いずれ憎悪に至るあい

8刀

第1話

 今野昌也は、フランケンシュタインである。

 でも頭にボルトは刺さってなくて、そこらへんにいそうな普通の若者だ。

 正確には、死体を元に作られた怪物――である。

 有名な『フランケンシュタイン』という言葉は怪物の名前ではなくて、怪物を作った博士の名前だ。原作の小説ではそうなっている。

 でも、その後の映画やドラマでは、『フランケンシュタイン』=『怪物』にごちゃ混ぜになってしまっている。

 だから、昌也は怪物であり、フランケンシュタインではないのだが「フランケンシュタインの方がわかりやすい」という先生の一言で、昌也はフランケンシュタインということになっている。


「えっと……鈴峰学園……は、こっちだな」

 手書きの地図を片手に、独り言を口にしながら、昌也は夜の街を歩く。繁華街ではなく、どちらかというと郊外の住宅地だ。

 月野昌也は、フランケンシュタインだが、人間と同じように食事もすれば睡眠もとるし排泄もする。

 死体を元に作られた怪物だが、生きている人間のように行動するのだ。

 だから、人間と同じように『衣食住』が必要であり、現代社会において『衣食住』を手にするには金銭が必要で、昌也は働く必要があるのだ。

 そして今、昌也は仕事先に向って徒歩で移動しているのである。

「あった」

 初めて向う場所なので、それっぽい建物を目にした際に、昌也は安堵の言葉を吐く。

 時刻はそろそろ日付が変わろうとしている。

 依頼人からは、深夜を指定されている。おかげで、昌也は道を聞こうにも通行人に会うことができずに、少々不安を感じていた。

 昌也は先生から『仕事用』として支給されたガラケーを取り出し、依頼人に電話をかける。

「もしもし、今野です。鈴峰学園の門の前に来ました」

『正面門は施錠されています。そこから塀づたいに歩いて、裏門に来てください』

 依頼人は淡々と昌也を誘導する。昌也は言われた通りに、塀にそって歩く。

 高いコンクリート製の塀だ。正面門も大きくて立派だった。

 塀の向こうに見える建物は、深夜でシルエットでしか判断できないが、これまた大きくて立派な雰囲気がある。

 対して、裏門は小さく実に目立たないつくりだった。

 依頼人から指定された時間が時間だし、先生から大雑把に聞かされた仕事の内容から考えても、あんまり人の目には触れて欲しくないのだろう。

「今野さんですね。こちらへ」

 裏門から入ると、そこには依頼人が待ち構えていた。

「月島です」

 スーツに眼鏡をかけた若い男。手にはスマートフォン。画面を光らせている。どうやら懐中電灯の代わりにしているらしい。

 身体は痩せていて、淡々とした口調の中に、どこか他人を値踏みしているような空気が混ざっている。

「こちらに来るまでに、誰かに会いましたか?」

「いいえ。この時間ですし」

 郊外の田舎だし、と正直に口にするのは止めておいた。

「それはよかった。この辺の人間は口煩くて。何かあると、すぐにあること無いこと噂話を始めますから」

「はあ」

 月島の先導で、昌也は鈴峰学園の校舎に向う。黒々としたシルエットは、近づくにつれて校舎というより洋館を思わせる建物だと気がつく。

「仲介の方から、話は聞いていますか?」

「あ、はい。でも、大雑把な説明で、詳しくは現地で改めて……と」

「そのことなんですが」

 くるり、と月島は振り向いて昌也をじろじろと観察する。

「あなた、ほんとうに大丈夫なんですか? 荒事に対処できる者を派遣する、と聞いていたのですが」

「はあ」

 昌也は自分の姿を脳裏に描き、月島の疑問も無理ないかも、と複雑な気分になる。

 身長体重、ともに普通。顔も平々凡々。これといった特徴はなく、まさに『その他大勢』な存在だ。

 荒事になるような仕事を任せるには、頼りなさ過ぎるのだろう。

「大丈夫だと思います。その、俺、死なないから」

 正確には、もう死んでいるから。

 荒事になっても、守るものが無い分、戦術に幅が持てる。

 昌也は月島の不安を取り除くべく、発言したのだが――。

「……とりあえず、詳しい事情を説明します」

 月島は不信感を全身に漂わせたまま、歩きながら説明を開始する。

「この鈴峰学園は、私立の学校です。経営には某大物議員も関わっています。調べればすぐにわかることですが、あまり詮索しないでいただけるとありがたい」

「はい」

「その繋がりで、某企業のトップのご子息、大物政治家の孫娘等、それなりの家柄を持つ生徒が多数在籍しています」

「はい」

 どうりで裏門から校舎まで、距離があるはずだ。大物の保護者たちの寄付金で、学園そのものの敷地がおそろしく広いのだろう。月島も、どこぞの政治家の秘書なのかもしれない。

