昭和男のアップデート
@yutatamaru
男のプライド
少女が見ていたマッチの火のように
理想は叶わぬまま消えてしまうのだろうか。
私が定年を迎えると、待ってましたと言わんばかりに久恵は京都旅行に行きたいと言いしだ。妻の事は決して嫌いではない、ただどうしてもそんな気にはなれなかった。
京都旅行?我々世代の象徴であるかのような、あの!小めの帽子を被り皆と同じ寺を巡り同じ花を見る。そんな平々凡々な事に時間を費やすと考えただけでうんざりした。私の時間は有限なのだ!
瑛二は焦っていた。あんなに楽しみにしていた定年を迎えたにも関わらず、いざその時がきたらこれと言った趣味もなく何をしても面しろくない。
やりたい事を好きなだけやれる、そんな浮かれていた気持ちは、これでもう働かなくて良い、が本心だったと気づかされた。
唯一の楽しみといえば朝の散歩の後、久恵から貰ったコーヒーカップでコーヒーを飲む。それだけだった。何か自分にしか出来ない事をしたい! 私は周りとはちがうのだ!
そんな焦燥感でいっぱいだった。
子供の頃は宇宙飛行士に憧れていた。月面着陸のニュースをみて夢中になったのだ。
それ以来、瑛二はどこか未来的な物が好きになった。ワープロやビデオデッキ、ウォークマンなど、今で言うテクノロジーと呼ばれる物だ。
パソコンが普及し始めた頃などは少し複雑な操作が出来ただけでも随分と驚かれた。そしてそんな周りの態度も瑛二を心地よくさせていた。
そうだ!パソコンを買ってみるか!ある程度の操作は理解しているし、何よりも新しい事が見つかるかもしれない。
次の日、街一番のショッピングモールへと出かけた。ここは何でも揃う。瑛二はここが好きだった。八階の電気屋につくと一通りパソコンを見て回ったが、どれも同じに見えて何を選んだら良いか分からないうえに店員に聞こうにも何を聞けば良いのかすらも分らなくなっていた。
日を改めるか・・そう思いエレベーターの方へ身体を向けたその時だった!これまでに見た事のないパソコンが目についた。
半球に近いスクリーンでそこには美しい宇宙の映像が流れていた。パソコンが置かれているL字型の机の前には頭がすっぽり隠れてしまうほど高い背もたれの椅子が置かれていて、それら全てがブラックカラーで統一されていた。正確には背もたれの両サイドには赤の縦線が入っており、それがまたなんともモダンで、そこはまるで宇宙船のコックピットのようにみえた。
「それカッコいいですよね?先週入ったばかりなんですよ」 若めの店員が話しかけてきた。
「た、確かにデザインはカッコいいが 使うとなるとこの画面じゃ見にくそうだな」
すると彼はこう答えた
「パソコンとしてもお使いいただく事は可能ですが、こちらはゲーム向けに作られたもので仮想空間に没入する為に作られた物です。従来の平面スクーンの比ではありませんよ、映りも群を抜いております。是非座ってお試しください」
仮想空間?! 一瞬の戸惑いを覚えたがその言葉から想像は難しくなかった。
言われた通りに座ってみると驚くほどすんなりとその空間に飲み込まれていった。カーブしたスクーンに映し出された映像は今まで見た事の無いほど鮮明で、背もたれのスピーカーからは効果音が流れ臨場感を増した。周りを忘れ、瑛二はただただ、宇宙を見つめ仮想空間に入り込んでいった。
が、次第に気分が悪くなり血の気が引いてしまっていた。
「酔ってしまわれましたか?少しおやすみください!」 店員はそう言って慌ててスクリーンの電源を落とした。
酔った?私の脳は勘違いしたのか!!
その体験は衝撃的で「これだ!」そう思うと、すぐにでも購入したい気持ちになったが、値段を聞いて諦める事にした。
なんせ全てを揃えるには100万近くかかる。
久恵との旅行を断ったうえにゲームなどにこのような金額を使ったとなれば到底合わせる顔がない。そう思いモールを後にした。だが、あれから一日中、例のパソコンの事を考えるようになった。美しい宇宙の映像が頭から離れなかった。
一週間がすぎ、とうとう夢にまでそれがでてきた翌朝、瑛二は開店と同時に八階へ行くと展示されていた物と全て同じ物を購入した。 そして一通りの手続きを済ませると 一階にあるドラッグストアに酔い止めを買いに向かった。
「笹野!!」 突然苗字を呼ばれ慌てて振り向くとかつての同僚、鈴木がいた。彼は大層優秀で人望も厚かった。定年後も引き続き仕事を続けて欲しいと会社からの声が掛かっていたし、他社からのヘッドハンティングの話などは幾度となく耳に入った。何故か気が合いよく飲み行く仲だったのだが退職してからは連絡を取り合っていなかった。
「鈴木か!?久しぶりだな!元気にしてるか?」
「ああ、こんな所で会うなんて偶然だな!!
ずっと連絡しようと思ってたんだ。」
そう言うと、彼は瑛二の持つ酔い止めを見るやいなやこう続けた
「あ、もしかして笹野も夫婦で旅行か?実は我が家も来月大阪に3泊4日!連れてけってうるさくてな。ウチのも乗り物酔いが酷くて薬買いにきたんだよ!!」
嬉しそうに話す彼をよそに、瑛二は鈴木のバックからはみ出てる何かに目を向けた。
そんな視線に気付いたのか
「あ、これか?!帽子だよ!さっき5階で買ってきたんだよ!なかなか良い色だろ?」
そう言ってサッと被って見せた。
瑛二は思わず吹き出しそうになった!
