サイレントドール

城 龍太郎

物言わぬ人形

 その屋敷は、庭付き一軒家が立ち並ぶメインストリートから外れた山の麓にあるそうだ。

 少女は今、そこに続いているという砂利道を歩いていた。頭にはとんがり帽子を被り、身を黒いマントで包み、手には杖も持っている。街中では、至る所に中をくりぬいたカボチャやカラフルなトウモロコシ、それからプラスチック製の蝙蝠や長い足の蜘蛛、他にも骸骨のオブジェなどが、玄関やベランダに置かれており、それらを電飾や蝋燭が灯していた。それだけに街の外れは、普段以上に物寂しく閑散としているように思えた。しかし少女は顔色一つ変えることなく、半ば機械的に足を右左と交互に前へ出して歩く。

 この街にはそれなりの数の子どもがいるが、少女が誰かと仲良くしているところはもちろん、彼女が笑っているところを見たことがある者はいなかった。まだこの街に来てから一年と経っていないことを考慮しても、それは特異なことであり、おかげで未だに周りと馴染めずにいた彼女であったが、今日は珍しく他の子どもたちに話しかけられた。

 今日、この街に住む子供たちは、ほぼ例外なく街を練り歩き、ほとんど片っ端から家と呼べる家を回っていっている。誰もが知っているであろう、あの有名な台詞と共に訪問し、彼らは成果物として、沢山のお菓子を手に入れる。彼らは子どもらしく仮装だってもちろん楽しんでいるが、一方でいっぱしのハンターとして、出来るだけ多く獲物を狩ろうと奔走するのだ。

 しかしそんなハンターたちも全くの恐れ知らずではない。ひとときの仮装や扮装ではない、魔女のことは怖いのである。もちろん怖ければ近づかなければ良い。第一、彼らの親も人気のない街はずれに自分の子どもが行くことは望んでおらず、実際ハッキリと行ってはいけないと言われることもある。その時、子どもたちはもらえるお菓子の量が少なくなることに対して不平を言うが、行かずに済む大義名分を得て、内心ではほっとしている。

 しかし、それでもお菓子だけは諦めきれなかった彼らは次にこう考えた。他の誰かに頼むことは出来ないものか。そしてそれに相応しいのは、放任主義的な親の子ども、もしくはそもそも行くことを止める親や家族が居ない子ども。

 ゆえに、少女に白羽の矢が立った。



 もうすでに夕刻であることも相まって、山道手前の林の隙間からオレンジ色の斜陽が差し込む様子は、一層の物寂しさを浮き立たせる。しかし、それでも少女は足取りを緩めはしない。

 もっとも彼女は普段から自身の感情を顔や行動にほとんど表さない。周りからは人形みたいだと言われ、それもまた彼女が他の子どもたちから遠巻きにされている理由の一つであった。とはいえ、この街にやってくる以前から、友達と一緒にはしゃぐような性格では無かったし、今さらどうにかしたいとも思わない。

 まもなくして、目的地に辿り着く。

 その家は、ほとんどすぐそばの森の中に溶け込んでおり、よく近寄らないとそこに家があることさえ分からなかった。屋根は庭先にも生えている木々のうっそうと生い茂っている枝葉で覆われ、その壁にはシダやツタが窓を覆い尽くすように絡まって垂れている。巷では魔女の館と呼ばれているそうだが、それに見合った建物といえるだろう。

 ただ、意外にも、もしくは魔女の館と考えれば当然かもしれないが、ハロウィンを意識しているのか、街中の家同様、カボチャや十字架の石像、骸骨の模型などが庭先に置かれている。そして特筆すべきは、その大きさと量であった。カボチャは一つ一つが人が乗れるボートにも出来そうなほどであり、それらが玄関まで所狭しに並べられている。目鼻がそれらしくくりぬかれているものの、ときどきその目からかぼちゃの残っている身が溢れ出していて、おぞましささえ感じられる見た目であった。その他にも荒れ果てた墓地にありそうな墓石や赤く染まった包帯などが乱雑に転がっており、それはハロウィンのための飾りつけというには少々本格的が過ぎた。