「ですから、『幽霊が出る』などという騒ぎは困るのです」

「はあ……」

『幽霊騒ぎ』なぞ、金持ち私立の学校でなくても困るに決まっている。

「あのー。でも、普通の幽霊だったら、先生に依頼しませんよね?」

 昌也は先生の顔を思い出しつつ、月島に尋ねる。

 先生が昌也に行って来い、と命じるからには『普通』じゃない『何か』があるのだ。

「幽霊に普通という表現はどうかと思うが……確かに、坊主や神主、拝み屋といった人間の仕事が通用しなかったのは事実だ。そこへ、風変わりな『便利屋』の噂を聞いてね」

「ははあ。ありがとうございます」

「君のその態度はどうにかならないか。『便利屋』なら客商売だろう。仲介した人間も口の聞き方がなってないし」

「あー、これから気をつけてもらうので、どのような『幽霊』なのかの説明を」

 脱線する月島に、本題に戻ることを提案する。

「幽霊というやつは、万人には姿が見えないものだろう? 見えるのは霊能力とか、霊感とかを持つ人間に限られていると思うんだが。半年前から校舎に出る幽霊は、全ての人間に見えるんだ」


 半年前。

 良く晴れた初夏の昼下がり。

 三階にある一年B組の教室に、その幽霊は姿を現したという。

 数学の授業中、教室の扉を開けて、幽霊は歩いて空いていた席に座った。

 そうして席について、放課後になると、すうっと姿が消えてしまう……。


「これが毎日繰り返される。授業の邪魔だ」

「それ、生きている人間じゃないんですか?」

 真昼間に授業を聞きに来る幽霊。まるでコントだ。

「幽霊の顔は、教室内にいた生徒も教師も目撃している。毎日現れるからいくらでも確認できる」

 歩きながら月島は、さらに説明をする。

「……実は、この幽霊が現れる少し前、夏休み中に。一年B組の男子生徒が自殺していてね。その生徒なんだ。いや、学園とは関係が無い。いじめ問題も起きていない。その証拠に、男子生徒が自殺したのは、他県なんだ。G県にある自殺の名所として有名な滝、知らないか? そこでだよ。だから、学園とは関係がない」

 昌也が何も言っていないのに、いじめ問題は起きていないと断言するあたり、逆にあったんだろうなと思わせる。

「でも、授業を聞いてるだけの幽霊なら、無視してしまえばよいのでは?」

「生徒たちの身にもなってくれ。死者と授業を受けなくてはならないんだぞ」

「教室を変更するとか」

「とっくにそうしたよ。別の教室で授業をしても、幽霊は同じ時刻になると現れるんだ」

 はあ、と月島はため息をつく。

「授業そのものを中止したら?」

「そうしたいんだがね。それだと、まるで認めているようだろう」

「認める?」

「幽霊が出ています、と。先ほども言っただろう、ここはそれなりの家柄の子供が通う学校なんだ。おかしな噂はもってのほかだ。幽霊騒ぎが起きて学級閉鎖が起きている――なんて、口うるさいマスコミに知られてみろ。いや、マスコミは金なり権力で圧力もかけられるが、最近はつぶやきだの、SNSだの、どこからこの話が外部に漏れるかわかったもんじゃないんだ」

 月島の言葉は、初対面時の丁寧さが少しづつ剥がれ落ちていた。昌也ののらりくらりとした態度に感化されたのか、それとも普段から仕事のストレスを貯めていたのか。

 単に、深夜の仕事が面倒くさいだけかもしれない。

「噂は困る。だから、こうして君にも深夜に来てもらったんじゃないか」

 話をしているうちに、ふたりは校舎にたどりついた。事前に鍵を開けていたらしく、月島は鍵も出さずに重そうな扉を押し開ける。

 学び舎というよりも、豪奢な洋館を思わせる建物。その出入り口も昇降口ではなく、玄関ホールと呼ぶ方が相応しい。何しろ、吹き抜けになっていてシャンデリアがぶらさがっているのだ。

