第17話 研修合宿 三
先生と同室、家人の方々からは渋い顔をされたが、押し通すことはできた。
床について間もないうちに寝息が聞こえてくるようになった。なにも話せず、目配せするだけ。先生は声もかけてこなかった。
布団をのき、縁側の戸を開ける。夜柳に満天の星空、こういうものに惹かれる感性は死んでいなかった。
翌日、日も明けないころに起こされ、おにぎりと水の朝食を手早く済ませる。研修そのものは昼過ぎまで続き、天候や山間から流れる清流、農作物のかかる病気や育ちについての目利きまで、あらゆる人に教示を申しこんだ。
結果は上々、程よく汗をかいたわたしと先生は風呂を経てまた部屋に戻った。
「うちうちで生産する分には安定的だけど、気になるのはやっぱり備蓄分がすくないことかなあ。売りに出す分も差し引いたら、備えとしてはちょっと弱い」
手帳に記しつつ思いだす。若い人が多かった。薄着、髪を短く切った人ばかり。男がいなかったのは、家にでも押し込まれているのか。
それでも、男であるわたしに対して気兼ねなく接してくれるあたり、繕う術をもっているのだろう。
「就労につくものは若年に重心が置かれている。四、五十代がいないのは病死とか自然死が多いから? あるいは客人の視界に出さんみたいな変な美意識に似た恐れ。内職でもあるのか、一応」
この村は通年、校の研修地として利用されている。おかしなところはなかった。
明日には発つ。
荷物をまとめて一息つくと、先生がいなくなっていた。
荷を取りにでも行ったのかな。廊下に出て先生の部屋までゆく。戸があきっぱになっていた。トランクも中央に放置されたまま。
「しまい途中に用事で離れた……」
戸を閉めいないのは、かなり緊急性の高いことだったのだろう。ふと視界の端に家人の姿がよぎる。慌ただしいわけではなく、ただ早足だった。気になってついていくと、二人の家人がとおせんぼしていた。
なにこれ。
「あの、こんなとこでなにやってんですか?」
「亜門さんに頼まれまして。いまはお通しすることはできません」
「はあ、通さないのはわたし。わたしに見られて問題のある行動。具体的には校所属の研修生ないし先生の随伴者であるわたしに知られては問題のある行動。つまり通俗的にかなり許されがたい行使を行っているものとみなしてよろしいですね?」
「えっと、なぜそうなるので」
「簡単です。通せんぼは問題の可能性があるからするものです。ここに住む方ならわざわざ知られて困るようなことはまずしない。なら外部者のわたしか先生をせき止めるために置く必要があった。先生は先ほどからみえません。ご協力お願いしてもよろしいですか?」
家人さんは答えなかった。居心地悪そうに目をそらす。その間を縫いとおってゆく。
「あの!」
「なんですか? うっとうしいんですけど」
「ひ、すいません」
間違いない。火急だ。疲労をためこんだ体を鞭打ち、足早に廊下をゆく。
通行止めにするポイントは、目的地に確実にたどり着けるからそこを選定する。通路が一つであるとき、目的地が近い時、重要物があからさまにわかるときの大体三つ。
木戸の数々を無視し、一点だけ目立つ、装飾された何かを探す。そして見つけた。縁側に出て角を曲がった先に、ドアが。近づいて耳をあてる。衣擦れと乱れ気味の呼吸がかすかに聞こえた。
突撃すべきか。先生の抵抗らしい音も聞こえないし、同意の上である可能性も出てきた。クロロホルムじみた薬品、ここにはないだろうし。気絶させて引きずり込んだ可能性はない。
困ったなあ。これがわたしをダシにした脅しの交換なら、まだ介入できる余地あるのに。はあ、判断材料が足りん。
「……やだあ」
ドアノブをひねって転がり込む。デスクに押し倒された上半身、そこへ延びる太い腕。振り向きかけた男に迫り、顔面をつかんではぎ倒す。はっとして対象を確認した。
ブラウス、やはり先生だった。起き上がろうとする男の頭を、反射的に抑え込む。
「な、なんだ! なんなんだ!」