 少女は無数のカボチャに見つめられながらも前庭を歩き、屋敷の玄関に行き着く。それから少し扉の周辺を見渡して見つけた薄汚れたベルを、躊躇うこともなく鳴らした。

 反応は無かった。少し待ってからもう一度鳴らす。そこで彼女は何かに見られているような気配を感じ、何気なく顔をあげた。すると二階の窓のカーテンがシャッと閉まるのが見えた。

 そこで彼女は少しだけ迷った。もしかすると帰るべきなのかもしれない。一応、二年ほど前にも、子どもたちの間でじゃんけんに負けた子がこの屋敷の住人からお菓子を、しかも大勢の子どもたちの分までもらったと聞いていたのだが、もしかするとそれ自体も嘘だったのかもしれない。誰かが盛り上がる罰ゲームとして仲間うちで楽しむために作ったものだったのか、はたまた自分を陥れるためのものか。悪気があったかどうかは分からないが、いずれにしてもそれならばここに居る必要はない。

 彼女はそう考えて、回れ右をして帰ろうとした。

 しかし、そこで突然木扉がギイーッと音を立てて開く。彼女はその音にびくりと身体を震わせて振り返る。

 扉の向こうには誰もいない。少女も首を左右に振って探すが、見つからなかった。元々扉の鍵が閉まっておらず、その建付けの悪さから開いたようだ。

 やはりそこでも彼女は迷う。鍵がかかっていなかったからとはいえ、訪問者を歓迎しているとは限らない。しかし、それはすぐに解消された。

 玄関を入ってすぐのところにある靴棚の上にある蝋燭の載った燭台の下に、『HAPPIーHAROWINN』と書かれた台紙があり、丁寧なことに屋敷の中の方へ向けられた矢印も記されていた。

 屋敷内の廊下は外よりもさらに暗かった。それでも一定間隔に火の灯った蝋燭のある燭台が置いてあったので迷うことは無かったが、階段は一段登るごとにミシミシと音が鳴り、今にも壊れるのではないかと心配になった。

 蝋燭の明かりに案内されたのは、丁度先ほど誰かがカーテンを閉めた部屋であった。部屋といっても大きさとしてはかなり広く、しかし閑散としているわけではなく、庭先とは比べ物にならないほどに物が散らばっていた。

 しかもそれらは大量の試験管が差してある試験管立てだとか、大きな鉄鍋だとか、昆虫の標本や動物の剥製であるとか、要するにハロウィンとは明らかに関係のないだろうにもかかわらず、魔女としてのイメージにこの上なく合っている。すえたような匂いもするし、今まさに部屋の奥では現在進行形でぐつぐつと何かが煮込まれているらしく鼻をつまみたくなるような煙が充満していた。この部屋に入るだけでも罰ゲームとしては十分かもしれない。

「今年は、やって来たみたいだ」

 少女がむせ込むのを我慢しながら白煙の向こうを見やると、魔方陣が描かれた黒い絨毯の上に立っている白っぽい人影が見えた。やはり少女を待ち構えていたことは間違いないようで、その点においては少しほっとした。

 発せられた声とその長い後ろ髪から、この屋敷の主の女性であると思われた。しかし、白煙の揺らめきのせいか、存在そのものがどこかおぼろげで、今にも消え入りそうなほど不確かにも思えた。

 唐突にその女性がぐらりと足元から崩れるように倒れかける。少女は驚くが、すぐにその女性を支えようと、黒絨毯の上に足を踏み入れて駆け寄った。彼女は決して俊敏な方では無かったが、その時は素早く動けた。あとから思えば、その存在を自分の手で確かめたかったのかもしれない。

 少女はその身体を抱き留める。もっと正確に言い表すなら、両腕で支柱のように足まで踏ん張らせて、どうにか支えている格好であった。

 支えた身体は見た目よりもずっと重く思えた。まるで何人もの人間がのしかかってきたような。たた、その一方で基本的にすえた匂いのするこの部屋だが、そこからはどこか懐かしい甘い匂いがした。