「暗いですね。明かりは」

 校舎には明かりがついていなかった。月島が手にしているスマホのわずかな光だけでも豪奢で豪華だと判断できるのは、さすがお金持ちご用達学校だと思う。

 だが、深夜の暗闇に包まれていれば、折角の豪華なインテリアも、金がかかっていそうなシャンデリアも不気味なだけだ。

「下手に照明をつけたら、近隣住民に目撃されて、おかしな噂になるだろうが」

 いい加減に空気を読め、と月島が圧力をかけてくる。

「今まで祈祷をしてくれたお坊さんとか神主さんとかも、この時間に来てもらっていたんですか」

「ああ。上の方針は、とにかく騒ぎを起こすな、だからな。何人かは、昼間に教室でその幽霊を直接見てみたいと言っていたが、断った」

「じゃあ、これから始めます。月島さん、明かりを、スマホの電源落としてください」

 月島は昌也の指示に従う。

 玄関ホールが闇に染まる――が、それは僅かな時間だった。


 昌也は両目を閉じる。イメージを浮かべる。

 黒いプラスティック製のスイッチ。電化製品についているような、オンとオフを切り替えるスイッチ。

 昌也はそれを切り替える。

「き、きみ……」

 月島が驚きの声をあげる。当然の反応だ。

 光源がない玄関ホールが、青白い光に照らされている。

 青白い光を発しているのは、昌也の身体だ。

 昌也は両目を開けた。

 切り替える前とは、全く違う光景が、そこには広がっていた。


 

 複数の男子生徒から殴られている男子生徒。

 男女混合の集団に取り囲まれている女子生徒。

 スーツを破られた教師と思しき成人男性。

 

 昌也の両目は、今ここに存在しない映像を見ている。

 映像だけではなく、音も。


 死ね、豚。

 バカ教師、さっさと辞めればいいのに。

 うざい。

 きもい。

 

