短編集"人生速度ゼロミリメートル"

白兎銀雪

太陽は東から昇る、雲の裏側でも

ある用事で二泊三日ほど東京に行くことになった。と言っても、最初の一日は仕事が終わってから向かうので、実際に過ごすのは二日と少し。東京に行くのは一年余りぶりで、一人で行くのは初めてだった。

東京では広島と違って、レイトショーが遅くまで上映されているという話を耳にしたので、一番好きな映画であるところの秒速5センチメートルを見に行こうかと考えていた。しかし、目敏く聞きつけた恋人が、よしておけと言うので断念せざるを得なかった。もっとも、そうでもしなければ僕は、生産性皆無のセンチメンタリズムに支配されていただろうし、彼女は賢明だった。僕は言いつけを守ることにした。

広島から東京までの新幹線は片道で四時間近くかかる。夜勤明けで自宅に帰り、そこからようやく荷造りをした。疲れた頭で読んでいない本を何冊も詰め込んでいたが、僕は新幹線に酷く酔うので、車両が目的地に着くまで一度も開かないだろう。連絡していた東京の友人がジャケット必須だと言うので、ガシャガシャしたベージュのジャケットをおろした。

広島の片田舎から電車に乗り、一時間弱揺られて到着を待った。広島駅に向かうに連れて増えていく乗客を横目に、誰か一人ぐらい東京に行くかもしれない、なんてことを考える。到着した広島駅は、改装されてから賑わい続けている。

何歳になっても指定席を買う気にはなれず、自由席の窓側が空いているのを見つけて荷物と身体を押し込んだ。目まぐるしく過ぎる見慣れない景色をぼんやりと眺め、吐き気まで至らないみぞおちの不快な感覚と戦っていると、大阪で551の紙袋を抱えた若い女の人が隣に座ってきた。身を潜めるように、窓際に体を寄せる。疲労と嘔気で寝たり起きたりしていた時に、彼女がスマートフォンの画面で何かの動画を見ているのがふと目に入った。今放映されている戦隊モノだった。音声だけ聞きながら大きなタブレット端末でイラストを書いている女の人は、きっと東京に向かっているのだろう。

車掌が切符を確認しにきた時、一言だけ女の人と話したが、それは事務的なことだった。

長らくとも最近来たばかりとも言い難い東京駅は、当然何も変わっていない。けれど、広島駅が一世一代の大リニューアルを遂げた時の賑わいと、この駅の賑わいは大差ない。僕は産まれた時から負けていると言われたように思った。足早に人波の合間をくぐり、山手線のホームへと階段を上る。プラレールみたいにちんけな黄緑色のラインは、東京の人間にとっては日常なのだろう。

宿は秋葉原にとった。予定の場所に都合がいいのと、今どんな街になったのか、気になったから。カプセルホテルの癖に一泊が一万もしたのは、僕の探し方の問題だったのか、この町の問題だったのか。宿への道すがら、コンセプトカフェの店員がトランシーバーみたいな距離でスマホを眺めているのを見て、違う駅にすればよかったと心底思った。歩行者天国は、もうないのだ。

有名なYoutuberの動画を調べて、その日の晩飯のラーメン屋を決めた。外では些細な、けれど無視できない雨が降っている。小雨に打たれて三十分弱待ったが、こればっかりは、失敗だった。左隣にはハーフアップみたいな髪型のスウェットの男が、右隣には何の変哲もないサラリーマン風の男が座って、文句も言わずにラーメンを啜っている。自由なのか不自由なのか、この街ははっきりしない。

また小雨に打たれて、宿に戻った。店員は日本人ばかりで、中学生の時分をインターネットで外国人差別に浸りながら過ごした僕にとっては、無性に安心した。


無料のカレーを朝食にいただいて、その後、二日目の日中は用事で潰れた。大した用事ではないので割愛する。拘束されるが生産的ではない用事だったので、この街と、そこに自分が住むことを想像して過ごした。僕には、何もかもが足りなかった。

用事が終わった時には精神的に疲労困憊で、項垂れながら宿に帰った。友達が居酒屋を予約してくれていたので、なんとか間に合うように身支度をと思い、宿の目玉の人工温泉に入った。背中一面に刺青の入った男がいて、やる気を出したのに心底後悔した。

新宿まで出て行って、一年半ぶりに友達二人と飲んだ。あまり変わった様子はなく、これが実家に帰ったような気持ちかもしれない、とよぎった。帰り際、トー横を見ようという話になって、案内してもらった。大半のスペースが封鎖されているが、かえって近くのショッピングモールの入り口にキッズが屯していた。周りの好奇の目を知ってか知らずか、彼らはお互いだけを見て話しているように感じられた。救われますようにと思う。彼らがそれを望もうと望まずと、僕は、そう思わずにはいられない。僕自身が、救われるために。

急に顔色が悪くなった、と心配してくれる友人を見ていると、いつか彼らも救われることが、夢物語ではないと少しだけ思えた。風邪薬なんてなくたって、僕たちは健康でいられるはずなのだ。

三日目の日中もつまらない用事で潰れたので、後は帰るほか何もない。道すがら通りすがる人間は東京在住だと思うと、本当に腹が立った。

思い返せば、僕の人生はこの街を恨み続けている。運動音痴に生まれた広島の少年は、自分が認められる場所として勉強に熱中し、逃れられる場所としてインターネットに辿り着いた。深夜アニメなんて碌に放送されない広島で、その時からここではないどこかに憧れていた。いや、憧れる以上に恨んでいた。生まれた場所がここでなければ、と。東京の大学を受けてにべもなく落とされた時も、僕は自分の努力が足りなかったと後悔する以上に、この街が僕を拒んだのだと思った。産声を上げてから二十六年が経った今も、僕は全てが思い通りに行かないこの世界を憎んでいる。

そして、憎み続けたいと思っている。

例えば僕が、東京で仕事を探すことも、困難だが不可能ではないだろう。憎むほどに焦がれた街を、我が街とすることもできるだろう。ごめんだ。僕はこれからも、努力などせず、常に被害者だという顔をし、そしていつか、正しいものに僕を否定してほしい。今更僕は、一生懸命頑張るなんてできないのだ。

東京にいた二日余り、一度も陽の光を見ることはなかった。太陽は、東から昇る。雲の裏側でも。その因果関係は決して逆転することはなく、いつだって西側は陽が落ちていくばかりだ。それでも僕は、陽の沈むのを見ている方がまだ気が楽だ。

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短編集"人生速度ゼロミリメートル" 白兎銀雪 @hakuto_ginnsetu

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