 その甘い匂いのせいか、気が抜けてしまい、まもなく少女は支えきれなくなって倒れ込む。

 幸い、敷かれていた絨毯が分厚く身体を受け止めてくれたこともあって、大事には至らなかった。少女は自分の腕の中でだらりと腕を垂らしている者の無事を確認しようとした。すでに身体に触れてしまっているが、どうも意識がある様子ではなく、息をしているかどうかもよく分からなかった。そこで少女はその顔を覗き込んだ。

 普段あまり動揺しない少女であったが、そのときばかりは身体をびくりと震わせた。

 その顔はのっぺらぼうで、目も鼻も口さえも無かったのだ。

 するとそこで少女の背後、部屋の入口の方からけたけたと笑う声が聞こえてくる。

 少女が振り返ると、ぼさぼさ髪でひどく青白い肌をした猫背の女性が立っていた。彼女こそがこの屋敷の主人であることをようやく理解した。

「目鼻が、付いている」

「ふふっ、第一声がそれなのかい。なかなか面白い子だねえ」

 何がそんなに楽しいのかと思うぐらい、魔女は明らかに浮足立った様子で、少女に近づいてくる。そのせいか、わずかにめくれていた絨毯の端に躓いて転びそうになっていたが、それでもお構いなしといった具合だった。

「いやはや、カーテンの隙間から覗き見していることがばれたことには少しびっくりしたよ。だから、すぐに気付かれるかもしれないと思ったんだけどね。とはいえ、良く支えてくれたものだ。少なくとも成人一人程度の重さがあるだろう、に」

 それまで快調に喋っていた女性であったが、少女がまだ抱えているそれを引き上げようとしたところで、突然言葉を詰まらせた。

「なんだか、重すぎやしないか」

 どうやら用意したであろう本人も驚いていた。

「ちょ、ちょっとキミ。この人形を起こすのを手伝ってくれないか」

 二人で四苦八苦しながらも、どうにか先ほどと同じように絨毯の上に起こし直す。

「ふむ、これは妙だね。コイツとはかなり長い付き合いだけど、こんなに重くなったことは一度もなかったよ」

「まるで、重さが変わるかのような言い方」

 少女は思わずぼそりと呟いた。

「キミはこの人形を支えているとき、何か感じなかったかい」

「感じる?」

「ああ、重さもそうだし、あとは感触や温度など」

「柔らかくて熱かったですけど」

 少女は魔女の問いの意味が理解できなかった。たった今、彼女も触っていたのだから聞く意味もないだろう。しかし魔女は興味深そうに「ふうん、なるほどね。そういう感じか」と唸ってみせる。

「あの」

「なんだい、綺麗な青色の瞳をしたお嬢さん」

「お菓子、もらってもいいですか」

 魔女は目をぱちくりとさせる。それは今までのどこか芝居がかった様子から離れた、彼女自身の内面が垣間見えた瞬間でもあった。しかし彼女はすぐに愉快そうに笑い飛ばした。

「いや、本当に面白い子だ。確かに今日はハロウィンだけどね、でもこの状況でそれを言うとは。ましてやキミはさしてお菓子が欲しそうには見えない」

「お菓子をくれないと、いたずらしますよ」

「ほう、それはどんないたずらかね」

「この敷かれている絨毯であなたをぐるぐる巻きにして、窓から投げ捨てます」

 魔女はもはや腹を抱えて笑い転げていた。

「少なくとも数年に一度は、この時期になるとウチに子どもがやってくるけどね、キミほど愉快な子はいなかったよ」

 少女としては間違いなく真面目に話しているつもりであったし、これまでこの街に来てから辛気臭いや根暗などとはよく耳にしたが、面白いや愉快などと言われたことはなかった。来る前でも、言ってくれたのはせいぜい一番仲の良かった子と家族だけであった。

