万引きGメンの合理的選択 万引きGメンがミクロ経済学を学んだら。
もしもノベリスト
【第1章】非合理な実験室
経済学博士号(Ph.D.)を持つ御子神慧(みこがみ けい)が、この埃っぽいバックヤードを選んだのには理由がある。 スーパーマーケットこそ、人間のあらゆる「合理的選択」が剥き出しになる、生きた実験室(ラボ)だからだ。 そして今、このラボの最新AIが、奇妙な「ノイズ」を発している。
「……また始まったよ、博士の独り言が」 安っぽいパイプ椅子を軋ませ、田所(たどころ)がぼやいた。彼の視線は、惣菜コーナーのタイムセールに群がる主婦たちに注がれている。 御子神は、12分割された監視モニターから目を離さずに答えた。 「独り言ではありません。分析です。あのAIカメラが指し示す『特異点』を見てください、田所さん。不自然だ」
ここは、郊外のスーパー「サンサンマート昭島店」。 経営不振の起死回生を狙って導入された高額なAI防犯システム。その監視データを見るため、御子神たち万引きGメンが派遣されてきた。 店内に響く、気の抜けた「ポポーポポポポ♪」という呼び込み君のBGMと、微かに漂う古い揚げ物の匂い。その全てが、御子神にとっては観測すべきデータに過ぎない。
モニターに映る無数の客。彼らは皆、無意識の経済活動を行っている。 ミクロ経済学の基本は、人間を「合理的選択(Rational Choice)」を行う存在=ホモ・エコノミカスとして捉えることだ。
【ミクロ経済学用語①:合理的選択(Rational Choice)】 人は、自分にとっての「満足度」が最大になるように、限られたリソース(お金、時間など)の中で最も得する行動を選ぶ、という考え方。
万引き犯とて同じこと。 彼らは、捕まる「リスク(コスト)」と、盗品から得られる「満足度(ベネフィット)」を瞬時に天秤にかけている。この最新AIは、その『コスト』を飛躍的に高めるはずだった。
「店長!」 御子神がインカムで呼ぶと、すぐに脂汗を浮かべた店長がバックヤードに転がり込んできた。 「どうです、先生! やはりAIの導入は『合理的選択』でしたでしょう!」 「いいえ」御子神は無感情に切り捨てた。「店長。このAIを導入してから、なぜか高級酒と粉ミルクの被害額だけが、導入前の1.2倍に増えている。このデータが読めませんか?」
御子神のタブレットが、美しいグラフを表示する。特定の曜日、特定の時間帯に、ピンポイントで被害が集中している。 「……おかしい。通常の万引きは、もっと衝動的でランダムなはずだ。このデータは……合理的すぎる」 彼は呟いた。 「これは、単独犯の仕業じゃない。サンサンマート昭島店は、我々が知らない『市場』になっている」
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