第25話 “嫌いに戻らない”の、その先の言葉を

 その日の朝、目覚ましが鳴る三分前に目が覚めた。


 天井を見つめたまま、しばらく瞬きも忘れる。


(……ついに、今日か)


 昨日の電話。

 「ただいま」と「おかえり」。

 親戚の前で「嫌いじゃないし大事だよ」と言ったっていう、あいつの声。


 それから——


りん:明日さ、放課後、屋上来れるか?

かおる:行く

かおる:絶対行く


 あの「絶対」の二文字が、胸の真ん中にずっと居座っている。


(言うって決めたんだろ)


 布団から起き上がって、カーテンを開けた。

 空は薄く曇っている。

 晴れとも雨ともつかない、揺れている天気。


(……俺のメンタルかよ)


 制服に袖を通して、階段を降りる。


 ダイニングに入ると、母さんがトーストを皿に並べていた。


「あら、りん。今日はちゃんと生きてる顔ね」


「いつ死んでたんだよ俺」


「この前なんか、“かおるちゃん今日親戚のとこだろ……”って

 遠い目してたじゃない」


「そんな顔してたか?」


「してた」


 コーヒーを注ぎながら、母さんはにやっと笑う。


「で。今日は?」


「今日は、普通に学校行って、普通に授業受けて、普通に放課後屋上行くだけだよ」


「“普通に”の定義、見直したほうがいいわよ」


 トーストをかじっていると、テーブルの上のスマホが震えた。


かおる:おはよう、りん


 時間は六時五十八分。

 昨日より少し早い。


りん:おはよ

りん:ちゃんと起きれたか


かおる:起きた

かおる:今日は絶対寝坊できない日だから


りん:物騒な言い方すんな

りん:いつもどおり来いよ


かおる:……うん

かおる:いつもどおり、ちょっとだけそわそわして行く


 画面を見つめていると、母さんがひょいと覗き込んでくる。


「うわっ、やめろよ」


「何その反応。怪しいわね〜」


「どこが」


「“いつもどおり屋上告白コース”って顔してる」


「人の顔にコース名付けんな」


「ま、どんな顔して帰ってくるか、今から楽しみにしとくわ」


 母さんはあっさりとそう言って、シンクに向き直った。


(……どんな顔で帰るかは、俺次第か)


 残りのトーストを流し込むように食べて、家を出た。


 


◆ ◆ ◆


 教室に入ると、かおるはもう席に座っていた。

 窓側から差し込む光で、髪が少しだけ明るく見える。


 目が合った。


「……おはよう、りん」


 ほんの少しだけ、期待と不安を混ぜたみたいな声。

 喉の奥がきゅっとなる。


「おはよう、かおる」


 約束どおり、ちゃんと顔を見て名前を呼ぶと、

 かおるの頬が、ぱっと赤く染まった。


「……うん。

 おはよう、って言われただけなのに、

 今日はなんか違う気がする」


「何がだよ」


「なんとなく」


 言葉にできない“なんとなく”を抱えたまま、

 二人とも少し気まずく笑った。


 そこに、斜め前から声。


「はい、それでは本日一発目の“朝から糖度高すぎ問題”です」


「うるせぇよ雨宮」


 雨宮は顎に手を当て、わざとらしく頷いている。


「ふむふむ。“おはよう、かおる”の音程が

 過去最高に優しいですね」


「なにを分析してんだお前は」


「“絶対今日なんかあるよ”に十票」


「誰の投票だよ」


 茜も弁当袋を机に置きながら参戦してくる。


「ねぇ、かおる」


「なに」


「もし今日、放課後屋上とか行くならさ」


「わ、わかんないよ!?」


 初手で図星を刺されたらしく、目を泳がせる。


「べっ、べつに、行くなんて一言も——」


「動揺してる声の音程、三度上がってるよ」


「雨宮さん、黙ってて……!」


 かおるが真っ赤になって両手で頬を押さえ、

 その様子がまた教室の空気を柔らかくする。


(……俺だけ緊張の温度違わねぇか)


 心臓の音を誤魔化すように、

 鞄から教科書を取り出した。


 


◆ ◆ ◆


 午前中の授業は、正直あんまり頭に入ってこなかった。


 黒板に式が並んでいても、

 教師の声が耳元で説明していても、

 どこか遠くに聞こえる。


(落ち着け。数式は裏切らねぇ)