「あなたは私たちの血を引いた子なのよ。だからきっと面白おかしく、そして楽しく暮らしていけるに決まっているわ」

 彼女はハッとして顔をあげる。その言葉は以前母親に言われたものであったが、今まさにそのセリフが聞こえてきたのだ。

「どうかしたかい」

 しかし、今この場に居るのは、自分が着ているものよりもずっとぼろくて裾の汚れたローブを纏う魔女と呼ばれている女性だけである。

「いえ、別に」

「まあいいや。お菓子はちゃんとあげるよ。それも抱えきれないぐらい沢山ね。キミは街の子たちに頼まれてここに来たのだろう。こう見えても、私は毎年ハロウィンの為に用意はしてあるのさ。たとえ魔女と呼ばれて不気味がられていたとしても、近所づきあいは避けられないものなんだ。それに私としても、時々来てくれる子どもたちを玩具にして楽しむことはやぶさかではない」

 彼女が意地悪な笑みを浮かべる。やや歪んだ趣向を持ち、少しひきつった笑い方をするものの、噂から少女が想像していたような性悪で不気味な魔女とは異なっていた。

「キミの大好きなお菓子はともかくとしてね、今はこっちの人形の方が気にならないかい」

 魔女は改めて話を切り出す。

「これはそうだな、言ってみれば魔女の創造物なのだよ。ほとんどの人間にとってはただの人形だろう。かくいう私もそうだ。しかし特定の者にとってはそうじゃない。冷たさや温かさといった独特の温度が感じられて、中には触れているだけで熱くて火傷をしてしまう者もいる。胸の辺りに鼓動を聞き、腕には血脈がどくんどくんと流れ、その手にはぬくもりを覚えることもあるそうだ。あとは匂いなんかも。そうだよ、キミと違って私にはその一切を感じられないのさ」

 少女はわずかにその眉をあげる。

「私が嘘をついていると思ったかな。その懸念は多分どうやっても消せないね。つい先ほど私は他人をからかうのが好きだと言ったばかりだし、そうでなくとも感覚というのはその人だけのものだからね。現在進行形でキミが覚えている感触も、これまであらゆる場面で抱いた感情も、全部キミだけのものだ。こうして生きているうちはもちろん死んでしまった後であっても、誰一人として奪うことや真の意味で知ることは出来ない。分かるかな」

 年端も行かない少女に対して、魔女は問いかけるように話す。少女はやはり大きな挙動はみせず、じっと人形の方を見ていた。

「そうだね。ひとまずは、お菓子を持ってキミの今の家に戻るといい。そして今夜、家を抜け出してまたここに来るんだ。もちろん本当に興味が無ければ来なくて良い。でも、その人形から何かしらを感じ取ったのであれば、それは何よりも偉大な導きなのだと私は思うよ。難しく考えなくて良い。心に従うだけだよ」

 彼女はそう言うと、部屋から出て行った。少女の方は、彼女が甘ったるく妙な匂いのするお菓子の数々を持ってくるまで、ずっとそこで立ちつくしていた。



 その夜、少女は再びその屋敷の前までやってきた、つもりであった。通った道筋は夕方頃とまるで変わらず、格好も相変わらず少女の身体には少し小さめの魔女の服装。

 少女は叔母にまた出かける旨を話そうと思ったが、少女よりも幾つか年下の息子と共に近所で行われるパーティーに参加するその支度で忙しそうにしていたため、そっと家を抜け出してきた。もしかすると勝手にいなくなって事件にでも巻き込まれたら、保護者としての責任を問われることになるのを嫌って怒るかもしれないが、彼女たちよりも早く帰れば問題はないだろう。一応のところ、叔父と叔母は身寄りのない少女を預かり、少なくとも表面上は自分たちの愛息子と共に面倒を見てくれているが、叔母が自分の母親を苦手としていたことを少女は知っていた。

 少女の家族は、母も父も兄も皆明るく陽気で、どんなことも楽しくしてしまうような人たちであった。また、周りからは幼い頃から仲良し姉妹と言われていたと母親はいつも嬉しそうに語っており、何かイベントの度に、家に叔母の家族を招いていた。しかしそれでも少女は、数年ほど前に叔母たちが自分たちの家に来た際、たまたまガレージの陰で母親含め少女の家族のことを疎ましく思っている旨の会話を聞いてしまったのだ。叔母も慌てて口を噤んでいたが、すでに手遅れであった。それからまもなくして、少女だけを遺して家族は交通事故で亡くなり、他に行く宛てもなかったため、叔母の家に引き取られて今に至る。

