第一章 神の恩恵

紫紺の空は、今日も裂け目ひとつ見せずに広がっていた。

まるで永遠の膜だ。

破れることも、澱むこともなく、ただ同じ色を毎朝描き続ける。


戦争は、いつも通り始まる。

夜が明けると、イミテーションが境界を越えて侵攻する。

人類はそれを迎え撃つ。


原始的ないでたち。緑色の身体に屈強な肉体。


腕力ではとてもかなわない。


しかし人類には希望がある。


それはスキルと呼ばれる才能を持つ特殊な者たち。


剣から炎を生み出す者、斬撃を飛ばす者。様々いる。



シオンは高台から、無言のまま戦場を見下ろしていた。

一見すれば、長い睫毛と繊細な輪郭を備えた、女性のような顔立ち。

紫の長髪が風に舞い、紫紺の空へと溶け込んでいく。

肉体の輪郭さえ曖昧に感じさせるその姿は、どこか現実離れした儚さをまとっていた。


——その背後、空間がわずかに軋んだ。

音もなく忍び寄った“それ”を、仲間の刀が瞬時に断ち斬る。

緑の巨躯が、呻きもあげず地に崩れ落ちた。


(この戦いに、意味などあるのか。)

そう思った瞬間、自分を殴りたくなる。


イミテーション。

出自も目的も不明の異形。

その行動原理には意志のようなものがまるで見えず、ただ破壊だけを繰り返す。

対話の余地は、どこにもなかった。

奴らはいつだって、何の前触れもなく——

朝靄のような“次元の霧”を裂いて現れ、街を蹂躙し、人を殺す。


対イミテーション対策の研究者の間では

もともとこの惑星はイミテーションたちが住む星であり

我々人類がこの星に”現れ”、原住民である彼らの住処を奪ったという説もある。


「…どこから湧く? 奴らの“巣”は……一体、どこだ」


それは、誰に向けた言葉でもない。

空に投げた問いが、風にさらわれて消えていった。


だが、誰かがその問いに答えてくれることを、どこかで期待していた。


毎朝、黒い煙が実体化するように、空間の裂け目から奴らは吐き出される。






人類はスキルのおかげで死者は少ない。


戦闘に特化したものや、治療魔法を使う者。


それらが進化し、人類はイミテーション迎撃率100%に達していた。




しかしそれでもあきらめず、ひたすら特攻してくる。


やつらのこの憎しみはどこから来るのだろう。




今日もまた、紫紺の空の下で同じ絵が繰り返されていく。




勝利する。

そして何も変わらない。


街の広場に、戦果を伝える光の掲示板が浮かぶ。


「迎撃成功。死者、二十七名。出産数、二十七名。人口総数、変動なし。」




今日も新しい命が生まれた。

これも神の恩恵か。


人類は神に愛されている。


信仰のたまもので、毎回、死んだ人数が同じだけ無事に生まれてくる。

人々はそう信じている。


毎日、掲示板を一瞥し、

安堵でも恐怖でもない顔をする。




シオンは、その光景を見ながら、今日も同じ問いを飲み込む。


——なぜ、増えないのか。

——なぜ、減らないのか。


幼い頃から聞かされてきた言葉がある。


「それが神の意志だ。この星は生存の理想郷だ。」


だが、シオンにとってこの理想郷には、生きている手触りがどこにもなかった。




いつも紫紺の空の下で、戦争が始まる音がする。


誰も慌てない。

誰も驚かない。


きっと、明日も同じ戦争があるのだろう。


辟易とする、その毎日の繰り返しに。

シオンは、言い知れない不安を抱えていた。






街では、いつも通りの日常が繰り広げられている。


誰も不安を抱いていない。

イミテーションは脅威だが、才ある者たちが守ってくれる。





シオンは任務が終わると街に繰り出していた。


市場はにぎわい、人々には笑顔があふれている。


「よっ。シオン。今日はどうだった?」


ふと、親友のネロに声を掛けられる。


「いつも通りだよ。……というかネロ。相変わらず暴れたみたいだな。北西方向からお前の“爆撃”ばかり響いていたぞ。」


「はは。軽くひっぱたいただけなんだけどな。」


漆黒の英雄、ネロ。


生まれたころからスキルレベルがカンストした、この世界の頂点。


性格は孤立気味だが、人々に尊敬され、端正な顔立ちを持つ。


まさに完璧を体現した存在だ。


シオンも、ネロのことは尊敬している。


この男には、何ひとつ勝てる気がしない。


まさしく——次元の違う強さ。




そのときだった。


低い警報が、広場に鳴り響いた。

イミテーションの侵攻とは違う、聞いたことのない警告音。


人々が一斉に顔を上げる。

シオンも息を呑んだ。


——何の警報だ?


戦争でもない、恒常でもない。

この世界を形作ってきた“安定”が、初めてひび割れた気がした。


そして、人影が走ってきた。


長い髪。細い影。

後方を気にしながら走っていた女の目が、まっすぐにシオンを射抜いた。


それが———


アンバーとの最初の邂逅だった。


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