 そう自分に言い聞かせて問題を解こうとしても、

 解答欄の横にこっそり

 “好きだってどう言うべきか”みたいなメモを書き始めそうになる。


 四限目が終わった休み時間。

 ノートを閉じたタイミングで、須藤が前の席から振り向いた。


「おつかれ、りん」


「何がだよ」


「今日を無事に迎えられたことへのお祝い」


「勝手に完走扱いすんな」


 須藤は机に腕を乗せて、にやりと笑う。


「で。心の準備は?」


「……まぁ、なんとか」


「お前さ」


 須藤の目が、珍しく真面目になる。


「あの文化祭の夜、“嫌いに戻らない”って言ってただろ」


「ああ」


「今のお前の顔、

 どう見てもそれどころじゃねぇから安心したわ」


「どころじゃないってなんだよ」


「“嫌いに戻らない”ってライン、

 今のお前にとっては足元なんだよ」


 あっさりと言ってのける。


「その上にもう一段、

 “ちゃんと好きだって言う”があるんだろ」


「……ああ」


 言葉にされると、余計に逃げ場がなくなる。


「ビビるのはいいけどさ」


 須藤は、声を少し落とす。


「“嫌いからここまできた相手”にだけは、

 中途半端なこと言うなよ」


 その一言が、

 胸に重く刺さった。


「わかってる」


「ならOK」


 須藤はあっさり元のテンションに戻る。


「告白終わったらさ、

 詳細全部聞かせろよ」


「誰が実況してやるか」


「いいじゃん、俺、二人のモブAとして歴史の証人になりたい」


「モブのくせに出しゃばんな」


 そう言いながらも、

 少しだけ肩の力が抜けた気がした。


 


◆ ◆ ◆


 昼休み。

 机をくっつけて弁当を広げる。


 かおるは箸を握ったまま、

 ちょっとだけ上ずった声で言った。


「今日のオムライス、ハート描いてあった」


「報告先間違ってないか」


「お母さんがね、“頑張っておいで”って言ってくれた」


「……そうかよ」


 そういうのを聞かされると、

 こちらの緊張も比例して上がる。


「りんは?」


「ん?」


「おばさん、何か言ってた?」


 母さんの顔が頭に浮かぶ。


「“どんな顔して帰るか楽しみにしとく”って」


「あ、もうバレてる」


「お前の親も俺の親も、

 わりと同じ分類な気がするわ」


「なんかちょっとわかる」


 くすっと笑ってから、

 かおるは箸を置いて、真面目な表情になった。


「りん」


「ん」


「放課後の屋上……

 わたし、怖いけど楽しみでもある」


 その“怖い”と“楽しみ”が、

 同じくらい混ざった声。


「……俺も似たようなもんだ」


 そう言うと、

 かおるは少しだけほっとしたように笑った。


「一人でドキドキしてたら損だもんね」


「損得で考えんじゃねぇよ」


「でも、半分こなら、

 ちょっとだけ頑張れそう」


 “半分こ”は、

 あいつにとっての魔法の言葉みたいだ。


(だったら、その半分くらいは

 引き受けてやんねぇとな)


 


◆ ◆ ◆


 午後の授業がすべて終わった瞬間、

 教室が一気にざわつき始めた。


 チャイムの音がやけに長く聞こえる。


「放課後〜〜〜」


 雨宮が椅子の上で伸びをする。


「さぁ、本日のメインイベントです!」


「イベント扱いすんな」


「だってさぁ〜」


 雨宮はニヤニヤしながら、

 かおると俺を交互に見た。


「この空気で“何もないです”は、さすがに嘘でしょ?」


「……何もないとは言わねぇけどよ」


「おお〜自白した〜」


 茜が拍手する。


「がんばれ、二人とも。

 わたしたちは遠くから供給を待ってるから」


「供給前提で話すな」


 かおるは耳まで真っ赤になりながら、

 鞄を肩にかけた。


「りん、行こ」


「ああ」


 教室を出て、

 階段を上る。


 踊り場で、

 ひとつだけ深呼吸をした。


 隣で、

 かおるも小さく息を吸っている。


(大丈夫だ。

 ここまで来て、“やっぱりやめた”はない)


 