 同じ学校に通う生徒が、同じ生徒を虐げていた。

 生徒が教師を辱めていた。

 教師が教師に罵声を浴びせていた。

 いじめを行う理由はさまざまだ。

 とろいのが悪い。

 不細工なのが悪い。

 可愛いのが悪い。

 目立つのが悪い。

 悪い、悪い、悪い。

 ちょっとでも オレ/わたし/僕 に気に食わない点があるお前が悪い――。


 昌也は走り出した。

 何が「いじめはない」だ。

 いじめている側と、いじめられる側の感情が、そこかしこに残っている。

 冗談じゃない。

 こんな感情を、見て聞いて、感じ続けていたら――こちらの脳がおかしくなる。

 はやく、一刻も早く、こんな感情は吹き飛ばさないと。

「今野さん! どこに? 現場の教室はそっちじゃない!」

 背後から月島の声が聞こえるが、今の昌也にそんなものに関わっているヒマはない。

 速やかに、早急に、この建物内に感情を溜め込んでいる原因を排除しなければならない。


 昌也は駆ける。

 感情がもっとも溜め込まれている地点に向けて。

 どろどろとした感情を掻き分け、廊下を走り、階段をのぼり、ひとつの扉の前に立つ。

 木製のドア。重厚そうな扉。明らかに教室の引き戸ではない。

 走り、走り、その勢いのまま、昌也は扉を体当たりするようにぶち破る。

 そこには――壮年の男が。髭を蓄え仕立ての良いスーツを着た男の姿が――。


「消え、ろ」

 昌也は男の姿を見つめながら、拳を握る。

 その拳が強く光る。青白い輝き。雷光。

 昌也は男の姿に拳を放った。




「昌也。ご飯は?」

 眠っているところを揺り起こされて、昌也は唸り声をあげる。

「せんせい……。昨夜は遅かったんだよ」

「指定された時間が時間だから、それはわかるが」

「だから、もうちょっと……」

「私は空腹なんだ」

 昌也は諦めと共に、布団から這い出した。

 先生は実に気まぐれだ。冬眠でもしているのかと疑うくらいに起きてこない日があれば、無駄に早起きし元気にウォーキングに出かける時もある。

 疲れから惰眠を貪りたい昌也とは対照的に、今朝の先生は早起きしたい気分だったのだろう。

「ちょっと待ってて。用意するから」

「ああ」

 先生は昌也の部屋からリビングへと移動した。

 昌也も台所に移動する。家事は昌也の担当なのだ。

 フランケンシュタインである昌也は、定職に就いていない。

 就職したくても死者に求人は無い。

 当たり前だが、求人募集は生きている人間が対象だ。

 生活費を稼いでいるのは先生で、昌也は時々アルバイトのようなことをしているだけだ。

 なので、家事全般を担当している。

 朝の食事は簡単なものだ。オレンジを食べやすくカットし、冷蔵庫のレタスを洗ってちぎってサラダをつくる。

 コーヒーを淹れて焼いたトーストにバターを添えて完了だ。

「昨夜の仕事は荒れたのかい?」

 コーヒーを口にしつつ、先生が昌也に聞いてくる。

 その姿は、まるでコーヒーメーカーがつくったCM映像のようだ。

 昌也が「先生」と呼ぶその人物は、金色の髪と青い目をしていた。顔は端正なハンサムで、身体つきは彫刻のように整っている。

 そんな美形が口にしていると、スーパーのセールで3割引で買ったコーヒーも、特売の食パンも、なんだか高級で美味しそうな食べ物に見えてくる。

 美人は得だな、と昌也は思う。でも、格好は「先生」と言うだけあって、白衣を着ていて、モデルとは言いがたい。

「荒れたっていうか……疲れたというか」

「そうか。西からメールがガンガン飛んできてね。何かあったのかと」

 西、というのは先生に『便利屋』としての仕事を持ち込んでくる男だ。

 先生は、依頼内容が昌也にもできそうなものだと、そのまま丸投げしてくる。

「もしかして、早起きなのは、メールの着信音で起こされたから?」

「ああ。だから釈明を」

 昌也は西を恨んだ。先生は、自分の気まぐれで早起きをするのはいいが、他人に早起きを促されるのは嫌いな性格だ。

 釈明に納得できなかったら、昌也に「仕置き」をするかもしれない。

「幽霊が見えるから、それが見えないようにしてくれって……。そうしただけだよ」

「ああ、私も西から聞いている。どこぞの学校で幽霊が出るから、なんとかしてくれと。変わった幽霊で、誰にでも見えるそうだな」

「誰にでも見えるよ。あれだけ記憶や感情が残っていたら」

 昌也は昨夜を思い出す。それを先生に話す。

 豪勢なつくりの学び舎、その内部に留まり続ける人々の記憶。

「仕事を始めようと、頭のスイッチ切り替えた途端に、積もり積もった記憶が見えた。映像だけじゃなくて、音も」


 今野昌也はフランケンシュタインだ。

 死体を元につくられた怪物。

 死者が生き返ったのではない。

 人間とは全く違う存在だ。

 ゆえに、人間にはできないことができるし、人間には感じ取れないものを見たり聞いたりできる。

 ……ただ、昌也は、普段は人間として生活している。

 現代社会に怪物は必要ない。人間は自分とは違う存在を嫌い憎む。怪物は排除される。

 昌也は生活のために、怪物である自分を抑えなくてはならないのだ。

 そのための――切り替えスイッチ。

 フランケンシュタインとしての感覚を能力を――普段から発揮しないための。

「あんなに思念が、校舎にぎゅうぎゅうに詰まっていたら、見えて当然だと思う。凝縮しすぎで、そういうものが見えない人にも見えるくらいに、固形化していたんだ」

「それで、理事長室に飛び込んで壁をぶち抜いたのか? 風通しを良くするために? 西が修理費用を負担しろとうるさいんだが。凝ったつくりの校舎だから金額が大きいらしいぞ」

「仕方ないよ。幽霊を見えなくしろって依頼だったし。あの校舎が変なんだ。記憶をひたすら留めて風化させないまじないがかかっているなんて」

 昌也の前に、祈祷を頼んだという坊主や霊能者たちも、思念が留まりすぎているとは気がついていただろう。

 残留思念がありすぎて、まじないがかかっている呪物が特定できなかっただけで。

 昌也はフランケンシュタインの感覚で、理事長室の壁にかかっていた肖像画が呪物だと特定。

 フランケンシュタインの力で、呪物を破壊したのだ。記憶を留めるまじないは消えた。

 これで校舎に残り続けた記憶や感情は薄れるだろう。そうすれば、見えない人間は見なくなる。

「……けど、なんで一年B組の生徒だけはっきり見えていたんだろ。他のクラスの生徒も、カンがいい子なら見えるはずなのに」

「学校側は、おかしな噂は困ると繰り返していたんだろう? 最近の子供は空気を読む。読みすぎるほどに。カンがいい生徒は沈黙を選んだのさ」

「一年B組は?」

「クラスメイトが自殺した。いじめは『なかった』とされているが、事実と違うなら、そのクラスの生徒・教師はさぞや後ろめたいだろうな。空気を読むことなく謝り倒すくらいには」

