ハロウィンゾンビの落とし物

クロノヒョウ

第1話





「あ、落ちましたよ」


 朝の満員電車を降り、改札を抜けたところで目の前を歩いていたゾンビの大きなカバンから落ちたポーチを拾って声をかけた。


「あら、ありがとうござ……って、渡辺さん?」


 ふり向いたゾンビと目が合った。


 やけにリアルなどす黒い顔と傷口。


 今にも血の匂いが香ってきそうな完璧なメイクと聞き覚えのある声。


「先輩!?」


 今日はハロウィン。


 にしても朝からこんなに本格的な仮装をしている人がいるなんてと思っていたら、まさか先輩だったとは。


「こんな朝早くから何やってるんですか!?」


「ふふ、そうだ、一緒にくる?」


「あっ」


 考える暇もないまま、私はすぐに歩き出した先輩を追いかけていた。


 つい先日、私と先輩が通っていたヘアメイクの専門学校の同窓会があったのだ。


 久しぶりに会った先輩はとにかく眩しいくらいに輝いていた。


 私が入学した時からすでにカリスマだった先輩。


 卒業後も各業界からひっぱりダコでメディアにも何度も紹介され有名人となっていた。


 先輩の手にかかれば誰でも何にでも変身できる。


「先輩、あの、この前はすみませんでした」


 そんな憧れだった先輩を目の前にして酔った勢いで私は先輩に散々愚痴を聞いてもらったことを思い出し、顔を赤らめながら謝った。


「何? 酔っぱらったこと? それとも私にくだ巻いてきたこと?」


 前を歩きながら少しだけ顔を横にした先輩。


「両方です」


「ふふ」


 そう笑っただけの先輩。


 学生の頃からそうだった。


 誰にでも、二つ下の私にもメイクのコツを教えてくれて多くを語らない優しい先輩。


 先輩に憧れてどれだけ先輩のメイクを見てきたか。


 なのに私は。


「先輩、ここは」


 先輩が入っていったのは住宅街の中にある小さな保育園だった。


「おはようございます」


「あ、三島さん、おはようございます。今年もよろしくお願いいたしますね」


 エプロンを着けた優しそうな女性と挨拶を交わしている先輩の後ろで私も慌てて頭を下げた。


「おはようございます!!」


 靴を脱ぎ案内されて部屋に入ると小さな子どもたちの元気な声が出迎えてくれた。


「さあみんな、今日はハロウィンだからお姉さんにメイクをしてもらいましょうね~」


「はぁい!!」


 先輩は持っていた大きなカバンからたくさんのポーチを取り出し子どもたちに渡していた。


「今日はみんなにゾンビになってもらいます」


「きゃあ~」

「ゾンビぃ~」

「わー」


 興奮して立ち上がり手を叩いたり飛びはねたりする子もいた。


「先輩、これは?」


「うん、私が毎年やってるボランティア。渡辺さんも手伝って」


「ボランティア? あ、はい」


 子どもたちは渡されたポーチからファンデーションを取り出し先輩の指示に従って自分たちで顔にパタパタとパフをはたいていた。


「できたら順番に並んでね」


「はぁい」


 白くなった顔に先輩が筆で血のりや腐敗した傷口を描いていく。


「渡辺さんもやってみて」


「あ、はい」


 先輩の見よう見まねは得意だ。


「お借りします」


 メイク道具を借りて目の前に来た女の子の顔に色をのせる。


 目元を窪ませ口を大きく描いて頬に傷口をつければゾンビの出来上がりだ。


 二十人ほどの子どもたちのメイクを終えた。


 みんなで写真を撮ったあと子どもたちは庭に飛び出しゾンビごっこをして遊んでいる。


 みんなすごく楽しそうだった。


「先輩、あの……」


 片付けを手伝いながら私は先輩に声をかけた。


「渡辺さん、美容室辞めたの?」


「えっ」


 ついさっき、私は三年間勤めた美容室に退職届を出してきたばかりだった。


 専門学校を卒業して就職した美容室。


 ずっと自分の中にあった疑問。


 私がやりたかったのはシャンプーしたり髪を切ったりすることじゃない。


 ヘアスタイルを変えるのも素敵なことだけど、私も先輩みたいにメイクで人を変えたかった。


 先日の同窓会で先輩に会って決心がついた私は次の就職先も何も考えず仕事を辞めたのだ。


「ちょっと来て」


 廊下に出た先輩に呼ばれ急いで隣に立った。


「見て、子どもたち、楽しそうでしょ」


 庭で遊ぶ子どもたちを眺めている先輩。


「はい、とっても」


「メイクってすごいよね。みんなゾンビになりきってる」


「あはっ、本当に」


「メイクは人を笑顔にする。されるほうも、するほうもね」


 そう言われて、今自分が笑っていることに気づいた。


「私、ヘアメイク事務所を創ったの。よかったら一緒にやらない?」


「へっ!?」


「本当はメイク、やりたいんでしょ?」


「は、はい!」


「ふふ」


 先輩の優しさに涙が出そうになっていた。


「先輩、ありがとうございます」


 私は深々と頭を下げた。


「さあ、片付けて次の保育園に行くわよ」


「え? 次?」


「みんな待ってるわ」


「はい!」


 十月三十一日、ハロウィン。


 私は先輩の優しさと、ゾンビメイクをした子どもたちが落とした笑顔をたくさん拾った。



          完





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