泥棒兄弟
日ノ出ヨシキ
第1話
「ユウ。ガラスには気をつけろよ」
兄貴は、唐突にそう言った。
日曜日の早朝。誰もいない公園の古びたブランコに、僕らは並んで揺れていた。
「うん……割れたら危ないもんね」
僕は少しだけ顔を横に向けて、兄貴の様子をうかがった。けれど兄貴は、ギコギコとブランコを揺らしながら、まっすぐ前を見つめたままだった。
「いや、そういうことじゃないんだ。ガラスってのは、もしかしたら地球のものじゃないかもしれない」
また始まった。兄貴の突拍子もない話。いつものことだ。僕は兄貴の横顔から視線を外し、前方に広がる広々とした公園をぼんやり眺めた。
「でも、なんで気をつけなきゃいけないのさ?」
僕は、深く考えずにいつものように会話に付き合う。
「アイツらだけなんだよ。透明になって、人間の目から姿を隠せるのは。地球上の物質じゃ、そんなことできない」
兄貴は前を見たまま、少し声に重みを乗せて続ける。
「この前もさ、小さい女の子がガラスの玄関フードに気づかずに走ってきて、思いっきりぶつかってた。あれは本当に危なかった」
「それはそうだけど……それだけで、地球外のものって言い切れるのかな?」
僕は否定するつもりはなかったけど、今回はいつも以上に話が飛んでいて、何が言いたいのかよくわからなかった。
「この地球を支配してる人間の目に映らないなんて、どう考えても宇宙か、別の世界から来たものだろ。だって、光が全部通り抜けるんだぞ?そこに物質があるのに、光が止まらない。存在してるのに、見えない。光も何事もなかったかのように通り過ぎてしまう……」
兄貴はそう言うと、まるで宇宙の真理を味わっている哲学者のように、小刻みに頷きながら、自分の言葉の確かさを噛みしめていた。
もしかして、ここ数日間、兄貴の口数が減っていたのは、この“ガラス地球外説”をずっと考えていたせいなのかもしれない。
小学校の同じクラスの友達は、兄貴がいつもおかしな話をするのは、僕をからかっているだけだと思っている。
でも、実際は違う。兄貴は、僕をからかうつもりなんて毛頭なく、いつも本気で思っていること、真剣に考えていることを、そのまま言葉にしているだけだ。弟の僕には、それがよく分かっていた。兄貴は、いつも真剣だった。
僕は、そんな兄貴が好きだった。だけど、それを友達に話すと、僕らが少し変わった兄弟だと見られてしまう気がして、兄貴の本当の姿は、自分の心の中にだけしまっていた。
ただ、この時は、なぜか急に兄貴の揚げ足を取りたくなって、話の穴を探しながら「でもさ……」と口にして、ブランコを止め、兄貴の方を見た。
「それなら、光の方が怪しいんじゃない?光が、幽霊みたいにガラスをすり抜けてるって考えられないかな?」
我ながら、よくできた即興の反論だと思って、ちょっと満足していた。
それでも兄貴は、黙ったままブランコに揺られている。
僕はもう少し続けてみることにした。
「人間の目って、光を使って物を見てるって学校で習ったよ。物質に当たって跳ね返った光が目に入ることで、その物を認識するんだって。ってことはさ、光が幽霊みたいに消えるものだったら、そのせいで見えたり見えなかったりするんじゃない?僕は、ガラスより光の方が怪しい気がするけど……」
その瞬間、兄貴はズズズッと足を地面に押しつけてブランコを止めた。そして勢いよく立ち上がり、一気に僕の方へ振り向いた。
一瞬、怒らせてしまったかと思った。でも、その顔は怒っているどころか、目をキラキラさせて、驚きと喜びが混じった表情で僕を見つめていた。
「ユウ!お前は、天才だ!」
兄貴は叫んだ。
「な、何がさ……?」
こんな兄貴のハイテンションぶりは初めてだった。一体何に反応して、こんなに興奮しているんだ?
「お前の言う通りだ。光だ!危険なのは光の方だ!」
「えっ、そ、そうなの……?」
「ガラスなんて大したことない。光の方が、圧倒的にヤバい。お前の理論は正しい!」
兄貴は唾を飛ばしながら叫び続ける。
日曜日の静かな朝の公園に、兄貴の声が響き渡っていた。近くにはアパートが並んでいるから、きっとこの声も届いているだろう。僕はそれが気になって、慌てて兄貴をなだめようとした。
「そうだとしても……僕らにはどうしようもないよ。光を相手に、何ができるっていうのさ……」
「確かにそうだ」
兄貴の声が少し落ち着いた。
「ね、そうでしょ。だから光のことは忘れて、家に帰って漫画でも……」
「ユウ」
兄貴は僕の名前を呼んだ。その顔には、さっきの興奮は消えていたけれど、何か固い決意のようなものが浮かんでいた。
「ユウ。俺は決めたぞ。俺たちは、これからは光を避けて生きていくことにする!」
そして―― 大人になった僕たちは、日の光を避け、闇に生きる泥棒家業に就いたのだった。
泥棒兄弟 日ノ出ヨシキ @hinode2028
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