 普段とは違う精神状態におかれると、一時的に感覚が鋭くなったり、逆に鈍くなったりする。

 一年B組の生徒は――鋭くなり、今までは見えなかったものが見えるようになった。

 罪の意識も手伝って、見えるようになった残留思念に、自殺した生徒を重ね合わせていた。

 教室を移動しても、見えるはずだ。

「西からのメールを見ると、請求されている修理費用が、どうにも相場よりも高くてな。昌也を起こす前に、少々調べてみた。まあ、パソコンで鈴峰学園のホームページを見ただけだが」

 先生の食事は終盤に差し掛かっている。オレンジをかじり、指先についた果汁を舌で舐め取る、それだけの動作が艶めかしい。

「創設は約三十二年前。政財界のご子息が多く通う。金を持っているから校舎のつくりも特別で、それで修理代金がかさむらしい。あと、学校理念のページには、初代理事長のお言葉が書かれていたよ。『昨今は、新しいもの新鮮なものがもてはやされていますが、教育は違います。流行に流されない、伝統を守る精神が重要なのです。古き良き時代を伝え守るべきです』だって。経営に関わっている大物政治家は、保守で有名だからね」

「保守……」

「三十二年前といえば、バブルの絶頂から、はじけた頃だろう。いやでも変化しなくてはならなかった時期だ。パソコンも普及のきざしを見せていたし」

 古き良き時代。伝統を守る。

 それは良い点もあるが、度が過ぎれば新しさの否定につながる。

 理事長室のドアを破ったときに見えた男性の――肖像画。

 肖像画に意図的に呪いをかけたのか。それとも、新しいことを批判するうちに、無意識に肖像画を呪物にしてしまったのか。

 なんにせよ、校舎には生徒たちの記憶や感情、残留思念と呼ばれるものがまじないによって蓄積された。

 あの綺麗な校舎に残っていた念は――昌也が見た聞いたものは――いじめの被害者がのこした無念だ。加害者の残忍さだ。

 苦しみと辛さと、逃げ場の無い絶望感。

 古い時代だろうが、新しい時代だろうが、いじめは無くならないのだ。

 人は、自分以外の人を、力で押さえつけたいという欲望を持っている。

 昌也のようなフランケンシュタインが、その存在を知られたら……悲惨な目に遭わされることは確実だろう。

 だから、普通にならないと。


「仕置きをしなくてはね」

「へ?」

 考え込む昌也に、先生の無慈悲な審判が下される。

「アルバイトに行って、逆に建物を壊してしまったのでは……」

「ま、待った。あれは――」

 不可抗力だ。

 スイッチを切り替え感覚が鋭くなった昌也にとって、あんな凝り固まった念の中に居るのは拷問に近い。

 苦痛から逃げるために仕方の無いことだし、依頼は幽霊をなんとかすることだった。

 昌也には仕置きをされるいわれがない。

 月島も絶句していたが、昌也が事情を説明すると「わかった」と言って、バイト代が入った封筒を渡してくれたのだ。

「なんだい、その不服そうな顔は? 修理代金を支払うのは私の財布からだよ。私のフランケンシュタインが粗相をしてしまったのだから当然だ。それはそれとして、粗相をした本人が全く反省していないのは問題だ。それでは、普通の人間のように、普通に社会に出て生活したい、なんて夢物語だろうに」

 

 昌也がアルバイトをしているのは、小遣い稼ぎもあるけれど――それ以上に、普通になりたいのだ。

 死体からつくられた怪物でも。




「ふぅ……んんっ……」

 仕置きをするから、と昌也は先生の部屋に連れ込まれた。

 家事担当の昌也は、この家の掃除も当然担当している。

 だが、先生の部屋だけは掃除をしていない。

 先生の部屋は、仕事場でもある。何かの研究をしていたり、実験器具を使っていたり。資料らしき難しい本も大量にある。

 まるでミクロコスモス。そして、コスモスをつくりたもうた神は、自分以外の手が入るのを良しとしない。

 だから、昌也がこの部屋に入るのは……仕置きの時だけだ。

 本来なら広い部屋だが、昌也にはよくわからないモノが溢れていて狭くなっている。

 雑然とした空間に響く水音。男の荒い息遣い。

 それは、ベットに腰掛ける先生と、床に膝立ちになって口付けをする昌也がたてている音だ。

「初めの頃は、ぎこちなかったけど……上手くなったじゃないか」

「う……」

 