◆ ◆ ◆


 屋上の扉を開けると、

 風が頬を撫でた。


 夕方にはまだ少し早い時間。

 でも空の色は、

 ほんの少しだけ白からオレンジへ傾きかけている。


 フェンスのそばまで歩いていくと、

 校庭で部活している声が小さく聞こえた。


「……りん」


 かおるが、制服の裾をぎゅっと掴む。


「昨日、電話でいろいろ話したのにさ」


「うん」


「いざ顔見てここに立つと、

 全部頭から飛んでいきそう」


「こっちも似たようなもんだ」


「じゃあ……

 飛んじゃう前に、ちゃんと聞いてもいい?」


 かおるは、

 フェンス越しの景色から視線を外し、

 まっすぐ俺を見た。


 その瞳に、自分が映っている。


「りん」


「……ああ」


「わたしのこと、どう思ってる?」


 喉の奥が、一瞬きしんだ。


 昨日までなら、“大事だ”で逃げられたかもしれない。

 でも、もうそれでは足りない。


 須藤の言葉が頭をよぎる。


——“嫌いに戻らない”は足元。

 その上に“ちゃんと好きだって言う”があるんだろ。


(ここだ)


 逃げるなら一生逃げる。

 言うなら、ちゃんと届くように言う。


「……どうって」


 時間稼ぎみたいな頭の働きを、

 自分で蹴飛ばす。


 ゆっくり息を吸って、吐く。

 胸の奥のざわつきを、言葉に変える。


「前みたいに、“嫌い”とか“うるさい”とか。

 そういうふうに言ってたほうが楽だったんだと思う」


 かおるが、

 わずかに目を瞬かせる。


「“大嫌いな婚約者”って言ってたほうが、

 全部冗談で済ませられたしさ。


 家の勝手な話も、

 “こっちだって迷惑だし”って笑ってりゃよかった」


 フェンスの向こうで、

 風が吹いて校庭の木を揺らした。


「でも——」


 言いながら、

 文化祭の夜の屋上がだぶる。


 星を貼った黒板。

 そこに書いた“嫌いに戻らない”の文字。


 あの日のかおるの泣き笑いの顔。


「“嫌いに戻らない”って決めたときから、

 もう“嫌い”って逃げ道はなくなったんだと思う」


 かおるの喉が、小さく動いた。


「一緒にテスト勉強したり、

 保健当番でだらだら喋ったり、

 屋上で風に当たったり。


 親戚の愚痴聞いたり、

 家族の話したり、

 袖掴んで歩いたり」


 言葉にしていけばしていくほど、

 胸の奥に積もっていたものが形になる。


「そうやって、“嫌いじゃない”が増えてってさ。

 “嫌い”の反対側に、“大事”って感情があるって、

 やっとわかった」


「……うん」


 かおるが、

 小さく頷く。


「だから、“大事だ”って、

 何回も言った」


 昨日の電話。

 今朝のメッセージ。

 全部思い出しながら、続ける。


「でも——」


 そこで、一度言葉を切る。


 これ以上、

 遠回しにはできない。


「それだけで止めとくの、

 もう無理だなって思った」


 喉の奥が熱い。

 胸も熱い。

 顔もきっと真っ赤だ。


 それでも、

 目はそらさない。


「好きだよ。かおる」


 風の音が、少しだけ遠のいた気がした。


「“嫌いに戻らない”とか、

 “ちゃんと大事に思ってる”とか全部ひっくるめて——


 それを日本語にすると、

 “好きだ”になるんだと思う」


 言ってしまった。

 言って、しまった。


 空も、フェンスも、校庭も、

 全部視界の端に追いやられる。


 目の前には、

 涙を浮かべたかおるだけ。


「……っ」


 かおるは唇を噛み、

 ぐっと俯きかけて——


 それでも、顔を上げた。


「……ずるい」


「またそれかよ」


「だって……」


 声が震えている。


「そんな言い方、反則……」


「どの辺がだよ」


「“嫌いに戻らない”とか、“大事”とか、

 全部ちゃんと覚えてて、

 それをまとめて“好き”って言うの。


 ずるいに決まってる」


 頬を伝う涙を、

 手の甲で拭いながら、

 かおるは笑った。


「泣きながら笑うのも反則だろ」


「だって、嬉しいんだもん……!」


 こらえきれなくなったみたいに、

 ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。