「恐喝及び不同意行為は違法です。亜門さん」
「てめえ! 邪魔しやがって」
シャツをつかまれたが、胸板に膝を押し込め、圧迫していく。男は叫ぶ、悲痛に許しを請う。けれど止める気はなかった。
「なにをしたんです。さあ、はやく答えろ! この猿が!」
一時の、自分勝手な欲望で曇らせたくない人材がいる。貴重で、敬に値する方がいる。なにごとも起こってからは遅い。取り戻せない傷はある。だから募ってきた。未然に防ぐ術と直観を。
それでも、防げなかった。
男が動かなくなって我に戻る。完全に気絶していた。
対処完了、あとは……。
「先生、だいじょうぶですか」
あおむけに倒れたまま、虚空を見つめていた。
「せんせ」
言いかけてやめた。なにも届いていない。それだけがわかった。
見たところ胸元を引きちぎられそうだった。けどこの茫然とした感じ。
肩をゆすっても、背を支えて起こしても、なんら自分から動かない。無反応をつらぬいていた。
頭をかいて途方に暮れる。
「どうしたもんかね……くそが」
まずは先生の安全確保、この男については要報告事項。村民に殺されるリスクまで出てきたけど、この手の男からの犯罪ってだいたい見逃されやすいし、過剰に恐れでもされない限りリンチはない。
先生をおぶって洋室を出る。
「まずは校の方に連絡、明日までまてばひとまず」
家人のいたところまで戻ると、ぞろぞろと集まっていた。中には甚平姿の男の子もいた。一斉にわたしに目が向き、そのまえまで歩み出る。
「亜門さんの問題行動につき、音無先生が使い物にならなくなりました。校への連絡が必要と判断し、電話をお借りしてもよろしいですか?」
「なんで」
「わかりました。こちらへ」
老女が一声あげた。戸惑いもないようで、その背についていく。
黒電話を貸してもらい、校に常駐しているであろう先生にかけた。
「はい、一年の元浦トシです。はい、はい。間違いありません。当地における人災により、音無教諭が意識はあるものの、こちらの呼びかけに応えなくなりました。身体に異常は見られません。一刻も早い迎えを要請したいのですが。……ほんとですか、ならよろしくお願いします」
受話器をもどし、背負いなおす。来たときは風呂敷を、帰りは先生を背負うのか。
そばの老女は黙って待っていた。
「夜半にお迎えが来るので、そのつもりでお願いします」
「かしこまりました。大変、ご迷惑を」
「どうでもいいです」
言葉なかばに断つ。頭が回らず、そのうえ仰々しい腹の探り合いなどやってられない。
「もう、問題ないのであの猿を回収してください。運が良ければ五体満足です」
「……ありがとうございます」
そして老女は居なくなった。わたしは部屋に戻り、荷物をまとめてまた先生をおぶる。トランクも回収し、玄関先に陣取った。
日が暮れてきたころ、やっとこさ周りのものに意識を配れるようになってきた。
先生は相変わらず肉の塊のようで不吉。どこにも力が入っていない体が、どうしても生き物とは思えなかった。拍動は伝わる、呼気もある。でも、致命的に足りないものがあった。
「あの」
知っている声だった。
「えっと、今治さんでしたっけ。なんですか。いまちょっと言語出力きついんですけど」
「ごめんなさい!」
「だから、謝らなくてもいいって。なんも言わずに消えろよ!」
邪魔だ。考えることを妨げるものは悪だ。
なんで話しかけてくる。自分から怖いと言って切ったくせに。
声が荒くなり、体中の血が沸き立ってくる。
「でも、できないの。言わずには」
「知るか! 罪悪感なんて、おまえが感じる必要ないじゃん。ならもう関わんなよ。視界に入んなよ。声もかけてくんなよ。どいつもこいつも、わたしを苦しめて楽しいんか?」
今治は二の句を紡がなかった。背後に立つ顔は見えない。
そうして、長い沈黙があった。ライトが照ると、荷物を下げて出る。ここにもう、価値なんてない。
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