 昌也は半裸に剥かれている。対する先生は着衣のままだ。

「それだけ何度も繰り返しているんだけどね。恋人じゃない男とキスしてでも、普通になりたいかい?」

 なりたい。普通に。返事をしたいけれど、口が塞がっているので、発音できない。

 舌を絡める、粘膜の接触。

 口内が蹂躙される。


 唾液に塗れた口を離し、昌也は先生を見る。

 昌也をつくった創造神は、被創造物を見返していた。皮肉さを込めた笑みを浮かべているが、その青い目が――。

 ふいに昌也の腕が先生に掴まれた。

 ベットの上に引っ張りあげられ、そのまま組み敷かれる。

「あ……はあ」

 先生の掌が、昌也の身体を撫で回す。首元から胸元、腕、脇腹、腰……優しい感触に、昌也の口から吐息がもれる。

「ふん……異常はないようだな」

 先生の愛撫は丹念で丁寧で……まるで昌也の身体に怪我や変化がないかどうか、確認するようだった。

「先生は……」

 昌也が問いかようとする。前々から不思議に思っていたことを。

「おれのこと、どう……どう思って……」

 

 先生は、昌也がアルバイトで何かやらかすと仕置きをする。

 何もやらかさなくても、なんだかんだと理由をつけて仕置きする。

 仕置きをするくらいなら、最初からバイトを許可しなければいい。昌也にバイトをまわさなければいい。

 だけど、先生はそうしない。

 今回のように、実際にやらかしてしまっても、後のフォローまでしてくれる。

 そもそも、今受けているこの行為、心地よいとさえ思える時間は、果たして仕置きと言えるのかどうか。


「私がつくった怪物だ。被創造物だ。だから仕置きもする。自由に弄ぶ。創造者なんだから当然だ」

「……」

 昌也は気落ちする。

 そうなんだろうな、と薄っすらとわかってはいたが、もうちょっとこう……愛着を匂わせてもいいのではないか。

 だから昌也は、この「仕置き」が嫌いだ。



 着替えた先生は、携帯電話を取り出し、朝からひっきりなしにメールを送りつけている人物に電話をかける。

「西か? そう騒がないでくれ。壁の修理代金はこちらが持つ。ただし、件の幽霊が、今日の午後の授業に現れた場合は、だ。幽霊が見えなくなっていたら、壁の破壊は幽霊退治に必要なことだった、と先方も納得するだろう。君の稼ぎにマイナスは出ない」

 通話をしながら、先生の眼差しは昌也にそそがれている。

「ああ。消えているとも。私の昌也がまじないの元を断った。そもそも、この仕事、多少物が壊れても構わない、と言っていなかったか?」

『先方も初めはそう言っていたんだがな。けど、壁に風穴あけるとは思ってなかったんだろ』

 西という『やっかいなお仕事専用仲介業』に就いている男は、どこか呆れた声で言う。

『壁ドンにも程があるっつーか。仕事に立ち会った男が、青い顔してしつこく聞いてくるんだよ。『あれは何だ、人間じゃない』って。怪物モードの坊主見て、昨夜はさっさと帰ったくせに、後になって好奇心出してきた』

「私達の個人情報、漏らすなよ」

『漏らさないし、漏らしたところで信じないだろ。フランケンシュタインが、フランケンシュタインつくって光源氏やってるなんて話。こっちは金を稼げればいいんだよ』

 よく言えば仕事熱心、悪く言えば守銭奴な男の通話は切れた。

 西にとって、先生の正体も昌也のこともたいしたことではなく、この二体の怪物に仕事を仲介することで得る利益にしか興味はないらしい。

 

 先生は自分が創った存在を思う。

 むかし、科学者につくられたものの廃棄され、孤独に生きてきた怪物がいた。

 その怪物は、孤独に耐えかねて自分と同じ存在をつくりあげた。

「いつか、お前は、私を恨むだろうな」

 先生の独り言は、経験に裏打ちされたものだ。

 死体からつくられた怪物は、人間の世界を求めたのに、怪物だから排除された。

 怪物は自分の創造者を恨んで恨んで、恨みぬいた。

 それなのに、恨んでいる相手と同じことをしている。

「まあいいや。愛されるのも、恨まれるのも、ひとりじゃできないからね」

 

 

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