「やはり!あの、例の小さめな帽子!
私などはこれから宇宙へと旅立つというのに!!!」
そう思うと可笑しくてたまらなかった。
三日後の午前中、ついにパソコンが届いた。
二階にある書斎へと運ぶと瑛二は業者さながらテキパキと設置してWi-Fiまでも難なく繋いでみせた。すぐに始められるようにと今流行りのYouTubeで勉強しておいたあたりは流石だった。
ゲームといっても宇宙戦争をするわけでも地球滅亡から脱出をするわけではない。本物さながらの宇宙を仮想空間で楽しむタイプのものだ。隕石を避けたり 酸素濃度を気にしたりとその程度が設定されており、それが丁度良く思えた。
いよいよだ!この時が来た!!
ソフトを読み込んでスタートさせると宇宙へ旅立つ準備から始まった。最初に離陸する場所を選ぶ。いつものショッピングモールに設定すると直ぐにモールの屋上が映し出された。それから持ち物。迷わず宇宙服を選んだ。これがあると宇宙船を出て色々な星に着陸できるのだ。月面着陸ならぬ火星着陸だって可能になる。
ふと、選択画面の右下に いつものとそっくりなコーヒーカップを見つけた。宇宙でコーヒー? 無重力によりコップの中身があちらこちらに散らばるという設定だろう、本やカップラーメンなどいくつか身近な物が選択できた。そのコーヒーカップに英二心はよりいっそ弾んだ。そして最後にユーザー同士の通信選択がある。同じ場面を同じ時間に共有できるのだ。今の時代珍しくもないのだが 瑛二にとっては魅力的だった。この設定が無かったら購入に至っていなかったほどに。
それほど瑛二の「宇宙大冒険」には共感して認め合える仲間が必要だった。
そういう理想だった。
早速通信ボタンを押してみる。相手の顔は見えないが初対面となるとやはり多少の緊張は走る。電話口でお辞儀をしてしまう、あの感覚に近いだろうか。10分ほど待っても反応は無い。
「まぁ、平日のこの時間は皆忙しいか。。また次回だな」
期待外れな気持ちになったが、初日という事もあり、さほど気にせず1人で出発する事にした。
胸を高鳴らせながらモールを出発すると直ぐにいつもの景色が小さくなり、やがて雲を抜けて大気圏に入ると霧ががっていて窓の外は見えにくくなっていった。そして・・静寂と漆黒に包まれた。と、一瞬の眩しさを感じたかと思うと目の前に地球が現れた。
「ついに!! ついに!!」
それは地球よりも地球であった。
より大きく、より鮮明な地球。
流れる効果音が完全に現実を塞いだ。興奮と感動で満たされ瑛二にとって「そこ」は現実となった。
「私は今、紛れもなく宇宙にいる!」
どのくらい眺めていただろうか。はっと、瞬きをして、次なる目的地の月へ向かう為ゆっくり機体を傾けた。しかし、それ以上進めなくなった。。
出発を急ぐあまりにすっかり酔い止めを飲み忘れてしまったのだ!
小さなため息と共に仕方なく電源を落とし休憩のため一階へ下りると久恵が瑛二の顔色をみてえらく心配した。瑛二はそれをよそにおもむろにキッチンキンへいきコーヒーを入れた
「ついに!ついにやった!宇宙に行ったのだ!周りでこんな経験をしているのは私くらいだろう!!」
近いうち、久恵も連れて行くぞ!そうだ!ついでに鈴木にもみせてやろう!京都や大阪など比では無い!宇宙などあの二人には想像もつかないだろう!腰を抜かしたりしてな。」
瑛二は二人の姿を想像して、可笑しさと優越感で静かに笑うと冷めやらぬ感動を誰かに話したくてたまらなくなった。
明日は誰かと通信できるよう遅めの時間帯に出発しよう。
そう思いながら熱めのコーヒーを一口飲むと、ふと冷静な面持ちで呟いた。
「しかし・・通信で同じ感覚の人間と繋がれるのだろうか。それどころか今の時代、10歳の子供と繋がってもなんら不思議ではない。私の想いを共感できるのだろうか・・できるわけがない・・・」
次第に頭の中はある思いでいっぱいになっていった。
「同じ、全く同じではないか、私が求めていたそれは、現実のそれと何一つ変わらない!!!
共感など・・思えば久恵ほど私を理解している者がいるはずがない」
瑛二はコーヒーカップをじっと見つめた。
「あぁ 火は消えてなどいなかったのだ!炭火のように長くじっくりと燃え続けていた。良い時も悪い時も、久恵がたやさず燃やしてくれていたのだ。今はっきりと分かった事がある。彼女と過ごす事が嫌だったのではない!!恥ずかしかったのだ!!何の取り柄もなく、友人を尻目に大した出世もできなかった。そんなコンプレックスを悟られるのが怖かったのだ。
男とはなぜこうも子供じみているのだ。66にもなるというのに未だ友人に嫉妬をし「いつか」と、「自分は人とは違うのだ」と。
県外さえ数回しか出た事がない。いつまでもくだらない昭和男のプライドが捨てきれず虚勢を張ってきたのだ。
コーヒーを飲む手は震えていた
「なんとも滑稽でなんとも格好の悪い・・」
あまりの恥ずかしさと後悔で動けなくなっていた。
どのくらいの時間そうしていただろう。すっかり冷たくなったコーヒーを一気に飲み干す瑛二は支度もそこそこに足早に家をでた。
「帽子を買いにいってくる」
久恵にそう告げて。
昭和男のアップデート @yutatamaru
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