 しかし今、少女は困惑しており、叔母に話せば良かったかもしれないとさえ思っていた。彼女なら何か知っていただろうか。

 昼間と変わらず山の麓にあった魔女の屋敷は、夕方に来た時に見た外観とはまるで違い、すなわち鬱蒼と生い茂った葉っぱにまみれてもおらず、壁は塗り替えたばかりのようなまっさらでシダやツタなどは見る影もなく消えていた。前庭にあった不気味なカボチャの大群も消え失せ、屋敷全体がカラフルな電飾で煌びやかに彩られ、おどろおどろしさとは無縁のチャーミングな骸骨やジャック・オ・ランタンが設置されていた。叔母たちがこれから行くであろうパーティーがここで開催されると言われても納得できただろう。

 夕方頃にやってきたときの方が、遥かにおどろおどろしい雰囲気を醸し出していたにもかかわらず、今にも賑やかな人の声が聞こえてきそうなこの家に入る方がずっと憚られ、足が止まってしまう。

 さすがに普段の空虚な日常には無い力が働いていることはもう察していた。ひとりでに開いた扉、もくもくと白煙が漂う大部屋、そしてもうこの世界のどこにも存在しないはずの匂いがした人形。

 彼女は踵を返して帰ろうとした。

 しかしそこでまた玄関先の扉がギイーっと音を立てて開いた。彼女は振り返る。一変してしまった屋敷が、やはり昼間と同じものであったことを彼女に知らせた。しかも今度はひとりでに開いたわけではなく、そこには人影があった。

 帰ろうと思っていた少女の足が、ほとんど無意識に玄関の方に赴く。

 そしてその人影の間近までやってきた彼女はまじまじと見つめていたが、やがて口を開いた。

「どうして、そんな恰好をしているの」

 少女を待っていた者は、頭に少女とおそろいのとんがり帽子を被り、狼のようにけむくじゃらな手足を生やしながらも、顔も含めた身体中を包帯でぐるぐる巻きにしていた。



 その者は少女を奥へ案内しようとする。しかし、右手と右足を同時に出しながら上体は左に進もうとして転びかけたので、少女は慌てて支える。

 するとその者は少女に軽く会釈し、少女の頭を包帯で巻かれたけむくじゃらの手で撫でようとするが、力を入れ過ぎたのか少女は頭ごと身体を床下に沈められそうになる。すぐに物凄い勢いで持ち上げられて少女は事なきを得るが、反動で後ろに吹っ飛び、壁に背中をぶつけた。

「大丈夫?」

 少女が心配して尋ねるが、その者は素早く頷くと倒れ込み、床に向かって胸を張りながらサムズアップをする。身体の動きはてんでバラバラだった。

 その後も何度もなんでもないところで躓きそうになっていたが、それでも少女を大部屋に連れて行き、テーブルの前に着席させた。

 室内は、明らかにカーテンの奥やクローゼットの中に押し込められた大量の物がはみ出していたが、それでもどうにか足場は確保され、綺麗な飾りつけのされたスペースが用意されていた。

 少女は先ほど玄関に立っていた姿を見た時から、顔が包帯で見えずとも、今せわしなくパーティーの準備をしている者が、あの魔女ではないことには気付いている。少女の座る椅子にだけは、ふかふかのクッションが敷かれている。

 一度その者はどこかに行くが、まもなくして部屋の奥から香ばしい匂いがしてきたかと思うと、パンプキンパイが載った大皿を運んできた。それから四等分に切り分け、そのうちの一切れを少女の前に置く。

 それから少女はうるさいほどの身振り手振りで食べるように促された。少女はまだオーブンから出してまもない熱々のパイを冷ましながら口にした。そのちょっとしつこいぐらいの甘さは、間違いなく馴染みのある、毎年この日に食べていたものと同じ味であった。いつも小食な少女であったが、ぺろりと食べてしまう。少女がまだ物足りなさそうな顔をしているのを見るや、その者はもう一切れを少女の皿に載せようとしたが、少女はそれを止めるとこう言った。