「りん」


「……ああ」


「わたしも、ちゃんと言うね」


 ぐしゃぐしゃの顔のまま、

 まっすぐ俺を見る。


「りんのこと、好き」


 その一言が、

 胸の奥に真っすぐ突き刺さった。


「“嫌いに戻らない相手”とか、

 “家族から決められた婚約者候補”とか、

 そういうラベル全部はずしても——


 それでも、

 りんのことが好き」


 言いながら、

 かおるは少し笑う。


「わたしね、昨日、

 おばあちゃんの前で“嫌いじゃないし大事だよ”って言った瞬間——

 頭の中で、“あ、これもうほとんど“好き”って言ってるのと同じだな”って思ったの」


「自覚あったのかよ」


「でも、そこで“好き”って言ったら、

 なんか……勝手に決められたみたいで嫌で」


 ゆっくりと言葉を選びながら続ける。


「家のためとか、

 相良家の娘だからとかじゃなくて。


 わたし自身が、ちゃんと自分で選んで

 “好き”って言えるようになりたかった」


 その“選びたい”って気持ちが、

 痛いくらい伝わってくる。


「だから——今日」


 かおるは、

 ぐっと胸の前で拳を握った。


「ここで、“好き”って言えてよかった」


 胸が、ほんの少し締め付けられる。


「……じゃあさ」


 喉の奥から、

 自然に言葉が出た。


「ちゃんと聞いていいか?」


「なにを」


「“相良家の婚約者候補だから”じゃなくて」


 自分でも笑いそうになりながら、それでも真面目に言う。


「かおる本人として。

 春日井凛のこと、好きでいてくれますか」


 かおるは一瞬目を丸くして、

 それから——声を立てて笑った。


「なにそれ、プロポーズみたい」


「違ぇよ!」


「でも、好き」


 笑いながら、

 涙を拭って、


「春日井凛本人のこと、

 ちゃんと好きです」


 そう言ってくれた。


(……あーもう、

 これ、どうすりゃいいんだよ)


 胸の中がいっぱいで、

 口に出したい言葉が多すぎて、

 逆に言葉が出てこない。


「りん」


「……あ?」


「ここまで言ったらさ」


 かおるは、

 頬を指でつつきながら言う。


「ちゃんと、最後まで言って?」


「最後?」


「“好きです”だけじゃなくて。

 ラブコメ的に、その次」


 あえて“ラブコメ的に”って言うあたりが、こいつらしい。


(……そうだな)


 ここまできて、

 “好きって言い合って終わり”は、

 たしかに中途半端だ。


 深呼吸を一度。

 風の音が、少しだけ背中を押す。


「かおる」


「ん」


「俺と——

 付き合ってください」


 言った瞬間、

 自分の心臓の音がうるさすぎて笑えてきそうになった。


 でも、視線はそらさない。

 逃げないと決めたから。


 かおるは、

 目を見開いて、それからゆっくりと頷いた。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 なんでだろう。

 その一言が、

 今まで聞いたどんな言葉よりも重くて、嬉しかった。


 


◆ ◆ ◆


 屋上を出て、

 階段を降りる。


 昨日と同じように、

 かおるが俺の制服の袖をそっとつまんだ。


「……また袖?」


「手、まだ緊張する」


「さっき“付き合ってください”“よろしくお願いします”って言った直後だぞ?」


「段階って大事だから」


 半分照れ隠しみたいに言うのが、また可笑しい。


「……じゃあ」


 ゆっくりと、

 袖ごとその手を包み込むように、

 指を絡めた。


「段階踏みながら、慣れてけよ」


「りんのほうがずるい……」


「それ褒め言葉に聞こえる不思議」


「褒めてる」


 かおるは耳まで真っ赤になりながらも、

 ぎゅっと握り返してきた。


 廊下の窓から差し込む光が、

 足元に長く伸びている。


 その上を二人でゆっくり歩く。


 前は、

 隣に立つことすら嫌がってた相手だ。


 今は——

 袖を掴まれても、手を握られても、

 それが“当たり前になっていく未来”が想像できる。


(……すげぇ変わったな)


 自分で自分に、少しだけ驚く。


 


