⾔葉に神凪も淡々とした⼝調で返答する。

だが、両者の間にはどこか楽しげな雰囲気が感じられる。


書庫に響き続ける⾜⾳は、神凪の背後からおよそ 2m 離れた位置で⽌まる。

そこで初めて神凪は振り返り、視線の先にいる⼈影に向かって⾔葉を吐く。

「それじゃ、ぼちぼちはじめようか。」


――――心中で⼗を数え終えたつごもりはゆっくりと⽬を開く。

彼の⽬の前には、草原が広がっていた。

⾜の踏み場もないほどに⽣い茂った草本。

それらは「⽇」の光とそよ⾵を受けながら美しく煌めいている。


そんな美しい光景の中に異質が佇んでいた。

コンビニ程の⼤きさの⽊造の建築物。

装飾はほとんどなく、質素な外観。


それに近づこうと⼀歩踏み出したタイミングで晦は⾃⾝が靴を履いていることに気付く。

(・・・案外優しいんだな。)

そんなことを考えながら晦は歩を進める。


⼀分もかからずに⼊り⼝であろう扉の前までたどり着いた晦の⽬に⼊ったのは「open」と書かれたドアプレートだった。

その⽂字を視認した晦はためうことなく扉を開ける。


店内はかんさんとしており、晦の右⽅に四席あるテーブル席と左⽅にある六席のカウンター席のどちらにも⼈影はない。

(・・・留守かな。)

そんなことを考えながら晦がカウンター席の⽅に⽬をやると、卓上に設置してある呼び鈴が⽬に⼊る。


晦はカウンター席まで歩を進め、そのまま流れるように呼び鈴を鳴らす。

店内に澄んだ鈴の⾳が鳴り響く。


程なくして、カウンター席の奥の扉、その先から⾜⾳が聞こえてくる。

それから五秒も経たずに扉が開き、⾜⾳の主が姿を現した。


⾜⾳の主は男だった。

美しい⽩髪に⻘いまなこ、 ⾝⻑は晦よりやや⾼い、 年齢は四⼗代前半といったところだろうか。

「いや〜、すいません・・・荷解きの途中だったもので・・・。 」

そう⾔いながら店内に⼊ってきた男は、晦の姿を視認した瞬間に⽬を⾒開く。


――――が、 すぐに穏やかな表情で笑みを浮かべると、 優しい声⾊で晦に話しかけてくる。

「とりあえず、座ってください。」

促されるままカウンター席に腰を下ろした晦の前にティーカップが置かれる。

「ダージリンです。 お代は結構ですので飲んでください。 紅茶が飲めないようでしたら他にも飲み物はあるので⾔ってください。」

「いえ、ありがとうございます。」

男に返答しながら晦はティーカップに⼝をつける。独特の⾹りが⿐腔をくすぐる。


「美味しいです。」

「ありがとうございます。」

晦からの⾔葉に男は嬉しそうに⽬を細めながら謝辞を述べる。

「突然⾒知らぬ⼟地に放り出されてさぞ困惑したでしょう。」

「・・・そうですね。」


男が発した⾔葉に間違いはない。

しかし、何か違和感を覚えた晦は少しの間をおいてから返答する。

「・・・失礼。⼀つお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか。」

そんな晦の様⼦を⾒た男は、先ほどまでの穏やかな表情から⼀変して険しい表情を浮かべながら⼝を開く。

「はい、⼤丈夫です。」


「ここに来る前に⽩髪の⻘年に会いませんでしたか?」

「はい、会いました。」

神凪の顔を思い浮かべながら晦は返答する。


その⾔葉を聞いた男は右⼿で顔を覆いながら嘆息する。

「その⻘年の名前、わかりますか?」

右⼿で顔を覆ったまま、男は新たな問いを晦に投げかける。

「神凪さんです。」

「ですよね。」

男は再度嘆息してから晦に向き直る。


「どんなことを⾔われましたか?」

「具体的なことはわからないんですけど、「困ってるから助けてほしい」と⾔われました。あとは、詳しい事情はここで教えてもらってとも。 」

「・・・そうですか。」


男は顎に⼿を当て、⽬を閉じる。

何か考え事をしているようだ。

暫しの沈黙の後、男は⽬を開ける。

「厄介なことになりましたね・・・。」

そう呟くと男は晦に視線を向ける。


「貴⽅には⾊々と話さなければならないことがあるんですが・・・その前にお互いに⾃⼰紹介をしましょうか。」

「わかりました。」

晦からの返答を聞いた男は姿勢を正すと、柔らかな笑みを浮かべながら⼝を開く。


「まずは私から⾃⼰紹介をさせていただきます。 私の名前は「おん びゃく」 ここ、 喫茶店 「夜」の店主です。年は・・・ 六⼗は超えているとだけ⾔っておきます。」


男――――久遠の⾔葉に晦は驚愕の表情を浮かべる。

久遠の⾒た⽬からは齢が六⼗を超えているようにはとても⾒えない。

外⾒だけではない、先程までテキパキと動いていた所にも加齢による衰えはまるで⾒えなかった。


「とても還暦を超えているようには⾒えないです。」

晦からの⾔葉に久遠は笑みを返す。

・・・ただ、その笑みにはどこか悲哀を感じさせるものがあった。


「じゃあ、次は僕の番ですね。晦蒼です。年は⼗六です。・・・他に何か知りたいことはありますか?」

「いえ、とりあえず今のところはお名前さえ分かれば問題ないので。」

「そうですか、わかりました。」


「・・・いや、⼀つお聞きしたいことがありました。」

「なんですか?」

「呼び⽅は晦さんが良いですか?それとも蒼さんが良いですかね?」

その問いに晦は⾔葉を詰まらせる。


「どちらでも構わないのでしたら蒼さんと呼ばせていただきますが・・・。」

「・・・それで問題ないです。」

「そうですか、では蒼さんと呼ばせてもらいますね。 私のことは久遠と呼んでください。⼤多数の知り合いはそう呼んでいるので。」

「わかりました。」


「ああ、そうだ。「ソウ」の漢字は草冠の下に倉庫の倉がある漢字であっていますか?」

「はい、その漢字で合ってます。」

「わかりました。では、改めてよろしくお願いしますね、蒼さん。」


そう⾔いながら久遠は右⼿を差し出す。

差し出された⼿を握りながら晦は⼝を開く。

「こちらこそ、よろしくお願いします。久遠さん。」

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