「それは皆の分だよね」

 しかしその者は首を横に振る。

「ねえ、食べてよ」

 少女は言う。その者は、少し困ったように肩をすくめる。当然その仕草にもひどく見覚えがあった。

「ねえってば」

 その声はかすれていた。もちろん彼女はどうして食べられないのか分かっている。

「何か、何か言ってよ。なんでもいいから」

 もう一度だけで良いから、聞かせてほしかった。明るい家に相応しい賑やかで楽しそうなそれらの声を。少女は美味しいお菓子も料理もいらなかった。ハロウィンなんて、パーティーなんて、この街なんて、そんなものはどうでも良かった。ただ、その思いを人形にぶつけたって仕方がないことぐらい分かっていた。だから、少女は俯くしかなかった。

 しかしその時、人形の足は軋む床の上を引きずられ、危なっかしい動きを見せながらも、もたれかかるようにして少女のことを抱きしめた。

 包み込まれるような腕の感覚、耳元で聞こえるささやかな心音、この場で安心して眠ってしまえるようなほっとする匂い、それらこそが、少女の欲しがっていたものであった。



 家に戻ると、意外なことに玄関口には叔母が待ち構えていた。

 それほど長い時間の外出ではなかったので、まだパーティーから帰ってきていないのではないかと思ったが、そもそもパーティーにも行かなかったらしい。しかも、それは少女がいなかったからだという。

 どこに行っていたのか問われたので、素直に話した。一応、夕方頃にお菓子をもらいに行かされていたことは知っていたようであり、それ以上は言及されなかった。代わりに手に持っている箱に中身を尋ねられたので、パンプキンパイの残りであり、良かったら食べないかと言った。まだ夕食を食べていなかった叔母のお腹が鳴った。

 息子はすでにベッドに入ってうとうとしており、叔父はそれを寝かしつけていたので、食卓には叔母と少女の二人だけがつき、叔母は食べるなり、少しだけその目を見開き、「この甘さ」と言葉をこぼした。

 そこで少女は、以前母親が話していたことを思い出す。母親が子供の頃、毎年、ハロウィンになると飾りつけの用意や料理をそれぞれ分担していたが、母親はいつもパンプキンパイを作る係だった。叔母が料理が苦手だったことに加え、母は甘いものとカボチャが好きな叔母を喜ばせたかったそうで、その際はいつも砂糖をたっぷりと加えるようにしていたという。

「あなたが作ったのね」

 実際は違ったが、彼女はさらに話を続けた。

「自分の子どもにも同じレシピで作らせるって言っていたから、すぐに分かったわ。もしも私がパンプキンパイを作れなくなるようなことがあっても、いつでも食べられるから安心してって。なんで大人になっても姉さんやその子どもと会わなきゃいけないのかと思ったわ。でも、今ではその子どもと一緒に暮らしている。姉さんは私の気持ちなんてこれっぽっちも分かっていなかった。器量も頭も良くて何でもこなせたくせに、そういう鈍いところが好きじゃなかった。あの人は本当に勝手なのよ。人を振りまわして、巻き込んで。今もこうして」

 それ以上の言葉を少女が叔母の口から聞くことは無かった。少女が部屋を後にしたからだ。もっとも後にしなかったとしても、おそらくは声にならない言葉しか聞けなかったことだろう。



 その後、少女はこの街で平穏な毎日を送っている。退屈で、愉快でもなんでもなく、やはり空虚さの拭えない、そんな日々を。

 少しばかりだが、変化はあった。お菓子をたくさんもらってきたことで、周りの子どもたちから少しばかりの賞賛の言葉とお礼を言われ、それを機にたまに話しかけられるようになったのだ。それから彼女からもときどきは話しかけるようになり、性格こそ変わらないが自然と馴染んでいった。

 少女はいつも自分が一人ぼっちであると感じていたし、その感情とはまだまだ長い付き合いになると思われた。ただ、それでも目を閉じてあの夜のことを思い出すと、少しだけ気持ちが軽くなるような気がするのだった。



 

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