◆ ◆ ◆


 昇降口で手を離すと、

 かおるは名残惜しそうに指先を見つめた。


「……あのね」


「ん?」


「明日からも、

 ちゃんと“おはよう、りん”って呼んでいい?」


「今さら名字に戻されたら逆に泣くわ」


「じゃあ、

 いっぱい呼ぶ」


「ほどほどでいい」


「やだ。いっぱい呼ぶ」


「わがまま覚えたな、お前」


「覚えた。

 りんの前だけ、いっぱい使おうって決めた」


 そう言って笑う顔は、

 昔“ちゃんとしてるふり”をしていた頃の笑顔とは

 少し違って見えた。


「りん」


「なんだよ」


「今日から、

 “嫌いに戻らない日々”じゃなくて——」


 言いかけて、

 自分で照れて口をつぐむ。


「なんだよ、途中でやめんな」


「恥ずかしくなってきた」


「言えよ」


「……りんが先に何か言ってくれたら、言う」


「なんだその条件」


 しょうがないので、

 少しだけ考えてから言った。


「じゃあ、

 今日から多分——」


「うん」


「“好きでい続けたい日々”になるんだと思う」


 言った瞬間、

 自分で顔が熱くなるのがわかった。


 かおるは一瞬固まってから、

 ゆっくりと笑った。


「……ずるい」


「褒め言葉だよな?」


「うん。

 すっごく、褒めてる」


 頬を染めながら、

 少し視線を落として——


「じゃあ、

 わたしも言う」


 顔を上げる。


「今日から、

 “嫌いに戻らない婚約者候補”じゃなくて——


 本気で好きになった人として、

 りんの隣にいたい」


 その言葉が、

 胸にすとんと落ちた。


「……ああ」


 頷く。


「よろしくお願いします。

 彼女さん」


「や、やめて!!

 いきなりハードル高い!」


「いずれ慣れろ」


「慣れるのに百年くらいかかる……」


「長生きするしかねぇな」


 そんなふざけた会話をしながらも、

 心臓は相変わらず忙しく跳ね続けていた。


「また明日」


 校門のところで手を振る。


「また明日、りん」


「また明日、かおる」


 その“また明日”は、

 もう“嫌い合ってた頃”のそれとはまるで違う。


 “好き”になった同士が交わす、

 新しい合図だった。


 


◆ ◆ ◆


 夜。

 机に教科書を広げたまま、スマホを手に取る。


 メッセージアプリを開くと、

 新しい通知が一件。


かおる:今日、ちゃんと“好き”って言えてよかった

かおる:泣きすぎて恥ずかしかったけど……

かおる:りんのこと、これからも好きでいていい?


 笑ってしまう。

 質問の仕方が、いかにもこいつらしい。


りん:当たり前だろ

りん:今さら「やっぱやめて」は受け付けねぇからな


 少し迷ってから、もう一文追加する。


りん:俺も、これからちゃんと“好きだ”って言えるように頑張る


 送信すると、すぐに既読がついて——


かおる:頑張らなくても、今日ので十分だったよ

かおる:でも、たまに聞きたいから、たまに言って


りん:わがまま多くなってねぇか


かおる:りん限定で増やしてる

かおる:今日から“わがまま権”ちょっとずつ使っていくから、覚悟してて


りん:上限ちゃんと決めとけよ


かおる:そのへんは“嫌いに戻らない範囲”で


 その言い方が、

 なんだか嬉しかった。


(“嫌いに戻らない”は、

 ちゃんとこれからも続けてくんだな)


 でも、その上に——

 今日、“好きだ”って言葉が乗った。


 それは、

 ただのラブコメ的なイベントじゃなくて。


 ちゃんと、

 今まで積み重ねてきた日々の先に置かれた言葉だ。


 スマホを伏せて、

 天井を見上げる。


(……ここから、だな)


 嫌いから始まった。

 嫌いに戻りたくなくなった。

 大事だと気づいた。

 好きだと認めた。


 その全部を抱えたまま——

 “普通の高校の毎日”は、明日からも続いていく。


「……よし」


 机に向き直って、

 ペンを握る。


 テスト勉強用のノートの端っこに、

 小さく一行だけ書いた。


嫌いに戻らない、好きなやつがいる。


 誰にも見せるつもりのない、

 自分だけのメモ。


 それだけで、

 明日の朝の「おはよう」が、

 今日より少し楽しみになった。


(第25話 了)


—— 第一章 『大嫌いな君と、“未来”を予約してしまった』

   ここにて完 ——

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大嫌いな君と、“未来”を予約してしまった 桃神かぐら @Kaguramomokami

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